2010/09/18 - 2010/09/19
253位(同エリア448件中)
熱帯魚さん
ハルビン歴史建築探訪、最後に向かったのは、
スターリン公園と中央大街です。
ハルビン2日間の旅、見たいところが沢山で、
本当に時間が足りませんでした。
週末旅行で行くんだったらあと2回位行かないと…?
冰祭りには興味ありますが、
あまりにも寒そうで行く勇気がないので、
また暖かくなったら再訪したいと思います。
★★ 中央大街について ★★
通りの建設が始まったのは1898年、今から100年以上も昔のこと。当時、清政府が帝政ロシアに「露清密約」の調印を迫られ、清政府は吉林、黒竜江両省から欧州大陸に通じる中東鉄路の建設計画に同意。同年6月より、ハルビンにて建設工事がスタートした。この際、多くの中国人労働者がこの一帯に住んだため、「中国大街(キタイスカヤ)」と呼ばれるようになった。
1904年、日露戦争の勃発とともに、ハルビンはロシア軍の後方基地となり、多くのロシア人がハルビンに進駐した。そのロシア人相手に、中央大街には、商店、ダンスホール、バー、レストラン、銀行、レストラン、薬局が軒を連ねるようになった。
1925年、中国政府がハルビンの市政政権を奪回。1928年7月、「中国大街」は「中央大街」と改称された。
★★ 2日目午後のお散歩経路 ★★
スターリン公園→中央大街→ホテル→東大直街→ホテル→空港へ
★ この旅行記に出てくる歴史建築 ★
① 江畔餐庁
② 公園餐庁
③ 旧秋林(チューリン)商行道里支店
④ 旧万国洋行
⑤ 旧ラヴィノヴィキ大楼、旧遠東銀行
⑥ 教育書店(旧松浦洋行)
⑦ 道里秋林(チューリン)洋行
⑧ ハルビン市眼科医院(旧ユダヤ病院)
⑨ 馬迭爾賓館(旧モルデンホテル)
⑩ 華梅西餐庁(旧マルス)
⑪ 婦女児童用品商店(旧協和銀行)
⑫ 旧イー・グレヴィッチ商店
⑬ 旧ユダヤ国民銀行
⑭ ハルビン撮影社(旧カフェミニアチュール)
⑮ 旧ハルビン市公署
⑯ 旧アグロフ洋行
⑰ 旧ハルビン一等郵便局
⑱ 旧ハルビン会館
⑲ 中国銀行ハルビン支店(旧英国匯豊銀行)
⑳ 東大直街イエス聖心主教座堂(旧南崗聖スタニスラフ教堂・ポーランド天主堂)
21 ハルビン聖母守護教堂(ウクライナ教堂)
22 ドイツルーテル教会(旧ニアイライ教会)
23 ハルビン鉄路中心医院外来(旧東清鉄路中央病院)
【ハルビン旅行記~2010年9月18~19日】
約110年の歴史!の旧ヤマトホテル(龍門貴賓楼)に泊まる
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10502053/
とにかく歩け!まずは旧日本領事官邸を目指して
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10503612/
素敵なロシア建築のレストランで本格ロシア料理を~波特曼餐庁Portman Restaurant
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10504008/
デコボコの道をテクテク…宝探しみたいな建築探し?
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10504459/
夜のお散歩!ソフィスカヤ寺院と中央大街へ!
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10504716/
旧日本人学校を目指して朝の散歩!
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10505087/
ソフィスカヤ寺院とユダヤ人居住区「通江街」
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10505339/
旅の締めくくりはスターリン公園と中央大街
http://4travel.jp/traveler/blue_tropical_fish/album/10507401/
【旅の日程】
1日目:春秋航空9C8859便上海0730→ハルビン1015。旧大和ホテル(龍門貴賓楼)にチェックイン後、歴史散歩スタート!昼食はロシア料理。夜は中央大街散歩。(ハルビン泊)
2日目:朝食後、歴史散歩。春秋航空9C9970便ハルビン2055→上海2350。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
通江街をまっすぐ松花江の方に歩いていって、スターリン公園(斯大林公園)にやってきました。
この公園の中にもいくつか古い建築が残されています。また、公園内からは、太陽島へのロープウエイや渡し舟が出ています。 -
① 江畔餐庁
所在地:斯大林公園内
起工:1930年
日本人建築士が17世紀のロシア古典木造建築を見本にして建てた、ロシア風建築。当時は、ロシアの飲み物「クワス」が人気だった。 -
松花河。対岸は太陽島です。
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太陽島に渡る船の船着場。
今回は時間がないので太陽島に行くのは断念。 -
斯大林公園を、中央大街の方向へ歩いていきます。
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売店もロシア風で可愛らしいです。
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② 公園餐庁
所在地:斯大林公園内
竣工:1937年
もともとは江畔公園飯店。
ここはレストランになっていて、この反対側はちょうど結婚式のレセプションの真っ最中でした。 -
防洪記念塔
1957年起きた大洪水をハルビン市民が克服したことを記念して、1958年に建てられた記念塔。 -
記念塔の前から中央大街が始まります。
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③ 旧秋林(チューリン)商行道里支店
竣工:1914年
ロシア商人、Y.Y.チューリンが創設した秋林商行の道里支店。木骨レンガ造りのルネッサンス様式建築。 -
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④ 旧万国洋行
所在地:中央大街132号
竣工:1922年 -
⑤ 旧ラヴィノヴィキ大楼、旧遠東銀行
所在地:中央大街111号
竣工:1949年
折衷主義建築。 -
⑥ 教育書店(旧松浦洋行)
所在地:中央大街122号
竣工:1909年
4階建ての木骨レンガ造り建築。中央大街ではモルデンホテルに続く、典型的バロック建築。もともとは松浦洋行として使われていたが、のちにロシア僑民会として使われるようになった。戦後は外文書店となり、現在は教育書店として使われている。 -
⑦ 道里秋林(チューリン)洋行
所在地:中央大街137号
竣工:1910年
もともとはフランス籍ユダヤ人サムソノフスキー兄弟の創設した商会であったが、1915年、南崗区にある秋林商行で大成功を収めたロシアの富豪イワン・チューリンが買い取り、秋林洋行道里支店を開設した。1937年以降は何度かオーナーが変わったが、それ以降1945年以前はソ連が管理し、1953年に中国に移管された。 -
⑧ ハルビン市眼科医院(旧ユダヤ病院)
所在地:西五道街36号 -
馬迭爾賓館の前では、名物のパンやアイスキャンディーが売られています。特にアイスキャンディーは大人気で、おばちゃんが沢山の若者に囲まれていました。
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馬迭爾賓館の冷飲庁。ここでは、アイス、ヨーグルトなどのほか、軽食がいただけます。
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イチオシ
ずっと歩きっぱなしだったのでここで一休み。
私はアイス(確かラズベリーとブルーベリー?)とヨーグルトを頼みました。アイスは濃厚でおいしかったです。ヨーグルトは最初食べたときは酸化しすぎなんじゃないかと思いましたが、しばらく食べてみたら慣れてきておいしく感じました。 -
⑨ 馬迭爾賓館(旧モルデンホテル)
所在地:中央大街89号
竣工:1906年
フランスルネッサンス建築。敷地面積1万㎡、建築面積8.5万㎡。ユダヤ系ロシア人ヨハン・カイスプが、同国出身のヨジンノフに設計を頼み作らせた。内装は18世紀のフランス貴族の風格を持つ。当時は客室、レストラン、ダンスフロア、映画館を有し、セレブが集まる場所だった。
1933年にはアメリカ人記者エドガー・スノーが宿泊。戦後は溥儀、ダライラマ14世、宋慶齢ら要人が滞在した。 -
⑩ 華梅西餐庁(旧マルス)
所在地:中央大街112号 -
⑪ 婦女児童用品商店(旧協和銀行)
所在地:中央大街73号
竣工:1917年
木骨レンガ造り。フランス建築の特徴を持つ、ルネッサンス時期の建築様式。 -
⑫ 旧イー・グレヴィッチ商店
所在地:中央大街92号
竣工:1921年 -
⑬ 旧ユダヤ国民銀行
所在地:中央大街61号
竣工:1923年 -
⑭ ハルビン撮影社(旧カフェミニアチュール)
所在地:中央大街85号
竣工:1927年
アールヌーボー建築。もともとはロシア人の開いたレストラン「ミニアチュール」。当時、中国大街には30あまりの外国料理のレストランがあった。このほかにも、「ザジュオウェー」レストラン(現在の松花江理髪店)、「タトス」レストラン(現在の中央大街建設銀行)、「マルス」(現在の華梅餐庁)など。 -
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⑮ 旧ハルビン市公署
所在地:中央大街32号 -
⑯ 旧アグロフ洋行
所在地:中央大街21号
竣工:1923年
地上3階建であったが、1951年に増築され4階建となった。木骨レンガ造りの折衷主義建築。 -
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⑰ 旧ハルビン一等郵便局
所在地:中央大街10号
竣工:1914年 -
⑱ 旧ハルビン会館
所在地:兆麟路
竣工:1936年
建築士吉田友雄。木骨レンガ造りの折衷主義建築。 -
そのまま兆麟路を歩いていたら見つけた建物。建物に、20.7.19という謎の数字…1920年7月19日に建てられたのか?も?
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⑲ 中国銀行ハルビン支店(旧英国匯豊銀行)
所在地:兆麟街37号
竣工:1923年 -
ホテルに戻り、チェックアウトをしてから、空港バスの時間をチェックしに行きました。すると最終バスが4時とのこと。
もう時間があまりないので、食事でもしてバスの時間を待とうかと思ったら、バスの会社のおっさんに、「教会は絶対見に行った方が良い!駅前のバスに乗っていけ」とすすめられたので、バスに乗って東大直街へ。 -
⑳ 東大直街イエス聖心主教座堂(旧南崗聖スタニスラフ教堂・ポーランド天主堂)
所在地:東大直街211号
ポーランド僑民が建てたカトリック教会。20世紀初頭、中東鉄路の建設に携わったポーランド人は3000名あまり。そのほとんどがカトリック教徒だった。1906年、ポーランド教徒が共同出資し、この地にスタニスラフ教堂を建てた。落成は1907年。教堂は、ポーランド中学とポーランド僑民の宿舎も併設していた。当時信者は2000名いたという。
1966年文化大革命が始まると、教堂は紅衛兵に造反派に占拠されたが、後に中学として使用された。2004年、改築され、黒龍江省で最大規模のカトリック教会となった。 -
21 ハルビン聖母守護教堂(ウクライナ教堂)
所在地:東大直街268号
起工:1902年
もともとは墓地教堂であり、石造りの祈祷所であった。1922年、中東鉄路の建設、義和団運動の鎮圧、日露戦争で死亡したロシア人を記念し、中東鉄路局が出資して、祈祷所の東側に新しく大規模な木造教堂を建設した。
1930年、中東鉄路局が再出資し、ロシアの著名建築士の設計で、トルコのイスタンブールにある聖ソフィア大聖堂の芸術スタイルを真似て、もともとの木造基盤の上に、新しく石造りの教会を作った。1930年12月14日に落成。これが現在のハルビン聖母守護教堂である。
1947年以前は、ウクライナ人が教会を管理し、ハルビン在住ウクライナ人のほとんどがこの場所で宗教活動を行っていた。このため、この教会はウクライナ教会とも呼ばれる。
その後、文化大革命などを経て、中ソ関係が緊張し始めると、ハルビン在住のロシア人が減少し、ロシア正教会の活動も正常に行うことが出来なくなってしまった。そのため、教会はハルビン市文化局の管理下におかれ、新華書店やサーカスなど非宗教団体によって使用されたこともあった。
1984年10月14日、教会はやっと正式に宗教活動を再開、中華ロシア正教ハルビン教会の所在地となった。現在は中国で唯一正式に対外的に宗教活動を行うロシア正教教会。 -
22 ドイツルーテル教会(旧ニアイライ教会)
所在地:東大直街252号
竣工:1916年 -
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再びバスでハルビン駅前へ。ホテルに戻って荷物を受け取り、とりあえず食事へ向かいます。
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駅前に古い建物があるのに気がついたので撮影。これも保護建築のリストに入っていました。
23 ハルビン鉄路中心医院外来(旧東清鉄路中央病院)
所在地:顧園街37号
起工:1903年 -
さて、駅前のファーストフード店でハンバーガーとスープ。
食後、バスに乗って、空港へ。(20元)
今回のハルビン旅行で、ハルビンが気に入ってしまったので、また暖かくなったらハルビンを訪れたいと思います。次回は太陽島や731部隊跡や中華バロック建築群を見たいです。
おわり。
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