2010/03/12 - 2010/03/15
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アルデバランさん
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昭陵を見終わった後、成り行きで十三陵入口の大石牌坊に戻り、その後長陵に行くという非効率な回り方をして、時間を無駄にした。
でも、長陵ではそれを補って余りある貴重なすばらしい建造物を見れた。すなわち長陵の稜恩殿だ。
一見すると長陵は未発掘なんで定陵の地下宮殿のドラマチックな発掘ストーリーや莫大な費用をかけて造った地下宮殿(馬鹿馬鹿しいと人は言うが…)、出土品の数々ほどの派手さは無い。
しかし、明朝初期の建物を目の当たりにできてすっかり興奮、舞い上がってしまいました。
-
昭陵の出口近くにも定陵の博物館と同じような建物が2,3棟あった。
神庫、神厨だ。
入ってみましょう。 -
中の展示物は写真パネルだけでした。
がっかり…
昭陵は20世紀末に再建されたが、その再建時の様子を写真で展示しているだけでした。
発掘したわけではないから仕方ないか… -
1時間ほどで昭陵の見学は終わって、また昭陵村の中を通ってバス停に向かいます。
-
変わった建造物があったので、道行く人にあれは何かと聞くと何のことはない単なる水道タンクでした。
この辺りは平野だけど周りを山に囲まれているので水は豊富だと思うのだけど… -
タイミング悪く、バス停50m手前に来た時1台バスが行ってしまいました。
よく見るとここはバスの終点です。
もう12時30分だ。 -
バスは行ったばかりなので当分無いと思ったら2路線あるようです。
さっき行ったのは23番…
なんと次の目的地、長陵行きのバスです。
次に来るのが22番だったら長陵は後回しにして大宮門に行って見よっと。 -
案の定バスは行ったばかりなので、次のバスはなかなか出発する気配は無い。
その間ボケっと突っ立って居ると昭陵へ客を乗せたタクシーが戻ってきて我輩の前で停まった。
何処へ行くのかと聞くので長陵と言うと「40元」ときた。
長陵まで5キロはあるだろうが、「40元は高いぜ!」と言うとタクシーは空しく走り去った…
500円強なんで乗ればよかったと反省。どうも金銭感覚が麻痺気味だ。 -
結局20分ほど待ってやはり長陵には行かないバスだったが、
長陵とは反対方向にある十三陵の入口である石牌坊に行く事にした…
あっちに行ったりこっちに行ったり非効率この上ないが仕方ない。 -
その石牌坊。
5間11楼の堂々たる牌門だ。
周りにぐるっとフェンスが施されこれ以上近づけないが、遠くからでもデカイ。 -
石牌坊は十三陵全体の入口の門で現在の道路からは外れて、道路際に建っており、
3方は畑だが東側は大宮門村と言う名前なのか集落がある。 -
石牌坊は真下には行けず、道路から眺めるだけなんでここから十三陵の参道の神路をまたテクテク歩こうとしたら、タクシーが停まった。長陵までやはり40元だという。
先ほどの反省から今度は「大紅門」で停まってもらう事を条件に神路は後回しにして長陵を目指す。
タクシに乗ってしばらくすると「大紅門」だ。
ここから延々と数キロ神路が続き、両側には十三陵の売りの一つの石像が立ち並ぶと言うが後で来よっと。 -
長陵の入場料は30元でした。
-
さすが、長陵は昭陵と違って混んでます。定陵ほどじゃないけど…
なんせ朱棣の世祖永楽帝だもんね。 -
三間の陵門を入ると直ぐに稜恩門が目の前に広がるけど、その前に碑亭だ…
定陵、昭陵も中軸線上にあったが、長陵は右の外れにある。 -
碑亭。
うーん…
立派です。 -
さて、お次は稜恩門だ。
-
し、しかも近くには屋根付きで写真まで掲示している。
いったい何事かとよく見れば…
毛沢東が長陵を訪れて稜恩門で休憩している図だ。
毛沢東はちょいとお行儀が悪いですね…
日付は1954.4.6となってる。 -
そして、長陵といったらもうこれでしょう。
稜恩殿。
でかい! -
稜恩殿の前の広場の左右に一対の神帛炉。
祭祀の際の祝板、神帛を燃やす為のものだ。
いわゆる焼却炉ですな。
でも瑠璃瓦でできて凄く立派… -
そして稜恩殿の御路も他とはちょいと違います。
他といっても定陵、昭陵しか見てないけど… -
長陵の稜恩殿に入って
ぶっ飛んだ…
何が凄いかってこの柱!
径1m以上はあろうかという柱の森 -
近くで見上げると…
迫力満点です。
紫禁城の大和殿にも楠木の巨木の柱はあるけどここのは朱塗りしてなく、
無垢の地肌が渋すぎる! -
北京の巨大建造物に使用してる楠木は南の四川省や雲南の山奥から切り出して川を利用してはるばる運搬してきたものだ。
何万の人と膨大な手間ひまをかけて運んだんだろう。なんせその頃はまだチエーンソーも無かったからね。
西洋人で始めて紫禁城に足を踏み入れたマテオ・リッチも万暦帝の時代だけど、運河を木材が延々と何キロにも連なって運ばれるのを見ている。 -
永楽帝が15年の年月と膨大な材木と費用をかけて建てた紫禁城の太和殿なんぞ直ぐに落雷で焼け落ちちゃったけど、この長陵の稜恩殿は十三陵でも唯一建築当時のまま残っている貴重な建物だ。
警備も厳しく建物内を絶えず、警察なのか数人がぐるぐる巡回している。
我輩も反対周りにぐるぐる回ったので、何回すれ違ったことか… -
床も紫禁城の太和殿と同じく金磚が敷き詰められてるとのことだが、床板にて柱の下部同様保護されてる。
でも、少しだけなら様子が分かります。 -
こんな感じで…
密度が濃くて叩くと金属音がするという。
紀州の備長炭みたいなもんですね。 -
稜恩殿の真ん中には永楽帝のブロンズ像が鎮座。
でも、これじゃあ「おいおい!おあし置いてけよ!」だよね…
建物にふさわしい堂々たる姿だけど、稜恩殿の本来の使われ方でなく観光用だね、きっと。 -
上も凄いです。
グイーンと延びてるのは肘木か?
宋の時代は『営造法式』清代は『工部工程做法則例』という建築の古典書があるけど
元・明代は無いんだよね…
その代わりとなるのがこの実物だ。 -
格天井の装飾などは補修しているだろうが、地味ながら渋くて素晴らしい。
-
長陵は資料館は別棟にあるのでなくあくまでも稜恩殿で勝負しようとしてます。
したがって、資料も稜恩殿の内部に展示。
全体のジオラマがありました。
よく見ると紫禁城と景山と同じような感じともとれますね。 -
長陵は未発掘なんで展示品は定陵からの出土品もしくはその複製。
金錠も定陵から出たのだ。「万暦46年戸部進到宛平県云々」とある。
宛平県って盧溝橋のあるとこだよね。 -
十三陵の平面図の比較表もありました。
あれ?陵の数が15もある…
創業の祖を出し抜いて大きなものを造っちゃいけないんじゃなかったっけ?
永陵と定陵はちょいとでか過ぎるね。 -
ここにも有りました、双龍がにらめっこの金糸翼善冠
-
皇帝用だけでなく皇后用の冠もありました。
三龍二鳳冠。 -
稜恩殿の小屋組みとか垂木がどうなっているのかの模型もありました。
膨大な量の木材が使用されていたんだよね。
いつも、良質の木材が何万本もストックされていたんだ。 -
献陵の模型もありました。
小高い丘が間に挟まって変わっていますね。
向こう側のは景陵の模型だ。 -
稜恩殿を出て、更に奥に行くとまた門がある。
その門から見た櫺星門とその奥の明楼。 -
櫺星門は昭陵、定陵とおんなじだね。
昭陵のときも言ったか… -
櫺星門を過ぎるとお決まりの五石供と聳え立つ明楼
-
石五供の台座の上は夥しい数の小銭。
ちなみに写ってはいませんが我輩の横にはぴったりと警備の人が。
盗らないって… -
明楼は色んなタイプがあるようで定陵、昭稜とも違って長稜のは基台に直接アーチが穿ってあり、
それを潜って奥に行くと明楼に上がれます。 -
上がって見下ろした図。
稜恩殿の重檐廡殿式の屋根が雄大ですね。
明楼の上で突発事故発生。
景色に見とれ壇を踏み外してよろけてフランス人のおばちゃんに助けられる…
そのとき右足の甲をしたたかに挫く。 -
「世祖文皇帝之陵」とある碑
最初は「太宗文皇帝之陵」となっていたが、
永楽帝は明3代目の皇帝だけど南京にあった建文帝の明朝を簒奪して北京に都を持ってきたんで、
後の人たちは再統一という名目で「祖」の字を使ったんだろうね。
なんせ、後の皇帝たちは皆、永楽帝の子孫だから… -
楼の天井もアーチでした。
右足はその時点では大したことがないと思ったが、
時間の経過とともに痛みがひどくなり、結局全快するのに1ヵ月もかかりました。
なんせ、この後も無理してあちこち歩いたから… -
楼は最初は木造だったけど万暦年間に落雷で焼け落ちちゃったみたいだ。
避雷針つけてなかったんだね…
稜恩殿に雷が落ちなくて良かった良かった。
直ちに再建に取り掛かったけど今度は石造りにしたようだ。
廟号の変更も最初は板で補正してあったが、再建時に碑もちゃんと直したようだ。
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