2010/03/12 - 2010/03/14
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アルデバランさん
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<昭陵>
定陵を出て出土品を展示する博物館をしばらく覗いてから、
隣にある昭陵に徒歩で移動。
隣といっても徒歩40分もかかってしまった。
昭陵は万暦帝のとっつあんの穆宗、隆慶帝と3人の皇后の陵墓で、十三陵の公開されている3つのうちの一つだ。
定陵は地下宮殿が売りで建物は再建されていないが、昭陵は建物が再建されている。
隆慶帝は嘉靖帝と万暦帝の間に挟まれて35歳の短命で在位期間はたったの6年ながら3人も皇后がいるなんて立派…
政ごとは有能な大学士の張居正、あの万暦帝が幼いころの教育係の張居正が先代からしっかりしていたから隆慶帝は何もすることが無かったんだよね。
-
定陵を出て左側にある建物に。
定陵博物館紀念卡を見せれば入れてくれる。
ファサードの壁面一面に彫り物が…
騎馬隊は戚継光か?
天工開物はともかく、永楽大典も鄭和も永楽帝の時代でっせ。
なに?明十三陵博物館だからいい…
ちょいと中を見てみましょう。 -
外観と違って中は至って地味でした。
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まず目に入るのはお宝のうちで一番わかりやすい
金錠。
横には銀錠も展示してました。
それぞれ103枚、65枚出土したとか…
表面にいろんな文字を刻印している。 -
鍋、やかん、金盥が置いてありました。
展示してるのは定陵の後殿の副葬品でした。 -
十三陵全体のジオラマもありました
-
ひときわ目を引く孝瑞皇后の副葬品の九龍九鳳冠。
天辺に金の九匹の龍、その下にブルーの九羽の鳳凰。
その下はヒスイや真珠をバブリーに散りばめてる。
真珠は5449個も使われているというが、誰が数えたんだろ…
朝会等の典礼儀式に被ったのかな?
全部で4頂出土したが、それぞれ龍と鳳凰の数が違うそうだ。 -
もう一つありました。
孝靖皇后の方かな?
十二龍九鳳冠だ。
でも、孝靖皇后は死後だいぶ経ってから、孫の天啓帝に皇后の尊号を追贈してもらったはずだ。
定陵に合葬されたけど、生前万暦帝は冷淡で貴妃の位だったよね。
なんせお気に入りの鄭貴妃がいたから… -
陪葬物として木俑を入れたんだ。古代と同じだね。
人俑の他に上には鞍つきの馬俑も展示されてる。 -
絹織物だろう、何故か反物まで副葬したのか…
出土品3000点の中で衣類は400枚もあったそうで、複製品だろうが、洒落た柄だ。 -
洒落た柄と言えばこれだろう。
赤地に龍を大胆にあしらった上でガキどもが一面に遊んでる…
孝靖皇后の百子衣
発掘されたのはかなり傷んでいたからこれは複製品だろう。 -
そして定陵から発掘されたいくつかの皇冠のうちの一つ「金糸翼善冠」がこれだ。
細い金の針金というか糸で編みあげ、上にはでかい双龍が真珠の眼でにらめっこしている。 -
これは出土時に万暦帝が棺の中で冠っていたという「烏紗翼善冠」
やはり双龍が真ん中のドラゴンボールをめぐって争ってる…
翼善冠って唐の太祖李世民が始めたというが… -
これはよく見かけるよね。
冕冠(べんかん)だ。簾の数も前後24本で約束どおり。
万暦帝のこれは古代の記録に忠実に従っている。 -
外郎のようなヒスイを安直に丸、四角の形にしてつけた玉帯
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金細工の上に宝石を散りばめたブローチとか
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胸の心臓辺りに飾ったんだろうね、心の字を模ったブローチとか…
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1956年の定陵発掘にまつわるコーナーもありました。
郭沫若は定陵の発掘成功の余波をかって陝西省咸陽郊外の唐の陵墓の中で
盗掘にあっていないといわれる則天武后と高宗の乾陵の発掘許可も得ようとしたが
周恩来は却下したんだよね。
当時は出土品の保存技術が伴っていないという理由で。 -
発掘当時の様子の写真もありました。
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石門が自来石に引っかかって、開けるのに苦労している場面だ。
水前寺清子の歌、知らなかったのかな。
「押してもだめなら引いてみな…」 -
歴代の皇帝の肖像画もありました。万暦帝は?
いたいた…
れいの烏紗翼善冠を被ってる。
400年も前の顔をどうやって想像したんかいな。 -
博物館を出て対面のビジターセンターで次の予定を相談。隣の昭陵も公開されてるので行って見ることに。
隣なんで「畑の中をショートカットする道は無いの?」と聞くと無いそうで、一旦通りに出てぐるっとまわって行け、
なおバスもあるとの事。歩いて20分もあれば行けるという言葉を信じて歩く事に…
最後に、石橋から神功経徳碑さらにそのかなたの定陵、大峪山を振り返る。 -
定陵の参道をしばらく行くとバス通りに出た。
歩道がないので少々歩きにくいが並木道をテクテク歩く… -
10分ほどで昭陵村の入口に着いた。
右端の彼方に昭陵の明楼が見えてきた…
だがしかし、まだかなりある。 -
一面の畑というか果樹園の向こうに昭陵が見え隠れ…
-
十三陵の近辺は一面の果樹園。
あちこちで剪定作業をやってました。
「お邪魔します…。この木は何ですか?」
「タオズじゃ。」
「ほー、タオですかいな(心の中ではタオってなんだ?)」 -
陽も高くなって少しは暖かくなり、のどかな田園風景を楽しみながらテクテク…
「あっ!バスだ!やっぱバスにすればよかった…」 -
今度は剪定作業がもう終わったのか、畑から出てきたこの兄ちゃんに聞く…
「このタオズってなんですか?」
「タオズはタオズじゃ」と言い、指で「桃」と書く。なんだ桃かあ…
「何処行くんじゃ?」というので「昭陵に行くんじゃ」と言うと
「ついてきな、教えてあげるから」って道は一本道だし見えてるんで分かるけど
お言葉に甘えました… -
兄ちゃんと話しながら昭陵村のメインストリートを行く…
-
「婚育新風文化健身広場」ってすごい!
しかも、郵便局と診療所もある。
なお、奥の建物は昭陵村民委員会。 -
先程の畑からの帰りの兄ちゃんの家はこの奥らしく「昭陵はあっちじゃ。ワシは家で飯じゃ」と言いながら去って行った。
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そして昭陵の入り口に着きました。
定陵からのんびりテクテク歩いて40分。
オフシーズンだから20元… -
まず、ビジターセンターに行ってみます。
ソファがあり疲れた身体の一休みにはちょうどいい…
ただし、情報の収穫は無しです。 -
では、行ってみましょう。
定陵と違ってほとんど人は居ません…
神功経徳碑とそれを囲む2層の碑亭が向こうの方にあります。
彼方の山が大峪山です。 -
神功経徳碑に近づいた。
亭というより楼だよね。
定陵のは碑が露出して基壇の上に立ってたけど本来は建物の中に入っているんだ… -
やっぱり無字碑だ。
説明書きによると1572年製だったが、清代に破壊されて1987年に再建されたみたいだ。 -
碑亭を過ぎると石橋が。
定陵は神功経徳碑の外側に石橋があったけど昭陵は内側にありました。
正面に見えるのは稜恩門。 -
3間の稜恩門。
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稜恩門から碑亭を振り返る。
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更に進むと稜恩殿。
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稜恩殿の御路石雕。
定陵のは鳳凰、龍等が彫ってあったがここのは
一面の雲…
天気が良くなかったんだね。 -
稜恩殿は四季折々や命日等に祭祀をする場所だけど、秋祭のお供えの例が復元されて展示してありました。
昭陵は穆宗のほか3人の皇后も祀られているので4人分のお供えです。
そして、正面に豚、牛、羊の揃いぶみだ… -
1988年に再建されたというが、屋根にはペンペン草が…
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稜恩殿を過ぎるとまた門がありました。
瑠璃の枠で洒落てはいるけど、門扉がかなりやれてました。 -
櫺星門は定陵とおんなじだ…
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五供も定陵とおんなじだ…
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明楼の基壇へは直接この傾斜を左右の階段で登ります。
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基壇のアーチをくぐると宝城の壁に突き当たります。
宝城は公開されていないので、左右の何れかに回り込み明楼に登ります。 -
ぐるっとっ回って明楼に登ります。
昭陵の明楼は明の最晩年に例の李自成の乱で焼かれてしまった。
後、清の乾隆年間に再建された。 -
明楼から宝城の城墻を見ると…
15m先で行きどまりになってます。 -
明楼から稜恩殿を望む.
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明楼の碑は悲惨な状態でした。
李自成の乱で破壊されたというが、反乱軍はどうやって破壊したか?
それとも、楼が焼け落ちる時壊れたのかな?
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