2010/03/12 - 2010/03/15
1706位(同エリア5322件中)
アルデバランさん
- アルデバランさんTOP
- 旅行記551冊
- クチコミ8件
- Q&A回答7件
- 984,804アクセス
- フォロワー69人
<思陵(崇禎帝)>
非公開ながら長陵の北側の陵墓、7つを見終わった。
中に入れるわけではないし周りから様子を伺うだけなんで
半分も見れば十分と思っていたけど、最後の思陵を見た時点で4時半過ぎ。
3つ残すときっと後悔すると思った(非公開だけど…)。
急に欲が出てきて運ちゃんに「残りの3つは逆に戻る事になるけど、行ってくれない?」と頼むと、一仕事終え、もうすっかり帰るモードになっていた運ちゃん
「今日はもう十分稼いだ。帰る」と言うのを
時間外手当をはずんで7キロほど戻って、残りの景陵、永陵、徳陵も外から見学。
その後、薄暗くなりだした神路を歩くが、長陵の明楼でずっこけて捻挫した足が痛くて痛くて…
-
修復中の茂陵を見た後、ワンボックスカーで更に奥に…
次は泰陵だ。
ここも、裕陵と同じくフェンスで囲っているだけで
中は丸見え。 -
泰陵の明楼は大きな松が邪魔して見えません。
非公開なのにここでも左右に案内板が立ってる…
どうして?
正面の朽ち果てた跡は稜恩殿だろう。 -
と言う事は、今立ってるフェンスの所は陵墓内で稜恩門の辺りだろう。
そういえば、神功聖徳碑は道の手前にあった。
泰陵の主は孝宗、弘治帝。
君主として非の打ちどころがなく明中興の祖と言われたが、
惜しむらくは35歳で若死にしてしまった。
跡継ぎの正徳帝のことだけは気がかりだったけどね。 -
泰陵遠景。
松が邪魔して近くでは見れなかったけど、
山の一番奥にある康陵に向かう途中で見えました。 -
だいぶ山の奥というか高台に来た。
康陵だ。
主は正徳帝。
明朝の皇帝は人物より長子継承が絶対だったから
人物で選んだ清朝と違ってユニークな皇帝が多いみたい。
この正徳帝もかなり変わっているようだ。
15歳で即位する前の皇太子の時に父ちゃんの弘治帝から「悦楽を好む」と評されていたから相当だったんだね。
後には軍事にも凝って兵隊ごっこに熱中。
付き合わされた周りと庶民はもう大変… -
神功聖徳碑から稜恩門まで参道を車で走ってしまいます。
ちょうど門を開けて買い物にでも行くのかオバちゃんが出てきてすれ違った。
もう少し早く着いていれば、話が聞けて中を覗かせてもらえたかも知れないのに。 -
稜恩門だろう。ぴっちり閉まってます。
-
戸のわずかな隙間から垣間見た。
中はだいぶ整備されてます。
康陵の明楼は定陵の稜恩殿と同じように
北京になだれ込む前の李自成の乱で李自成軍に焼かれちゃった…
よほど恨みをかっていたんだね。
乾隆年間に補修されたけど。
さらに国民党時代のドサクサに紛れ宝城が狙われた。
幸いにも大雨が降って埋もれた為、盗掘は免れたようだけど。 -
どこか中を覗ける場所は無いものか周りをウロウロしていたら、
バサッと枝が落ちてきた…
見上げると人が!
柿の木だろう、剪定作業しているの全く気がつきませんでした。
あの木の上なら中が少し見えるかも… -
康陵からの帰り道。彼方の松林の左に泰陵の宝城の城墻の石垣がぐるっと見えます。
かなり大きいねエ。
この地にはあんなの陵墓が数箇まとまってあり、
いかにも史跡の村だ。 -
次は最後の思陵だけど、朝一番で見た定陵、昭陵の反対側だ。
車で抜け道を走る事20分弱。
途中で「皇帝陵ではなく妃の墓も見たい」との追加注文を出しました。
皇后は陵墓に一緒に埋葬されているけど、妃の場合は
別の場所に埋葬されたようであちこちに点在している。 -
運ちゃんは思陵の先にある妃の墓に連れてってくれましたが、
無名の村(名前はあるが…)の民家の間に朽ちた石塀、レンガ塀で囲われてありました。 -
たぶん万暦帝の神宗妃墳。
ここは非公開もなにもありません。
恐る恐る中に入ってみると… -
中は木が鬱蒼と茂っており、老夫婦だろう薪を拾ってました。
こんな所に突然、怪しい男が現れビックリしたようです…
驚かせてゴメン。 -
5分ほど引き返して思陵につきました。
「あの碑の上に登れば中が見えるよ」と運ちゃんは教えてくれました。 -
思陵の主は明朝最後の皇帝、崇禎帝。
李自成の乱で故宮の裏の景山で首をくくった崇禎帝だ。
ここに陵墓があるということは次の清朝が葬ってくれたんだね。
それとも李自成が紫禁城にいる間に葬ったのかな? -
では、不謹慎ながら碑の上によじ登って見ましょう…
-
建物は無くて石五供と碑だけがありました。
-
非公開なんで、中に入れないように塀が取り囲んでいます。
その外側、ちょうど陵門があった場所だろう、よじ登ってくれと言わんばかりに
「思陵」の碑があります。
左は乗ってきたワンボックスカー。 -
思陵の神功聖徳碑
4時30分をまわった。これで、長陵の北側10陵を見た事になる。
先程までは行く先々で戸が閉まっており、「何処も同じだねえ…」と思っていたけど、
まだ時間がありそうだし、これで終わりとなると折角だからと欲が出てきた。
帰宅モードの運ちゃんを、酒手をはずむからと何とか説得して、
また戻る事になるけど残りの3陵も行ってみる事に… -
長陵村まで戻ってきました。
それぞれの陵墓の名前が村の名前になっているんだ。 -
で、思陵から15分かかって着いたのは長陵のすぐ南隣の景陵。
なぜか門扉はハイカラでした。 -
鉄柵なんで中はスケスケ。
ホントはあすこまで行けるといいんですが…
景陵は宣宗の宣徳帝が眠っている。
武芸に秀でていたため爺ちゃんの永楽帝から可愛がられ、統治能力にもすぐれていた。
芸術面でも才能がありまた無類の収集好きで、ありとあらゆる物を集めたという。
なんせ、女性を集めるために朝鮮半島にまで宦官を派遣したというから… -
近づけないんでせめてズームして見ましょう。
あれ?鉄の扉が開いてる… -
次ぎ行ってみましょう。
永陵だ。 -
こちらは立派な三座の陵門だ。
でも、閉まってます。
永陵の特徴は何といっても外羅城を伴うことだ。
陵門の左右から塀が続いているがこれがそれにあたるのだろう。
十三陵で外羅城があるのはこの永陵と万暦帝の定陵だけだ。 -
陵門は閉まっているけど、締め方が中途半端だし、戸もかなりやれていて、
中が見えそうですね… -
で、戸の隙間から覗いてみると…
永陵はすぐにでも公開してもいいのではと思えるほど整備されてます。 -
まあ、公開しても何処も皆、同じようだけど。
細部とか仕上がりが違うんだろうね。
この明楼はスラリとしており優美そのもの…
永陵は世宗、嘉靖帝の墓
ふつう、遠慮して先代達の陵墓より大きな陵墓は造らないのがしきたりなんだけど、
嘉靖帝は不届きにも長陵に匹敵するような規模宏大な宝城、稜恩殿を造営した。
費用も長陵、定陵と同じ巨費が投じられており、施工は精細を極めているとか。 -
永陵。
周りの道からも明楼はよく見えます。 -
十三陵の最後は徳陵。
手前に五空橋が架かっており、そこから眺める…
割とコンパクトな陵墓だ。
それもそのはず徳陵の主は天啓帝。
明も末期であちこちの農民反乱そして満洲の女真族は勢力を伸ばしてくるわ
大変な時代で予算がなかった。
なんせ、長陵や定陵が白銀800万両のところ50万両だからね。 -
五空橋と陵門の間に建つ神功聖徳碑の基壇の上から。
5時になろうとしているのにここは観光客がいました。
ドイツ製のA社、P社の車に我がワンボックスカーは完全に負けてます… -
雀替が美しい。
檐の荷重を梁で檐柱に受けるためのものだけど、装飾的意味合いが強いのは
蟇股と同じですね。
門はピッチリ閉まっており、カメラでも覗けない。
中では人の気配を感じたのか犬がワンワン鳴きだした。 -
ぐるっと高い塀をめぐらしており、近寄れません。
ここの主、天啓帝も一風変わっている。
ジイちゃんの万暦帝時代に宮廷で育ったため
読み書きを教える人がいなくて出来なかったけど、
手先が器用で大工仕事が大好きだったそうだ。
今なら道具をそろえるためにホームセンターに入り浸りだろうね… -
その横では羊が草を食んでました。
さあ、帰えろ… -
10分で大紅門まで戻ってきました。
お手当ての150元を手にしてホクホク顔の運ちゃん…
内蒙古から出てきたと言っていた張文明先生
ありがとうございました… -
もう5時30分近くで薄暗くなってきたけど、神路を少し見てみましょう。
単檐廡殿式の大紅門の黄琉璃瓦屋根には木がたくさん生えてました…
かつてはこの大紅門の左右から城壁が十三陵域をぐるっと取り囲んでいたけど
今はその面影は微塵もない。 -
大紅門から振り返る。
バス道は大紅門の手前で左右に分かれます。
つまり車道は神路の両側に沿っていることになります。 -
大紅門を入ったところでまた振り返る。
長陵の明楼で捻挫した足はますます痛くなって無理は出来ないけど
ゆっくり歩きましょう。
石碑坊、大紅門、神功聖徳碑の碑亭と続く神路は一見十三陵全体の神路のように見えるけど、ホントは永楽帝の長稜の神路なんだね… -
彼方に碑楼が見えてきた…
-
四隅に華表を伴った、重檐歇山式の碑亭は中に永楽帝の功績を称える神功聖徳碑があるだけです。
ちなみに大紅門から碑楼の手前までは無料ですが、この碑楼に入るためには30元も支払わなければなりません。 -
中に碑があるだけですがどうです、このどっしりとした落ち着き具合
-
華表もとても立派…
-
いままでの神功聖徳碑は無字碑だったけど、この碑はびっしり書かれています。
きっと、永楽帝の功績を針小棒大に語っているんだろうね。 -
側面も、そして裏面もびっしりと掘られています。
よく見ると裏面は最後に乾隆五十年 御筆とある。
乾隆帝が書いたんだ… -
碑楼の先は、かの有名な十三陵の石像群だ。
ここが閉まる時間は、碑亭の入口の切符売り場のおじいさんに確認すると7時までとのことだが、
なんせ足が痛くて、痛くてもうこれ以上とても歩けそうにない。 -
碑亭まで戻って、大紅門まで戻らなければバス停はないのかを聞くと、碑亭の横から道路に出ればバス停があると言う。
助かった… -
道に出ると昌平東関行きのバスが直ぐやってきた。
昌平東関でも徳勝門行きのバスが直ぐやってきた。
ラッキー!
帰りは神路から徳勝門まで1時間。
7時すぎに戻って来れました。
結局、北京市内から13時間かって十三陵全て訪問しちゃいました…
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アルデバランさんの関連旅行記
北京(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
48