2010/05/01 - 2010/05/01
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Weiwojingさん
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5月の連休を利用して、漳州から車で2時間近くの華安県の華安大地土樓群へ出かけてみました。幸いに天気は快晴で、初夏を思わせるような暑さでした。
この土樓群に入るには入場料を払わなければなりません。成人90元と出ています。えー、高いなぁーと思いながら、よく注意書きを見ると、教師は半額の45元でよいとのこと。45元を払い、気をよくして早速入りました。先ず見学したのは、土楼王といわれる「二宜樓」です。続いてその後、「南陽樓」と「東陽樓」を見学しました。
* 『土樓を見に華安大地土樓群へ (後編) ー 東陽樓と南陽樓』も併せてご覧ください。
http://4travel.jp/traveler/srilanka/albim/10456450/
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華安大地土樓群の入口です。漳州からここまでは車で2時間近くかかりました。先ず、ここからは車で入ることはできませんので、ここで降りて、中にはカートで移動します。
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二宜樓の入口です。土樓王と言われるだけあって、大変大きいです。この日は休日のせいか見学者が多いようでしたが、普通はもっと閑散としているまも知れません。
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上を見上げると、「二宜樓」と書かれた文字が見え、しばらく見ていると首が痛くなるほどです。
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入口を入ってすぐ右側に土地神様を祀る小さな祭壇が作られています。
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中に入って驚きました。大変広いです。それとともに他の土樓に見られるような土産物屋や茶店がないことです。すっきりしていて、本来の土樓の姿を見ることができます。
二宜樓は保存状態が大変よく、また優れた建築構造、精緻な内部の装飾などから、福建省で最高の土樓と評価され、土樓としては全国で唯一全国重点文物保護単位(国の重要文化財)に指定されています。
1770年(清朝乾隆35年)の建築ですが、1904年に火災に遭い、内部の木造部分は大部分焼損してしまいました。現在の木造部分はその後の再建されたもので、創建当時のまま残っているのは外壁だけだそうです。 -
樓内にはこのような井戸が2か所あります。
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観光客がすくないので、子供たちはのびのびと、自由に遊びまっています。
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こちらでも子供たちが遊んでいます。ビー玉で遊んでいるようです。
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2階、3階も見学できるようになっていて、この階段から上がります。
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3階に上がると、ぱっと視野が広がり、樓全体を見ることができます。また中央の広場もよく見ることができます。
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二宜樓は再建されてからおよそ100年は経っていますが、保存状態が大変よいです。
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樓内にはおびただしい絵画や彫り物などがあちこちにあり、精緻なつくりと驚くような美しさには感心させられます。
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1階には二宜樓全体で使用する祖堂がありますが、4階にはこのような各家ごとの誕生日や結婚式などの儀式を行うそれぞれの祖堂があります。
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階段踊り場には小さなくぼみがあり、ここは夜間ろうそくをともすための場所でした。その上に描かれている文字と絵が素晴らしいです。こんなところにも細かな細工がされているのですね。
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4階廊下には隠し通路があります。
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3階の窓から見た外の風景です。
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二宜樓の周りには、この樓を取り囲むようにして多くの民家が建つています。どれも民家といいながら、かなり大きな家ばかりです。
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この民家は食堂を開いているようです。それにしてもどの家も立派で、大きいですね。
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3階広場に面したベランダの壁には古典的な中国絵画が描かれていますが、その上を注目してください。素晴らしい西洋風な絵が4枚描かれています。
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2階ベランダの壁面には、ここからアメリカに移民として渡り、帰国後様々な西洋文化をもたらした実例を見ることができます。これは彼らがもたらした「羅馬鐘」(Roman Clocks)と呼ばれるものです。
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このような時計が3つあります。どの絵にも時計の下に英語かどうかわかりませんが、横文字が書かれています。
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最も注目すべきものとして、西洋の女性が描かれている一枚があることです。西洋の女性と言っても、どことなく中国的な感じがしますが、描いた人は実際に見たのではなく何かを参考にして描いたのだと想像します。
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その女性像をアップしてみました。
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これらの絵を描いた人物の署名と思われるものが各時計の文字盤の下に書かれています。署名は同一なので、どれも同じ人物によって描かれたと思われます。
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現在樓内には蔣氏一族が100人ほど暮らしているそうです。
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2時間ほどの見学を終え、外に出てみました。樓の周りを1周すると、表門のほかに出入り口がもう2か所ありました。ここは北側門で、です。もう一つは南側門です。いずれも住んでいる人だけが利用するようなところのようです。
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1904年の出火で内部はほとんど消失してしまいましたが、外壁だけは残ったそうです。壁のつくりを見ると三層になっているのが分かります。これはオリジナルのままだと思います。
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正門左側に「三孔井」と呼ばれる井戸があります。
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