2010/01/22 - 2010/02/03
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j-ryuさん
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⑩ベリーダンス&地下宮殿編
☆いや~長い長いトルコ&エジプト周遊記がようやく
最終章を迎えました(^_^;)。
旅行日数的にはいつもとあまり変わらないのですが、毎日違う場所を観光するというのは写真も膨大になるし、編集作業も大仕事ですね。
おそらくトルコは最初で最後になると思いますが、そう思っていたエジプトが2度目になったということはトルコもまた分からないかも(^^ゞ。
もしその時はてんこ盛りのツアーではなく気に入った場所をのんびり、じっくり観光するのがいいですね。
強烈なトルコ風邪と強烈な現地ガイドのダブルパンチに見舞われましたが、過ぎてしまえばこれもまた印象深い思い出です。
そんな旅ではありましたが、ツアー仲間や添乗員さんには恵まれ
とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。
さて、次はどこに行こうかな~?
激安はたしかに魅力的だけど、やっぱ寒い冬はあったかい南の島でのんびりするのが究極の贅沢ですよね~。
ん、でもその前にまたコツコツお金貯めなきゃ(^_^;)。
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☆2/1、旅の11日目。
夜は新市街のシアターレストランでベリーダンスを観ながらの食事です。
到着したときはすでにトルコ民族楽器のバンド演奏が始まっていました。
テーブルにはお客の国ごとに国旗が立てられています。お隣の国旗はギリシャからの客のようです。
他にトルコ、台湾、ブルガリアなど国際色豊かです。 -
☆テーブルにはすでにメゼ(前菜)やサラタスが並んでいました。
彩りは豊かですが味はイマイチでした(ーー;)。
ビールはグラス1杯8$。
ここはシアターレストランだから仕方ないけど、トルコのホテル、レストランはドリンク類が高いっす(ーー;)。 -
☆民族歌謡にのって開演です。
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☆主役ベリーダンサーの踊りが始まりました。
ベリーダンスは5年前、エジプトのナイル川ディナークルーズで一度観ましたが、ダンスはトルコのお姉さんの方がお上手でした(^^ゞ。
ダンスじたいは長かったですが、彼女は1回の出演で終わりです。 -
☆開演途中にメインのタス・ケバブ(牛肉の煮込み)が出てきました。結局肉が苦手な私は一切れだけ味見して降参です(ーー;)。
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☆中々のベッピンさんなので人気の踊り子だそうですが、踊りは超ヘタッピ、
ただ腰をクネクネさせているだけ(ーー;)。 -
☆ベリーダンスを直訳すればヘソ踊りだけど、まさかトルコでこの手のヘソ踊りがあるとは(^_^;)。
日本各地にも我が町は○○の中心地ってことでヘソ踊りがありますが、どっちがルーツなんでしょうね?
トルコのヘソ踊りは、さすがにプロだから踊りは躍動的なんですが、ボディスーツだし、スマートだし、これじゃイマイチ笑いは取れませんね。 -
☆ベリーダンスだけではなく、トルコの民族舞踊も何曲か踊りました。
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☆2/2、旅の12日目。
今日がトルコ最後の日で、昨日休館日で観られなかったアヤソフィア内部の観光をして帰国の途に着きます。
午前の早い時間は自由時間で、一部の人はオプショナルツアーでボスポラス海峡クルーズに出かけました。
ホテルに残った人も10時半まで自由時間があるのですが、観光に出かけるのには中途半端だし、どうしたものかと思案していたら、エジプシャンバザール前のエミノニュ広場で落ち合ってもOKとのことで、早めに荷物を預けて地下宮殿を観に行く事にしました。
他の人もさそってみましたが、連日観光続きでみなお疲れモード(^_^;)、結局自分一人で出かけることになりました。
旧市街にある地下宮殿までは新市街外れにあるグランドジェバヒルホテルからタクシーで20分ほど、料金は300TL(2000円)、地下宮殿の入場料は100TL(650円)でした。
それにしても激安ツアーとは言え、イスタンブール観光の目玉の一つ地下宮殿をコースに入れないのは理解しがたいです(ーー〆);。
アンカラ城やアルテミス神殿、トロイは外しても良かったかも(^_^;)。
いや、いや、それ以上にお土産屋強制連行6回はいくらなんでも多すぎです(ーー;)。 -
☆地下宮殿は朝9時からのオープンなので、それに合わせてドンピシャに到着しました。
朝一ってこともあり、観光客は私一人の貸切状態でした(^^ゞ。
静かな地下宮殿には荘厳なクラシック音楽が流れ、天井から落ちる水滴がポタン、ポタンと暗闇にこだましています。 -
☆通称、地下宮殿(バシリカ・シスタン)と呼ばれていますが、元々は東ローマ時代(6世紀頃)に造られた地下貯水池です。
トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ 、あるいは「地下貯水池」を意味するイェレバタン・サルヌジュ という名前で呼ばれています。
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☆かつてここには柱廊によって囲まれた広場のような空間があり、裁判や商業活動に利用されていた。ユスティニアヌス帝はこれを解体し、最も南にあった柱廊の部分を掘り下げて貯水槽にしたそうです
貯水槽は長さ138m・幅65mの長方形の空間で、高さ9m、1列12本で28列、合計336本の大理石円柱を備え、それぞれが煉瓦造のアーチで支え、これによって78000立法mの水を貯えることができるそうです。 -
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☆ライトアップされた列柱群はまさに地下宮殿のようで神秘的でとても美しいです。
エジプト・ルクソールのカルナック神殿のライトアップされた列柱回廊を思い出しました。
これが貯水槽だなんて信じられない感じです(^^ゞ。 -
☆林立する円柱は一見みな同じようにみえますが、98本は5世紀に流行したコリント様式の柱で柱頭がアカンサス(アザミ)のデザインになっていて、他の多くは飾りがありません。
その中でこの1本だけが目玉のような模様があります。
おそらく貯水槽は人目につくものではないので、他の遺跡から持ってきたり、残り物などを寄せ集めて造ったのだろうと言われてます。 -
☆柱頭にアカンサスがデザインされたコリント様式の円柱。
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☆昨年たまたま薬草園で撮影したアカンサスの花。
アカンサスは別名葉薊(ハアザミ)といいゴマノハグサ科の植物でギリシャの国花です。 -
☆荘厳で神秘的な雰囲気は地下貯水池というより、地下宮殿という表現がピッタシです(^^♪。
他のツアー仲間にも是非観てもらいたかったです。 -
☆元々は無かった見学路。
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☆見学路の一番奥まった所に柱の土台としてメドゥーサの巨大な彫刻が2つ使われています。
ギリシャ神話の怪物メドゥーサは
髪は毒蛇で見たものを石に変えてしまう魔力を持つと言われてます。
しかし、なぜこの2ヶ所だけにメドゥーサが使われたかは不明です。
ずっと泥に埋まっていて、その存在は分かっていませんでしたが、1984年の大改修時に泥が取り除かれ、初めて姿を現したそうです。 -
☆こちらは完全に逆さまです。こんな使い方をしたらそれこそメドゥーサの魔力にやられてしまいそうですが、当時の工事人たちは恐くなかったのでしょうか。
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☆見学順路最後の列柱群です。
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☆照明が無ければ真っ暗な貯水池に魚がいます。
この貯水池が発見されるまでは、この地区の住民が穴から魚釣りをしていたそうですが、この魚は30cmくらいとかなり大きいので当時と同じ種類の魚かは不明です。 -
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☆出口近くにはカフェが併設されています。
地下宮殿内は真冬の外よりは暖かいですが
かなり冷え冷えするので防寒は必要です。 -
☆11時にオプショナルツアー組とエミノニュ広場で合流し、昨日休館で観られなかったアヤソフィア内部の見学です。
この日は昨日の青空が嘘のような寒い風雨で、
とても外で写真を撮れるような状況じゃありませんでした(ーー;)。
徒歩見学が昨日でほんと良かったです(^_^;)。
てなわけで、この写真は昨日のものです。 -
☆ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の首都だったコンスタンチノーブル(現イスタンブール)に537年に建てられたアヤソフィアは、1453年にオスマン帝国に征服されるまではギリシャ正教(キリスト教)の総本山でした。
征服された後、大聖堂内部はイスラム教のモスクに改装され、4本のミナレットが建てられました。
新生トルコ共和国になってからは、
1932年に博物館として一般公開されるようになりました。 -
☆アヤソフィアのシンボルである中央の大ドームは高さ56m、直径31m。
ビザンツ建築の最高傑作といわれ、その大きさ、荘厳さ、重厚さに圧倒されます。 -
☆1700年代には壁や天井のキリスト関連のモザイク絵が漆喰で塗りつぶされました。
1931年アメリカ人の調査隊により、漆喰に隠されたモザイク画が発見され、その歴史的価値が再び脚光を集めました。 -
☆ベルガマの壷。
ベルガマのベルガモン遺跡の大理石で作られたという大きな壷で、清めの水を入れていたそうです。回廊の両側においてあります。 -
☆修復工事のためこの足場は少しずつ場所は変わっているものの、かなり長期間ずっとあるそうです(^_^;)。
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☆内部には12枚の円盤が掲げられているが、それぞれにモハハメッドなどイスラムの聖人の名が書かれているそうです。
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☆デーシス(請願)と言われるモザイク画はビザンチン芸術の最高傑作と言われてます。(1260年頃)
左が聖母マリア、中央がイエスキリスト、右は弟子のヨハネ。 -
☆元々は2階廊の壁面いっぱいに画かれたものであろうが、下部はほとんど失われている。それまでのモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴。そのほかにも、南窓からはいる光を効果的に利用するような工夫が成されているため、ビザンティン美術の最高傑作とされる。ミカエル8世パレオロゴスがラテン帝国に奪われていたコンスタンティノポリスを奪回したことを記念して作られたとする説が有力であるが、文献がないため詳細は不明である。(Wikiより)
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☆聖母子と皇帝ヨハネス2世と皇后イレーネ。(1122年から1134年頃)
12世紀に作成された、コンスタンティノポリスに残る唯一のモザイク画。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは、今日ほとんど残っていないため、貴重である。図像の配置や銘文は、側にある『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』に影響を受けていることがわかる。(Wikiより) -
☆キリストと女帝ゾエ夫妻。(1042年から1055年頃)
南側2階廊に残る。モザイクの下部は失われているが、銘文から人物が特定できる。この図像は、もともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたものだと考えられるが、ゾエが後にミカエル4世、コンスタンティノス9世と2度再婚しているため、夫である皇帝の顔や銘文は、恐らくその都度作り直された。(Wikiより) -
☆1435年以降、モスクになってからはメッカの方向を示すミフラーブという壁の窪みが造られました。
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☆ミフラーブとは関係ないのですが・・・・
アヤソフィア観光を終え、バスに戻った際に私が持ち合わせてミンティア(ミントキャンディ)をツアー仲間に順繰り取り分けてもらったのですが、どういうわけか現地ガイド・ムスタファの所で止まってしまった。
私の席から見える位置だったので、『ムスタファ次ぎに回してね』と伝えたら、なんと、こともあろうに『心が狭い!』と言うではないか(ーー〆)。
例え冗談でもお客に言ってはいけないくらい分る筈。
そばにいた添乗員さんが、目配せし、手を合わせ、私に謝ったが添乗員さんがあやまる問題ではありません。
私はあまりにも呆れて言葉も出ませんでしたが、おそらくムスタファは2度と○急交通のガイドをするこおは無いでしょう(ーー;)。 -
☆トルコ最後の昼食はガラタ橋の下で名物サバサンドをいただきました。
ガラタ橋は旧市街と新市街の間にある入り江(金角湾)に架かる橋で、2階建の跳ね橋構造で橋の下がレストラン街になっています。
この日は風雨で、せっかくの金角湾も鉛色です。
元々あまりキレイな海ではないようですが、橋の上ではたくさんの釣り人が糸を垂らしています。
まさか、釣った魚がサバサンドになるわけじゃないと思いますが・・・(^_^;)。 -
☆イスタンブール名物のサバサンド。
パン(エキメッキ)の中身は塩味の焼きサバとリーフレタス、トマトというシンプルなものですが、想像以上に美味しいです(^^ゞ。
日本の脂ののった新鮮なサバならもっと美味しいかも。
この日は雨だったのでレストランが正解でしたが、こういうのって、ジュ〜ジュ〜焼きサバの匂いがする屋台の方が断然美味しいと思う(^_^;)。 -
☆いよいよトルコともお別れ、TK50便は17:50定刻通りイスタンブールを飛び立ちました。
一食めはスモークサーモン、キューリのヨーグルトサラダ、カルヌ ヤルック(ナスのひき肉詰めオーブン焼き)です。 -
☆二食目は朝食です。
スクランブルエッグにハム&チーズのトースト、ヨーグルトと、どうってことのない料理です(^_^;)。 -
☆搭乗率は80%くらで、あまり勝手に席は移動できない状態でしたが、私の席は運良く非常口前の席で広々です(^^ゞ。
この席に座るのは初めてで、始めはラッキーだと思ったのですが、意外や意外、足が伸ばせていいようで足を置く場所がなく案外疲れるんだと知りました。
希望のモルディブが取れなかったあたりから歯車は少しづつ狂いだし、今まで罹ったことの無いような強烈なトルコ風邪に見舞われ、現地ガイドは最悪と、けっして万々歳の旅ではありませんでした。でも、初めての景色、初めての文化、初めての味、初めてのふれあいなど、マイナス面を差し引いても楽しく貴重な体験&思い出深い旅になりました(^^♪。
長々とお付き合いいただきありがとうございました。
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