2009/06/19 - 2009/06/30
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warajiさん
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6月28日日曜日。晴れ。
今日1泊して明日はいよいよ小笠原とお別れする時がきた。
余りにも切なく、楽しい日々を思い出した。
出航の日は散歩してのんびりして時間を待つ事にし、28日はケータ島ツアーに参加した。値段も高いし迷ったのだが、絶対行くべきと勧められ、行ってみたのだが、これがまた大興奮!すばらしい1日となった。
29日。ついにお別れの日が来た。多くの人に見送られ、船は出航した。たくさんの想い出と夢を乗せて一路東京へと向う。
ありがとう!おがさわら。また会うその日まで、決して忘れはしない。このつかの間の日々を・・・・・
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 船 新幹線 徒歩 バイク
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昨日で2日目の宿泊者たちは1航海も多い。そういう人達は少しでも父島を堪能しようと動き回る。
中には1日母島という人もいるが、3日間を父島で過ごす人が大半だ。私は2航海だったのでゆとりがあったが、1航海だとおが丸が着いて初日から全力で遊ばないと普通のリゾートになってしまう。
初めてだとそうしないともったいないし何度も来れる保証があるならのんびりもいいが、そうでなければやはり着いた初日の半日で大体はドルフィンや夜のツアーに出かけるのがいいと思う。その時必携と思われるのが酔い止め。
私はとにかくこれに悩まされたのであるが、薬の効果は絶大だった。島で強力な特効薬が売っていて、高かったけど使った。これは絶対必要品だと思う。
2日目は大体ダイビングやシュノーケル、クジラツアー、ドルフィン教室や島内巡りか釣りが多い。私はちなみに2日目は南島とドルフィン・クジラツアーだった。これで1日で大体美味しいとこ取りが出来る。
3日目。みんな最終日とあって気合が入っていた。それぞれ思い思いのツアーや遊びのチェックに余念がない。私は母島を合わせて上陸9日目となった。
ケータ島は小笠原の最北端に位置し、聟(むこ)島などが点々とある海域だ。
最初1万円は高いと思ってやめていた。でも航海距離や内容を考えれば高くないし一度は行くべきだと教えられ、もう来れないかもしれないしここでケチったら後悔すると思って参加したのだ。募集はギリギリ定員一杯だった。ホッとする。
あとで知ったのだが、私が母島に渡った日のケータツアーは最高だったみたい。残念だなぁ〜。アホウドリも見れたとの事。
参加したツアーはパパヤ。ここが一番いい気がした。それに、もう一度使ってなじんでるしスタッフもいい。宿も初日はここだったし。そんなわけでいざ出航!
父島を一気に離れて島伝いに海嶺に沿って走る。途中初めて海霧に遭遇した。何も見えなくなり、そして寒い。よく海賊映画や幽霊船でお馴染みだが、実際味わう事も少ないだろう。海霧は晴れた海から見るとまるでスモッグのようだった。
ツアー最初の目的地はダイビングスポットでもあるイソマグロの穴。ここでドルフィンもやるつもりだったがイルカは現われず。ちょっと出たが、まるっきり無視。ダメだった。こんな事も自然だからあるという。
海がきれい。寒流と暖流の境もハッキリわかる。海も全く違う顔を持つ。この時期が海は最高なのだそうだ。鏡のような海面だった。
釣りスポットでもあるらしい。のんびりと釣りする人もいた。マグロ穴周辺を一周したあとシュノーケリング開始。
マグロ穴はすごかった。これは楽しい。シュノーケリングでこんなマグロが見れるなんて・・・・外洋をシュノーケリングなんてね〜。他にも魚を眺めながら船に戻る。
ここで島上陸組みとタコ獲り組に分かれた。常連さんや魚獲りを目的に来た人は小船で移動した。
その間私たちは嫁島から聟島へ移動。
島は大きな船が接岸出来ないので小船を待つ間身体を冷やす為、泳ぐ。小船が来た所で上陸開始。とてもきれいな島だった。 -
聟島上陸。登山ツアー・・・といっても大した事ないのだが、要は島歩き。
ここはかつては有人の島だった。最後まで住んでいた亀爺さんと呼ばれる人が亡くなって無人島になった。
上陸した時は樹木もあるしいいなと思っていたが、それはつかの間。この島はまさしく灼熱の島だった。
ルートは限られた指定された道を歩く。行きと帰りは違うコースを歩くらしい。
この海域ではダイバーは泊まりで潜る事もあるという。すごいねー! -
基本的に島の保護の為、建物とか物を置いてはいけないんだけど調査目的でここだけ倉庫があります。
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樹林帯はあっという間に終わり、丘に出ると強い日光が直撃した。これはすごい!先ほど身体を冷やす為に海に潜って遊んでくださいと言った意味がわかる。
もうこの熱地獄から逃げる術はなく、とにかく水分補給と日よけの服、日焼け止め、帽子やサングラスは必需品だ。
それにしてもすごい世界だった。景色も別世界。 -
昔はここで放牧と農業の自給自足の生活をしていたらしい。
とれた作物などを父島などに売ってそのお金で必要なものを買っていたという。 -
樹林帯から抜け出た所。
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草原に骨のようになっていた木。
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亀爺さんのお墓。皮肉にも島の観光名所だ。お墓は生前に作られ、亀の頭は住んでいた家の方角を指しているという。
遺骨はすでに親戚の者が東京の方に持って行ってしまった。さすがに墓参りが大変なので。でもまあこれだけ多くの人が訪れたら寂しい事は無いか・・・。
亀爺さんはあだ名だが、本名はあるがむしろ島の独特の名が語られていたという。
とても勉強熱心だったようで、子供などは中学や高校にも行かせ、東京で勉強させている。
当時何組か住んでいたが、厳しい環境の中、どんどん島を離れ、最後の一人が亀爺さん。そしてお墓も彼だけがこの島に残した。それだけに文化的価値も高いとの事。 -
丘をひたすら歩き、高台に出ると素晴らしい景色が広がった。
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上陸した入り江。
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ここから眺める景色が素晴らしかった。ハガキなどでもここから写されたものがよく出るとの事。
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食事休憩しながら景色を堪能。小高い上は戦時中通信基地があった。その名残がある。
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ここに立っていると、本当に太平洋の真ん中にいるんだ!という想いが強くなった。
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確かアザミだったかな?小笠原の固有種。以前より大きくなってると言っていた。
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これがその花。固有種は基本的に弱く、外来種に弱い。そして素朴で地味なのも特徴だとの事だった。
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戦時中のものか当時の島の人が残したものか知らないが、ビンが捨ててあった。そこの中にあったものは・・・・!ゴキちゃん!!驚いた。これほど強い生命体はいない。これが固有種だったらさぞや強かった事だろう。
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みんな気の向くまま記念写真。とにかく暑かった。一方タコ獲りは寒くて震えているとの連絡だった。
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強烈な日差しの丘を降りてまた樹林帯へ。この辺りは潮にも強いハスノハギリがたくさん自生している。葉っぱが蓮の葉に似ていることから付いた名だ。樹勢も強く、種は海を渡って海岸に着くとそこから芽が出て大きくなっていく。すごい生命力である。南の樹木はとにかく強い。
その樹木の中に隠れるように亀爺さんの住んでいた住居跡があった。
転がっている石臼や井戸の跡が生々しい。 -
こちらは台所の跡らしい。最初に見たビジターセンターでの現地版みたい。
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亀爺さんの住居跡を見学して島を離れる事に。
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タコ獲りをしていたグループを拾う。再び嫁島周辺へ。ここで今度は人懐っこいイルカの群れに遭遇!
ドルフィンスイム開始!行きたい人は急いで準備して泳いだ。さっきは全然ダメだったのに、今度は遊んでくれる。私は撮影に夢中になった。とにかく大収穫♪ -
長かった一日が終わった。ケータを離れ、父島へ向う。今日のタコと魚はみんなパパヤの打ち上げに使われる。いいなぁ〜。
酔い止めの効果で海が楽しい。 -
父島二見港に戻ってきた。この景色はもう明日は見ることは無い。目に焼き付けておこう。
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海からウェザーステーションを眺める。
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本船の後を付いて来るパパヤの小船。いつもツアーはこの2隻で行く。
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ケータ島ツアーも終わった。とても楽しい日々だった。パパヤの皆さん、スタッフ、本当にありがとう!
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YHに戻ると最終日の打ち上げパーティーが始まった。1航海の人はこれでお別れ。私も今日でお別れだ。みんなワイワイガヤガヤ楽しかった。
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打ち上げの余興でペアレントの奥さんによるウクレレとグループのメンバーによるフラがあった。
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ヘルパー軍団も負けてません!一生懸命習って覚えたフラを踊る。
ギターはペアレントさん。彼が免許証で最南端の沖鳥島の住所のものを持っている。もう無理だろうなぁ〜との事。 -
6月29日月曜日。朝。ついにお別れの日が来た。今回結局夕陽と星空をのんびり眺める事無く終わってしまった。これが唯一心残り。
YHは昨日は本当に盛り上がった。たのしくにぎやかく、そして人情味にあふれ、昔のよい時代のよいパターンのYHだった。それでいて決して手抜きしないサービス。スタッフも大変だが、私の知る限り、ここは日本一のYHになった。もちろん他にも施設やサービス、食事などいいYHはある。でもそれだけでは足りないものがここにはあった。それが嬉しかった。こんな感動は四国の今は無き定福寺YH以来だった。まさしく小笠原流に言うならYHの固有種!
パーティーの日、よく分からなかったが、おそらく先代ペアレントさんだと思うが、一緒に楽しそうにみんなの笑顔を眺めていたのが印象的だった。
かつては豪快なYHとしてある意味恐れられていたYHだが。そんな時代を知るホステラーはどれくらいいるのかな?私も噂のみで知る由も無いのだが。
私も久々に昔に戻った。ギターや歌も下手くそで悪かったが、久々に披露。
最後の一夜はこうして去っていった。ありがとう!小笠原。 -
小笠原最後の朝。YH前の写真。近くを散歩した。とにかく周辺をいろいろ歩いた。想い出に刻めるように。
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何度も見ているプルメリアの花であるが、今日は特に美しく感じる。
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またいつものように海岸と公園を歩いた。海岸は思ったよりいろんな石や珊瑚が拾えて楽しかった。もっと早く分かっていればここで拾ったのになぁ〜。
海は今日も美しかった。青い空、真夏の雲、強い日差し。そしていちびの花。この花は上陸初日、ハイビスカスと間違えた花だ。辺り一面に落ちていた。朝は黄色いきれいな花が咲き、だんだん赤っぽくなって一日で落ちる。一日花と書くらしい。正式な名前ではないが・・・。正式にはテリハマボウ。固有種だ。
この花ともお別れだ。 -
このヤシの実を見ると南国だと思う。
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お昼までYHでぐたぐたしたり散歩したりした。水族館に魚の歯磨きが出来るコーナーがあるよ!と教えてもらったが、行かずじまいだった。ちょっと残念。
お昼は念願の亀の刺身を食べた。赤身の部分は少ししか取れないらしく、貴重らしい。島の人も高価だしそんな食べない。そういえば母島で亀の民宿に泊まった彼もほとんど内臓などの煮込み鍋が主で赤身肉はそんな無かったと言っていた。
味は何となく牛肉みたい。魚系ではない。しっかりとした味だ。これで1500円だったが、まあそんなもんかな? -
亀寿司を食べた店のメニュー表。
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島の表通りに咲いていた赤い花。何でしょう?
とてもいい感じでいつも眺めていた。 -
最後、もう1ヵ所回った。ハートロック・カフェ。父島には意外にしゃれた店もあり、その中のひとつ。反対側にはパスタやパンなど美味しい店も人気で、女性たちは結構そちらに行っていた。
私はここでサメバーガーなるものが食べたくて来た。ここも人気らしく、人が多い。 -
サメバーガーとコーヒー。サメは結局白身魚と変わらなかった。ちょっと期待はずれ。でも、コーヒーは大当たり!だった。ものすごく美味しかった。まさかここでこんな美味しいコーヒーが飲めるなんて思わなかった。土地が合ってるのかな?入れ方や豆もあるかな?とにかく美味い!今度来たらまたここに寄りたい。
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ツアーやショップ関係で遊んでいた人たちもお昼には集合。
お土産もドッサリ買った。みんな郵送で送る。
出発準備の間、のどかな時間を気の合った仲間と過ごし、いよいよ旅立ちの時が来た。
YHの宿泊者以外も常連さん関係者など集まって記念写真。すごい人数だ。楽しかった日々が走馬灯のように流れる。 -
出航日はとにかくにぎやかだった。
いよいよ乗船。今回は八丈経由なので特ににぎやかだったのかも知れない。忘れずに最後の酔い止めを飲む。
更に船酔い夕食対策にYHのおにぎりを用意。小笠原太鼓の見送りを受けながら乗船した。 -
YHの見送り隊がさよならのエール。船の甲板は人だらけだった。中山千夏さんも乗ってるのかな?
昔はテープで見送ったものだが、今は無いようだ。環境にも悪いし止めたのかな?でも別れの船のテープは私にとっては想い出深いものがある。でもあれって切ないからね〜。本当に涙の別れって感じで。
一番泣いたのは韓国釜山でのフェリーでの別れ。あれは正直きつかった。本当に夜一日泣いてしまった。 -
定刻2時。ついに出港。太鼓の演奏はずっと続いた。
そして周りには船。岸壁ではまたまた飛込みがあった。手を振って父島に別れを告げる。母島もよかったし、本当に全てがよかった。 -
ギリギリまでYH軍団も手を振ってくれた。ありがとー!!!
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別れる人々の胸の内は・・・・
みんなずっと島を眺めていた。八丈島の人々も多い。今回YHにも八丈便で来た人が何人かいて、とても楽しかった。若者もいて結構楽しいキャラで皆を笑わせてくれた。本当に楽しかった。彼らも忘れられない旅になったようで、また来たいと言っていた。私だってそうだ。こんな人々たちと楽しくお付き合いが出来るのも小笠原の良さかもしれない。 -
噂には聞いていたが、ショップの船が途中までみんな追いかけてお別れをしてくれる。本当にありがとう!別れはまた出会いの始まりであり、喜んでまた会う日を誓うのである。
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何隻も何隻もショップの船が追いかけてくる。たのしい。
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追いかけが終わると手を振ってみんな次々に船から海に飛び込んでいく。その度に船から歓声があがった。片側しか見てなかったが、両側に船はいたみたい。最後まで見送ってくれたのがパパヤ。そこには何故かホステラーが・・・・!
最後にパパヤが見送って本当にお別れになった。結構遠くまで見送ってくれた。懐かしい顔が最後に見れて嬉しかった。本当にありがとう!そしてさようなら〜〜〜!!!! -
船の行きと帰りでは雰囲気は全く違う。一人だった旅人もグループになっている事が多い。
私もYHで出会った仲間と一緒に夕陽を見た。最後にきれいな夕陽が見れてよかった。
船ではみんなとバラバラになってしまったのでよく分からず、寝たり起きたり本を読んだりして過ごした。
夕食はYHで用意してもらったおにぎりを食べる。
父島を離れてしばらくしてウェザーステーションから光によるお別れ通信があった。私も返信を試みたが、太陽の位置関係でうまくいったかわからなかった。
父島も見えない。あるのは太平洋の広い海原だけ。船室に戻り、一人旅の思い出に浸って寝た。 -
一夜明けて気が付くと八丈島に来ていた。かなり遅れているようだった。
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天気はどうもよくない。八丈はよくある事なのだそうだ。ここで多くの人が降りていった。YH仲間でも一人時間が無いからと飛行機便に変えて出て行った。
上陸は出来なかったが、私にとって初の八丈島。またいつか来たい。YHで知り合った八丈の人もここでお別れ。本当に寂しい別れだった。
青ヶ島の話しは面白かったなぁ〜。また今度いつの日か訪れたい。お土産にはしっかりひんぎゃの塩を買った。 -
八丈島ともさよならだ。
お昼をYHの仲間で一緒に食べた。楽しいひと時だった。
やがて東京湾に入り、お別れの時が来た。とても寂しい気持ちだ。
東京は曇っていた。どんよりとした空気。チョコ色の海。ここにはイルカもクジラもいない。
湾岸道の排気口が見えた。羽田空港が見える。今日も忙しそうに離着陸を繰り返している。あの出港と同じ風景だった。
私のような状態の旅人は何人いるのだろうか?仕事があってこんないい旅が出来る人がうらやましい。
でもいい。そんな事はどうでも・・・・
着岸して下船。ちょっと会話を交わしてそれぞれ帰る場所へと戻っていった。
私は少し買い物をしていつものようにJR鈍行で帰途へ。沼津までグリーン車を使い、あとは普通列車に揺られて無事自宅に戻った。ただいま!
まっさきに甥っ子が駆け寄ってきた。
〜おわり〜
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