2009/06/19 - 2009/06/30
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warajiさん
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ついに夢の島へ旅立つ時が来た。会社がクビになったおかげで旅に出れる。皮肉だ。
旅仲間からこれは再出発のめでたい門出の旅だと思って行った方がいいよと言われた。
でも本当にそうなった。夢と希望と思いやりのいっぱい詰まった島、それが小笠原だった。
今、私は旅人になった。ここに来て本当に良かった。会社がクビになって本当に良かったと思えたのもこの旅が初めてだった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 船 新幹線 JRローカル 徒歩 バイク
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6月19日金曜日、朝7時。新幹線こだまN700系は静岡を出発した。この時間帯はまだ自由席しかなく、ぷらっとこだまが使えない。しかし早く出る必要があった。小笠原に向うフェリー小笠原丸は東京浜松町竹芝ふ頭から10時には出港してしまう。間に合わないのだ。
小笠原に夢を託して準備を始めて約2ヶ月。分からない事だらけで迷いながらも情報を集めながら仕度してきた。父の事、残していく家族の事、いろんな事が頭をよぎった。それでも私は決心していた。1人でなんの気兼ねも無ければどこでもパッと行動できるがそうもいかない。それに、今の私にとって家族があるからこうして今の自分がある。世の中うまく出来ているものなのだ。
ホームの売店でうなぎの骨のおやつ「うなボ〜ン」を買った。若いお姉さんにあるか聞いたら目の前にあった。彼女も好きみたいで「おいしいよね、1つでいいですか?」と聞いてきた。人気があるのかな?
思ったより人が乗ってくる。ビジネスが多かった。三島ですごい人になった。こんなに通勤がいるとは・・・。新幹線通勤をしている仲間もいるが、すごい世界だ。
N700系は快適!これから始まる旅の想いを頭で想像しながらしばし眠る。 -
品川に着いた。やはり新幹線はこだまと言えど速い。品川は約3週間前にも来た。その時は飛行機で北海道だった。今日は長い長い船旅が始まる。
以前にも話したが、ここはある意味ふるさと。父を、先祖代々を語る時、品川は欠く事が出来ない所なのだ。
この時間帯の品川は通勤客ですごかった。小笠原丸は出航のサイクルが決まっているのでこちらで選ぶ事は難しい。季節の問題や客足の問題、諸々の事情など、いろいろ考えての今日の決行日だった。 -
品川から山手線へ。久しぶりにおしくらまんじゅうを体験した。まあとにかくすごい。
荷物もいろいろ考えたが、それでもコンパクトにまとめてよかった。今日の為に新しくキャリーバックも買った。ダイビングはCカードだけ持ってくる予定だったが、忘れてしまった。シュノーケリング3点セットも考えたが荷物を考えてやめた。
壮絶なラッシュの中、浜松町駅へ。ここは昔の汐留。まったく様子が変わってしまった。きれいなビジネス街だ。ここで人がドッと降りた。
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浜松町で降りたものの、ハテ?港はどっちだろう?
でもすぐ解決した。お仲間がたくさんいたから後を付いていけばよかった。
それにしても・・・・この時期で意外にもすごいツーリストの数!驚くと共に、自分みたいなのがこんなにいるなんて夢にも思わなかった。
途中コンビニで出来るだけ食料とか購入しておいた。やはり後で見たらそういう人は多かった。旅人の絶対条件だ。
ふ頭までは駅から10分位だった。思ったより近い。近くに昔の離宮跡があった。東京も歴史散歩を真剣にすると意外に新しい発見があるのだが、まあそれはまた気が向いた機会にやってみるとするか。 -
初めて竹芝ふ頭へ。モノレールもあるのか・・・。とにかく見るもの全てが新鮮で、驚きと感動の連続だった。
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さっそく乗船手続きへ。手続きは簡単に済んだが、人の数自体はかなり多かった。
ここから伊豆諸島や離れ島など、主な航路の船が発着していてそれなりに大きかった。土産コーナーなども充実している。 -
手続きも終わり、ホッとしてあとは乗船を待つだけになった。
乗船の為の順番待ちもあるらしいので急いで並ぶ。 -
フェリー乗船を待つ人々。これでもオフシーズンなのだろうか?すごい人だった。
これから少なくとも一航海は運命共同体なのだ。 -
いよいよ乗船。ゆっくり人が動き出してやがてフェリーへ。旅の第一歩が始まった。
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乗船も終わった。入り口で券が配られ、そこで部屋などが決まる。ラッキーにも上の階でCデッキ後ろだった。グレード的には一番下だが、グレードを1つ上げるだけでもすごく高くて内容も大して差があるとは思えなかった。
2等だとCデッキ後ろが一番いい気がする。まあこれは運だが。フロントで順番に決めてくれたらいいのに。
一応女性の為の船室とか家族用とか用意はあるみたいだった。
今回は200名ちょっとらしい。すごいときは船の収容能力からするとかなりの数になる。1000名は入るのでは・・・? -
部屋の整理もついて船内を見学。デッキに立つと東京湾が目に飛び込んできた。
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いよいよ出航。10時過ぎ、船は岸壁を離れた。見送りの人も手を振る。いよいよこれから始まるんだ・・・旅人として自分は今これから旅立つんだ!とても楽しくなってきた。
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ふ頭前の風景。グルーズ船や建物がいろいろある。
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船はあっという間に岸を離れた。天気はあいにくの曇り。周りの景色もかすんでよく見えなかった。
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レインボーブリッジを渡った。港がだんだん小さくなっていく。さらば、東京よ!
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デッキには旅慣れた人々や常連さんがたくさんいる感じだった。
みんな楽しそう。誰も簡単にここに来てしまっている感じがして気持ちは複雑になった。
この人たちは余裕なんだなぁ〜とか思ったりして。
でもきっとみんないろんな想いを背負ってここに来ているに違いない。
私は会社がクビになったからやっと小笠原に行ける。なんたる差だろうか?
船は東京湾をどんどん南下していく。だいぶ沖に出たが、まだ湾内。工場や湾岸の船の出入りはすごかった。ここまですごいとは思わなかった。この歳にして久々の社会科見学をしている気分。 -
湾内は工場群で埋め尽くされていた。
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行き交う船も多い。いろんな船を見ることが出来た。
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東京湾アクアラインの排気塔もあった。ほんとうにすごい事が起きていると実感できた。
かすかではあったが、羽田の飛行場も見えた。飛行機が頻繁に離発着を繰り返している。
そうだ・・・わたしもついこの前同じ事をしていたんだ。旅立つ飛行機を見ながら旅人気分を味わった。
飛行機に乗ったときはやはり船からこんな風に見られていたのかな?
あの時も雨模様だった。今日も曇り模様で湾内もかすんでよく見えない。 -
かすんだ景色と工場群、所狭しと続くコンテナターミナル、チョコレート色の海、うんざりしてしばらく船内で寝た。
船内は思った以上に設備が充実していてよかった。この船は停泊中、ホテルとしても使われる。現在航行している船はこれ1隻だけ。これが壊れたらアウト。
東京湾を出る直前、横須賀沖を通ってその様子がよく見える頃、「ただ今潜水艦が横を通過中で見えます」と放送があった。あわてて外に出て見る。もうすでに離れて僅かに見える程度だったが、ビデオにしっかり撮った。ビデオ、恐るべし! -
船内では人々が思い思いに過ごしている。一人旅も多くいた。カップルやグループ、団体もいる。
あとはひたすら本を読んだりTVを見たりして寝るだけ。
ぐったりしていたが、アナウンスで起きた。八丈島通過との事。
18:00八丈島沖を通過した。夕陽が太平洋のど真ん中に沈んでいく。 -
他の人々も落ち行くお日様を眺めながら一人また一人と船内に去って行った。
海も穏やかだった。でもそれでも私にとっては苦しくて完全に船酔い。
夕食もレストランでとったが気持ち悪くてほとんど食べれず。
22時船内消灯。船旅はつづく。 -
20日朝。何となく目を覚ます。海は荒れるかな?とも思ったが、意外に穏やかだった。
中国海南島や沖縄・台湾を思い出してしまった。
朝食は昨日コンビニで買っておいたものを食べる。やはり気持ち悪い。それでも何とか口にできた。買い込みしておいて良かった。
起床のための点灯が6時。そして昨日の夜7時に船内見学会を予約していたツアーが9時からあった。
これはお薦め。情報で知ってはいたが、いろんな説明も受けれるし結構楽しい。
これは予約制なので、出港後アナウンスで案内があるのでフロントに行って手続きをする。しかし声が小さかったり余り大々的に案内しないので分からない人も多いと思う。だから出港したらしばらくしてフロントに聞いてみると良い。必ず教えてくれる。
見学会で最初に通されたのは船内コントロールルーム。船の心臓部だ。ここで全ての制御が行われている。エンジンコントロールもここでやる。 -
子供の頃、こんな計器パネルの部屋に憧れたものだ。マンガのような世界があった。
この写真にあるシフトレバーがエンジンコントロールだ。 -
その後ろも制御盤。照明その他多くの電源の一括管理がここで行われていた。
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コントロールルームからエンジン動力部へ。さすがにうるさくて暑い。説明によると、C重油というドロドロの石油が燃料。予備動力エンジンを備え、メインエンジンが壊れても航行できる仕組み。メインエンジンは18気筒58000cc6Vインタークーラーターボエンジン。直径4m20cmの4枚プロペラが2本ある。メインエンジンは2基装備され、一方が壊れても航行できる。
ガソリンがリッター120円でC重油は40円。燃費はリッター16メートル!戦車といい勝負だ。
外洋航海船で太平洋の荒波の中を航行するため、水平翼など、最新の装備が付いている。 -
エンジンルームを出ると、船内を歩いてそのまま上部船橋へ。普段入れないブリッジを見せてもらって大感激!
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これがレーダー。2つあるが、基本は同じ。これで航路を確かめながら航行する。
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しかし一番マニアが興味を持ったのはこの海図。どんなに技術が進歩してもこれは欠かせないらしい。最後は人の手に委ねられるのだと言う。
GPSやレーダーで観測したデーターを記入していく。普段自動操縦だが、1時間おきに進路を確かめるのだと言う。
船は予定通り進んでも潮の流れなどは計算できない。そこで海図でどれだけ流されてずれたかを現在位置と方向を確認して修正しながら進むのだそうだ。勉強になりました。
時間が遅れたりするのはその為である。
また、時期的には今が一番ベストな海だとの事。うれしい。それでも酔った私はこれ以外のシーズンはキツそー!まあ今回はベストを狙ってこの時期を選んだのだから当たり前か・・・・。
冬の西高東低の時はすごく荒れてデッキまで波が来るらしい。私には無理そう。 -
船には必ず神棚がある。ここもまたしかり。
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ブリッジからの眺めは最高だった。船の人たちも他の会社とは違って何か穏やかな気がした。セコセコした感じが無い。
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案内の途中、なんとイルカを船前方に発見したらしい。私は残念ながら見れなかったが、みんな騒いでいた。いよいよ・・・・ついに来たんだ!
東京とはまるで違う!ここは太平洋のど真ん中。あるのは海ばかり。360°の水平線とどこまでもダークブルーの海。中国海南島を思い出した。 -
やがて島が見え始めた。何の島かは知らないが、ついに来たんだ・・・。もう感無量だ。
アナウンスでは20分程遅れて入港との事。 -
いくつか島を過ぎ、やがて大きな島がずっと続くようになった。これが父島だろうか?
もうここまで来ると嬉しくて仕方が無い。気持ち悪いのも忘れて外で海や島をずっと眺めていた。
逆に潮風に当たったせいか元気になった。 -
どうやら入港のようだ。日差しも明るさも何もかもが違って見えた。
入港はさらにアナウンスで20分が10分に短縮と言っている。
母島は今日は宿が一杯の為、予約の無い人は行けないらしい。すごい。 -
もう少し・・・!一体どんな島なんだろう?期待と不安で気持ちはハイに。
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ついに入港!湾の中を進みながら接岸する港へと進んでいく。
ははじま丸がいた。これで母島へ行くのか・・! -
入港した湾の中には3つの港があった。ひとつはこれから接岸するおが丸(小笠原丸の愛称で、みんなそう言っていた)など観光船用。そして現地の漁港。あと、クルーザーなど、観光用の港だ。かなり大きい。
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接岸する港が近づいてきた。これが小笠原。
外で撮影をしていると、撮影クルーが乗船していて私に話しかけてきた。何でもTV局の取材でやってきたが、ビデオの調子が悪いという。
もしよければ場合によってはビデオを少しだけ借りたいというのだ。まあよりによって・・・
OKと返事したが、それきりになった。何とかなったのだろう。
最近の機器はやわなものが多い。ちょっとした事ですぐ壊れたり調子悪くなったりする。
クルーたちも普通の最新機器で取材をするようだったが、船内の空調の影響かバッテリーが起動しなかったりメモリートラブルがあったらしい。
私のも最近(と言っても2年程前のパナソニックDV小型タイプだが)の機種だがトラブルは無かった。
個人的にはテープ式が一番いいように思っている。
まあそれは別にいいのだが、それでも扱いは複雑で大変。簡単すぎて逆に大変な面があるのだ。作りも昔と違って大量生産大量消費で新しい機種がどんどん生まれては消える。ついていけない。 -
ついに接岸した!すごい歓迎だ。私たちがこうしてやってくるから島は成り立っているのだと思う。
それにしてもターミナルのこの熱気はすごい。沖縄や北海道礼文島もすごかったけど、スケールが違う。内容も中身の重さも違った。
掲げられていた旗や幕には小笠原の今の現状を見た気がした。本心かどうかは分からないが。
でも、エコツーリズムという標語は旅するにしたがって明らかになっていった。
オリンピックには笑ってしまった。ここも東京なんだね〜。 -
歓迎の演奏もあった。
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いよいよ下船。周りには各宿のプラカードを持った人たちが並んで待っている。人々は思い思いに散っていった。
この島はキャンプも禁止されていて必ず宿に予約があることが絶対条件なのだ。そうしないとここを旅することは出来ない。もし泊まれない場合は船がホテルになる。 -
無事下船した。とてもにぎやかだ。思ったより人が乗っていた。
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おが丸を改めて見上げる。なんとなく煙突がかっこよかった。
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下船口は後ろにももう1つあった。船は観光客を降ろし終わると荷物の積み下ろしが始まった。島の生命線なのだと言う事が分かる。
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私も本日の宿、民宿トロピカルインパパヤの送迎を受けた。
それぞれの宿も同じように客の確認をして迎えの車に乗っていく。みんな荷物がすごかった。私もすごいと思ったが、それ以上!
でもここは滞在型になるのであまり関係なかった。これからはもしまた来れたらいろいろ考えよう。
あとで分かったが、本当に車が必要な所は限られていた。これもおもてなし?まあ荷物がすごいし場所もわからないから助かるが。すごい車と人の列の中、宿へと向った。 -
宿には同じように数名が泊まった。ここはツアーショップを兼ねたコンドミニアムタイプの民宿だった。
各部屋でそれぞれが独立し、旅仲間と別の部屋同士で話すことはあまり無い感じ。集まる場所も無く、庭のテラスが唯一憩いの場といった感じだ。
個人でもOKだが、基本はドミトリー(相部屋)のようだった。
常連さんも多いようだ。宿の案内が終わってそれぞれ部屋に通された。私たちは3人で1部屋。
外はもう夏で暑く、湿気もある。日差しも強かった。
クーラーは基本的に一日中OK。ただし温度管理は厳しい。26度以下にはしないで欲しいとの事。
冷蔵庫もあったが、確かにここでは必需品だ。台所も完備。自炊が出来る。私はここは2食付で頼んだが。
ツアーの人たちはさっそく半日ツアーに出かけていった。私はのんびりとしたかったので辺りをぶらつく事に。 -
まずは宿周辺をぶらつく。それだけでもとても新鮮だった。日差しが強く、帽子とサングラスと長袖は必需品。
南国らしく、かわいいきれいな花が咲いている。役場の前にあった白い花は目立った。プルメリアと書いてある。よく見かけるような感じの花だった。 -
街は小さい。ちょっと歩けばもう終わりだ。でも南国ムードの建物が碁盤の目のように区画された中にポツポツとあり、楽しかった。大きい建物は規制されてるのか2階建てが多く、ちょっとだけ3階の建物が混じった程度だった。
通りを歩いていたらさっそく南国の植物に出会った。これがタコノキ。ふ〜ん。おもしろい。 -
観光地で時々見かける標識。しかし・・・スケールが違った。すごいとこに来てしまったんだと実感する。
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標識と共に案内板も。こういうのがあると助かる。
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街の土産街(と言っても大した大きさではないが)で見かけたもの。ぎょさん?ただのつっかけじゃないの?結構あちこちに売っていた。
これがツアーでは後々よく使われた。 -
この辺りでは唯一の海岸線の白浜。宿からも街からもすぐだ。フェリーからも歩いてすぐ。ここは街のシンボル的な存在の公園にもなっていた。
今日来た観光客や地元の人たちの憩いの場にもなっていた。 -
お!さすが南国、ハイビスカスが・・・と思っていたら違うらしい。あとで聞いたらいちびという花だよと教えてくれた。
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公園を散歩しながら小笠原の第一歩をここに記す形になった。南国の木がやさしく我々を出迎えているかのようだった。
〜つづく〜
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