2009/09/19 - 2009/09/22
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korotamaさん
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なんとか取れた2日目の宿は、小松からずいぶん南に下った彦根。
で、あれば、「ひこにゃん」で一躍有名になった彦根城を見に行くか。
でも、その前に。。。
悲劇の武将 浅井長政の居城だった小谷城址、豊臣秀吉が築城した長浜城に寄って、戦国の世の雰囲気を感じることとしました。
korotama、初滋賀でもありました(^・^)
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
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城巡りのスタートは小谷城。
1524年、浅井亮政により築城された小谷山(標高495m)全域に築かれた堅固な山城でしたが、三代長政の時に、織田信長との戦により、1573年に落城しました。
落城後、織田信長からこの地を与えられた羽柴秀吉が利便性の悪い山城を嫌い、北国街道と琵琶湖に面した今浜(現 長浜)に新たに城を築き、居城としたため、小谷城は廃城となりました。
現在は往時を偲ぶ土塁・曲輪などが遺構として残っているのみです。小谷城跡 名所・史跡
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小谷城址は麓から登山道(大手道)を歩いて登ることもできますが、時間と体力の関係から(^^ゞ 中腹の駐車場まで車で行き、そこから本丸跡までを歩くことにしました。
標高240m程の所でしょうか、琵琶湖を一望できる望笙峠(ぼうしょうとうげ)があります。
琵琶湖に浮かんでいる小島は「竹生島(ちくぶじま)」。
無人島だが、神社があるとのこと。
竹生島を望む峠、ということで、望笙峠、だそうです。 -
標高300m程の場所にある城跡入口の駐車場です。
駐車場、というか、路肩に停めます。
遺構しかない城跡ですが、訪れる人は案外いるのですね。 -
南北に細長い小谷山の尾根筋に城館が建てられていました。
本丸はその中ほどに位置し、最高地点には山王丸という城館が建てられていたようです。 -
山城です…。
傾斜がきつい…。
korotamaは途中まで車で上がって来ましたが、本来は大手道と呼ばれる細い道を登ってくるわけですから、そのことを考えると、攻められにくく守りやすい山城から政治経済の利便性が良い平山城、平城への変遷には大きく頷けます。
麓との往来、大変だっただろうなぁ。 -
登城者の検問所である「番所」跡を過ぎると「御茶屋」跡があります。
うーん。
急な大手道を登って来て、番所も無事通過。ここらで一服??? -
「馬洗池」跡
馬洗池には水が絶えなかったそうです。
山道を登る馬も、馬なりに大変だっただろうなぁ。 -
「御馬屋」跡
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登城の道筋に「首据石」。
この石の上に罪人の首をさらしたのだそうです。
避けては登城できないし、、、
不気味ですー。 -
桜馬場に浅井家の供養塔がありました。
信長の妹 市 を妻としていたが、以前から同盟を結んでいた朝倉義景への義を貫いた浅井長政は、悲劇の武将として多くのドラマで描かれていますね。 -
千畳敷だったという「大広間」跡。
山の尾根に築かれた小谷城の中で一番広い平地のようです。
強い日差しが射し込んできます。小谷城跡 名所・史跡
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「大広間」の奥に一段高くなった場所があり、これが城主がいた「本丸」跡。
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木立に覆われる「本丸」跡。
本丸は「鐘の丸」とも呼ばれていたそうです。
ここで、浅井長政とお市が暮らし、茶々、初、於江与が生まれたのですね。 -
本丸跡から大広間跡を眺める。
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尾根から100m程外れた山腹に、重臣赤尾氏の屋敷跡があります。
平地部分はかなり狭く、背後には斜面。
このような所に、どんな風に屋敷が建てられていたのかなぁ。 -
この赤尾屋敷で、浅井長政が自刃したのだそうです。
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小谷城址を後にし、琵琶湖畔 長浜に下りてきました。
秀吉は、一旦は小谷城に入りましたが、琵琶湖の舟運を重視した領国経営を行うために、湖畔の今浜(現 長浜)に新しい城を築きました。 -
現在の長浜城天守は1983年に模擬復元されたもので、内部は長浜市長浜城歴史博物館となっています。
2層の大屋根に望楼を載せた造りは初期天守の様式だとか。
周辺は「豊公園」として整備され、テニスコートやプール、小動物舎などもあり、憩いの場となっていました。 -
1573年に羽柴秀吉により築城された長浜城については、当時の絵図や古文書が殆ど残っていないために不明なことが多いそうですが、小谷城で使われていた資材や、竹生島から運んできた材木、領内の石仏や五輪塔の墓石などから集めた石材などを利用して築いたとか。
当初は「今浜」という名前でしたが、信長の名から一字を拝領した「長浜」に改名しました。 -
秀吉が長浜城にいたのは、7年程のようです。
秀吉の後、柴田勝家、山内一豊、内藤氏と城主が変わり、琵琶湖北の支配の役割が彦根城に移ると、1615年に廃城となりました。
廃城後、石垣や櫓材などは彦根城などに持って行かれ、長浜城は完全に失われたそうです。
城の命としては、小谷城よりも短かったのですね。 -
長浜市長浜城歴史博物館内は撮影禁止。
模擬天守望楼からパノラマを楽しみました。
長浜城の北側、小谷山。
・・・・どの山かなぁ・・・(^^ゞ -
手前は豊公園。
琵琶湖の向こう側に長浜ドーム、というのが見えます。 -
遠く南に、彦根城も見えました!
写真中央、白いビルの右斜め上にポツンと見えるのが、彦根城です。彦根城 名所・史跡
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傾く陽に輝く琵琶湖・・・
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模擬天守のすぐ横に、長浜城天守閣跡の碑と豊臣秀吉像が建っていました。
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こちらはJR北陸本線 長浜駅前に建つ、羽柴秀吉と石田光成の出会いの像。
鷹狩りの途中に立ち寄った観音寺で、汗をかいた秀吉に、大きな茶碗に並々と注いだぬるいお茶、半量のちょっと熱めお茶、最後は小さな茶碗に熱いお茶を献上した三成の「三献の茶」が再現されています。
町では、長浜城を建てた秀吉よりも、ここで生まれた三成の名前のほうが多く見かけられました。 -
豊公園を出てすぐの交差点で。
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町中で。
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秀吉が築いた城下町 長浜は、近江と北陸を結ぶ重要な街道であった北国街道の宿場町として栄えました。
街道沿い一部分が「黒壁スクエア」として観光スポットとなっています。
食事処や土産屋さんなどがあり、とても賑わっていました。 -
風情ある建物です。
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黒壁スクエアの中心は、明治33年に建てられた百三十銀行長浜支店を再現した黒壁の「黒壁ガラス館」(写真右端)のようですが、korotamaはその隣に立っていた、この木壁の建物のほうに興味が沸きましたー。
築100年を超える蔵を改造したレストランとのこと。黒壁ガラス館 名所・史跡
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黒壁スクエア 大手門通りのアーケード。
「長浜曳山まつり」というのが有名なんですね。
秀吉が長浜を治めた時からの歴史があるそうです。 -
お昼は長浜名物の一つ「のっぺいうどん」と「「牛しゃぶのっぺい」をいただきました。
明治の後期から続いている味なのだそうです。
巨大椎茸、湯葉、生麩などが入ったのアンがかかった、もっちりしたうどんです。
うどんはアンにびっちり覆われているため、熱いのなんの!
「牛しゃぶのっぺい」に使われているのは近江牛。
こりゃ、とろけるような柔らかさでした(^・^)
茂美志や
滋賀県長浜市元浜町7−15 -
食後のデザートに、「芋平」の「さつま芋きんつば」。
近江で薩摩?
なんでも、鉄砲伝来の地 種子島と、鉄砲の生産地長浜市国有町の縁に由来するものだそうです。
高貴いも、種子島紫いも、紅隼人いもの3種類があり、高貴いもをいただきました。
甘いのは嫌だー、と、二人で1個にしたのですが、意に反して、甘さは控えめで、しかも美味!
これだったら3種類1個ずつ買えばよかったなー。
芋平 元浜店
滋賀県長浜市元浜町8-19 -
そんなこんなで長浜を後にして、この日のお宿は彦根アートホテル。
長浜城を見た後、その日のうちに彦根城を見る予定でしたが、航空プラザに寄り道してしまったため、彦根城は翌日にずらすこととしました。彦根アートホテル 宿・ホテル
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彦根アートホテルは彦根市中心からは離れているので、この日の晩御飯はホテル近くにある居酒屋「昭和食堂」で。
店内、昭和の雰囲気たっぷり。BGMも昭和に流行った歌謡曲ばかりで、いい気分で楽しめましたー。
昭和食堂 彦根店
滋賀県彦根市高宮町1320-6 -
でも、もう1件はしご。
廻転寿司「にぎりの徳兵衛」。
中部地区を中心としたチェーン店ですが、いい雰囲気の店内でした。
味も満足(^。^)
にぎりの徳兵衛 南彦根店
滋賀県彦根市高宮町遊行塚横田1613-3 -
時間、少々後戻り。
琵琶湖に沈む夕陽・・・
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