2009/04/28 - 2009/05/06
3134位(同エリア4436件中)
熱帯魚さん
旅行3日目、ベトナム入りして2日目。ちょうどこの日は4月30日。1975年のこの日、サイゴンが陥落しました。街には、サイゴン陥落のポスターや、労働節のポスターが沢山掲げられていました。
◎ ホアロー収容所
◎ ホアンキエム湖
◎ 玉山祀
◎ 市場
【旅の日程】
1日目:夜のフライトで上海から南寧へ
2日目:朝、南寧からバスでハノイへ。中国時間8時半南寧発のバスに乗り、ベトナム時間15時にハノイ到着。(ハノイ泊)
3日目:昼間ハノイをぶらぶら。夜のフライトでフエへ。(フエ泊)
4日目:ボートツアーに参加し、世界遺産の廟巡り。(フエ泊)
5日目:午後のバスでフエからホイアンへ。(ホイアン泊)
6日目:ホイアンの街歩き。(ホイアン泊)
7日目:午前ミーソン遺跡ツアーに参加。午後バスでフエへ。夜のフライトでフエからハノイへ。(ハノイ泊)
8日目:朝9時半のバスでハノイから南寧へ。(南寧泊)
9日目:南寧の街歩き。夕方のフライトで南寧から上海へ。
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ホテルは朝食つきだったので、ホテルでフランスパン食べました。
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食事の後は、街歩きしつつ、ホアロー刑務所に行ってみることになりました。写真はホテルのすぐ近くにあった廟です。
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果物とか野菜とかが売られてました。買い物に来た主婦たちも結構いました。
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色合いが綺麗で目を引いた扉。一体何の建物なのか不明です。ベトナム語って読めそうで読めないです…読めたら面白いだろうなあ〜
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街路樹も上海のとは違います。南国って良いなあ〜
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地図で見たところ、ホアロー刑務所に向かう途中にハノイ大教会という教会があるらしかったので、まずはハノイ大教会に向かって歩きました。
こちらは教会の隣の建物。歴史がある建物なのでしょうか?いい味だしてました…
赤いバナーは労働節のバナー。 -
ハノイ大教会の前にあった建物。ベトナム語の説明しかなかったので何なのかわかりませんでした。
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こちらがハノイ大教会だと思われます。行った時間が悪かったのか、中には入りにくい雰囲気でした。
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ベトナム航空オフィスの近くにあったエアポートタクシーの会社。値段をチェック。
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ホアロー刑務所に行く途中で見つけた教会。この建物なんか好きです。中に入ってみたかったな〜
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教会の隣は病院かな?なんて書いてあるのか本当にさっぱりよくわかりません。ベトナム語をちょっとくらい勉強してくるべきでした…
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「ホアロー」の文字を発見!後の黄色い建物がホアロー収容所です。
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ホアロー収容所は、19世紀末にフランスによってたてられた監獄です。もともとこの地は村で、廟も沢山ありましたが、廟は全て別の村に移され、この収容所が建てられたそうです。
多いときで2000年以上もこの場所に収容されていました。フランスが敗戦したあとは、ベトナム戦争のベトナム人民軍の捕虜が収容されていたそうです。 -
ホアロー収容所の入り口です。
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収容所の中にあった扉。扉の鍵がとても複雑な作りでした。
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ベトナム人が収容されていた時の様子を再現しています。
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かなりリアルに再現されていました。
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これは詰問部屋だったところです。真っ暗な中に10日間ほど閉じ込められたのだとか。気が狂いそうです。
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庭にあったアーモンドの樹。実は収容者の栄養源に、葉は傷口の処理などに使われたそうです。この樹のそばで、政治犯として捕まえられた収容者たちは、敵にどうやって反撃するかを話し合ったと言います。
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1951年12月24日、この地下にあった鉄格子から16人の政治犯が逃げ出しました。
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そのうち5人が脱走に成功したそうです。
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1945年3月11日から16日の間、100名の政治犯がここから脱走しました。そして抗日活動に関わったと言います。
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こちらは女性のための集団部屋です。子どもや妊婦などがこちらに集められました。
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独房の廊下の前の扉。
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細い廊下の左右に独房が並んでいました。死刑囚が収容されていた部屋です。
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フランスが撤退したのち、1972年末から1973年の間、アメリカ軍の飛行機が打ち落とされ、アメリカ軍人がここに収容されました。そのときの軍人が着ていた飛行服なども展示されていました。
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アメリカ軍人が持っていたカード。自分はアメリカ人で食料などを供給して欲しい…といったことが、中国語、日本語など各国語で書かれています。面白いと思ったのは、中国語が簡体字と繁体字で書かれていたこと。
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収容所の庭。この瞬間だけ何だかのどかな感じがしました。
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収容所での犠牲者を弔う慰霊碑。
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こうやって見ると収容所も普通の家のように見えます。けれど、中には、ギロチンや拷問の道具も展示されていて、中と外のギャップの激しさに驚かされます。
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ホアロー収容所を出て、今度はホアンキエム湖の方向に歩くことにしました。途中で見たお寺。
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こちらもお寺。中国と同じく、お寺といえば、黄色の壁って感じなのでしょうか。漢字でなく、アルファベット(ベトナム語)が書かれているのが新鮮でした。
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お寺の前には花や線香を売っているおばちゃんがいました。
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お寺の中に入ってみました。内側から見た門。お参りしてから再びホンキエム湖の方向に歩きます。
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何の建物かよくわかりませんでしたが、政府関係の建物でしょうか?4月30日の祝日と5月1日のメイデー(労働節)のバナーがはられていました。
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こちらもお寺です。
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この建物は何かわからなかったのですが、祝日関係のポスターがババっと飾られていました。内容はともかく、とてもカラフル。
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デンビェンフーの戦いから55年を記念したポスター。あちこちで見かけました。
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ホアンキエム湖に到着しました。湖畔では恋人が語らっていました。
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湖畔にあった門。報義門と書かれていました。方向によって門(報恩門など)に書かれている名前が違いました。
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門の上には獅子もいました。獅子の目がくりくりしていて可愛らしかったです。
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亀の塔。中がどうなっているのか気になります。どれくらいの歴史があるのでしょうか?
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ホアンキエム湖のそばのコロニアル調建物。バイクが激しく行きかっていました。もしバイクがいなかったら、シンガポールのシティーホールのあたりに雰囲気が似ているような気がします。
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お腹が空いたので、レストランにてフランスパン。チキン入りのものを頼みました。ボリューム満点でした。
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再びホアンキエム湖に戻り、玉山祀に行きました。門の上に塔が建っているのはベトナム風なのでしょうか?
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2番目の門の右側には龍が、
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左側には虎がいました。
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3つ目の門。門の中央、巻物を解いたものが彫られていましたが、不思議な漢字が書かれていて読めませんでした。きっと漢字がわからない人がみようみまねで書いたものだと思われます。
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門の上には龍がにらんでいました。
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得月楼と書かれているあたり、お月見にぴったりな場所なのかしら?
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香炉をふと見たら、伝説上の動物らしき動物がいました。獅子のようですが、龍のひげや、麒麟の角みたいなものがついているし、うーん?
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ホアンキエム湖の由来になったと言う亀を模したもの。ホアンキエム湖のホアンキエムとは、剣が保存されていると言う意味だそうです。15世紀、当時の王が、聖なる亀に刀を返還したことからそうよばれるようになったとか。
そのときからこの湖はホアンキエムとよばれるようになり、人々はここに刀が埋まっていると信じるようになったそうです。 -
廟の扉が素敵でした。
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廟の中を自由に歩き回っていた猫。
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玉山祀を見終わった後、門のそばで石敢當(魔よけ)を発見しました。
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玉山祀と道を隔てた向かい側にあったモニュメント。
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2010年10月10日までのカウントダウン。2010年10月10日に何かイベントでもあるのでしょうか?
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ホアンキエム湖のそばにマーケットがありました。
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魚や肉、麺をうるお店が並んでいます。
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野菜や果物ももちろんありました。市場に来ると、市民の日常生活が垣間見られて興味深いです。
そろそろ時間になったのでホテルへ戻ります。この日はこれからタクシーで空港へ向かいます。
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