2009/04/07 - 2009/04/07
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旅人のくまさんさん
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大垣城紹介の締め括りです。多くの遺構は失われ、本丸の石垣と、水門川として外堀の一部が残りました。せめて、内堀と、その中の本丸と二の丸が残っていればと、つい、惜しむ気になります。
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- JRローカル
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何度も紹介しましたが、締め括りにもう一度紹介する大垣公園の満開の桜の光景です。ソメイヨシノの光景です。背景に遊具施設が見えました。
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満開の『ヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂れ桜)』の花の光景です。バックの赤味がかった葉の色と合わせ、賑やかな彩りとなりました。
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満開のソメイヨシノの花と、その周りの『ヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂れ桜)』の光景です。背後の建物は、『常葉神社』です。
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大垣公園内の水のみ羽の光景です。その上に腰かけているのは、童話の中のキャラクターのようです。周りには、桜の花が散り敷き始めていました。
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白やピンクの桜の花が咲き乱れる、大垣公園の光景です。この公園は、大垣城址の旧本丸と、二の丸に造られました。
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左手は満開のヤエベニシダレザクラ、右手前方に見えるのは、現在の大垣城の西門の光景です。かつての大垣城には存在しなかった門です。
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ずらりと並んだ満開のソメイヨシノの光景です。その上から頭を覗かせているのは、天守ではなく、隅櫓のようです。
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紅白の桜の花に飾られた天守の光景です。赤はヤエベニシダレザクラ、白はソメイヨシノの花です。
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染井吉野の花越しに眺めた天守の光景です。左手に見えるのは、『おあむの松』です。『おあむ(おあん)』は、『尼』の敬称です。この後、その名前の由来を紹介します。
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イチオシ
大垣城天守と、その前に立つ『おあむの松』の光景です。『おあむ物語』は、享保初年(1716年頃には成立した、江戸前期の見聞記です。石田三成の家臣・山田去暦の娘が、美濃大垣城で見聞した『関ヶ原の戦い』の様子を、尼になってから子供たちに語った追憶談の筆録です。『関ヶ原の戦い』は、慶長5年(1600年)、石田三成らの西軍と、徳川家康らの東軍とが天下を争った戦いです。小早川秀秋の寝返りにより東軍が大勝し、石田三成らは処刑され、覇権は豊臣家から徳川家に傾きました。
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紅白の桜の花と『おあむの松』に飾られた天守の光景です。『おあん(1584〜1667年頃)』は、山田去暦(生没年不詳)の四人兄弟の長女でした。山田去暦の方から先に説明します。戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、能筆家として伝わります。徳川家康が幼少の頃、家康の手習いの師匠を務めました。やがて石田三成の家臣となり、近江国で知行300石を領して彦根に住みました。
落城真近となった大垣城に籠城中の去暦の家族の元に、徳川方の武将である田中吉政の配下の者から、『愈々明日には落城すると思うが山田去暦殿は、かつて家康公の手習い師匠であったので逃げるなら見逃そう』という矢文が届きました。その誘いに乗り、夜中に城壁から梯子を下ろし、去暦と家族たちは盥を舟にして濠を渡り、城を脱出しました。 -
生き長らえた去暦とおあん達の家族は、その後、山内一豊の家臣となっていた親戚の親族雨森氏康を頼り土佐に向かいました。去暦の嫡子・山田助丞は馬廻役として一豊に仕えました。この一部始終が『おあむ物語』として綴られました。長年月を経て、『おあむの松』は、二代目となりました。
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お洒落なデザインの石造建築物の光景です。大垣消防組合関係の慰霊塔のようでした。
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『常葉神社』の扁額があった石の鳥居の光景です。『常葉神社(ときわじんじゃ)』は、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社の一つとされます。主神は戸田一西公と戸田氏鉄公です。創建は、嘉永5年(1852年)です。
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イチオシ
見事な満開だった、『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』の花の光景です。大いに目を楽しませてくれました。
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満開をやや過ぎた染井吉野の花と、その先に見える天守の鬼瓦の遠望です。この日は、雲一つない青空でした。
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弓狭間が見える白壁に映った、染井吉野の木の陰です。影を映した染井吉野の一部も上の方に見えていました。
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天守閣をバックにした、戸田氏鉄公騎馬像です。戸田氏鉄(うじかね)公は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将で、大名です。はじめ、徳川家康の近習として仕えました。近江膳所藩第2代藩主、摂津尼崎藩主、美濃大垣藩初代藩主を務めました。
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右手に軍配を持った、戸田氏鉄公騎馬像のズームアップ光景です。藩政においても新田開発や治水工事などに大きな成功を収め、大垣藩の藩政を安定に導きました。『建詞』と題された憲章の言葉の中の大垣に関する記述の紹介です。『美濃大垣十万石の藩守となってからは島原の役への出陣、領内の新田開発藩政の基本となる諸法整備に努められ、揺るぎない財政基盤を確立領民の生活の安泰を計られました。氏鉄公に始まる戸田十一代の藩政は明治維新の後も郷土大垣の繁栄の糧として脉々として受け継がれ今日の豊かな暮しに息づいております』との賛辞がありました。
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イチオシ
右手に軍配を持った、戸田氏鉄公騎馬像の上半身のズームアップ光景です。軍配を上げた姿は、『かかれ!』の号令でしょうか。
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角度を変えて、もう1枚紹介する、戸田氏鉄公騎馬像の光景です。はじめ徳川家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに従軍、大坂の陣では居城の膳所城の守備に徹し、摂津尼崎5万石の藩主を経て、寛永12年(1635年)7月に美濃大垣10万石の大名となった人です。
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下から見上げた満開の染井吉野の光景です。花の色が白く、緑の葉も出ていましたから、『オオシマザクラ(大島桜)』の花だったかもしれません。
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本丸跡と、二の丸跡の境となる石垣と土塀の光景です。かつての本丸と二の丸は、『廊下端』でつながるだけで、周りは内堀でしたから、今建っている付近は、埋め立てられた内堀の跡かもしれません。
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大垣公園の二の丸跡から眺めた、隅櫓と天守の建物光景です。左手に見える隅櫓は、本丸の北西にある戌亥隅櫓だったようです。
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かつては存在しなかった、西門の光景です。2階建ての楼門として造られていました。昭和60年(1985年)に行われた、修景整備の際に造られた模擬門とされます。
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同じく、かつての大垣城には存在しなかった、西門の光景です。
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本丸跡の西北角当たりになるようです。立札がありましたが、横向きの撮影になってしまいました。
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桜の時期だけ出現する、臨時の休憩所のようです・『お城茶屋』の看板がありました。
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満開の枝を横に伸ばした、ソメイヨシノの光景です。桜もお城も楽しむことが出来たひと時でした。
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『ヤエベニシダレ(八重紅枝垂れ)』の赤い花をバックに咲いた、染井吉野の白い花です。これで、大垣城の紹介はおしまいです。桜の花は満開でしたが、歴史的価値が高い大垣城の遺構の保存状態には、少し残念な思いがしました。
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