2009/04/07 - 2009/04/07
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旅人のくまさんさん
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大垣城の創建は1500年頃に遡るとされ、その後、幾多の増改築が行われてきました。関ヶ原の戦の際には、城主であった伊藤盛宗は西軍に属したため、石田三成らが入城して西軍の根拠地となりました。関が原で西軍が敗北後、東軍に攻められ落城した歴史を持ちます。
- 交通手段
- JRローカル
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JR大垣駅の駅舎の光景です。名古屋からですと、岐阜までは便利ですが、その先が少し不便です。
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咲き残りの『コブシ(辛夷)』のようです。モクレン科モクレン属の落葉広葉樹です。大垣駅前の街路樹でした。セミの抜け殻らしいものがありました。
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大垣駅前付近の光景です。大垣駅から大垣城までは、大した距離ではなかったようですから、歩いての移動です。
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街路整備の時に造られたらしい、小さな噴水の光景です。4月の陽気ともなれば、噴水は爽やかさと涼しさを倍増してくれます。
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同じく、大垣駅前の街路光景です。大垣市長選挙の最中で、4月19日が投票日の幟が立っていました。
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満開の染井吉野の街路樹があった、大垣市内の光景です。連続した桜並木ではありませんでした。
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大垣城のお堀がある場所に到着しました。流れがあるらしく、澄んだ川底に藻が揺れていました。川面には、小さな花筏と落花の光景です。
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大垣城の外堀で、水門川と呼ばれているようです。かつては、連郭式に並んだ本丸、二の丸を中心に三重の堀で囲まれていました。
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外堀の周りで咲いていた、満開の染井吉野の光景です。落花が始まっていました。
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イチオシ
同じく、水門川と呼ばれる外堀の周りで咲いていた、満開の染井吉野の光景です。見応えがありました。
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正面から眺めた、水門川と呼ばれる外堀の周りの染井吉野の光景です。見事な満開でした。桜満開の大垣城の見学が目的でしたから、ピッタリの時期と天候になってくれたようです。
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大垣城の城郭が見える場所までやってきました。大垣城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535年)に創建されたと伝えられています。
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新緑と大垣城の城郭の光景です。天下分け目の『関ケ原の戦い(1600年)では、西軍首脳の石田三成の本拠地となりました。西軍本隊は関ヶ原に移動し、城内には福原長堯らが守将となって残りました。しかし、関ヶ原の戦いで西軍が敗北し、東軍に攻囲され落城しました。
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大垣城に篭っていた西軍首脳の石田三成などが関ヶ原に転進した理由については諸説あります。
?家康が放った、『大垣を無視して佐和山城を陥とし、大坂へ向かう』との流言で、おびき出されたとする説
②大垣城が家康に水攻めにされた場合、既に関ヶ原付近に布陣していた毛利、小早川らとの連絡が断たれるのを恐れたとする説
③大垣城が家康に水攻めにされた場合、後詰決戦で城方が討って出ることが出来なくなることを恐れたとする説
等があるようです。 -
イチオシ
染井吉野の横から見上げた天守閣の光景です。『麋城(びじょう)』や、『巨鹿城(きょろくじょう)』の別名を持ちます。現在の建物は、昭和34年(1559年)に、外観復元された鉄筋婚リート製です。『麋』は、『なれしか』とも読み、大きい鹿や、ヘラジカなどを意味するようです。
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『戌亥櫓(いぬいやぐら)』の立札があった櫓の光景です。『戌亥』は『乾』とも表示され、北西の方角を表します。『北西隅櫓』の意味になります。
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木々の間から見上げた大垣城の天守光景です。大垣城の前身は、明応9年(1500年)に美濃の土豪の竹腰尚綱によって揖斐川(牛屋川)東河岸の牛屋に築かれたとする説と、天文4年(1535年) に、美濃守護土岐氏一族の宮川安定が大尻に築いた、あるいは入城したとする説があります。その当時は、『牛屋城』と呼ばれていたようです。
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染井吉野の花で飾られた、天守閣の周りの建物光景です。日当たりがよいのか、この辺りの染井吉野は、散り始めていました。
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同じく、染井吉野の花で飾られた、天守閣の周りの建物光景です。その染井吉野の花は、大方散ってしまっていました。
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天守閣の周りにあった、低い建物の軒下光景です塗装かも知れませんが、軒下は、漆喰で塗り固めたような光景に仕上がっていました。その下で咲くツバキらしい赤い花の光景です。
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本丸の周りの長土塀の光景です。その壁には、四角や三角の鉄砲狭間や弓狭間が並んでいました。守備兵のための物でしょうか、お洒落な湖屋根も付いていました。
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イチオシ
新芽と一緒に開いていた、『ヤマザクラ(山桜)』の花です。ヤマザクラは、日本の野生の桜の代表的な種で、古くから、和歌にも数多く詠まれてきました。バラ科サクラ属の落葉高木です。
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本丸庭園と表現していいのでしょうか、庭園風に造られていた本丸の敷地の光景です。石畳の通路には、少し起伏がありました。
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大きな石碑の光景です。とりあえず撮影しておきましたが、文字は読み取れませんでした。ひょっとしたら、裏側だったかもしれません。ネットでも調べていますが、まだ手掛かりがありません。
(追記)『贈正五位小原是水府碑』の裏面だったようです。 -
最上階には、見学のために大きなガラス窓が付いた天守の光景です。大垣城は、昭和11年(1936年)に天守等が旧国宝に指定された。しかし、昭和20年(1945年)7月の大垣空襲により、天守や艮櫓などは焼失しました。この天守は、昭和34年(1959年)に再建されたものです。
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同じく、少しだけ角度を代えて撮影した、天守の光景です。大きな窓ガラスは、どうしても違和感を覚えます。
(追記)平成23年(2011年)2月に屋根瓦の葺き替えと外壁改修工事が完了しました。この工事で、戦後の再建時に改変された外観が史料を基に焼失前の外観に近くなるように改修されました。次の見学の時に、その姿を見てみたいものです。 -
私も長く眼鏡をかけていますが、窓ガラスのお城は、メガネをかけたお城に見えて仕方がありません。見学には便利ですが、できるだけオリジナルな外観を望みたいところです。
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下階の窓は、全体が塞いでありました。それでもその大きさには、少し違和感を覚えます。
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満開の染井吉野の花に彩られた大垣城の天守の光景です。多くの遺構は失われましたが、本丸の石垣と、水門川として外堀の一部が残されました。
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天気に恵まれた桜満開の日でしたから、通路は花見の人で溢れていました。速足ではなく、皆さん桜を愛でながらのそぞろ歩きです。
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