2009/04/02 - 2009/04/02
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旅人のくまさんさん
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城内の見学を終えて、見納めにもう一度お城の周りの見学です。少し風はありましたが、絶好の花見日和でした。
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浜松城模擬天守の最上階のズームアップ光景です。古文書などに記録が残されていない天守ですから、ほかの望楼型天守をモデルに造られたようです。
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イチオシ
満開の祖メリ吉野の花で飾られた模擬天守の光景です。三方ヶ原台地の東南端に位置するお城です。家康公は、元亀元年(1570年)長子の信康に岡崎城を譲り、自らは浜松城へ移りました。天正14年(1586年)、45歳で駿府城に入るまで、浜松城での在城は、17年に及びました。
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ソメイヨシノの花と模擬天守の光景です。家康公の浜松城での17年間では、史上有名な姉川、長篠、高天神城、小牧・長久手の戦のほか、特に元亀3年(1572年)の武田信玄との三方ケ原合戦は、家康の生涯における試練となりました。
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満開のソメイヨシノの花のズームアップ光景です。バックは野面積の石垣です。
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危険区域への立ち入りを制限する竹垣の光景です。小規模の『竹矢来(たけやらい)』といった光景です。『竹矢来』は、竹を粗く交差させた囲いのことです。
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イチオシ
かつては、隅櫓などが置かれていたような石垣の上の光景です。石垣の縁に立ち入らないよう、ここにも通路脇に竹垣がありました。
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イチオシ
お城の周りを散策する、地元のお子さん達です。お子さんにとっては危険が多い野面積の石垣の周りは、近寄らないよう竹垣で囲われていました。
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染井吉野と、模擬天守の最上階の光景です。屋根飾りは、瓦焼のシャチのようです。
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四連の赤い雪洞の光景です。その先には、浜松市街のビルの頭が見えていました。雪洞が掛けられた桜の木は、まだ若い染井吉野でした。
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青空をバックにした、染井吉野の白い花と、赤い雪洞の光景です。それにしても、花曇りが多い時期にしては珍しい、春の一日とは思えないような好天でした。
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あまり高くない石垣の上から見下ろした、ソメイヨシノの花の光景です。その花が、目線と同じような高さになりました。
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野面積の石垣の上に建つ、模擬天守の光景です。江戸時代には、天守台の上に天守はなく、本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたようです。
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石垣に関する説明立札です。『これは、四百年前の家康築城の頃の面影を残す貴重な石垣です。登ったり、石を引き抜くことは絶対にしないでください』と記されていました。説明より、注意書きでした。典型的な野面積の石垣です。
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野面積の石垣と染井吉野と雪洞の光景です。日本の城郭の石積に大きな影響を与えたのが、安土桃山時代の石工集団の『穴太衆(あのうしゅう)』です。『穴太衆』は、現在の滋賀県大津市坂本穴太を拠点とした、古墳築造などを行っていた石工の末裔との説もあります。信長の安土城の石垣を施工したことで脚光を浴び、それ以降は江戸時代初頭に到るまでに多くの城の石垣が穴太衆によって築かれました。更に、全国の藩に召し抱えられ、城石垣等を手掛けたとされますが、詳細は不明です。
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野面積の石垣光景です。野面積のことは『穴太積(あのうづみ)』とも呼ばれますが、穴太衆は、野面積以外の、玉石積や切石積もできた石垣職人集団でした。
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新しい木材で囲われた城内の一角です。この後案内立看板で紹介する、古い井戸です。戦国時代のお城にとっては、水は生命線だったようです。
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『井戸』のタイトルがあった案内立看板の光景です。『銀明水』と呼ばれる、この井戸をはじめ、場内には10本の井戸が掘られていたことが紹介されていました。
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『浜松城の石垣(野面積み)』のタイトルがあった説明看板です。木製の真新しい看板でした。浜松城第2代城主の堀尾吉春時代の1590年頃に築かれたらしい野面積みの石垣について、その構造や、使われた石など、細かく解説されていました。
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既に紹介した、模擬天守の石落しの光景です。お城の防御施設の石落しは、西欧のお城にも造られることがあったようです。
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模擬天守の石落しの最下部と、野面積の石垣の最上部の光景です。見た目には不安定そうに見えますが、日本各地の古いお城で、長年月の試練に耐えた石積法です。
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銅葺屋根の上に枝を伸ばしていたソメイヨシノの光景です。満開で白く見えた花が、一層白く見えました。
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浜松城の天守の光景です。現在の天守は、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート造で再建されたものです。復興天守とも、模擬天守とも呼ばれています。天守台には井戸も掘られていますから、天守があった時代も想像できます。しかし、早い時代に天守は失われたようです。
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模擬天守の軒先と壁面光景です。軒下はすべて火に強い漆喰仕上げを模擬していましたが、壁面は『下見板張り(したみいたばり)』ですから、戦国時代の実戦であれば、この部分が火矢で狙われそうです。
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白い染井吉野の花の中に彩りを添えていた赤い雪洞の光景です。アクセントに青色と、緑色も使われていました。
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今日見学したソメイヨシノの花の中でも、屈指の咲き方をしていました。塊になって枝先に咲いていた花に、たっぷりとしたボリューム感がありました。
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両側から石垣が迫り、その空間を満開のソメイヨシノが覆った城址の光景です。半日足らずでしたが、お城と桜を存分に楽しむことが出来ました。
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振り返って眺めた模擬天守の光景です。半ばソメイヨシノの花に隠れてしまいました。雪洞が灯り、模擬天守がライトアップされるまでは、もう暫くの時間がありますが、夜は更に賑わいそうでした。
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石畳の坂を下り、公園の区域から振り返って眺めた城址方面の光景です。模擬天守は見えていませんが、石垣の光景がありました。かつては、隅櫓などがあった石垣のようです。
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夜の宴会に向けて、ブルーシートを広げて席取りがしてあった公園内の光景です。白いテントを張ったグループもありました。
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十分に堪能できた、桜満開の時期の浜松城見学は、これでおしまいです。浜松駅まで歩いて戻り、JRで名古屋に戻りました。
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