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桜の花咲く浜松城です。家康の出世城として知られます。家康は元亀元年(1570年)、武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を岡崎城から浜松城へ移し、駿府城に本拠を移すまで、17年をこの浜松城を居城としました。

2009春、桜の季節の浜松城(1/5):浜松駅前、浜松城へ、模擬天守、染井吉野、紅枝垂れ桜

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2009/04/02 - 2009/04/02

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旅行記グループ 2009春、桜の名城巡り

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

桜の花咲く浜松城です。家康の出世城として知られます。家康は元亀元年(1570年)、武田信玄の侵攻に備えるため、本拠地を岡崎城から浜松城へ移し、駿府城に本拠を移すまで、17年をこの浜松城を居城としました。

交通手段
高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄
  • 駿府城に本拠を移すまで、家康公が17年居城とした浜松城の紹介です。名古屋駅からJRで到着した、花で飾られた浜松駅前の光景です。

    イチオシ

    駿府城に本拠を移すまで、家康公が17年居城とした浜松城の紹介です。名古屋駅からJRで到着した、花で飾られた浜松駅前の光景です。

  • 浜松駅から、浜松城までは歩いての移動です。20分ほどの距離でした。その途中のケヤキ(欅)の新緑光景です。

    浜松駅から、浜松城までは歩いての移動です。20分ほどの距離でした。その途中のケヤキ(欅)の新緑光景です。

  • 新春の花が咲いていた、浜松城に向かう途中の街路光景です。黄色のパンジーです。

    新春の花が咲いていた、浜松城に向かう途中の街路光景です。黄色のパンジーです。

  • こちらも街路の花壇で咲いていた、紫色のパンジーの光景です。パンジーはヨーロッパに分布する数種のスミレ類を掛け合わせてできた園芸植物です。

    こちらも街路の花壇で咲いていた、紫色のパンジーの光景です。パンジーはヨーロッパに分布する数種のスミレ類を掛け合わせてできた園芸植物です。

  • 春を代表する花の一つ、チューリップも咲いていました。華やかな赤やピンクや、オレンジ色の花です。

    春を代表する花の一つ、チューリップも咲いていました。華やかな赤やピンクや、オレンジ色の花です。

  • 浜松城の麓付近に到着したようです。出世城と呼ばれたのは、家康だけでなく、その後の歴代城主が江戸幕府の重役に出世したことにもよります。将軍の家康を除くと、兼任を含めて、老中5名、大阪城代2名、京都所司代2名、寺社奉行4名です。

    浜松城の麓付近に到着したようです。出世城と呼ばれたのは、家康だけでなく、その後の歴代城主が江戸幕府の重役に出世したことにもよります。将軍の家康を除くと、兼任を含めて、老中5名、大阪城代2名、京都所司代2名、寺社奉行4名です。

  • 雪洞も掛けられていた、浜松城の麓の光景です。江戸265年の間の浜松藩の藩主は、家康を始めとして26名です。約10年間の平均居城期間でした。

    雪洞も掛けられていた、浜松城の麓の光景です。江戸265年の間の浜松藩の藩主は、家康を始めとして26名です。約10年間の平均居城期間でした。

  • 青空をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の花の光景です。桜の代名詞となっている代表的な品種です。

    青空をバックにした、ソメイヨシノ(染井吉野)の花の光景です。桜の代名詞となっている代表的な品種です。

  • 枝が下向きに撓っていましたから、『ヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂れ桜)』のようです。まだ沢山の蕾が残っていました。

    枝が下向きに撓っていましたから、『ヤエベニシダレザクラ(八重紅枝垂れ桜)』のようです。まだ沢山の蕾が残っていました。

  • 八重紅枝垂れ桜らしい花のズームアップ光景です。青空に映える綺麗な花の色です。

    八重紅枝垂れ桜らしい花のズームアップ光景です。青空に映える綺麗な花の色です。

  • 棕櫚などの緑の葉をバックにした、ソメイヨシノの枝先の光景です。緑の葉も見えていましたから、山桜の方だったかもしれません。

    棕櫚などの緑の葉をバックにした、ソメイヨシノの枝先の光景です。緑の葉も見えていましたから、山桜の方だったかもしれません。

  • 浜松城を含めた一帯は、昭和25年(1951年)に、浜松城公園として整備・公開されました。現在の公園面積は10.87ヘクタール、最終的には12.6ヘクタールが計画されています。

    イチオシ

    浜松城を含めた一帯は、昭和25年(1951年)に、浜松城公園として整備・公開されました。現在の公園面積は10.87ヘクタール、最終的には12.6ヘクタールが計画されています。

  • お城の石垣が見える場所までやって来ました。隅櫓当たりが置かれていた石垣のようですが、建物の姿は見えませんでした。

    お城の石垣が見える場所までやって来ました。隅櫓当たりが置かれていた石垣のようですが、建物の姿は見えませんでした。

  • 左手に、野面積の石垣と、その上の城郭が見えてきました。浜松城の天守閣です。昭和33年(1958年)に建設された模擬天守です。

    左手に、野面積の石垣と、その上の城郭が見えてきました。浜松城の天守閣です。昭和33年(1958年)に建設された模擬天守です。

  • 染井吉野の花に囲まれた、模擬天守の最上階の光景です。近世には天守は存在しなかったようです。絵図にも記載がなく、本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたとされます。

    染井吉野の花に囲まれた、模擬天守の最上階の光景です。近世には天守は存在しなかったようです。絵図にも記載がなく、本丸にあった二重櫓が天守代用とされていたとされます。

  • 天守台の野面積の石垣と、ソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。昭和25年に開設された浜松城公園は、昭和52年(1977年)に昭和天皇在位50年記念公園として再整備され、ほぼ現在の井姿になりました。

    天守台の野面積の石垣と、ソメイヨシノ(染井吉野)の光景です。昭和25年に開設された浜松城公園は、昭和52年(1977年)に昭和天皇在位50年記念公園として再整備され、ほぼ現在の井姿になりました。

  • 浜松城の模擬天守の光景です。現在の建物は、昭和33年(1958年)に造られた望楼型三重四階、鉄筋コンクリート造です。

    浜松城の模擬天守の光景です。現在の建物は、昭和33年(1958年)に造られた望楼型三重四階、鉄筋コンクリート造です。

  • 浜松城天守閣の最上階のズームアップ光景です。望楼から見学する人達の姿がありました。雲一つない青空に恵まれた日でした。

    浜松城天守閣の最上階のズームアップ光景です。望楼から見学する人達の姿がありました。雲一つない青空に恵まれた日でした。

  • 浜松城天守閣の最上階の屋根と破風のズームアップ光景です。焼物の鯱が乗っているようです。

    浜松城天守閣の最上階の屋根と破風のズームアップ光景です。焼物の鯱が乗っているようです。

  • 石落しの構造になった城郭の裾の部分の光景です。築城年などは確定していませんが、室町時代初期から中期にかけての武将である今川貞相が、最初に築城したようです。

    石落しの構造になった城郭の裾の部分の光景です。築城年などは確定していませんが、室町時代初期から中期にかけての武将である今川貞相が、最初に築城したようです。

  • 天守台の石垣の大きさに、模擬天守の大きさが釣り合っていないようにも見受ける光景です。今川貞相が最初に築城した時には、曳馬城(引馬城、引間城)と呼ばれていたようです。

    天守台の石垣の大きさに、模擬天守の大きさが釣り合っていないようにも見受ける光景です。今川貞相が最初に築城した時には、曳馬城(引馬城、引間城)と呼ばれていたようです。

  • 白い漆喰と、黒く塗られた下見張の外装の光景です。浜松城は明治維新後に廃城となり、取り壊されました。

    白い漆喰と、黒く塗られた下見張の外装の光景です。浜松城は明治維新後に廃城となり、取り壊されました。

  • ピンクの花を咲かせた、ミツバツツジ(三葉躑躅)の光景です。白い染井吉野によく似合った花でした。ツツジ科ツツジ属の落葉低木です。

    ピンクの花を咲かせた、ミツバツツジ(三葉躑躅)の光景です。白い染井吉野によく似合った花でした。ツツジ科ツツジ属の落葉低木です。

  • かつては、隅櫓あたりが置かれていたような石垣の光景です。古い時代の石垣らしく、典型的な野面積です。

    かつては、隅櫓あたりが置かれていたような石垣の光景です。古い時代の石垣らしく、典型的な野面積です。

  • 左の天守台の石垣と、その周りの石垣の光景です。天守台の石垣のコーナー部分は、算木積でした。算木積は、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせ、強度を増す積み方です。

    イチオシ

    左の天守台の石垣と、その周りの石垣の光景です。天守台の石垣のコーナー部分は、算木積でした。算木積は、長方体の石の長辺と短辺を交互に重ね合わせ、強度を増す積み方です。

  • 斜め前から見上げた天守閣の光景です。後ほど入城しましたが、現在は展示館として使用されています。

    斜め前から見上げた天守閣の光景です。後ほど入城しましたが、現在は展示館として使用されています。

  • 染井吉野と天守閣の光景です。元亀元年(1570年)、家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移しました。岡崎城は嫡男の信康に譲りました。家康は、曳馬城を西南方向に拡張しましたが、『曳馬』という名称が『馬を引く』、つまり敗北に繋がり、縁起が悪いとして、かつてこの地にあった荘園の浜松荘に因んで、城名・地名ともに『浜松』と改めました。

    染井吉野と天守閣の光景です。元亀元年(1570年)、家康は武田信玄の侵攻に備えるため本拠地を三河国岡崎から遠江国曳馬へ移しました。岡崎城は嫡男の信康に譲りました。家康は、曳馬城を西南方向に拡張しましたが、『曳馬』という名称が『馬を引く』、つまり敗北に繋がり、縁起が悪いとして、かつてこの地にあった荘園の浜松荘に因んで、城名・地名ともに『浜松』と改めました。

  • 高台から見下ろした、足元の光景です。上から眺めた染井吉野の光景です。花見の席の準備でしょうか、ブルーシートが見えました。

    高台から見下ろした、足元の光景です。上から眺めた染井吉野の光景です。花見の席の準備でしょうか、ブルーシートが見えました。

  • 桜の上から顔を出した、コンコルドのホテルの光景です。正式名称は、『ホテルコンコルド浜松』、平成10年(1998年)に開業しました。遠州鉄道株式会社の100%出資のホテルです。

    桜の上から顔を出した、コンコルドのホテルの光景です。正式名称は、『ホテルコンコルド浜松』、平成10年(1998年)に開業しました。遠州鉄道株式会社の100%出資のホテルです。

  • 白い染井吉野の花との対比が綺麗だった、ミツバツツジ(三葉躑躅)の光景です。関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布します。

    白い染井吉野の花との対比が綺麗だった、ミツバツツジ(三葉躑躅)の光景です。関東地方から近畿地方東部の太平洋側に分布します。

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2009春、桜の名城巡り

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