2008/12/01 - 2008/12/01
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泉涌寺 (せんにゅうじ)は、真言宗泉涌寺派総本山の寺院。
開基は鎌倉時代の月輪大師俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう1166−1227年)といわれ東山三十六峰の南端、月輪山の山麓に建立されている。泉涌寺は律宗を中心として天台宗、真言宗、禅宗、浄土宗の五宗兼学の道場として栄え、1224年に後堀河天皇(ごほりかわてんのう1212−1234年)により皇室の祈願寺と定められた。鎌倉時代の後堀河天皇、四条天皇(しじょうてんのう1231−1242年)、江戸時代の後水尾天皇(ごみずのおてんのう1596−1680年)から幕末の孝明天皇(こうめいてんのう1831−1867年)に至る歴代天皇の陵墓があり、皇室の菩提寺として「皇室の香華院(こうげいん・香をたき、花を供え、先祖が眠る寺)」、「御寺(みてら)泉涌寺」と尊称され仁和寺、大覚寺などとともに皇室ゆかりの寺院として知られている。
泉涌寺は1255年に俊芿の弟子湛海(たんかい)が仏舎利とともに中国・南宋から持ち帰った楊貴妃観音像が良く知られている。楊貴妃(ようきひ719−756年)は唐の玄宗皇帝(げんそうこうてい685−762年)の寵愛の度が過ぎたために政争に巻き込まれ、安史の乱(あんしのらん755−763年)を引き起こしたとして処刑された。
楊貴妃観音像は玄宗皇帝が已む無く処刑した妃を哀れみ等身座像を彫らせたものと伝えられ、泉涌寺の留学僧の湛海(たんかい)が1255年の帰国時に持ち帰ったといわれている。楊貴妃観音像は100年に一度だけ公開する秘仏だったが1955年から一般公開されている。1955年以前は見ることもできなかった秘仏を現在は常時拝むことができるのはうれしいことだ。
(写真は泉湧寺境内の光景)
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泉湧寺境内の光景。
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泉湧寺境内の光景。
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泉湧寺の紅葉。
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泉湧寺境内の光景。
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泉湧寺境内の光景。
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泉湧寺の紅葉。
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泉湧寺境内の光景。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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泉湧寺の紅葉。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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泉湧寺の紅葉。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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泉湧寺の皇室の陵墓。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂境内の光景。
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楊貴妃観音堂の由緒説明。
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楊貴妃観音堂境内の願かけ地蔵。
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泉湧寺の「心照殿」。楊貴妃観音堂に接して建つ宝物館で、泉涌寺、塔頭寺院所蔵の文化財を収蔵・展示している。
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楊貴妃を描いた絵画。
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泉湧寺の中心堂宇である仏殿。1688年、徳川家綱の援助で再建。密教寺院では「本堂」「金堂」と称することが多い。
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舎利殿にまつわる謡曲の由緒説明。
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舎利殿。仏殿に隣接し、仏牙舎利(釈尊の歯)を安置している。
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泉湧寺御殿内。
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泉湧寺の中心堂宇である仏殿。
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舎利殿。
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この旅行記へのコメント (1)
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- 頭の黒いねずみさん 2020/04/19 17:04:02
- 勿体ない
- 泉涌寺付近には天皇陵、皇族の墓が多数あるのに記録されてないとは勿体ない。
泉涌寺からアクセスは3カ所、泉涌寺外横が5カ所。月輪天皇陵にしても管理が宮内庁なので泉涌寺のパンフレットには一切記載されてないので一般に知られていない。先日も令和天皇が泉涌寺に来たのは121代孝明天皇天皇陵を参拝の為。
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