2008/09/13 - 2008/09/21
311位(同エリア348件中)
アルデバランさん
- アルデバランさんTOP
- 旅行記551冊
- クチコミ8件
- Q&A回答7件
- 923,241アクセス
- フォロワー67人
9月15日 午後
<石橋村土楼群>
田螺土楼群を見終わると、リーさんは「さー行くぞ!」と気合を入れる。
「?」と思ったがやがて判明。
登ってきた道を下って戻るかと思いきや
更に山道をどんどん登ってゆく。
舗装されていても山道は結構きつく、バイクはおそらく125CCなんで
「バーッ!」と言う感じには程遠く、どちらかと言うと「エンヤコラ」だ。
だがしかし峠を越えればこちらのものだ。
この間対向車ゼロ。
どの位走ったのだろうか?
道も平坦になりやっと大きな集落に出た。
どうやら書洋の町らしい。
飯はどうする?と聞くのでまだ持ちそうなんで
「曲江で食べよう」と言った。リーさんの頭の中のルートでは、
「曲江」は本日最後に通過する地であった。
でも、リーさんは「まだ大分先だよ」とは一言も言わず
OK、OKと言うことで、次に目指すは梅林地区だ。
一旦バス通りの街道に出てから梅林に向かい、和貴楼を目指す。
PR
-
田螺土楼群から更に山を上っていくと、道の下に2,3の土楼が見えた。
円楼、方楼色々ある。
早速リーさんに立ち寄り指令を出す。 -
まず、道路から下って真っ先にある円楼に行ってみよう。
壁になにやら標語が…
「戦 三、五年、普及大寨県」とある。
何のことやら… -
紙が剥がれて土楼名が分からない…
中にいた人に聞いて見るがチンプンカンプン。
そこで、書いてもらうことに…
なになに、折角書いてくれたけど、これも分からない
リーさん、なんて書いたか翻訳して…
「復昌楼」か。
で、中は… -
倉庫のような土楼の横に立派な碑があった。
1959年立、2001年修とある。
碑を修復したのだろう。やけに新しい。
そ、それにしても、碑の柵内の周りで
牛糞を乾燥させるのはいかがか…
バチがあたりまっせ。 -
こちらは墓石が道路に敷いてある…
「皇清顕考朴直可傳黄公之墓」
いくらなんでもねー。
バチがあたりまっせ。
あまりのことに、影も写してしまいました… -
オバサンたちが天秤棒で何か担いで、山から下りてきた。
袋の中は生姜だった。
持ち上げてみると一袋でも上がらない…
一つ30Kgはありまっせ。2つで60か… -
次行って見よう。
「綿福楼」「福昌楼」か…
なんか似たような名前でこんがらがってきた。
中の造りはごく一般的な3階立ての円楼でした。 -
またバイクに跨って進む。
山道は峠を越えて下りに。
始めて見る大規模な竹林。
リーさんによると、いくらでもあるというが
これまであまり見かけなかった。
山全体が竹に覆われていた。 -
今度は昨夜香港グループから貰った文旦・ザボンのようなデカみかん畑になってきた。
こんな所で栽培していたのか…
リーさんによると「チューズ」とか言っていた。
おっ、また土楼がある。 -
道路から見ると普通の円楼だけど、
あらら、正面にまわって見ると壁が…
モルタルで塗ってしまったんだ。
想像するに以下の何れかか…
?土壁の素材が悪く、ぼろぼろと劣化した
?今となってはとても恥ずかしい文言で壁が埋め尽くされていた -
おー!周りは土楼だらけになってきた。
どうやら書洋の街に近づいたようだ。 -
この土楼は大門が変わっている。
石造りの門が多いけど、こちらは随分開放的だ。
格子状になっており、「護る」というキーワードはどこかへ行ってしまったようだ… -
書洋の街を通り過ぎて、
街道を外れて更に10分ほど進むと
梅林郷璞山村にその土楼はありました。
その名も「和貴楼」
入場料10元
何故か岡田本には紹介されていない。 -
正面から見ると華麗にして雄大。
兎に角でかい!
のけぞるように見上げる5階建て。
今回の旅で沢山の土楼を見たが印象に残る一つだ。
説明板によると沼地に建てたそうだが、地下杭なんて打ってないだろう。
沈下のせいか棟のラインが一寸歪んでおり、
壁にも2ヶ所亀裂が… -
五階から見下ろす。
築年(1732年)の割りに綺麗に保存されており、
庇も完璧だ。
五階は南側が部屋の仕様で、
他の3面は戸境の仕切りが無くて物置になっていた。
大きさの割りに部屋は140しかない。5階は勘定に入れてないのか?
22戸120人しか住んでいなければ仕方ないところか… -
その物置(下)と同じく何やらを祀っている所も
最上階の5階にあった(上)
柱等の材も太くて丈夫そうだ。
建物の構造がよく分かる… -
中庭には一見すると祖堂のようだが、説明書きには「学堂」とある建物が。
学堂と言うから住人の子弟はここで勉強をしたのか、
四合院造りのような平屋の建物が建っている。 -
井戸が内と外にあり、上は中庭にある井戸。
中庭には左右に2つの井戸がある。
敷き詰めた石もなんか歴史を感じる、その一つ。
現役で使用されているようだ。 -
横にまわって見よう。
妻側の屋根はこうなっているんだ。
方楼の場合は正面と奥の屋根が一段高くなっており
それが、切妻屋根のアクセントになっている。
それにしても、見上げるような高さ!
聳え立っている。 -
和貴楼の横にお茶畑があった。
書洋郷から梅林郷までの間に茶店が何軒かあり、
この辺りも茶の産地か。
触ってみると枝の弾力が日本のお茶と段違いだ。
こちらの方が野生的で硬い。
まるで針金のようだ。 -
和貴楼の近くの「翠美楼」
綺麗な名前だけに、外観はなかなか小奇麗にまとまっている。
1931年製だからそんなに古くはない。綺麗なはずだ。
大門の真上、4階の窓が大きく、
その下の梁というか根太が壁を突き破っている。
何のためだろう。
そして、大きな星一つ… -
翠美楼の中に入ってみた。
驚き!何がって、部屋が歯抜け状態…
建物の構造がよくわかっていいが、
一体どうしたのだろう
梁は壁側は版築で固めた壁に置かれ、
反対の内側は柱や桁で受けているのがよく分かる。
ここも、柱が一寸歪んでるねー。
136部屋もあると説明書きにはあったが… -
更に、隣接の進士楼も見てみることに…
あれ?円楼と方楼の違いだけで翠美楼にそっくりだ。
大きな窓と飛び出た梁、そして大きな星一つ…
そして、こちらは門の外側に半円形の池がある。 -
で、中を見てみると内側も翠美楼に似ている。
どうなってるんだろう… 説明書きを見ると
進士楼は昔は「徳和楼」と言ったそうで、
石が無い為に壁の腰の部分に打石脚をしなかった為、
洪水で壊れてしまったそうだ。
1931年に簡協邦、簡放林の2名が修復したそうだ。
1931年といえば、翠美楼の竣工年だ。似ているはずだ。 -
進士楼の窓飾り。
洒落てる…
さすが、進士を出して楼名も変えるだけある。
同じ客家でも太平天国の洪秀全は何度も科挙の試験に挑戦したけど郷試にも受からなかったというではないか… -
和貴楼のあとは更に道を進み、梅林郷坎下村に向かう。
途中の道沿いにあった、土楼。
さすが通りだけに牙科の診療所があるようだ。 -
その坎下村の入口にある看板。
なになに…
536戸2186人
主要産業はやはり…
お茶か!
円楼、方楼が26座、その他の土楼が265座もある。
その中でも懐遠楼が保存状態もよく
一番おススメの土楼のようだ。
双環形円楼という事は二重楼か… -
さあ、懐遠楼に着きました。
ここはアプローチが広場のようになっており
大型バスでも何でも来いという積極姿勢…
しっかり料金所がある…10元。
大門の化粧と基墻の石の大きさ、高さが目立つ。
4つの赤い四角にはなにやら彫ってるが…
「福・禄・寿・全」と彫られているそうで、
楼の人が我輩のメモ帳に親切に書いて教えてくれた。 -
直径38mというので中規模の綺麗な円楼だ。
懐遠楼も和貴楼と同じ簡氏が住んでいるそうで、
18戸115人が暮らしているということだ。
門庁をはじめ、人が多くいて随分と活気があった。 -
門を入ってレンガ造りの壁に沿って行くと
立派な祖堂に突き当たる。
斯是室という額がかかった堂は精緻な彫り物が施され一見の価値がある。 -
1909年というからちょうど築100年だ。
造りもしっかりしており各戸の戸にはめでたい字を書いた赤い紙が貼られている。
4階から外を見ると田んぼの中に土楼が見える。
後で行ってみよっと。 -
懐遠楼を出て、
次に行きたそうなリーさんを引きとめ…
たしか、こっちの方だったが…
あった、あった。
先程4階から見えた、方楼だ。
名前は…
鐘興楼。 -
で、中はお婆さんばかりで話は全く通じず…
やはり簡さんが住んでいるそうで
築80年だそうだ…
何人住んでるのとか聞いてもチンプンカンプン -
一方こちらは見てのとおり。
福源楼
ごく普通の方楼でんな -
坎下村を出て、山道にさしかかった。
まわりはお茶畑が多くなってきた。
はるか向こうに懐遠楼の坎下村が見える -
山を登ってゆくとありました。
円楼が、でも…
なんていう名の円楼なのか。
楼名の上に「毛主席万歳」を塗っていかんがな〜
一方こちらはもっとヒドイ。
これじゃ「反帝楼」じゃん。
で、聞いてみたら上は芋寧楼(イーリンロー)
下は和勝楼とメモ帳に書いてくれた。 -
では和勝楼を見せてもらいましょ。
「え!見るの?」と言いつつ開けて見せてもらいましたが
廃墟に近い状態で当然「無人」だそうでした。 -
ちなみにこちらは普通の土楼の住宅だが、
版築で土を突き固めて壁を造るのではなく
レンガを積み重ねている。
しかし、下の廊の板壁の雑さ加減
いい味だしてるねー! -
こちらは保和楼
4階部分に東西南北4箇所にベランダが架かっており、
よく見ると檻のように軒まで格子が施されている。
何の為にあるのだろう? -
すでに3時30分をまわっている。
さあ、次、行ってみよう!
ということでリーさんは近道して時間短縮を図るが、し、尻が…
路肩の土は土楼の土と同じだ。 -
で、着いたのは石橋村。
通りはちょっとした高台にあり、下のほうに川が流れている。
最初の土楼は「順裕楼」
この土楼はでかい!
とにかくでかい! -
その順裕楼の大門の左右の石に刻まれたユーモラスな獅子。
-
中はというと…
でか過ぎて、広すぎて
草がぼうぼう生えて小さな小屋が点々。
360も部屋が有り、72戸330人が住んでいるそうな…
これでほんとに330人も居るのかねー…
けっこう部屋、歯抜けになってまっせ
メモしてもらった字が12家に見えたので12戸で330人!と言ったら「お前はアホか!」と言うような顔をされた… -
順裕楼の門庁にあった先鋒榜(シンプンパン)
ここは張さんが住んでんだ…
遥か清華大学に学んでいる人も居る
それにしても曲江中学の張クンの三好とは何と何と何なのだろう? -
こちらは順裕楼と並んで有名な長源楼。
方楼だけど川側が1階建てで山側が3階建てで
川に面して開かれている。 -
長源楼の隣は同じような方楼だがに川側が2階建て。
-
道から下に下りて行き、長源楼の横を通って、川を渡ると円楼が2つ並んである。
文興楼と永康楼だ。
永康楼は内側の1階の壁は綺麗にタイル張りが施され、
中庭の建物もコンクリ造りの建物が建っていた。
他にも方楼がいくつかあったけど既に4時をまわっており諦めてりーさんが待つ道まで引き返すことに。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
アルデバランさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
47