2008/09/13 - 2008/09/21
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アルデバランさん
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<見晴台から田螺土楼群を見る>
9月15日 昼
塔下村を後に更に川に沿った道を遡る。両側の山は頂上付近まで
全てお茶畑だ。かなり山深いが日本のような、針葉樹、広葉樹の人工林は全くと言ってよいほど見かけない。
谷間の一本道と川沿いには集落があり、土楼も見かけるがそのときの気分で停まって中を見たり、素通りしたり。
この近辺では有名な東倒西歪の「裕昌楼」と下坂村土楼群を散策する。
裕昌楼だけは有料で10元シッカリ徴収する。
そのほかの土楼はパラパラと散在するが、観光用には整備されておらずごく普通に住民が生活しており、
見学と言っても土楼の中にずかずかと入るのは躊躇われるので、遠慮がちに「スイマセン、いい土楼ですね。ちょっと見せてください…」
と言ってスマイル作戦で臨む。
下坂村を一巡の後、更に道をさかのぼる。
道路状況は舗装されているが街道から外れているため車、バイクの行き来は皆無だ。
そして山の彼方を見上げると、田螺土楼群(5棟だけど)が一面棚田の中に現れる。
大分手前の街道沿いに料金所が設けられており、
そこから、自動車は入れない。だがしかしバイクはOKだ。
5棟の田螺土楼に着いてみて判った。
山の中腹に位置しており駐車場が無いので、自動車は街道脇に駐車せざるを得ないのだ。
そしてもう一つ判ったことは、バイクで来る観光客はあまりおらず、自動車が主流だ。
歩く人を尻目に、
「何でこんな不便な場所に土楼を建てたんだ!」なんてことは微塵も思わずバイクでスイスイと進む。
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塔下村は雰囲気が良かった。
その一番奥、円楼の裕徳楼の隣にある、
脇の増築部分が印象的な振源楼にお別れして
さらに奥へと進む。 -
塔下村を過ぎると両側の山は一面の茶畑に。
整然とした日本の茶畑とはちょっと様子が違う。
その茶畑の中に思い出したようにお墓がある… -
おっ!また廟が…
こちらも誰かさんの祖先を祀っているのか?
石旗杆の数は負けてまっせ… -
川向こうにまた、土楼が見え出した。
これは翻身楼とある。
傷みが酷く無人っぽい
壁には世界人民大団結萬歳、偉大的中国共産党萬歳
とある。 -
やはり川向こうに重慶楼。壁には分かりにくいが毛語録が…
いずれも小型の方楼だ。 -
そして着いたのが、本日のハイライトの一つ。
裕昌楼。
なんせ、名前どおり他と違い有償だ(字が違うけど)…。10元也
日本から来たと言うと、入場料負けてはくれなかったけど、ちょっと説明してくれた。
21戸、123人の劉さんが住んでいるそうで…
なんや、説明版に書いてあるんけ。 -
なにが凄いかって、柱が右に左に傾いている。
これが、全部右に傾いていれば相当ヤバイが、
微妙にバランスがとれていて、
ちょっと演出なんじゃない?
なんて思うのはへそ曲がりか…
円楼で5階建はけっこう珍しいらしい。
それだけ技量がいるってことか… -
右に左に揃って柱が傾いて、
そのリズム感がなんとも言えない… -
上の階は廊下の床板、欄干も無い。
でも不思議とあるべき物が無いだけで
ボロボロの老朽化と言う感じはしない。
特に大門を入って左手の4、5階は柱と梁というか根太しかなくて構造を理解するにはもってこいの所だ。 -
入って右手のほうは5階までまともに部屋がある。
登ってみると天井が無いので小屋組みが丸見え。
小屋束も貫きもシッカリしている。
垂木の上に瓦を直に葺いているのはどこも同じだ。 -
1階の各部屋には井戸があり、水は美味いよ、と自慢していた。
いままでの、土楼は中庭に井戸があるのが一般的だったのだが、ここは部屋の中にある。 -
中庭をぐるっと土産物屋、お茶屋等の店舗が出ている。
途中、道理で茶畑ばかりだ。
お茶を飲んでみるとこれが美味い。
鉄観音茶だ。
我が家から持ってきた緑茶を飲んでもらったが
うまくないと言う。
淹れ方もあるがどうも分が悪い…
完敗だ。 -
勝負に負けたので500gほど購入。
いろんなグレードがあったが、折角なので150元の物にした。
買ったお茶は真空パックにしてくれた。 -
裕昌楼のすぐ後ろにあった、この円楼。
正面大門の上にでっかい「中国の赤い星」が燦然と輝く(チョット赤が色褪せてるが…)
中は3,4階の庇が所々無かったりするが、ごく普通の円楼だ。
3階のパラボラは衛星放送見てるのかな?
中庭の内円部の建物は水場になっておりタイルが施されている。 -
このあたりの竹。篠竹よりは太くて、
孟宗ほどスマートではない。
稈が厚くて根性有りそうな竹だ。 -
裕昌楼は村からチョット外れたところに有る。
さらに遡って下坂村方面に行くと、田んぼの真ん中に土楼の倉庫のようなものが…
構造は柱が入っているのか、土レンガだけで建ててるのか?
どのような使い方をするのか?
興味あったが通りすぎてしまった。ちょっと、悔いが残る… -
川沿いに方楼がいくつかまとまって建っている。
どの方楼も入口に「毛主席万歳」の文字が掲げられている。
まさか、未だに主席は毛沢東と信じられているわけじゃないよね…
一説によると文化大革命の破壊行為から免れるために、このように表明したとか… -
また、倉庫?
上のほう土壁でなくレンガを積み上げていると言うことは
下の方もレンガ造りの外側に土を塗っているのか?
そうなると正確には土楼ではなくなるが…
内部は土楼と同じように軸組みの木造なのか不明。 -
上の土楼は鍵がかかっており、わざわざ開けて見せて貰ったが、
中は廃墟と言うよりすさまじい状態であった…
下の土楼は門が閉まっていたが、人は住んでいるとのことだった。
中を見るとコレで住んでるのというような感じの荒れようだった。
案内してくれたオバちゃんは文化大革命で破壊されたと言うような
主旨のことをはき捨てるように言ったのが印象的… -
これが下坂村から塔下村の方まで流れる川。
綺麗な石橋がかかる。
雰囲気は田舎のノンビリした川辺と言う感じで
塔下村は街並みが整備され建物も小奇麗になっていたが、こちらは土楼が有るごく普通の村。 -
やっと、村の中心部までやってきた。
土楼群の表示もあるし、
住宅の間から円楼が見え隠れしている。
今までの方楼は序章に過ぎなかったようだ。
「下坂村」と思っていたが、裕昌楼近くの表示板は「下版村」になっている。 -
このあたりはどこも円楼の外側に豚小屋を備えている。
ただし、最近は飼料高なのか儲からないのか、世話する人がいなくなったのか空き家が多い。おっ!ここは、居ました。
子沢山ですなー… 15匹は居るねー
右の赤ん坊は愛嬌です。 -
まずは東進楼。紙がめくれて見えないがな…
内部はごく普通の円楼だ。 -
さて、お次は…
永安楼。大きさではさっきの東進楼より大きくて勝っているけど
中庭が負けてまっせ…
向こうは石畳で綺麗になっているが、こちらは地面むき出しで
薪とか積み上げており、草も生えている。
建物も古いのかちょっとガタが… -
これはいわずと知れた屋外にあるトイレ。
足を踏み外さないようにしなくっちゃ。 -
永興楼。先程の豚小屋の横から大門の人々を撮る。
いろいろ見ている間にリーさんは先回りして
こんな所で壁に寄りかかって、一眠りしていた。 -
こちらも豚小屋。
上に何かの建物が乗っかっている… -
大門が横にずれている事もあり、屋根が入母屋風でちょっと形が変わっている。
もしかして右1/3は増築?
珍しいのか女の子が付いて来たので楼名を聞くが、「分からない」と言う。
下の土楼はうっすらと福興楼とある。 -
3つ目はオッサンが「馨遠楼」と言っていた。
オッサンは中に引っ込んだあとも女の子は付いて来るのでポケットの中にあったガム「オトコ香る」をあげた。
知らないオジサンが物をくれると言っても、もらっちゃダメだよ… -
下坂村での最後の土楼。
楼名も分からず、人も見えない…
中庭は草が伸び放題で一見、無人のような荒れようだけれど、
中を覗いてみると、3階には洗濯物が干してある。
1家族しかいないが為に、手入れが出来ない状態と見受けられた。 -
下坂村を更に遡ると、行く手に棚田が見え、
そのはるか上に土楼が…
あれが世に名高い田螺土楼群か…
道の脇に駐車ポイントがあったので停まって、撮影タイム。
この画では分かりにくいが、右下に廟のような建物も見える。
田螺土楼の祖先を祀っているのか?
でも、石旗杆が建っていないという事は、ここからは科挙合格者は出なかったのか… -
そして更に道を登ってゆくと、車が沢山路肩に停まっており料金所があった。20元也。
車は路肩に停めているだけなのに、駐車料も取るようだ。
ここの料金所も、れいにもれずやたらと人が多い。
一体スタッフは何処までなのだろう?
エラそうにしている制服組は車整理の警官か? -
料金所遠景
バイクまで駐車料2元取るのか…
でも、土楼まで乗っていけるようだ。
黄色いのは土楼まで往復している電気自動車で、
多分10元やそこら取るのだろう…
停まっているバイクは、車から降りた人を乗せて行く営業用のバイク。 -
運転手のリーさんは「ゆっくり見てね」など言いながらどこかへ行ってしまった…
一番近くの「振昌楼」から見ることにする。 -
振昌楼の3階から見下ろしてみた。
1930年の竣工だから、さすがにまだしっかりしている。
「門と堂が同一直線上にない」と説明書があり
それは見れば分かるが、このことが風水文化の「富不露白」を意味している、とあるがこれがよく分からない… -
その堂では土産物屋さんが営業してた…
刀をバケツに入れとくのは止めなはれ…
壁には赤紙で「新婚云々」とあり人の名前が
書き入れられている…
最近誰か結婚したのだろうか… -
振昌楼は外れにあるので見晴らしが良い。
下のほうを見下ろすと棚田の向こうに
土楼が見える。
先程の下坂土楼群の端っこだろうか? -
こちらは、振昌楼の隣の文昌楼。
1966年製だから我輩よりも若い…
大門向かって左側に梁を軒のように随分出しており
何の為なのか? -
で、中に入って初めて認識したが、円形ではなく
楕円形の土楼だ。
庭の形が円形でないのは写真の腕が悪いのではなく
楕円だからだが、
分かりにくいのはやはり写真の腕が悪いのか… -
ここは3階にも天井を設けて、その上を屋根裏として物置にしているようだ。
-
田螺土楼群は1座の方楼を4座の円楼が囲む
5座が目立つがその間にはこのような土楼もある。
名付けて従業員宿舎… -
ビジターセンターもあった。
古びた土産物が寂しげにチョロチョロ置いてある。
土楼の中の土産物店の方がはるかに店舗の体をなしていた。
あまり訪れる人はいないのか入ると、
お茶飲んでけと大歓迎された。
味はゴメン。先程の裕昌楼の方が美味かった… -
瑞雲楼の前の石垣に菜っ葉と柿が干してあった。
干し柿って乾燥した寒気で出来るんじゃなかったっけ?
今日は相当蒸し暑いでっせ。
熱湯につけてもいっぺんにカビが出そうなんだけど、
なんか秘訣でもあるのか… -
では中に入ってみましょう。
門庁にはここでも定番の農具、碓(踏みうす)
とお喋り用の長いすがある。
昼飯時とはいえこんな所で飯を食べている
行儀の悪い人も居る。
こちらではこれが普通か… -
おっ、屋根越しに隣の土楼が顔を覗かせている。
えーと、隣の土楼だから和昌楼かな? -
5棟の土楼の真ん中に位置する唯一の方楼、歩雲楼だ。
門庁にある説明板の記述が他より多い。
「1936年に匪賊により燃やされたらしい」
土楼っちゅうのは外部から防御する為の措置だったはずなのに…
また、「天井自外向内分三級台界 取平歩青雲之意」とある。なんのこっちゃ?
ほとんどの説明板で「天井」の記述があるが、これは中庭のことのようだ。
入って突き当たりの祖堂がある棟が3段ほど高くなっている。
2階、3階もその分高くなっている。
どうもこの事を言っているらしいが、青雲とどう関係するのか… -
ちょっと部屋見せて…
-
田螺土楼群5棟目は和昌楼。
大門の説明によると…
1354年(元末明初…どっちだ?)に建てられた時は
方楼だったけど、20世紀30年代に戦争で壊されてしまったそうだ。
で、1953年にその後に現在の円楼を建てたとある。
えっ!1953年。我輩と… -
5つも土楼を立て続けに見て疲れたと思っていたら、
顔をみて分かるのか?
「休んでお茶を飲んでいきんさい」という事で
和昌楼の黄サンにお茶に呼ばれました…
この辺りの人は皆、黄さんと言うらしいです… -
街道まで戻って上にある展望台まで行ってみた。
柵がしてあり係の人に先程の20元のチケットを見せると展望台に入れる。
込みの値段なんだ…
「四菜一湯」と言われる田螺土楼群。
でも一人旅では、5品はちょっと贅沢すぎる…
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