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津軽の旧金木町出身の作家、太宰治が高校時代に下宿した旧藤田家住宅。太宰の文筆活動に影響を与えた家であるとともに、大正時代に新しく生まれた住宅様式を残す遺構として移築され公開されていました。<br />2階に3年間下宿して官立弘前高等学校へ通っていたそうですが、太宰の住んでいた部屋が当時の状態に復元されています。

太宰治まなびの家~旧藤田家住宅~

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2008/05/10 - 2008/05/10

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旅行記グループ 青森旅行記

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

津軽の旧金木町出身の作家、太宰治が高校時代に下宿した旧藤田家住宅。太宰の文筆活動に影響を与えた家であるとともに、大正時代に新しく生まれた住宅様式を残す遺構として移築され公開されていました。
2階に3年間下宿して官立弘前高等学校へ通っていたそうですが、太宰の住んでいた部屋が当時の状態に復元されています。

交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 近頃、古い民家が解体されていく中で、旧藤田家住宅は<br />大正時代の特徴ある平面を残している数少ない建造物です。

    近頃、古い民家が解体されていく中で、旧藤田家住宅は
    大正時代の特徴ある平面を残している数少ない建造物です。

  • この建物は、藤田豊三郎氏の住居として大正10年に建築されました。<br />建築の際には新しい材木によらず、元碇ヶ関村長の家を移築したと伝えられています。<br />

    この建物は、藤田豊三郎氏の住居として大正10年に建築されました。
    建築の際には新しい材木によらず、元碇ヶ関村長の家を移築したと伝えられています。

  • 玄関を入ると通り土間が続きます。

    玄関を入ると通り土間が続きます。

  • 旧藤田家住宅には、同家の遠縁に当たる金木町の大地主津島源右衛門の六男修治が、官立弘前高等学校在学期間中の昭和2年から昭和5年までの満3年間下宿していました。

    旧藤田家住宅には、同家の遠縁に当たる金木町の大地主津島源右衛門の六男修治が、官立弘前高等学校在学期間中の昭和2年から昭和5年までの満3年間下宿していました。

  • 修治は病弱を理由に学校の寮には入らず、藤田家から通<br />学していました。この津島修治が後に小説家「太宰治」となります。

    修治は病弱を理由に学校の寮には入らず、藤田家から通
    学していました。この津島修治が後に小説家「太宰治」となります。

  • 土間と台所意外は8部屋ともすべて畳敷きの和室となっています。

    土間と台所意外は8部屋ともすべて畳敷きの和室となっています。

  • この家の建てられた大正時代から昭和の初めの頃までは日本の住宅史上一大変革期とも言われ、この建物は「中廊下型平面」と言われる新しい様式で建てられています。

    この家の建てられた大正時代から昭和の初めの頃までは日本の住宅史上一大変革期とも言われ、この建物は「中廊下型平面」と言われる新しい様式で建てられています。

  • それまでの住宅は、建物外周の縁側と、次の間などが動線となっていました。

    それまでの住宅は、建物外周の縁側と、次の間などが動線となっていました。

  • 大正デモクラシーといわれる時期に「居間」及び「個室」が現れ、台所は「座式」から「立ち働き式」に変化し、そして「中廊下型平面」、「居間中心型平面」が成立し、定着していきました。

    大正デモクラシーといわれる時期に「居間」及び「個室」が現れ、台所は「座式」から「立ち働き式」に変化し、そして「中廊下型平面」、「居間中心型平面」が成立し、定着していきました。

  • 藤田家の「中廊下型平面」は、玄関に続く通り土間が建物を分断し、土間を挟んで北側に台所や浴室、女中部屋などのサービス部分を、南側には居間や寝室、客間などを配列する平面の形式をとっていて、現在でも日本住宅の主要な平面となっています。

    藤田家の「中廊下型平面」は、玄関に続く通り土間が建物を分断し、土間を挟んで北側に台所や浴室、女中部屋などのサービス部分を、南側には居間や寝室、客間などを配列する平面の形式をとっていて、現在でも日本住宅の主要な平面となっています。

  • 2階は一部乗っているだけでいたるところに吹き抜けが取られています。

    2階は一部乗っているだけでいたるところに吹き抜けが取られています。

  • 通り土間の上もこんな感じで吹き抜けになっています。

    通り土間の上もこんな感じで吹き抜けになっています。

  • 太宰が居室として使っていた部屋は2階にあります。

    太宰が居室として使っていた部屋は2階にあります。

  • 太宰の居室だった部屋は2階奧の押入・縁側・出窓が付いた6畳間で、当時の面影をよく伝えています。実際に使用した机、茶だんすなどもあり、彼がそこで生活していたという雰囲気を、そのまま感じることができます。<br /> 

    太宰の居室だった部屋は2階奧の押入・縁側・出窓が付いた6畳間で、当時の面影をよく伝えています。実際に使用した机、茶だんすなどもあり、彼がそこで生活していたという雰囲気を、そのまま感じることができます。
     

  • 襖一枚隔てた隣は、中学生だった藤田家の長男本太郎氏の部屋で、太宰からは小説を読んで聞かせてもらったり、チェスを楽しんだりと、親交を結んでいたそうです。本太郎氏は写真が趣味で、太宰の当時の生活を記録したものが残されていました。<br />

    襖一枚隔てた隣は、中学生だった藤田家の長男本太郎氏の部屋で、太宰からは小説を読んで聞かせてもらったり、チェスを楽しんだりと、親交を結んでいたそうです。本太郎氏は写真が趣味で、太宰の当時の生活を記録したものが残されていました。

  • すぐそばの弘前大学内に官立弘前高等学校の在校生名簿記念碑があり、第7期 昭和2年の入学者の中にちゃんと津島修治の名前が刻まれているそうです。<br />小説家太宰治の原点はここにあったのですね。

    すぐそばの弘前大学内に官立弘前高等学校の在校生名簿記念碑があり、第7期 昭和2年の入学者の中にちゃんと津島修治の名前が刻まれているそうです。
    小説家太宰治の原点はここにあったのですね。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • ateruiさん 2008/05/23 22:48:28
    ぬいぬいさん初めまして
    日本家屋はいいですね!
    特に今のプレハブになる前の、大工さんの細やかな技術を用いた木造建築物は素晴らしいですねぇ〜!
     私は廃屋を安く譲ってもらって少し少し直しながら暮らしていこうと考えていたんですがぁ、そのころ上手い具合にというかしょうがなくというか、街中に土地が手に入ったので小さな家を建てる羽目になりその後20年経ちましたぁ!ローンが大変ですぅ。
     このような家に暮らせたらいなぁって本当に心から思ったんですぅ!
    北京もどんどん昔ながらの煉瓦の家が壊されてビルになって行く様を連想しちゃいましたぁ!
     なんかいろんなこと思っちゃって済みませんでしたぁ!!
    また旅行記見に来ます!ありがとうございましたぁ!!

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2008/05/26 09:30:11
    こんにちは
    書込みありがとうございます。

    日本家屋確かにいいですね。
    古い建物が大好きで、特に京都や奈良の町家いいですね。

    私の生まれた実家も日光例幣史街道という古い街道沿いにあって、築100年以上たっている古い商家に生まれ育ったこともあり、古い家に入ると何故かデジャ・ビュを感じてしまったりして、無性に懐かしくほっとする気がしたりしてなじんでしまいます。
    でも、そんな実家の家も子供の頃に取り壊されてしまいました。

    こんな古い味わいある住宅はできるものならずっと保存してもらいたいものですね。

    aterui

    ateruiさん からの返信 2008/05/26 21:33:52
    RE: ぬいぬいさん初めまして
    ぬいぬいさんこんばんは

    日光例幣史街道の蕎麦屋さんよったことあります。仕事で何度か鹿沼方面に行ったときによりましたぁ。昔からの木造家屋にお住まいだったんですねぇ!素晴らしいことですね。今はもうないとのことお見舞い申し上げます。

    時々お邪魔しますのでよろしくどうぞ!!

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