トンブクトゥ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 トンブクトゥは役者が揃っている。大物級の役者だ。日本でいうところの誰だろう、渡辺健とか真田広之?この砂漠の町を舞台に、この町の人々が役者で映画を取れたら、どんないい映画が取れるだろう。この小さい町で、登場した瞬間、見る者の心をぐっとつかむ、魅了する、軽く興奮する人物に2人も出くわした。生きた活劇がここにはある。彼らを見るだけでも(見世物じゃないけど)、来た価値があると言える。<br /><br /> 睡眠不足だけれど、気持ちの高ぶりで元気だった。8時に、パパを探した。パパの部屋の扉が開いて、もうちょっと準備に時間がかかるから、待っててと言われる。昨日の気まずい空気もあったし、デートに誘ったわけじゃないと示したかったので、先に全額渡してしまった。車が、走り出して10分もしないうちに砂漠に止まった。これなら歩ける距離だ。MOPTIでアボさんに聞いたら、TOMBOUCTOUから砂漠までは20kmくらいはあるだろうといっていた。出鱈目だった。パパも土地の人で無いから、砂漠の奥へ行く車道を知らないらしい。「えーこんなちょっと。もっと走ってよ」と言うと、タイヤが砂に飲まれて車がもう先に行けなくなる。でも、ま、砂漠は砂漠だ。車を降りると、町を背に180度砂漠が広がっていた。白い砂の上に、風が作った波紋が続く。遠くに砂丘を見る。自然が作る形というのは、なんて美しいんだろうと感動した。均等の取れた美しさではなく、不完全な完全さ?砂の大地に、風が強く吹き付け砂を持ち上げ、一方で風向きが変わって砂の山を削り取り、砂丘には力強さが宿っていた。人の目に触れることもなく、何億年とここでは同じことが繰り返されている。生が立ち入れない領域。来る途中本当に骨だけになった動物の死体を数体見て、「あ、本当なんだ」と妙に納得した。低い草が辛うじてまばらに生えていた。緩衝地帯と呼ぶのだろうか。もっと行けば、緑を見ることのない死の世界が広がるのだろう。そこでは明らかに、私は生きてゆかれない。<br /> しばらく、歩いているとパパが「これ以上行くのは、貴方にとって良くない」と言い出す。「え?私は全然気にしないけど」と言うと「トイレ行きたい」「お腹がすいた」とパパは言った。「おーもっとゆっくりしてきて良かったのに、飯も食ってから来れば良かったーと」後悔した。「6000CFA(約1200円)って言ったら、いいお金よ?もうちょっと、働いてよ」と思ったけれど、マリの人には砂漠など珍しいものではなく、何が楽しいのか分からないのだろう。当然だ。パパが「車で待っている」と言うので「30分頂戴」と言うと<br />「長い」<br />「20分」<br />「長い」<br />「10分」<br />「OK」<br />とほほと思いながら、まぁ適当に20分くらい大丈夫だろうと、一人で歩き出した。少し歩くと、不安になって後ろを振り向いた。車はもう見えない。目印になるものが無いと、戻れないとはっとした。私の来た方角に、砂漠の民の人達が3人歩いて砂丘の上に腰を掛けた。凄く遠くだったけれど、彼らは私のためにそこに腰掛、私を見守ってくれている気がした。それから、来た瞬間見惚れた砂丘に向かって歩いた。時々振り返るとやはり、砂漠の民の人が見ていてくれている気がする。言葉の無い優しい会話。砂丘を駆け上る。駆け上らないと、足がとられて、前に進めない。そしてまた、変わらぬ砂の世界が前に広がり続けた。満たされた。私は、こうやって心と体全部をかけて感じていくこと一生続けていくのだと思う。<br /> 車に戻ると、パパが「メシ食いに行こうぜ」と、車を出す。町中心部2階の、カフェ風食堂は大繁盛だった。カウンターに腰掛、「何食う?」というので、他の客が食べている肉炒めを指差した。肉炒めとフランスパンは直ぐに来た。待ちきれないパパが、食べて言いかと聞くから食べていいよと言う。マリ各地何処へ行っても、フランスパンが上手い。パパの肉炒めとオムレツと大量のフランスパンが来た。朝からこんなに食うの?ってくらいの量だ。「美味い?」って聞いてくるから、「アカディ」と応えると、「そうだろう」とフランスパンを頬張ったまま大きく頷いた。「んー、彼はドライバーで普通のマリ男児であり、他の仕事はしたくないよね」と、もりもり食べる彼を見ながら思った。甘いカフェオレも美味しかった。<br /> ホテルに戻ると、約束通りガイドのサナさんが居てくれた。大きな体に、ターバンをなびかせ、颯爽と歩み寄ってくる姿に心を打たれた。「こんにちは、ミノリさん」と腰をかがめて(私がチビだから)日本語で挨拶。目が優しい。彼が私の言う大物役者の一人。ガイドって必要以上会いたくなかったけど、会えて喜んでいる自分にビックリ。身のこなしから、一発で信用した。MOPTIで帰り道を確保しておきたかったので、アボさんが紹介してくれた人だ。今日の夕方に一便、MOPTIに向かう車があるという。いい車なので、5,6時間のドライブで10時前にはMOPTI着と言う。もしくは、早朝5時発。もう砂漠もみたし、今日中にMOPTI戻っていれば、もしかしたらジュンネの月曜市もドゴンカントリーも見られて、世界遺産と言われる観光地は全て回れるかもしれない。夕方の車に乗ることをお願いした。私たちが木陰のベンチに座り、話している横で、昨夜のモハメドも腰をかけていた。サナさんは、他の観光客とホテル内で会うと言い、私はこの辺をうろついていると応える。小さな町だ、何時でも直ぐに会える。モハメドが紙切れに書いた住所を渡してくれた。私も、手帳の一部を破き彼に電話番号とe-mailを渡す。<br />「昨日上りたがっていた屋上に行かない?」<br />と言われて、彼の後に続く。上りきると、町が見渡せる高台のようだった。何処に行っても、一度高いとこに上るのはいい。地理が頭に入る。朝パパに連れて行ってもらった砂漠とこのホテルは逆方向にあると思っていたが、ホテルの裏手に広がる砂漠と一つなぎになっていて町の半分以上は砂漠に面しているようだ。モハメドが、「あそこが僕の住む村、その向こうに小さい川がある」と、砂漠の中にある集落を指差した。「え?ここの従業員で、ここに住んでいるんじゃないの?」と聞くと、そうではないらしい。音楽演奏の仕事の声が掛かるのを、いつもホテルで待っているだけのようだ。TOMBOUCTOUには有名なモスクなど、他に見どころもあるようだがあまり興味が出なかった。暑いし。過去の建造物を愛でるより、今もなお生きている景色やトワレの民の生活の方が断然魅力的だ。「モハメドの家に遊びに行ってもいい?川も見たい」と聞くと「いいよ、じゃあ行こうか」と言ってくれた。「ヘイ!」と声がして振り向くと、町に入る前に出会ったアメリカ人のバックパッカーが屋上に顔を出した。「昨日も、ちょっと探したんだけど会えなくて、今日はさっきたまたまラジオ局から君の姿確認できて追いかけてきたんだ!」と早口で言った。(だから多分こういう意味だったと思う)彼の名前はジャスティン、シカゴのラジオ局でDJをしていて、休暇で西アフリカを旅しているらしい。セネガルから入ったという。セネガルで大金をガイドに盗まれた話っぽいことを話している。流石DJお話好きらしい。今日どうするの?って話をしていて、彼は3時ごろからラクダに乗るたびに出るらしい。私はもう、村に行くって言っちゃったし(行きたいし)後でお昼に一緒に御飯でも食べながら、ゆっくり話そうということになった。<br /> フランス人とお話しているサナさんに、「モハメドの家行ってきまーす」と告げて、砂漠を歩いた。スニーカに砂が入って仕方ないから、ビーサンに履き替えた。モハメドの家は村の入り口に近いテントだった。中は軽く12畳くらいの広さはあった。おじいちゃんが、砂漠化防止の植林作業を終えて一休みしている。バックパックを中に置いて、茣蓙の上で休む。日はいよいよ高くなっていた。家主と思しき人物が現れ、サングラスを取る。モハメドが私を紹介する。ここでも、バンバラで意思疎通を図る。お茶を入れている最中なので、作法を教えてもらうことにした。「セコムサ(このように)」と言いながら、お湯が煮立って砂糖を入れたところから始める。初めはショットグラスに数回高い場所からお茶を注ぐ、うまく行かず溢す。そして、味見をするよう指示され、OKだったら今度は大きいグラスに注ぐ。これも、3度繰り返した。出来上がったらお客様用に、ショットグラスに注ぐ。泡が立った、甘いお茶の出来上がりだ。葉っぱも中国産の緑茶を使っている。おじいちゃんが座っているところが少し離れていたので、そこまで行き膝をついてお茶を渡した。何やら場が沸く。どうも、私がした行いはとても礼儀正しいと褒めているようだった。みんなが私の淹れたお茶を美味しいと飲んでくれた。心が通じ合っている気がして嬉しい。私はすっかりTOMBOUCTOUが気に入ってしまった。<br /> モハメドが「さぁ行こう」と言うので、外に出た。川では主婦が洗濯している。3人ぐるみで、大きなタオルの端を持ってばしゃんばしゃんやっている。その横で、歓声を上げて水遊びをする子供たちがいる。超、楽しそうだ。泥水に、走って飛び込んで、潜って浮き上がって暴れていた。写真を撮りたいと思ったけど、人にカメラを向けられない。折角持ってきたデジカメもあまり使うシーンが無かった。彼らが遊んでいる横の砂地に腰を下ろした。あー私も水浴びしたいと思う。子供と一緒に裸になって、入ってしまおうかと迷いだす。裸じゃなくても、タンクトップとパンツならOKなのでは?パスポートの入った安全ベルトは、モハメドに託して…なんて話していると、モハメドに真剣な顔で「そんなこと、絶対止めて」と止められるのだった。病気になるって理由だけど、見っとも無いからだろうな。砂漠をモハメドと一緒に歩く。何気ない会話、たまに彼も分かってなくて分かったフリをすることが分かりちゃんと、しっかり確認することを覚えた。モハメドは「何故今日帰るのだ、もう少し居て欲しい」「また、来るって約束して欲しい」そんな話ばかりをする。約束は出来ない。ふと、またこんな遠くまで来られるだろうか、と考える。今、私は砂漠の南の終点といわれる場所に居るけれど、日本から来た私にとっては地球の果てともいえる場所なのだ。旅を続けていると、何かを見るために旅行していたのが、だんだん出会った好きな誰かにもう一度会いに行くためになっていく予感がしていた。だから、戻ってくるって約束も出来ないけど、戻ってこないとも言わないのだ。<br /> 窪地に水がたまっているところを見せてもらった。看板が立っていて、日除けになるのでその下にねっころがった。空が青かった。雲ひとつ無い、水色。風が強く吹き付けて、砂が目や口の中に入った。砂漠に風って過酷な組み合わせだ。砂漠で仰向けは、そんなにいいものではなく起き上がった。窪地の周りに、か弱そうな苗木が植えられ風に震えていた。まだ、植えたばかりの若い苗木だ。育たないから、また植えたのだろうか。何も植林は今に始まった話でもなかろう。ずっとご機嫌のモハメドに「あそこに見える建物何?」って聞くと、日本人が良く泊まるホテルだった。町から少し離れた、砂漠の中にぽつんとあってトアレの人々も近付きにくそうだ。また、そちらに向けて歩き出す。全ての部屋の外に、シャープの冷房のファンが設置されていた。日本人観光客は、いつもここに泊まり、ほとんど現地の人と触れ合わず飛行機で帰っていくとのこと。言葉の壁が大きいのか。危ないとかも思っているのだろうか。<br /> そろそろ、ジャスティンとの約束の時間だ。一度テントに戻った。お茶が丁度入ったところなので、ご馳走になった。本当にお茶が好きな人々だ。しかも、いつも男の人が入れている。モハメドは「トワレグ民族は結婚したら、妻が夫のためにお茶を入れるんだ。だから、結婚したら僕のためにお茶を入れてね」と言う。家主も、おじいちゃんも、「モハメドと結婚するのか?」と私に聞いて、答えを待っている。約束できないことばかりだ。分からないと応える。時間をかけてゆっくり考えればいいと言われる。<br /> ジャスティンの指定した場所は、平和かなんかを象徴するモニュメントだった。目立つから一発で分かる。一人で行こうかなぁと思っていたけれど、モハメドはもう私から離れるつもりは無いらしい。一緒でも問題ないか、と待ち合わせの場所へ向かった。途中、インターネットカフェがありメールの話になる。モハメドは読み書きが出来ないといった。朝渡されたアドレスは、誰かが代筆したものだった。<br />「昔、お父さんにアラビックの学校に入れさせられたけど、教えが嫌いで行かなかった」<br />「何の教えが嫌いなの?」<br />「ビールを飲むなとか」<br />「Okay.じゃあ、これからビール一本おごるね」<br />手を振るジャスティンにモハメドが先に気付く。3人でオープンテラスのカフェに座った。「ジャスティンの英語早すぎて、実話さっき言ってること良くわかんなかったんだよねー」なんて話をした。ジャスティンとマリの情報交換とか、旅のあれこれを話した。世界各地で、旅行者に寝るためだけのソファーを貸してくれる人の集まるサイト(http://www.couchsurfing.com)があるとジャスティンは教えてくれた。BAMAKOではそのサイトに登録のあった人の家に泊まったとか。モハメドは私に僕のうちに泊まっていけと主張するので、モハメドもこのサイトに登録したら、いろんな旅行者とまたで会えていいかもしれない。結局3人の共通の話題として協議されたのが、今後の私の身の振り方だった。<br />「砂漠が見たいからって行って、TOMBOUCTOUまで来てラクダにも乗らずモスクも見ず、帰ったら何もしないで帰ることになる」<br />「正直、あんまりモスクとかには興味がない。こうやって、地元の人と話が少しでも出来れば満足。それに今回は、下見って感じでこの後きっと長い旅に出る。そして、またマリを訪れる」<br />「またマリに来るからといっても、TOMBOUCTOUは遠い。今度マリにまた来たときに、ここまでまた来なくていいよう、ラクダくらいは乗っていった方がいい」<br />ジャスティンの言葉に慌てて、モハメドの顔色を伺った。モハメドは分かったか分かっていないか「そうだそうだ、ラクダに乗ってせめて明日の朝帰ればいい」と言っている。何もしないで帰るのは、それがこの町の人の普通の生活だし、気に入った町にまた帰ってくる理由も残しておきたいからってうすうす感じていて、それをジャスティンに言われてしまうと心がチクリと痛んだ。2人に残るように勧められると、その気になってくる。別に、他の世界遺産もそこまで行きたいかって言われたら、ついでに世界遺産だし行くかという程度だ。気ままな一人旅の良さは、気まぐれに予定が変更できることかも。後は、車の変更が可能かと滞在費の如何だなぁとサナさんにこの後会いに行くことにした。

大物舞台役者の揃う町、トンブクトゥ(TOMBOUCTOU)[4日目]

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2008/02/07 - 2008/02/14

12位(同エリア18件中)

0

3

美野里さん

 トンブクトゥは役者が揃っている。大物級の役者だ。日本でいうところの誰だろう、渡辺健とか真田広之?この砂漠の町を舞台に、この町の人々が役者で映画を取れたら、どんないい映画が取れるだろう。この小さい町で、登場した瞬間、見る者の心をぐっとつかむ、魅了する、軽く興奮する人物に2人も出くわした。生きた活劇がここにはある。彼らを見るだけでも(見世物じゃないけど)、来た価値があると言える。

 睡眠不足だけれど、気持ちの高ぶりで元気だった。8時に、パパを探した。パパの部屋の扉が開いて、もうちょっと準備に時間がかかるから、待っててと言われる。昨日の気まずい空気もあったし、デートに誘ったわけじゃないと示したかったので、先に全額渡してしまった。車が、走り出して10分もしないうちに砂漠に止まった。これなら歩ける距離だ。MOPTIでアボさんに聞いたら、TOMBOUCTOUから砂漠までは20kmくらいはあるだろうといっていた。出鱈目だった。パパも土地の人で無いから、砂漠の奥へ行く車道を知らないらしい。「えーこんなちょっと。もっと走ってよ」と言うと、タイヤが砂に飲まれて車がもう先に行けなくなる。でも、ま、砂漠は砂漠だ。車を降りると、町を背に180度砂漠が広がっていた。白い砂の上に、風が作った波紋が続く。遠くに砂丘を見る。自然が作る形というのは、なんて美しいんだろうと感動した。均等の取れた美しさではなく、不完全な完全さ?砂の大地に、風が強く吹き付け砂を持ち上げ、一方で風向きが変わって砂の山を削り取り、砂丘には力強さが宿っていた。人の目に触れることもなく、何億年とここでは同じことが繰り返されている。生が立ち入れない領域。来る途中本当に骨だけになった動物の死体を数体見て、「あ、本当なんだ」と妙に納得した。低い草が辛うじてまばらに生えていた。緩衝地帯と呼ぶのだろうか。もっと行けば、緑を見ることのない死の世界が広がるのだろう。そこでは明らかに、私は生きてゆかれない。
 しばらく、歩いているとパパが「これ以上行くのは、貴方にとって良くない」と言い出す。「え?私は全然気にしないけど」と言うと「トイレ行きたい」「お腹がすいた」とパパは言った。「おーもっとゆっくりしてきて良かったのに、飯も食ってから来れば良かったーと」後悔した。「6000CFA(約1200円)って言ったら、いいお金よ?もうちょっと、働いてよ」と思ったけれど、マリの人には砂漠など珍しいものではなく、何が楽しいのか分からないのだろう。当然だ。パパが「車で待っている」と言うので「30分頂戴」と言うと
「長い」
「20分」
「長い」
「10分」
「OK」
とほほと思いながら、まぁ適当に20分くらい大丈夫だろうと、一人で歩き出した。少し歩くと、不安になって後ろを振り向いた。車はもう見えない。目印になるものが無いと、戻れないとはっとした。私の来た方角に、砂漠の民の人達が3人歩いて砂丘の上に腰を掛けた。凄く遠くだったけれど、彼らは私のためにそこに腰掛、私を見守ってくれている気がした。それから、来た瞬間見惚れた砂丘に向かって歩いた。時々振り返るとやはり、砂漠の民の人が見ていてくれている気がする。言葉の無い優しい会話。砂丘を駆け上る。駆け上らないと、足がとられて、前に進めない。そしてまた、変わらぬ砂の世界が前に広がり続けた。満たされた。私は、こうやって心と体全部をかけて感じていくこと一生続けていくのだと思う。
 車に戻ると、パパが「メシ食いに行こうぜ」と、車を出す。町中心部2階の、カフェ風食堂は大繁盛だった。カウンターに腰掛、「何食う?」というので、他の客が食べている肉炒めを指差した。肉炒めとフランスパンは直ぐに来た。待ちきれないパパが、食べて言いかと聞くから食べていいよと言う。マリ各地何処へ行っても、フランスパンが上手い。パパの肉炒めとオムレツと大量のフランスパンが来た。朝からこんなに食うの?ってくらいの量だ。「美味い?」って聞いてくるから、「アカディ」と応えると、「そうだろう」とフランスパンを頬張ったまま大きく頷いた。「んー、彼はドライバーで普通のマリ男児であり、他の仕事はしたくないよね」と、もりもり食べる彼を見ながら思った。甘いカフェオレも美味しかった。
 ホテルに戻ると、約束通りガイドのサナさんが居てくれた。大きな体に、ターバンをなびかせ、颯爽と歩み寄ってくる姿に心を打たれた。「こんにちは、ミノリさん」と腰をかがめて(私がチビだから)日本語で挨拶。目が優しい。彼が私の言う大物役者の一人。ガイドって必要以上会いたくなかったけど、会えて喜んでいる自分にビックリ。身のこなしから、一発で信用した。MOPTIで帰り道を確保しておきたかったので、アボさんが紹介してくれた人だ。今日の夕方に一便、MOPTIに向かう車があるという。いい車なので、5,6時間のドライブで10時前にはMOPTI着と言う。もしくは、早朝5時発。もう砂漠もみたし、今日中にMOPTI戻っていれば、もしかしたらジュンネの月曜市もドゴンカントリーも見られて、世界遺産と言われる観光地は全て回れるかもしれない。夕方の車に乗ることをお願いした。私たちが木陰のベンチに座り、話している横で、昨夜のモハメドも腰をかけていた。サナさんは、他の観光客とホテル内で会うと言い、私はこの辺をうろついていると応える。小さな町だ、何時でも直ぐに会える。モハメドが紙切れに書いた住所を渡してくれた。私も、手帳の一部を破き彼に電話番号とe-mailを渡す。
「昨日上りたがっていた屋上に行かない?」
と言われて、彼の後に続く。上りきると、町が見渡せる高台のようだった。何処に行っても、一度高いとこに上るのはいい。地理が頭に入る。朝パパに連れて行ってもらった砂漠とこのホテルは逆方向にあると思っていたが、ホテルの裏手に広がる砂漠と一つなぎになっていて町の半分以上は砂漠に面しているようだ。モハメドが、「あそこが僕の住む村、その向こうに小さい川がある」と、砂漠の中にある集落を指差した。「え?ここの従業員で、ここに住んでいるんじゃないの?」と聞くと、そうではないらしい。音楽演奏の仕事の声が掛かるのを、いつもホテルで待っているだけのようだ。TOMBOUCTOUには有名なモスクなど、他に見どころもあるようだがあまり興味が出なかった。暑いし。過去の建造物を愛でるより、今もなお生きている景色やトワレの民の生活の方が断然魅力的だ。「モハメドの家に遊びに行ってもいい?川も見たい」と聞くと「いいよ、じゃあ行こうか」と言ってくれた。「ヘイ!」と声がして振り向くと、町に入る前に出会ったアメリカ人のバックパッカーが屋上に顔を出した。「昨日も、ちょっと探したんだけど会えなくて、今日はさっきたまたまラジオ局から君の姿確認できて追いかけてきたんだ!」と早口で言った。(だから多分こういう意味だったと思う)彼の名前はジャスティン、シカゴのラジオ局でDJをしていて、休暇で西アフリカを旅しているらしい。セネガルから入ったという。セネガルで大金をガイドに盗まれた話っぽいことを話している。流石DJお話好きらしい。今日どうするの?って話をしていて、彼は3時ごろからラクダに乗るたびに出るらしい。私はもう、村に行くって言っちゃったし(行きたいし)後でお昼に一緒に御飯でも食べながら、ゆっくり話そうということになった。
 フランス人とお話しているサナさんに、「モハメドの家行ってきまーす」と告げて、砂漠を歩いた。スニーカに砂が入って仕方ないから、ビーサンに履き替えた。モハメドの家は村の入り口に近いテントだった。中は軽く12畳くらいの広さはあった。おじいちゃんが、砂漠化防止の植林作業を終えて一休みしている。バックパックを中に置いて、茣蓙の上で休む。日はいよいよ高くなっていた。家主と思しき人物が現れ、サングラスを取る。モハメドが私を紹介する。ここでも、バンバラで意思疎通を図る。お茶を入れている最中なので、作法を教えてもらうことにした。「セコムサ(このように)」と言いながら、お湯が煮立って砂糖を入れたところから始める。初めはショットグラスに数回高い場所からお茶を注ぐ、うまく行かず溢す。そして、味見をするよう指示され、OKだったら今度は大きいグラスに注ぐ。これも、3度繰り返した。出来上がったらお客様用に、ショットグラスに注ぐ。泡が立った、甘いお茶の出来上がりだ。葉っぱも中国産の緑茶を使っている。おじいちゃんが座っているところが少し離れていたので、そこまで行き膝をついてお茶を渡した。何やら場が沸く。どうも、私がした行いはとても礼儀正しいと褒めているようだった。みんなが私の淹れたお茶を美味しいと飲んでくれた。心が通じ合っている気がして嬉しい。私はすっかりTOMBOUCTOUが気に入ってしまった。
 モハメドが「さぁ行こう」と言うので、外に出た。川では主婦が洗濯している。3人ぐるみで、大きなタオルの端を持ってばしゃんばしゃんやっている。その横で、歓声を上げて水遊びをする子供たちがいる。超、楽しそうだ。泥水に、走って飛び込んで、潜って浮き上がって暴れていた。写真を撮りたいと思ったけど、人にカメラを向けられない。折角持ってきたデジカメもあまり使うシーンが無かった。彼らが遊んでいる横の砂地に腰を下ろした。あー私も水浴びしたいと思う。子供と一緒に裸になって、入ってしまおうかと迷いだす。裸じゃなくても、タンクトップとパンツならOKなのでは?パスポートの入った安全ベルトは、モハメドに託して…なんて話していると、モハメドに真剣な顔で「そんなこと、絶対止めて」と止められるのだった。病気になるって理由だけど、見っとも無いからだろうな。砂漠をモハメドと一緒に歩く。何気ない会話、たまに彼も分かってなくて分かったフリをすることが分かりちゃんと、しっかり確認することを覚えた。モハメドは「何故今日帰るのだ、もう少し居て欲しい」「また、来るって約束して欲しい」そんな話ばかりをする。約束は出来ない。ふと、またこんな遠くまで来られるだろうか、と考える。今、私は砂漠の南の終点といわれる場所に居るけれど、日本から来た私にとっては地球の果てともいえる場所なのだ。旅を続けていると、何かを見るために旅行していたのが、だんだん出会った好きな誰かにもう一度会いに行くためになっていく予感がしていた。だから、戻ってくるって約束も出来ないけど、戻ってこないとも言わないのだ。
 窪地に水がたまっているところを見せてもらった。看板が立っていて、日除けになるのでその下にねっころがった。空が青かった。雲ひとつ無い、水色。風が強く吹き付けて、砂が目や口の中に入った。砂漠に風って過酷な組み合わせだ。砂漠で仰向けは、そんなにいいものではなく起き上がった。窪地の周りに、か弱そうな苗木が植えられ風に震えていた。まだ、植えたばかりの若い苗木だ。育たないから、また植えたのだろうか。何も植林は今に始まった話でもなかろう。ずっとご機嫌のモハメドに「あそこに見える建物何?」って聞くと、日本人が良く泊まるホテルだった。町から少し離れた、砂漠の中にぽつんとあってトアレの人々も近付きにくそうだ。また、そちらに向けて歩き出す。全ての部屋の外に、シャープの冷房のファンが設置されていた。日本人観光客は、いつもここに泊まり、ほとんど現地の人と触れ合わず飛行機で帰っていくとのこと。言葉の壁が大きいのか。危ないとかも思っているのだろうか。
 そろそろ、ジャスティンとの約束の時間だ。一度テントに戻った。お茶が丁度入ったところなので、ご馳走になった。本当にお茶が好きな人々だ。しかも、いつも男の人が入れている。モハメドは「トワレグ民族は結婚したら、妻が夫のためにお茶を入れるんだ。だから、結婚したら僕のためにお茶を入れてね」と言う。家主も、おじいちゃんも、「モハメドと結婚するのか?」と私に聞いて、答えを待っている。約束できないことばかりだ。分からないと応える。時間をかけてゆっくり考えればいいと言われる。
 ジャスティンの指定した場所は、平和かなんかを象徴するモニュメントだった。目立つから一発で分かる。一人で行こうかなぁと思っていたけれど、モハメドはもう私から離れるつもりは無いらしい。一緒でも問題ないか、と待ち合わせの場所へ向かった。途中、インターネットカフェがありメールの話になる。モハメドは読み書きが出来ないといった。朝渡されたアドレスは、誰かが代筆したものだった。
「昔、お父さんにアラビックの学校に入れさせられたけど、教えが嫌いで行かなかった」
「何の教えが嫌いなの?」
「ビールを飲むなとか」
「Okay.じゃあ、これからビール一本おごるね」
手を振るジャスティンにモハメドが先に気付く。3人でオープンテラスのカフェに座った。「ジャスティンの英語早すぎて、実話さっき言ってること良くわかんなかったんだよねー」なんて話をした。ジャスティンとマリの情報交換とか、旅のあれこれを話した。世界各地で、旅行者に寝るためだけのソファーを貸してくれる人の集まるサイト(http://www.couchsurfing.com)があるとジャスティンは教えてくれた。BAMAKOではそのサイトに登録のあった人の家に泊まったとか。モハメドは私に僕のうちに泊まっていけと主張するので、モハメドもこのサイトに登録したら、いろんな旅行者とまたで会えていいかもしれない。結局3人の共通の話題として協議されたのが、今後の私の身の振り方だった。
「砂漠が見たいからって行って、TOMBOUCTOUまで来てラクダにも乗らずモスクも見ず、帰ったら何もしないで帰ることになる」
「正直、あんまりモスクとかには興味がない。こうやって、地元の人と話が少しでも出来れば満足。それに今回は、下見って感じでこの後きっと長い旅に出る。そして、またマリを訪れる」
「またマリに来るからといっても、TOMBOUCTOUは遠い。今度マリにまた来たときに、ここまでまた来なくていいよう、ラクダくらいは乗っていった方がいい」
ジャスティンの言葉に慌てて、モハメドの顔色を伺った。モハメドは分かったか分かっていないか「そうだそうだ、ラクダに乗ってせめて明日の朝帰ればいい」と言っている。何もしないで帰るのは、それがこの町の人の普通の生活だし、気に入った町にまた帰ってくる理由も残しておきたいからってうすうす感じていて、それをジャスティンに言われてしまうと心がチクリと痛んだ。2人に残るように勧められると、その気になってくる。別に、他の世界遺産もそこまで行きたいかって言われたら、ついでに世界遺産だし行くかという程度だ。気ままな一人旅の良さは、気まぐれに予定が変更できることかも。後は、車の変更が可能かと滞在費の如何だなぁとサナさんにこの後会いに行くことにした。

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  • 風でできる、波紋。<br />これって、なんて呼ぶの?呼び名があったような。

    風でできる、波紋。
    これって、なんて呼ぶの?呼び名があったような。

  • とりあえず食っとけ、って感じでパパに連れて行かれた朝食や。<br />美味しかった。

    とりあえず食っとけ、って感じでパパに連れて行かれた朝食や。
    美味しかった。

  • オアシスとは言わないけれど、砂漠の中の水溜り。

    オアシスとは言わないけれど、砂漠の中の水溜り。

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