2008/02/07 - 2008/02/14
12位(同エリア18件中)
美野里さん
アボさんにバイクに乗せられ、町の中心部まで運ばれてしまった。屋台に座らされたので、朝の町を眺めるのも悪くないかと思い直す。もちろんお茶を頼む。丁寧に入れてくれるお茶が、どこか懐かしいのだ。バス、モーターバイクが行き交う。学生風の女の子たちが、私をかまう。「イボラミ」。「何ていってるの?」とアボさんに通訳を願うと、「貴方は綺麗だね」って意味らしい。挨拶の後に、「綺麗だね」って必ず来るのが、話す言葉は違えど何処のアフリカへ行っても一緒なのに驚く。とりあえず、誰にあっても「綺麗だね」って言っておくのが、流儀なのだ。私も「イボラミ」を連発すると、女の子たちはキャーって言って喜ぶ。彼女たちは一ヶ月7500CFA(約1500円強)のスクールバスのお金が払えないから、ここで誰かに便乗できないか待って、さもなければ数キロ先の大学まで歩くらしい。暇なので、面白がられるままにしていると、白い四輪駆動の車が私たちの前に滑り込んだ。アボさんにここでお金を払うように要求される。もう、二言は無かった。ドライバーを紹介された。ハンサムな若い人なので、文句なしだ。むしろ嬉しい。それから、車に乗りフランス人の泊まるホテルへ向かった。出会った、二人は老夫婦だった。感じのいい二人は、笑顔で接してくれる。「ボンジュール」「サバ?」「ジュマペール、ミノリ」「ジャポネ」知っている唯一のフランス語を並べた。「ジュネパルパフランセ(フランス語が喋れません)」と、本当こればっかり言っているなぁというフレーズをここでも使う。でも、妻のアニーさんと夫のマイケルさんは優しく受け入れてくれたのが分かった。彼らが朝食をすませ次第出発なのだが、朝食中「食べる?」と誘われて断ったし、話を続けたかった。アボさんに「こっちに来い」と言われて行くと、「彼らが食事しているのを邪魔しないで大人しく別のところで待っていろ」と言うので、こっちもイライラっときた。
「さっきから、待ってばかりで、全然自由じゃない。少しは自由にさせてよっ。どうせ待ってるなら十分頂戴。買い物してくる」
そう言うなり、私は飛び出した。実際、水が買いたかったし、タバコも補給しておきたかった。水を探していると少年が近付いてきて、案内してくれる。ボトルじゃなくて、ボトルに詰め替えるようの安いパックウォーターが欲しいと言うと、少し歩いて手に入った。一袋50CFA。タバコも何処に売っているか知らない少年が、聞き当てて連れて行ってくれた。買い物が終わると携帯がなり、アボさんからだった。「今そっちに向かってる、すぐ行く」と言って電話を切る。少年にお金をねだられた訳じゃないけど、コインを渡す。良くないかもしれないけど、親切にしてくれたし、何となくむしゃくしゃしていたから。戻ると、フランスご夫妻は後部座席にちょこんと座っており、私は助手席に行きよい良く乗り込んで、間髪入れず車は発車した。アボさんや、少年が手を振っている。もう会わないだろうな、と思ったけどあまり感傷的にならなかった。もし、私のように急いでTOMBOUCTOUへ行く方は、アボさんに連絡を。ちゃんと、仕事はしてくれる人です。(TEL:00223)6977988、英語可、公開了承済み)
朝日が直に助手席に差し込む。往生際悪くも焼けたくないから、窓を閉めてタオルを挟もうとするが、上手くいかない。早速、マイケルが安全ピンを渡してくれて、タオルによるカーテンが出来上がった。朝9時少し前にMOPTIを発った。道は舗装されていて、思いの外スムーズに車は走った。より北へ。木々がまばらになって行く。ドライバーの名前を現地語で聞いてみる。彼の名前はパパ。愛想が無い。英語は全然話せないっぽい。ふと、このいい車はTOMBOUCTOUに着いたら何処へ行くのだろうと頭をよぎった。フランス人夫婦がそのまま乗り続けるのか、向こうで遊んでいるのか、もし遊んでいるようなら、ガス代払うとパパに交渉して砂漠に連れてってもらおうか。その方がガイドもいなくて煩わしくない。まずは状況を把握しようと、フランス人の夫婦に話しかけようと試みる。長旅、急ぐ必要は無い。「旅のフランス語」という小型の本を持っていたので、初めて開いてみる。複雑な会話文章が並ぶ。なんというか、旅に的を絞っているので、人間味のある会話に乏しい。いきなり、聞きたいことだけ聞いても不審がられるだろうし、そういう聞き方は不本意と、一生懸命例文のパーツ、パーツをくっつけて、紙に書いてみる。発音は分からないけど、筆談は可能だ。「私は休暇でサハラ砂漠を見るため旅をしています。今日TOMBOUCTOUへ行き明日MOPTIに戻る予定です。どれくらいTOMBOUCTOUにいますか?その後何処に行きますか?」そう、慣れない組み合わせのアルファベッドを並べて、アニーに渡した。目を細める。マイケルが老眼鏡を取り出して、読んだ後二人で頷き、「明日戻るの?」と驚く。彼らは4日間、TOMBOUCTOUに滞在しGAOに抜けて、船でニジュール河を下りMOPTIへ戻るそうだ。そして家族の話をする。アニーが65歳で、マイケルが63歳、子供は3人いてみんな結婚しており、孫も1人いるそうだ。話の途中で、前の4WDが止まった。私たちの車も止まる。その後ろの車も止まる。タイヤに障害があるらしく、それぞれの車から修理用品を持ち出して、修理に取り掛かる。どうやら、パーティを組んで、一緒に移動しているらしい。他の車から、違うフランス人のマダムが出てきて、やはり同郷の人達でお喋りが始まった。タイヤをいじくるのを眺めていると、他の車のドライバーが英語で話しかけてきた。それとなしに話しをしているうちに、これからパパとの交渉に費やすだろう時間が省ける!とひらめいた。彼に修理が終わった後、「今日の夕方か明日朝に砂漠に連れてってってパパに伝えて」とお願いした。パパは「僕と行きたいの?」と若干誤解されたかも?という反応を示し、OKしてくれた。再度車が走り出すと、なんとなく車の中が穏やかな雰囲気になっていた。野良ラクダに純粋に感動して、カメル!カメル!と叫ぶ。「カメル、ドミニ?(ラクダ食べる?)」と聞くと、パパも笑って「食べねぇよ」となる。「名前は?」とパパに尋ねられる。そうか、彼には私の名を名乗っていなかったのか、ごめんパパ。民族音楽のテープがカーステレオからかかり、パパは鼻歌まで歌いだした。そして、マイケルも。だから私も。
DOUENZAという町で、お昼休憩。乗り合いバスが客集めをしていたので、ここからMOPTIまでいくらか聞くと2500CFAだった。DOUENZAはTOMBOUCTOUとMOPTIの丁度中間辺りに位置する。炭水化物ばかりを取りがちなので、牛肉バーベキューを500CFA(約100円)頼んで、ビール飲んじゃう?と値段を尋ねると1500CFA。500CFA値上がりしているのでやめた。マンゴー売りが私の前で、買って買ってとねだるので、一つおまけして貰って4個300CFAで購入した。ビタミン不足。肉の脂肪分食べ残して捨てようとしたら、子供たちにくれと言われた。「これでいいの?本当?」と渡すと、ハイエナのようにちびっ子たちが群がり全てを平らげた。飢えているのか。車に戻って、マンゴーを食べようと思うとみんな戻って来て、丁度4つあるから一つずつ配った。みんなで、マンゴーを吸いながらDOUENZAから、ラフロード。10分も走らないうちに、車が止まった。パパがタイヤと睨めっこしている。バルブが2本抜けているらしい。来る前に整備した?と疑っても遅い。DOUENZAで別れたパーティに電話して、しばらくするとさっきまで一緒に走っていた車が集まる。ここで身動きが取れなくなったら、相当厳しい。もしものために複数の車で移動してくれて、高い金払った甲斐があると思った。近くに集落があって、人々が餅つきのようなことをしている。近付いてみると、植物をたたくことで粉々にして、種を剥がしているようだ。少し手伝わせてもらう。意外と、重労働だ。掛け声を掛けて音頭をとって、3人で臼を突く。3人の女の子たちは私より若いけど、みんな妊娠してお腹が大きかった。「ベベ」って言って、お腹を触らせてくれる。一人が赤ちゃんを連れてきて抱かせてくれる。そして私のおっぱいが見たいと、注文が出てみんながどっと笑った。乾燥した植物を突いた後、ある程度分解された小さな沢山の実を今度は、さらさらと上から落として、黄色い実だけにする。実以外の部分は風に舞い、飛ばされる。その金色の粉が舞う様は、かつて「伝説の黄金の都(らしい)」と呼ばれたTOMBOUCTOUは、今も健在と思わせた。
アニーが呼びに来てくれて、車が直らないので違う車で旅を進めることになったと言う。何だろうと思っていた、黄色い実をアニーに見せると、フランス語ではミールというらしい。荷物を他の4WDに乗せ換え、出発。パパとはお別れ。その後は、絶句のドライブが続く。車内を砂埃が舞う。ラフロードを結構なスピードで走るから、揺れる揺れる。みんな、口をタオルで覆うが、アニーとマイケルがケホケホとむせている。外もいよいよ、砂漠化してきた。ロバやラクダに荷物を乗せて、移動する砂漠の民に出会う。ニジュール河がまたも、目に飛び込み車は止まった。よく状況が読めないでいると、車を乗せて河の向こうに渡るフェリーを待つらしい。
集まってきた子供たちと遊ぶ。私が車内でリップクリームを塗るのを見ていたらしく、少女たちが真似をして喜ぶ。やたら触ってくる。遊び疲れて、村落へ行く。焼いた魚がやたら美味しそうなので、購入。山椒のようなスパイスを掛けてくれた。それからやっぱり、ここでもお茶をお願いする。少年が淹れてくれたお茶、美味しかったけど高額請求にあい、向こうも引かないから睨み付けたけど仕方なく払った。といっても一杯100CFA。普通25〜50CFA、でも大体無料。観光客ずれした餓鬼め、と気分を悪くして村を去った。船が来たが、私たちの車は、乗れなかった。もう一往復して帰ってきたら、一番乗りで乗れる。アメリカのバックパッカー、ジャスティスと軽く話した。「どことまる?」「まだ、決めてない」「私も」。彼は先に町に行き、きっと向こうで会うよねなんていってお別れした。
漁から帰ってきたおじさんや少年たちの姿を確認して、近付く。気さくな人達だった。お茶飲んでく?御飯食べる?と色々勧めてくれる。さっき、お茶飲んだとき高額請求にあった子供のことをチクリ、怒って下さいとお願いする。和気藹々として、「おーこれで魚を取るのね凄い凄い」なんて言って、カメラを出した。楽しいので、彼らにデジカメを渡して写真を撮ってもらう。一人旅って自分の写真が少なくなりがち。その中の一人が、写真を送って欲しいと言い出す。「アドレスを書いて」と紙とペンを渡すと、「僕が言うのを、君が書いて」と言う。字が書けないのだ。私も困ってしまって、マイケルが居る場所まで戻って、代筆してもらう。「はい、これ」と渡された紙を見て、名前を書いてともう一度マイケルに渡すと、これが名前で、これが村の名前と説明を受ける。要するに、住所かと思ったその3つの単語は、姓と名と村の名前だった。確かに、この村のこの人と言えば、手紙が届きそうだ。
漁の後片付けが終わって、戻ってきた人々に、サッカー見に来いと誘われる。電線なんて、一本も見ないぞ?と小屋に入ると、バッテリーにつないだテレビが、サッカーを映していた(表紙の写真)。ガーナ、コートジ、3位決定戦のカード。私はここでもガーナサポーターで、今回はみんながガーナをサポートしてくれた。サッカー選手の名前を聞かれるので、私も得意がって教える。途中蚊が居て、持ってきていた虫除けクリームをみんなで塗った。狭い小屋に軽く十人がひしめき合っている。彼らが、どうかマラリアになって命を落としませんようにと、切に願うのだった。多分、私はこの旅のことをきっとまた思い出すし、そして彼らが健康であることをずっとずっと祈っていくのだ。
後半に入ったところで、船が来た。パパの車も、追いついた。車が順序良く、船に収容され、パパと少し話す。「じゃあ、明日朝、ガソリン代5000CFAでお願いします」と、交渉成立。「今日泊まる場所は?」と心配してくれる。「BOUCTOU HOTELがもし高いようなら、僕の友達の家に泊まればいい」と言う。その友達は、男か女か知りたい。しかし、そんな簡単なフランス語さえ私は知らない。仕方ないので、パパを指差し、「エム」。私を指差し「エフ」。他の乗客の男性を指差し「エム」、女性「エフ」なんてやって、分かった分かったと、パパが笑った。「エフ」だから大丈夫とのこと。
夕日が沈み、冷えてきた。船の先頭にいい場所を見つけて、足を伸ばして座った。風が気持ちいい。マリアンが話しかけてくる。バンバラを喋る。大分自然に出てくるようになった。「ドニードニー」=「SMALL SMALL」この言葉は本当にアフリカのどの国の人も使う。言語体系が似ている。違う言葉でも、意味は一緒だ。石の上にも3年って言うけれど、ここでは100年とか1000年なんだろう。少しずつ少ずつ精神はアフリカの文化だ。「アカディ」を何に対しても使うのも、他のアフリカの言葉と同じだ。美味しいときもアカディ、元気なときもアカディ、Mali is niceはマリカディ。船の上で教わったマリカディ。マリカディと連発すると、マリアンはウォーっと喜ぶ。マリはいい国だって、言われたらそりゃ嬉しい。私も今でこそ、日本はいい国だといわれたら、嬉しい。彼らの愛国心と誇りから、自分にもそういう気持ちが芽生えた。島国に居たときは、国籍なんて気にならなかったし、日本人であることを意識したこと無かったけど、きっと国境を接する国の人達にとって国籍は己のアイデンティティの一部なんだろう。それが自然だ。
BOUCTOUホテルへ着くと、ドミトリー(6000CFA)やテラス(5000CFA)はいっぱいだと言う。オーナーのおじさんに、7000CFAにしてやるから普通の部屋に泊まれと勧められる。「7000CFAなんて高すぎるわ。他のところ探してみて、駄目なら戻ってくる」と言うと「じゃあ6000CFAで泊まっていいよ」って言ってくれる。マリアンは融通がきくし、時間も守るからありがたい。ありがとうって言って泊まることにする。パパが待ってくれている。パパもここに泊まるみたいだ。英語を喋る人が、「パパは僕の友達だ。今日は僕の誕生日だから、飲みに行くぞ!」と言う。まんまとだまされた。後から聞くと、パパは彼のことを知らないという。その男にバイクで定食屋に連れて行かれ、「パパはどこ?」と聞くと、後から来るという。パパは本当に後から来た。何故なら町で唯一の、定食屋だから。ビールを頼むと、置いていないという。食べたら飲みに行くから、焦るなとなだめられた。彼はガイドらしく、しつこく
「何処へ行きたいんだ、明日何をするんだ」
と聞いてくる。
「ただ、砂漠を見たい」
「じゃあ、今から行くのが一番いい」
確かに、いいだろうなって思っていた。でも、砂漠で、誰も居ない場所で、夜誰かと二人だけになるのは危険な気がした。唯でさえ、凄くロマンティックだ。静かで、満天の星空で。道中車が人里離れていく中で、モロッコを旅行した友人の話を思い出していた。「サハラ砂漠で一夜を過ごすツアーに参加して、同じツアーの欧米人の女の子2人組みと男の子2人組みがついさっき会ったばかりなのに、砂漠に着いたらいちゃつき始めた」って言っていた。外国の人は、そんなもんかねぇ、なんて感想を持ったけど、今はその理由が分かる。ここはもう別世界だ。行きたいけど、朝の方がいいだろう。
「明日行きたいし、2回も行くとお金がかかる」
「明日、10000CFAでラクダで砂漠に連れて行く」
「明日はもう約束がある。」
「来たばかりなのに、何で」
「パパに砂漠に連れて行ってもらう」
「いくら払うんだ。」
「ガソリン代、5000CFA」
値段を言ったのは、不味かった。彼はパパにそんな安い値段で、連れてくなんてどうかしているみたいなことを入れ知恵しているようだった。そしてまた、不味かった。「だから、英語を喋るガイドは嫌いだ、お金を私からふんだくる」みたいなことを言ってしまった。それを、またパパに誰かが訳す。気付くと3人のガイドに囲まれていた。パパが英語を喋らないし、ガイドじゃないから、今度は私がだましているように思われたんじゃないかと慌てた。混乱した。否定したいけれど、事実かもしれない。イノセンスな人を捕まえて、今度は私が利用しようとしている。私がムスッとしていると、
「僕と話したくないの?」
とガイドは聞いてくる。
「ええ、話したくないです。飲みにも行きたくないです」
私は強がった。
「じゃぁ、僕はここを去るから、パパにホテルまで送ってもらって」
彼は、勝手に連れてきたくせに、本当に去っていた。私の砂漠行き計画をぐちゃぐちゃにして。正直、怒るより悲しかった。パパは黙って送ってくれた。「もし、砂漠に連れて行く話がパパにとってハッピーじゃなければ、行きたくないって言って欲しい」と、気持ちを確認した。そして、お金も5000CFAでいい?って聞いたら、6000CFA欲しいと言われた。もう、うんって言わざるを得なかった。5000CFAでも、少し高いと思っていたのに、お互いが納得いく交渉をここでも出来なかった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス タクシー
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