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 ムハメドは私を今夜泊めたいということを、家主に言うと家主は快くOKしてくれた。その後、ラクダに乗りにいく。なぜみんなラクダラクダと騒ぐのだろう。野良ラクダを見ていれば充分で、乗る必要があるのだろうか。トワレの民の人が、既にラクダと共に待っていてくれた。近くで見るらくだは黒目がちでまつげが長く、穏やかそうでとても愛らしかった。乗るように言われ、またがる。トワレのおじさんに蹴られてラクダが、よっこらせと立ち上がる。思ったより、全然高い。落ちて死なないように注意しないと。足はラクダの首の上に乗せるようにとトワレのおじさんに言われる。ラクダはおじさんに引かれて歩き出した。ムハメドおじさんと話しながら歩き出す。時々私を見上げて、どう?なんて笑いかける。砂漠の中にも、かすかに道があった。TIMBUKTUを発って、幾つかの集落の脇を通った。小さな集落を結ぶこの消えそうな道が、北数百km続いていくのだ。大きい砂丘があって、ここで夕日を見ようとラクダを降りた。<br /> まだ夕日が沈むまで時間があった。懲りずに、また仰向けになった。今度は風が弱いので、空を眺めていられる。ムハメドは5歳の頃、ラクダに乗って100km北の集落からTIMBUKTUへ上がってきたという。「そうか、らくだかぁ」と、やっとみんなが言うようにラクダに乗っておいて良かったと思った。ラクダに乗って移動する感覚が少しでもつかめる。のろのろ、誰かに引かれてやっぱり進んだのか。<br />「その当時のこと覚えている?」<br />「もちろん覚えているよ」<br />「どれくらいかかった?」<br />「夜に出て、次の日にはついたような気がする」<br />意外に早い。お姉さんやお兄さんはTIMBUKTUにいる。もう、結婚しているようだった。お母さんは故郷に残っているそうだ。楽器の演奏を教えた父は亡くなってしまった。兄弟の中で、ムハメドだけが父と共に仕事をし、楽器の演奏を学んだそうだ。継承も選ばれた子供がするものなのか。<br /> トワレのおじさんに、こっちに来いと呼ばれた。にじり寄ると、砂の上に布を引いて工芸品のアクセサリーを広げている。まだお土産らしいものは何も買っていないし、おじさんにラクダ引いてもらったのも何かの縁か、と手に取った。鈍く光る金属をくり貫いて、彫って模様をつけたヘッドのネックレスが並んでいた。これはマリ産だろう。見た事がない。剣の形をしたヘッドが気に入ったので値段を訊ねた。800CFA、うん妥当だ、と思ったら8000CFAだった。おじさん、そんな無茶な、この砂漠ツアーより高いなんて、一体私がいくら払ってこのツアーに参加したのか知っている?使われているこのおじさんは、私に砂漠の案内をして、連れて帰っていくらお給料がもらえるのだろう。微々たるものだから、こうやって観光客相手に直接小金稼ぎをしているのではないか。喉から手が出る程欲しいわけではない。払って2000CFAが上限だと、おじさんに伝える。売らないと思ったら、売った。ムハメドがその銀の剣のネックレスを、首にかけて留めてくれた。<br /> 少し早く夕日を待ちすぎたらしい、西日はなかなか地平線に近付かなかった。ムハメドがラクダを「らくだ」と日本語で呼ぶ。「トワレの言葉でなんていうの?」と聞くと「アミナス」だった。相変わらず、トワレの言葉の響きは私を魅了する。ラクダも待ちくたびれたらしい、何だか疲れてそうだと思ったら、本気で足を投げ出して横になって寝始めた。「アミナス疲れた」「アミナスお腹がすいた」「アミナス眠い」「アミナス寝る」「アミナスまた起きた」なんて、トワレの言葉を教えてもらって、くすくす笑いながら、私たちの愛らしいラクダの観察、実況中継をした。<br /> 西日が傾く。<br />「こうやって、お喋りしているといつも、沈むところを見逃すんだ」<br />と、ムハメドが西の空を見た。沈み行く夕日を見る時間、その時間を作ること事態が例え何処にいても大切なことのように思えた。一日一度は立ち止まるのもいい。悠久の時の流れを感じるのだ。そこに、一緒に居てくれる誰かがいることに感謝した。<br /> 日が暮れて、薄暗い物寂しい砂漠の岐路に着いた。TIMBUKTUに一番近い村で、ラクダを降りた。<br />「ジャポネ!」<br />その声の起源を見やると、かなりの速さで走る荒れ狂うラクダを馬のように乗りこなす、男が登場した。ラクダは走るのだ。引かれなくても、操れる。多分砂漠の盗賊に出会ったら、こうやってラクダに鞭を打ち手足のように乗りこなす集団で、大迫力に圧倒されるのだろう。彼は私の心をつかんだ、2人目の大物役者。名前は聞かなかったけれど、ムハメド曰くこの町のラクダの元締めをする人物らしい。日没後の、薄暗い光の中にラクダの上から声を掛けて、一瞬ラクダを止める。アミナスは前足を高く上げた。そしてまた走り去る。垣間見ただけだけど、彼の存在感は重く深いものがあった。<br /><br /> ムハメドが「じゃあお風呂はいりに行こうか」と言って、友人宅を訪れることになった。「え、このまま?タオルとかシャンプー石鹸、とりに帰らないとないけど…でも、そういうものなのか」と、我侭を言わず駱駝後友人宅に出頭した。サッカーのファイナルを見ている。エジプトも、カメルーンも私にとっては縁遠い国だった。バケツに入った水を頭から少しずつかぶり髪も顔も体もまとめて洗った。水を浴びると、サッカーは終わっていた。ムハメドも私に続いて、水浴びをし、メンソールのクリームを体に塗っている。中国製だ。中国製品がアフリカの奥地まで浸透している。世界の華僑。私などは日本が恋しい口で、出会う中国商人の凄さには敬意を払わずに入られない。異国で、異国の人に囲まれ、店まで構えて本気で住み始める。お金になるから?唯それだけが理由だとしたら、凄い度胸だ。サッカーのクロージングセレモニーが始まり、その後変なPVを見せられた。ムハメドにとっては、私を喜ばせたいのだろうが、あいにくテレビを見たいわけではなかった。「お腹すいた」と口実を付けて、買い物に出ることに成功した。先ずは泊めてもらうので、お土産に緑茶と砂糖、そして家主がタバコを吸っていたのを思い出しタバコを奮発して一箱(いつも一本、二本単位で買うのが普通)買った。食堂で食べようかなぁと思って場所をムハメドに聞くと、「分からない、サナを探そう」と言う。「いやいや、じゃあいいよ。パンかなんか買いたい」そして、円盤状の特徴的なパンを購入した。<br /> 家に戻ると、奥さんが食事の支度をしていた。息子が2人、一人は赤ん坊で寝ていて一人は幼いけどお母さんを手伝っていた。「ここで、寝てね」なんて、マットレスを引いてもらったが、「外で寝てもいい?」と聞くとOKで、マットレスを外に運んでくれた。食事をもらうのは悪いなぁなんて、買ったパンをかじると、トマトシチューが来てこれに付けて食べるようにと言われた。家主が「そのパンだったら、家にあったから買う必要ないのに」と言われる。チャコールで、温めてくれた。素朴な味のこしのあるそのパンは、美味しかった。家主の名前は、ムッサ。マットの上に座る私たちの前にチャコールを入れたポットを運んでくれた。少し冷えてきたので嬉しい。早速お茶を入れようとするので、「待って。私が入れる」と、お昼に習ったように試みる。首と肩で、懐中電灯を挟んだ。迷う度に「セコムサ?」と聞き、何だか涙ぐんでしまった。だって、もうこうやって肩を並べてお茶を入れる日がいつまた来るか分からない。ムッサは出来たお茶を「ズズズズー」と音を立てて、飲んだ後(音を立てるのが礼儀)「うまい」と言ってくれた。うぅ、泣ける。続いてムハメドも、音を立てて私のお茶を飲んでくれた。奥さんに持っていこうとすると、彼女は飲まないという。ムッサはしきりに文化や言葉を紹介してくれる。TIMBUKTUに来る途中で見た、金の粒を今度は本物の粉にする様子を紹介してもらう。すり鉢で、するような形だ。「フラフラ」と呼ぶ。御飯に混ぜて食べたりするらしい。もう、全然言葉とか通じないけど、幸せだった。出来上がった御飯も結局、招かれて一緒に食べた。大きいボールに入った、ライスの上にトマトソースと肉が乗った料理。サナ家で頂いたのと同じ形だ。私の隣に、奥さんのアターシャが座る。優しい感じの美人だ。その隣に息子のムサラクがちょこんと座る。ムサラクは全然食べないで、お腹一杯になるので、「もっと食え」と言いたかったけど、特に誰も言わなかったから控えた。6歳にしては小さい。ムサラクは食べ終わると、しばらくお母さんに甘え、お父さんに数の数え方フレンチを教えてもらい(私も真似した)、その後暴れながら、歌を歌いだした。子供と一緒に居る空間が、好きだ。みんながクスクス笑うので「何て歌ってるの?」とムハメドに聞くと、<br />「欲しいものを歌っている」<br />「ムサラク何が欲しいの?」<br />「テレビと、あと中国に行きたいって歌っている」<br />「中国じゃなくて、日本だって伝えて」<br />ムサラクを呼び寄せて「日本に行きたいの?」と聞くと「そうだ」と言う。「お父さんとお母さんに会えなくて、泣かない?」と聞くと、照れてように笑ってお母さんの後ろに隠れてしまった。後片付けは手伝わねば、とテントの中に皿を運ぶ。食器は明日洗うから、そのままでいいと言われる。ムサラクが、炭火の消し方を教えてくるので一緒に火を消した。<br /> 彼らが寝る場所を見せてもらう。蚊帳代わりか、布で出来たカーテンが現れた。寝床の周りを覆う。砂漠の暮らしは、工夫に満ちていた。ムッサは寝る前にお祈りをするらしい。お休みとつげ、テントの外へ出る。<br /> んームハメドと肩を並べて寝るらしい。大丈夫かな。でもまぁ、すぐ其処に家族がいるわけだし、なんてマットの上で就寝準備をする。といっても、蚊取り線香を焚くぐらいだが。ムハメドが、マッサージをしてくれると言って肩をもみ始めた。断らねば!と思ったが余りに上手なので、ちゃっかりしばらくやってもらってしまった。肩と背中、腕。力の入れ具合も絶妙で、旅の疲れは一気に癒えて、相当気持ちよかった。マッサージってアジアの文化かと思っていた。ガーナでマッサージしてよって、誰かに頼んでも出来る人がいなかったから、それ程遠くないこの国マリで、してもらえるなんて予想外。TIMBUKTUは、いろんな文化が入り乱れているらしい。そして、マッサージ文化が受け入れられているところをみると、肌の色は違えど確実に通じるものがあるという事だ。<br />「誰が、マッサージを教えたの?」<br />「村にいたとき、お父さんが。よく、村で人に呼ばれてマッサージしていた」<br />もともと、手先の器用な子供と見込まれたらしい。父からの継承、しかももっと北の村となると少なくても1世紀以上の歴史はあるだろうし、そんな奥地まで浸透しているということはもっと古い歴史のはずだ。逆に、ここから発信されたマッサージ文化がアジアに伝えられたと考えても、おかしくない?全く別?離れすぎている。でも、緑茶も大好きだし、マリは日本やアジア各国と昔から交流がある馴染みの深い地なのかもしれない。世界は何処でつながっているか分からない・<br />「プロのマッサージ氏だね。マッサージ屋を開業すれば、この町観光客も多いし、絶対儲かる」と私は興奮して言う。「全てのホテルの各室に、英語とフランス語後日本語で書いた紹介文を置いたら?」そしたら、収入が一気に上がるのでは。ムハメドは、<br />「たまに、ホテルの人に呼ばれてマッサージすることがある。でも、僕はミュージシャンだ。マッサージ氏にはなりたくない」<br />と、はっきり言った。音楽で生きていけるし、生きている。それ以上何もいらない。<br /> 横になって空を見上げると、流れ星が、長い尾を引いて流れる。<br />「今度いつ帰ってくる?2010年までに帰ってくるって約束して」<br />不確かな約束は出来ない。分からないとしか言えない。ムハメドは、来ては去っていく旅人をこうやって何人も見送ってきたのだろう。日常生活の中に、非日常生活の人々が迷い込む町。旅行者とは、本当に無責任なものだ。去るのが決まっているから、友達を置き去りにする。ガイドとか、お金が絡まない交流がしたいなんて、望んだけれど、交渉して雇って、そういう方が後腐れなくていいのかもしれない。別れが辛くなるのって、辛い。<br />話しながら寝てしまって、携帯の目覚ましで起きた。がさごそしていると、ムッサが起きてくる。見送りをしてくれるのだ。ムッサに、ハグされた。「アムハラジェン」やっと、覚えられたトワレの言葉でありがとうと言う。リックを背負って、ボクトゥホテルまで歩き出す。そこが、サナさんの指定した場所だったから。ムハメドと肩を並べて歩くと、ムハメドも黙りがちだった。私の鼻水をすする音だけ聞こえて、誤魔化すために「風引いたかも」と言う。本当いい滞在だった。ホテルのベンチで、車を待つ。もう、なんと言っていいか分からない。ムハメドは、私に「夜の9時以降は外出しないように」とか、「次に戻ってきたときは、僕の出身の村に連れて行く」と、いろんなことを言う。「うん、分かった」と応える。どんな形でも、また戻って来たい。ムハメドと、ムッサとその家族、そしてこの町の人が怖い病気にかかることもなく、争いに巻き込まれることもなく、いつまでも平和に暮らしていて欲しいと祈ることしか出来ない。Mopti行きの車は遅れていいのに、時間前に来た。ばたばたして、ちゃんとお別れが出来ない。「一緒に写真撮ろ!」運転手に迷惑がられて写真を撮ると、直ぐに出発した。窓越しに、握手。手が解けると、もういつ会えるか分からないと泣けた。暗い車内の中で、流れる音楽は、ムハメドの演奏していた楽器の曲だった。もう、涙が止まらなかった。

トンブクトゥ(TOMBOUCTOU)最終夜、あったかい家族と[4.7日目]

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2008/02/07 - 2008/02/14

12位(同エリア18件中)

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美野里さん

 ムハメドは私を今夜泊めたいということを、家主に言うと家主は快くOKしてくれた。その後、ラクダに乗りにいく。なぜみんなラクダラクダと騒ぐのだろう。野良ラクダを見ていれば充分で、乗る必要があるのだろうか。トワレの民の人が、既にラクダと共に待っていてくれた。近くで見るらくだは黒目がちでまつげが長く、穏やかそうでとても愛らしかった。乗るように言われ、またがる。トワレのおじさんに蹴られてラクダが、よっこらせと立ち上がる。思ったより、全然高い。落ちて死なないように注意しないと。足はラクダの首の上に乗せるようにとトワレのおじさんに言われる。ラクダはおじさんに引かれて歩き出した。ムハメドおじさんと話しながら歩き出す。時々私を見上げて、どう?なんて笑いかける。砂漠の中にも、かすかに道があった。TIMBUKTUを発って、幾つかの集落の脇を通った。小さな集落を結ぶこの消えそうな道が、北数百km続いていくのだ。大きい砂丘があって、ここで夕日を見ようとラクダを降りた。
 まだ夕日が沈むまで時間があった。懲りずに、また仰向けになった。今度は風が弱いので、空を眺めていられる。ムハメドは5歳の頃、ラクダに乗って100km北の集落からTIMBUKTUへ上がってきたという。「そうか、らくだかぁ」と、やっとみんなが言うようにラクダに乗っておいて良かったと思った。ラクダに乗って移動する感覚が少しでもつかめる。のろのろ、誰かに引かれてやっぱり進んだのか。
「その当時のこと覚えている?」
「もちろん覚えているよ」
「どれくらいかかった?」
「夜に出て、次の日にはついたような気がする」
意外に早い。お姉さんやお兄さんはTIMBUKTUにいる。もう、結婚しているようだった。お母さんは故郷に残っているそうだ。楽器の演奏を教えた父は亡くなってしまった。兄弟の中で、ムハメドだけが父と共に仕事をし、楽器の演奏を学んだそうだ。継承も選ばれた子供がするものなのか。
 トワレのおじさんに、こっちに来いと呼ばれた。にじり寄ると、砂の上に布を引いて工芸品のアクセサリーを広げている。まだお土産らしいものは何も買っていないし、おじさんにラクダ引いてもらったのも何かの縁か、と手に取った。鈍く光る金属をくり貫いて、彫って模様をつけたヘッドのネックレスが並んでいた。これはマリ産だろう。見た事がない。剣の形をしたヘッドが気に入ったので値段を訊ねた。800CFA、うん妥当だ、と思ったら8000CFAだった。おじさん、そんな無茶な、この砂漠ツアーより高いなんて、一体私がいくら払ってこのツアーに参加したのか知っている?使われているこのおじさんは、私に砂漠の案内をして、連れて帰っていくらお給料がもらえるのだろう。微々たるものだから、こうやって観光客相手に直接小金稼ぎをしているのではないか。喉から手が出る程欲しいわけではない。払って2000CFAが上限だと、おじさんに伝える。売らないと思ったら、売った。ムハメドがその銀の剣のネックレスを、首にかけて留めてくれた。
 少し早く夕日を待ちすぎたらしい、西日はなかなか地平線に近付かなかった。ムハメドがラクダを「らくだ」と日本語で呼ぶ。「トワレの言葉でなんていうの?」と聞くと「アミナス」だった。相変わらず、トワレの言葉の響きは私を魅了する。ラクダも待ちくたびれたらしい、何だか疲れてそうだと思ったら、本気で足を投げ出して横になって寝始めた。「アミナス疲れた」「アミナスお腹がすいた」「アミナス眠い」「アミナス寝る」「アミナスまた起きた」なんて、トワレの言葉を教えてもらって、くすくす笑いながら、私たちの愛らしいラクダの観察、実況中継をした。
 西日が傾く。
「こうやって、お喋りしているといつも、沈むところを見逃すんだ」
と、ムハメドが西の空を見た。沈み行く夕日を見る時間、その時間を作ること事態が例え何処にいても大切なことのように思えた。一日一度は立ち止まるのもいい。悠久の時の流れを感じるのだ。そこに、一緒に居てくれる誰かがいることに感謝した。
 日が暮れて、薄暗い物寂しい砂漠の岐路に着いた。TIMBUKTUに一番近い村で、ラクダを降りた。
「ジャポネ!」
その声の起源を見やると、かなりの速さで走る荒れ狂うラクダを馬のように乗りこなす、男が登場した。ラクダは走るのだ。引かれなくても、操れる。多分砂漠の盗賊に出会ったら、こうやってラクダに鞭を打ち手足のように乗りこなす集団で、大迫力に圧倒されるのだろう。彼は私の心をつかんだ、2人目の大物役者。名前は聞かなかったけれど、ムハメド曰くこの町のラクダの元締めをする人物らしい。日没後の、薄暗い光の中にラクダの上から声を掛けて、一瞬ラクダを止める。アミナスは前足を高く上げた。そしてまた走り去る。垣間見ただけだけど、彼の存在感は重く深いものがあった。

 ムハメドが「じゃあお風呂はいりに行こうか」と言って、友人宅を訪れることになった。「え、このまま?タオルとかシャンプー石鹸、とりに帰らないとないけど…でも、そういうものなのか」と、我侭を言わず駱駝後友人宅に出頭した。サッカーのファイナルを見ている。エジプトも、カメルーンも私にとっては縁遠い国だった。バケツに入った水を頭から少しずつかぶり髪も顔も体もまとめて洗った。水を浴びると、サッカーは終わっていた。ムハメドも私に続いて、水浴びをし、メンソールのクリームを体に塗っている。中国製だ。中国製品がアフリカの奥地まで浸透している。世界の華僑。私などは日本が恋しい口で、出会う中国商人の凄さには敬意を払わずに入られない。異国で、異国の人に囲まれ、店まで構えて本気で住み始める。お金になるから?唯それだけが理由だとしたら、凄い度胸だ。サッカーのクロージングセレモニーが始まり、その後変なPVを見せられた。ムハメドにとっては、私を喜ばせたいのだろうが、あいにくテレビを見たいわけではなかった。「お腹すいた」と口実を付けて、買い物に出ることに成功した。先ずは泊めてもらうので、お土産に緑茶と砂糖、そして家主がタバコを吸っていたのを思い出しタバコを奮発して一箱(いつも一本、二本単位で買うのが普通)買った。食堂で食べようかなぁと思って場所をムハメドに聞くと、「分からない、サナを探そう」と言う。「いやいや、じゃあいいよ。パンかなんか買いたい」そして、円盤状の特徴的なパンを購入した。
 家に戻ると、奥さんが食事の支度をしていた。息子が2人、一人は赤ん坊で寝ていて一人は幼いけどお母さんを手伝っていた。「ここで、寝てね」なんて、マットレスを引いてもらったが、「外で寝てもいい?」と聞くとOKで、マットレスを外に運んでくれた。食事をもらうのは悪いなぁなんて、買ったパンをかじると、トマトシチューが来てこれに付けて食べるようにと言われた。家主が「そのパンだったら、家にあったから買う必要ないのに」と言われる。チャコールで、温めてくれた。素朴な味のこしのあるそのパンは、美味しかった。家主の名前は、ムッサ。マットの上に座る私たちの前にチャコールを入れたポットを運んでくれた。少し冷えてきたので嬉しい。早速お茶を入れようとするので、「待って。私が入れる」と、お昼に習ったように試みる。首と肩で、懐中電灯を挟んだ。迷う度に「セコムサ?」と聞き、何だか涙ぐんでしまった。だって、もうこうやって肩を並べてお茶を入れる日がいつまた来るか分からない。ムッサは出来たお茶を「ズズズズー」と音を立てて、飲んだ後(音を立てるのが礼儀)「うまい」と言ってくれた。うぅ、泣ける。続いてムハメドも、音を立てて私のお茶を飲んでくれた。奥さんに持っていこうとすると、彼女は飲まないという。ムッサはしきりに文化や言葉を紹介してくれる。TIMBUKTUに来る途中で見た、金の粒を今度は本物の粉にする様子を紹介してもらう。すり鉢で、するような形だ。「フラフラ」と呼ぶ。御飯に混ぜて食べたりするらしい。もう、全然言葉とか通じないけど、幸せだった。出来上がった御飯も結局、招かれて一緒に食べた。大きいボールに入った、ライスの上にトマトソースと肉が乗った料理。サナ家で頂いたのと同じ形だ。私の隣に、奥さんのアターシャが座る。優しい感じの美人だ。その隣に息子のムサラクがちょこんと座る。ムサラクは全然食べないで、お腹一杯になるので、「もっと食え」と言いたかったけど、特に誰も言わなかったから控えた。6歳にしては小さい。ムサラクは食べ終わると、しばらくお母さんに甘え、お父さんに数の数え方フレンチを教えてもらい(私も真似した)、その後暴れながら、歌を歌いだした。子供と一緒に居る空間が、好きだ。みんながクスクス笑うので「何て歌ってるの?」とムハメドに聞くと、
「欲しいものを歌っている」
「ムサラク何が欲しいの?」
「テレビと、あと中国に行きたいって歌っている」
「中国じゃなくて、日本だって伝えて」
ムサラクを呼び寄せて「日本に行きたいの?」と聞くと「そうだ」と言う。「お父さんとお母さんに会えなくて、泣かない?」と聞くと、照れてように笑ってお母さんの後ろに隠れてしまった。後片付けは手伝わねば、とテントの中に皿を運ぶ。食器は明日洗うから、そのままでいいと言われる。ムサラクが、炭火の消し方を教えてくるので一緒に火を消した。
 彼らが寝る場所を見せてもらう。蚊帳代わりか、布で出来たカーテンが現れた。寝床の周りを覆う。砂漠の暮らしは、工夫に満ちていた。ムッサは寝る前にお祈りをするらしい。お休みとつげ、テントの外へ出る。
 んームハメドと肩を並べて寝るらしい。大丈夫かな。でもまぁ、すぐ其処に家族がいるわけだし、なんてマットの上で就寝準備をする。といっても、蚊取り線香を焚くぐらいだが。ムハメドが、マッサージをしてくれると言って肩をもみ始めた。断らねば!と思ったが余りに上手なので、ちゃっかりしばらくやってもらってしまった。肩と背中、腕。力の入れ具合も絶妙で、旅の疲れは一気に癒えて、相当気持ちよかった。マッサージってアジアの文化かと思っていた。ガーナでマッサージしてよって、誰かに頼んでも出来る人がいなかったから、それ程遠くないこの国マリで、してもらえるなんて予想外。TIMBUKTUは、いろんな文化が入り乱れているらしい。そして、マッサージ文化が受け入れられているところをみると、肌の色は違えど確実に通じるものがあるという事だ。
「誰が、マッサージを教えたの?」
「村にいたとき、お父さんが。よく、村で人に呼ばれてマッサージしていた」
もともと、手先の器用な子供と見込まれたらしい。父からの継承、しかももっと北の村となると少なくても1世紀以上の歴史はあるだろうし、そんな奥地まで浸透しているということはもっと古い歴史のはずだ。逆に、ここから発信されたマッサージ文化がアジアに伝えられたと考えても、おかしくない?全く別?離れすぎている。でも、緑茶も大好きだし、マリは日本やアジア各国と昔から交流がある馴染みの深い地なのかもしれない。世界は何処でつながっているか分からない・
「プロのマッサージ氏だね。マッサージ屋を開業すれば、この町観光客も多いし、絶対儲かる」と私は興奮して言う。「全てのホテルの各室に、英語とフランス語後日本語で書いた紹介文を置いたら?」そしたら、収入が一気に上がるのでは。ムハメドは、
「たまに、ホテルの人に呼ばれてマッサージすることがある。でも、僕はミュージシャンだ。マッサージ氏にはなりたくない」
と、はっきり言った。音楽で生きていけるし、生きている。それ以上何もいらない。
 横になって空を見上げると、流れ星が、長い尾を引いて流れる。
「今度いつ帰ってくる?2010年までに帰ってくるって約束して」
不確かな約束は出来ない。分からないとしか言えない。ムハメドは、来ては去っていく旅人をこうやって何人も見送ってきたのだろう。日常生活の中に、非日常生活の人々が迷い込む町。旅行者とは、本当に無責任なものだ。去るのが決まっているから、友達を置き去りにする。ガイドとか、お金が絡まない交流がしたいなんて、望んだけれど、交渉して雇って、そういう方が後腐れなくていいのかもしれない。別れが辛くなるのって、辛い。
話しながら寝てしまって、携帯の目覚ましで起きた。がさごそしていると、ムッサが起きてくる。見送りをしてくれるのだ。ムッサに、ハグされた。「アムハラジェン」やっと、覚えられたトワレの言葉でありがとうと言う。リックを背負って、ボクトゥホテルまで歩き出す。そこが、サナさんの指定した場所だったから。ムハメドと肩を並べて歩くと、ムハメドも黙りがちだった。私の鼻水をすする音だけ聞こえて、誤魔化すために「風引いたかも」と言う。本当いい滞在だった。ホテルのベンチで、車を待つ。もう、なんと言っていいか分からない。ムハメドは、私に「夜の9時以降は外出しないように」とか、「次に戻ってきたときは、僕の出身の村に連れて行く」と、いろんなことを言う。「うん、分かった」と応える。どんな形でも、また戻って来たい。ムハメドと、ムッサとその家族、そしてこの町の人が怖い病気にかかることもなく、争いに巻き込まれることもなく、いつまでも平和に暮らしていて欲しいと祈ることしか出来ない。Mopti行きの車は遅れていいのに、時間前に来た。ばたばたして、ちゃんとお別れが出来ない。「一緒に写真撮ろ!」運転手に迷惑がられて写真を撮ると、直ぐに出発した。窓越しに、握手。手が解けると、もういつ会えるか分からないと泣けた。暗い車内の中で、流れる音楽は、ムハメドの演奏していた楽器の曲だった。もう、涙が止まらなかった。

  • 私を乗せたアミナス。

    私を乗せたアミナス。

  • より北へ移動する人々

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