2007/07/18 - 2007/07/18
383位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/18(水)第11日目:マラムレシュ地方観光3日目(w/現地ガイド)
【宿泊:Pension Prisacaru(ヴァド・イセイ村)】
シゲット・マルマッツィエイの市場見学、木彫りの門の彫刻家のアトリエ見学、バルサナ修道院、ボティザの司祭の家で昼食&カーペット・アトリエ見学、ボティザの木造教会、イェウドの木造教会(閉鎖中だったので窓から眺めた)
※時間が足らなくて、ポイエニレ・イセイの教会には行けなかった(泣)
イザ川渓谷をめぐる本日最後の観光メニューは、マラムレシュ地方の木造教会の中では今に残る最古のイェウド教会となりました。
残念ながらその次に行く予定だったポイエニレ・イゼイ教会は行けず。
本当は時間が遅くて中に入れないにしても、ポイエニレ・イゼイに行くだけ行ってみたい気持ちはやまやまでした。
でも、9時からつきっきりでガイドしてくれるニコラエさんに、さすがにそこまでわがままは言えませんでした。
外観はボティザの木造教会によく似ているので、それであきらめをつけしまた。
それに、ポイエニレ・イゼイ教会の一番のハイライトは、傑作と名高い内部の壁画「最後の審判」なのです。
中に入れないことには目的をほとんど達せません。
ただし、本日最後のメニューとなったイェウド教会も、鍵を持っている人が不在で、中に入ることはできませんでした。
代わりにせめてもの慰めは、ガラスの入っていない窓から中を覗いて、プロナオス(前室)の写真が撮れたことでしょう。
肉眼では暗くてよく分からなかった内部の壁画も、カメラのレンズを通したら、かなり良く見えました。
イェウドの教会も、マラムレシュ1日目に訪れたスルデシュティ教会に劣らず、壁画の保存状態がとても良いそうです。
今でも、絵が描かれていないところはないといわれるくらいなのです。
あいにく外から覗くだけではそこまで分かりませんでしたが、入れない代わりに写真を撮れたのは収穫です。
いままで訪れた木造教会で、壁画が残っているような古い教会のほとんどが、内部の撮影はダメでしたから。
このイェウドの教会も、中に入れたら、写真は撮れなかったかもしれません。
でも、「だれもノーと言う人がいないから、撮っちゃってもいいよ」とニコラエさん、ナイス@
それにしても、ニコラエさんに限らず、教会内の写真撮影はいいのかよくないのか、わりとアバウトなのかしら。
今回のルーマニア旅行3週間ほどでは、その境界線はさっぱり分かりませんでした。
シンプルに、ダメと言われればやめておくだけ。
かといって本当は、ダメと言われなければ撮ってもいいという理屈にはならないかもしれないです。
ちなみに、行きそびれたポイエニレ・イゼイ教会の壁画「最後の審判」は、翌日、写真ですが、シゲット・マルマッツィエイの民俗博物館で見ることができました。
さらに帰国後、RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブックには、イェウドとポイエニレ・イゼイはもちろん、マラムレシュ地方の主だった木造教会の、その特異な外観と美しい壁画の写真が満載でした。
「Ieud「イェウッド」村の教会
この教会は1364年に建てられ「聖処女マリアの誕生」という名前がついています。マラムレシュ地方の木の教会の中で、最も古いものです。内部の雰囲気が神秘的で、建設された当時の雰囲気や文化の香りが、漂よってきます。その仕上がりも丁寧かつ立派で、内部の壁面いっぱいに絵が描かれ、たくさんの木とガラスのイコンが飾られています。」
(ルーマニア政府観光局公式サイト「世界遺産─Maramures─マラムレシュ地方の木造教会」より)
http://www.romaniatabi.jp/unesco/maramures.html
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イザ川に架かる木の吊り橋
最古のイェウド木造教会に向かう途中
川を渡りました。柵のない橋です。
運動神経の鈍い私は、おっかなびっくりバランスをとりながら渡りました。
といってもそんなに難しい橋ではないのですけれどね。
「イェウド・デアル木造教会はイェウド村にあります。この村は11世紀にさかのぼり、住民が住み続けた村の中ではもっとも古い村の一つです。村は、青銅器時代および古代ローマ帝国時代にさかのぼるたくさんの遺品が発見されており、さらに古いと信じられています。他の教会から丘の上に設置されたイェウド・デアルは、1364年、聖母マリア生誕の日9月8日に建てられました。教会は松の木を使って建築されており、ヨーロッパでもっとも古い木造建築物と考えられています。ルーマニア語で書かれた最も古い文書(1391年)が教会の屋根裏で発見されました。」
(現地ガイドにもらった世界遺産の木造教会のパンフレットの記述を私訳) -
イェウド村のカトリック教会
最古のイェウド木造教会に向かう途中
教会の前に立つキリスト磔像が彫刻、すなわち三次元なので、神・聖霊・キリストの三位一体を唱えるカトリックの教会だと見分けがつきます。
これがもし、キリスト磔像が絵なら、ルーマニア正教会です。 -
最古のイェウド木造教会
屋根と塔の一部
周囲が狭いので、全貌が撮れそうにありません。
というわけで、また思いっ切り一部の写真で@
それはそれでいいんですけど、逆光で真っ暗になってしまうので、屋根タイルを出すために露出をうんと明るくしたので、ちょっと色が薄くなってしまいました。
「教会が立つ場所は、城の廃墟の跡であった。そもそもイエウッドの名が初めて記録に登場したのは1365年。しかし、遅くとも11世紀には、すでに人が住み始めたことが分かっている。この教会はまた、ルーマニア語で書かれた最初の記録が発見された教会としても、広く知られている。その中には、法典化された宗旨問答書やイエウッドの教会法が含まれている。モミの木でできた頑丈な教会が、貴重な資料の劣化を防いでくれた。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
窓から覗いたプロナウス(前室)
首と羽だけの天使が見えます。
現存する最古の木造教会でもこれだけきれいに壁画が残っているのは、屋根だけは何度か交換しているおかげで雨がしみ込まなかったせいだそうです。
このプロナオスには窓が4つあるため、外からの明かりを室内に取り入れて明るいそうです。
それは、他の木造教会がたいてい外からの光が入らず薄暗いのと対照的です。
★イェウド教会の略歴
イェウドに最初に教会が建てられたのは、1364年です。
以前は現在の木造教会が600年以上の歴史をもつと思われていましたが、このオリジナルの教会は17世紀にタタール人(モンゴル人)によって火をつけられ、完全に焼失してしまったことが今では分かっています。
現在の木造教会(聖母マリア生誕教会)は、その同じ場所に、17世紀後半に建てられましたが、いずれにしても現存する木造教会の中では最古のものです。
18世紀に修復され、若干の改築は行われたものの、18世紀末の壁画とともに保存状態が良いため、世界遺産の木造教会の一つに登録されました。
内部の壁画は、後期ビザンチン様式で、マラムレシュの木造教会の中では最もよく保存されているものです。
内壁は、絵が描かれていないところはありません。
そして文字はキリル文字で記されています。
(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)
http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html
ちなみに、私は昔、ルーマニア語がキリル文字で書かれていたことを知りませんでした。
ニコラエさんにそのことを教わったあと、「実はなんでブルガリア語が書かれているかとずっと不思議だった」と漏らしたら、「どうしてルーマニアの教会にブルガリア語……」と嘆かれてしまいました。
だって、いま東欧でキリル文字のところといったら、すぐお隣のブルガリアを思い出したんですもの@ -
窓から覗いたプロナウス(前室)
入口のある西壁
Metaneira社のマラムレシュガイドブックによると、このプロナオスの西壁には、「最後の審判」と「賢い乙女と愚かな乙女の寓話」が描かれているそうですが、そこから推測するに、上から1〜2段目は乙女たちが描かれているのかもしれませんね。
一番下に見えるのは、大天使ミカエルかもしれません。
「賢い乙女と愚かな乙女の寓話」とは天国の門をくぐるためには信者の常日頃心がけと準備が大事であると説いた、キリストのお得意のたとえ話です。
5人の賢い娘と5人の愚かな娘がいました。婚礼の日、彼女達は花婿たちを待っていました。
賢い娘たちは花婿を迎えるためのともしびと油をきちんと用意しておきましたが、愚かな娘たちは油を用意しておきませんでした。
花婿の到着は遅れ、夜になったので町の門は閉じられ、花嫁たちは眠り込んでしまいました。
夜中になり、やっと花婿たちがやってきたのを見た町の門の物見が「目を覚ませ、花婿たちがやってきた」と叫びました。
賢い娘たちはすぐに明かりをつけて花婿を出迎えに行くことができましたが、愚かな娘達は油を買いに行かなければなりませんでした。その間に門は閉ざされ、式が始まってしまいました。
でも、ユダヤ人の当時の風習を知らないせいかもしれませんが、このたとえ話には疑問が……。
この機会を逃すと、娘たちはもう結婚できないの?
せっかくやってきた花婿たちは帰ってしまうの?
花婿を待たせて、あとで式を挙げるとか、できないの?
という問題ではないのでしょうか@
それとも10人の花婿のうち、先にいい男が賢い娘たちにとられてしまうということかしら(笑)。
※「賢い乙女と愚かな乙女の寓話」の参考URL
http://esakana.blog69.fc2.com/blog-date-200412.html
http://igi.sekl.fi/message/2002/11.17.html
http://covenantchapel.net/main005r.htm?board_code=cboard&num=57&page=10&list_num=73&s_opt=&s_con=
http://www.eonet.ne.jp/~welcomehome/ariel/no17.htm -
窓から覗いたプロナウス(前室)
天井
聖人の姿が見えますが、やたらと丸がありますね。
左側には、太陽と月。
それから、横木には、蔓性の花のようなものが@
イェウドの教会に絵を描いたのは、マラムレシュで最も活躍していた画家アレクサンドル・ポネハルスキ(Alexandru Ponehalschi)です。1782年でした。
ちなみに、彼の名前はブデシュティ木造教会でも出てきました。18世紀にマラムレシュ地方で最も活躍した画家の一人です。
彼の原点はビザンチン様式ですが、それに地元マラムレシュの様式と西欧バロック様式を加えることで、独自の様式を生み出しました。
ポネハルスキの手によるこのイェウドの教会内部の絵は、道徳と教育的な要素をもち、大部分の絵にその解説が加えられているそうです。
……窓から覗いただけでは、暗くてそこまで分からなかったですが(泣)。
(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)
http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html -
窓から覗いたプロナウス(前室)
あの壁の奥のナオスまで入れるのは男性のみです。女性は入れませんでした。
狭いから、というのが大きな理由のようですが。
1827年、そんな女性たちも礼拝が見られるよう、このように壁に窓が開けられたそうです。
ナオスは残念ながら窓から覗けませんでした。
※マラムレシュの木造教会の典型的な内部の図解は、こちらの写真を参考ください。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12868673/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第9日目(1):世界遺産のスルデシュティ木造教会を訪ねて」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10189130/ -
教会内プロナオス(前室)の壁画
Metaneira社のマラムレシュガイドブックの写真より
天国にいる旧約聖書の族長たち、アブラハム、イザック、ヤコブ。
彼の腕の中には救済された人々の姿が@
イェウドの木造教会には、壁画以外にも、16〜17世紀の木のイコン、ニクラのガラス・イコン(ガラス・イコンを有名にしたのは17世紀のニクラ村)、カーペット、刺繍の飾り布、古書といった価値ある遺品が保存されています。
他のスルデシュティやブデシュティのような世界遺産に登録された歴史の古い木造教会でも大なり小なりそうでしたけどね。
(情報源:RomanianMonasteries.orgのサイトで購入したMetaneira社のマラムレシュガイドブック)
http://www.romanianmonasteries.org/buymaramuresbook.html -
クローヴァーのような十字架の、古い木の墓標
イェウド教会の墓地にて -
どの墓標も傘付き@
イェウド教会の墓地にて -
十字架の真ん中に、絵のキリストと浮き彫りのキリスト@
イェウド教会の墓地にて -
ブドウとマリア像のある、美しい浮き彫りの墓標
イェウド教会の墓地にて -
教会の屋根と同じタイルのある墓標
イェウド教会の墓地にて -
こっちにも、教会の屋根と同じタイルのある墓標
イェウド教会の墓地にて -
イェウド教会の墓地脇の「ゴルゴダへの道」
Metaneira社のマラムレシュガイドブックの写真より
1930年建てられたもので、全部で14あるそうです。
イラストは、十字架を背負ってルゴダの丘へ行くイエスの姿が描かれています。
現地では、あまり魅力は感じられず、写真を撮りませんでした。
このプリントの絵が色あせていたし、中途半端に稚拙に見えたせいです。
代わりにお墓の写真ばかり撮っていました。
でも、こうして並んでいるところは、なかなか風情があったので、撮っておけばよかったです。
帰国後にこの本の写真を見て後悔しました。 -
絨毯を乾している民家
美しい刺繍のある織物です。
このバラ模様は、比較的新しいモチーフだそうです。 -
美しいバルコニーのあるイェウド村の民家
イェウドは古い伝統を固く守っている正教会の村です。
Lonely Planet(2004年発行3rd edition)によると、村の最初の結婚記録の1787年から1980年まで、離婚が1件もなかったとか。
1980年以降はさすがに違うのかしらね、などと考えてはしまうのは天邪鬼?
イェウド村が最初に記録されているのは1365年ですが、村は11世紀から存在していたのは事実なようです。
のちにモルダヴィア公国の大公となったドラゴス・ヴォーダ(Dragos Voda)の孫バルク(Balc)が暮らしていたようです。
世界遺産である「丘の上の」正教会(イェウド・デアル(Biserica de Lemn din Deal=Church on the Hill))は、その城跡に建てられました。
ちなみにイェウドにはもう一つ木造教会があります。1717年に建てられ、現在はギリシャ・カトリック教会です。
村の南端にあり、珍しいことに門がないそうです。
そしてマラムレシュでも有数のイコン・コレクションがあるそうです。
ただしこれは博物館が併設されているという意味ではなく、教会内に飾られているガラス・イコンのことでしょう。
あいにくこちらの教会(イェウド・セス(Ieud Ses))までは行く時間はありませんでした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- スタリモストさん 2008/01/04 23:37:51
- 知らなかったことがいっぱいです
- まみさん、こんばんは。
ルーマニア旅行記の続きが出てるかな、とおじゃましたら、2006年に私達も訪れたイエウドの木造教会がのっていてうれしくなりました。
その時は少女がひとりで番をしていて中に入れました。が、『最古の木造教会』という以上の知識を持ち合わせておらず、それでも薄暗がりの中に広がる荘厳ながらもどこか素朴な教会が強く印象に残りました。
イエウドに一泊して翌日はイーザ駅からサルバまで列車で行き、そこでスチャバ行きに乗り継ぎました。
イーザからサルバに至る途中、車窓に広がる景色の美しさに息をのみました。あれがイーザ渓谷なのですね。
私達が泊まった家のすぐ隣にも木造教会がありました。小さな村にいくつも教会があり熱心にお参りする人々の姿にあたたかいものを感じました。
ルーマニアのすばらしさが今さらながらに思い出されます。
またぜひ行きたいものです。
- まみさん からの返信 2008/01/07 12:31:51
- RE: 知らなかったことがいっぱいです
- スタリモストさん、こんにちは。書き込みありがとうございます。
イェウドの旅行記をみてくださってありがとうございます。
マラムレシュを自力で回られるのは大変だったと思います。
ガイドを手配すると決めて、いけることが確実に分かってからも、せっせと下調べしました@
そして旅行記作成のために復習もしました。
これも旅の醍醐味ということで。
残念ながら私はイェウドの教会の中には入れませんでした。でも代わりに写真を残せました。
つい後の記憶のようがに、、、と写真にこだわってしまうんですよね。
ルーマニアの人々は熱心な信者が多いと聞いていましたが、マラムレシュの村々の人々の素朴で熱心な姿は格別でした。
そしてルーマニア中、ひとなっつこい人が多かったですね。
白タクのドライバーの腹ただしい人なっつこさは除き(笑)、よい思い出がたくさん作れました。
ルーマニア旅行記はやっと半分を終えたところです。
ついに年をあけてしまいましたが、なるべく早く終わらせたいな。
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