1998/07/29 - 2023/12/25
219位(同エリア420件中)
砂布巾さん
7月29日 90万レイの札束~ブカレスト(ルーマニア)
朝は4:17に目が覚め、以後寝ることが出来ず、6時半から昨日に続いて散歩に出掛ける。朝食の開始時間を待って、7:50にはYHを出発。
空港でのチェックイン後は、昨日出せなかった絵葉書を送ったり、朝日新聞の衛星版を買ったり、ジュースを飲んだりしてギルダーの残りは15セント。物価が日本と同程度のオランダでの2日弱を200ドイツマルク(以下DM 約¥16,000)で乗り切ったのは上出来。新聞の国際面には「セルビア部隊が幹線を奪還」とコソボ問題に関する記事が相変わらず載っていた。
ブカレスト、オトペニ空港到着は15時前。すぐ前の席には若い日本人夫婦が、そしてビジネスマンらしき人も乗っていた。飛行機の後方のドアからタラップを使って降り、バスで入国審査に向かう。列の一番最後で、前に人が大勢並んでいたので、先に銀行で両替。現金200DMに対して係員が出してくれたのは輪ゴムで結んだ札束。1DM(約¥80)が4,500レイだから200DMだと90万レイ。額が大きい札がないのかも知れないが、1万レイ札が90枚! 札束のブ厚さには度肝を抜かれてしまった。計算してみると1レバ(単数)が¥0.018だから55.6レイでようやく¥1。あの札束を見て両替し過ぎたかな、という後悔の思いと、でもこれだから初めて入国する国で味わうスリルはたまらない、との思いが交錯した。入国に際してのビザも女性の入国審査官がパスポートに判子を押すだけで簡単に取ることが出来た。
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空港からは783番のリムジンバスでブカレスト市内へ。値段を聞くと「three, five thousand」と言うので35,000レイかと思ったけど、3,500レイのことだった。市内に入って地図を眺めていたら、運転手のおじさんが「どこへ行くのか?」と聞いてきたので、「Nord Station」と答えると近くのバス停で降ろしてくれ、「123番のバスに乗れ」と教えてくれた。
ブカレストの市内バスは運転席と客席が完全に仕切られた形になっている。運転手に「ノルド(北−実質的には中央駅)まで幾ら?」と聞くと、横に置いてあった木の箱を叩き、「ここに座れ」とジェスチャーで示したので、そこに座る。車掌になったような気分だ。運転手が言うにはバス代は3,000レイ、後で分かったけどチケットは売店で買うシステムのようだから、あのおじさんがポケットに入れたに違いない。降りる時に写真を撮らせてくれなかったのは、その辺に原因があったのかも。ルーマニアは旧東欧諸国では唯一ラテン系民族の国だけに、言葉の雰囲気はイタリア語に近い印象を受けた。 -
バスを降りた場所から駅前の有名な安ホテル「ブチェジ」が見えたので、行ってみる。トイレ、シャワー(お湯が出なかった)は共同、朝食なしで100,000レイはおよそ¥1,800。建物自体は周囲の建物と同様薄汚れている(実際に駅周辺でも建物はみなやけに古い)けど、部屋も比較的広く、テレビもあり(ルーマニアで唯一テレビ付だった)、立地も良いので満足だ。
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(ブチェジの室内 カバンの上が札束)
夕方は駅周辺を出歩いてみる。地下鉄の路線はよく分からないし、方向は分からなくなるし、で先が思いやられる。しかも先程から外では雷を伴った大雨。やはりこの2つには悩まされそうだ。 -
7月30日 チャウシェスクの悪夢
朝ホテルのレストランで食事をしていると、日本人らしき男女2人組がやって来る。話を聞いてみたら、ノホホンとした彼は去年ルーマニアに40日も滞在していたという変わり種、一方女子大生の彼女は、父親のマイレージでJALの無料航空券をゲットしトルコから入国、有名なリラの僧院にも行かず1泊だけでブルガリアを通過し、ルーマニアにやって来たとか。
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今日1日は徹底的に1989年12月の革命にこだわった。少し迷ったけど最初は革命広場。旧共産党本部はチャウシェスクが最後の演説を行い、ヘリコプターで逃亡を図った場所。周囲の建物をよく見てみると、銃痕が残っていた。
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次は名ばかりの「国民の館」。ガイドブックには「中には入れない」と書いてあったけど、実際には英語のガイド付(しかも客は1人だけ!)で入ることが出来た。入場料が30,000レイにカメラの持ち込み料が同じく30,000レイ。渡されたのが2枚ともカメラ券だったのはご愛敬。統一大通りから見た宮殿の巨大さも異様だったが、中に入っても壮大さを飛び越えた異様さは表現できない。世界中の官庁や宮殿の中では、アメリカの国防総省ペンタゴンに次いで2番目に巨大な建物だそうだが、恐怖政治を行っていたチャウシェスクが飢餓輸出など国民生活を犠牲にして、自分の自己顕示欲を満足させるために建てたに過ぎない。
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チャウシェスクは、独裁者として自分が頂点に立ってのルーマニアの発展を夢見ていたのかも知れないが、チャウシェスクの夢は国民にとっては正に悪夢でしかなかった。
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(宮殿からの眺め)
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でもチャウシェスクは、西側社会における受けは悪くなかった。と言うのも、彼はソ連の言いなりにならず、独自の立場を貫いていたからだ。例を挙げるなら、ワルシャワ条約機構軍の国内駐留を拒否していたし、多くの社会主義国がボイコットした中、旧東欧諸国では唯一ロサンゼルスオリンピックに参加していた。
革命で犠牲になった市民が眠っている「英雄の墓」にも行ってみた。係員にジェスチャーで聞いてみたら、290人が眠っているそうだ。東ドイツ、ベルリンの壁崩壊に始まり、チェコスロヴァキア、ルーマニアに波及した1989年の東欧の逆ドミノ革命でルーマニアは唯一流血を伴った事態となったけど、尊い彼ら犠牲者(13歳の少年の墓もあった)のことを忘れてはならない。
週末前だったので両替した。1DM=4,800レイと昨日よりレートが良く、また50,000レイ札9枚と10,000レイ札3枚にまとめてくれた。空港ではレートが悪く、皆最小限しか替えないから、額面が大きい現金はなかったのかも知れない。
ブカレストでは怪しげな人に声を掛けられたりすることもないし、治安は比較的良いかな、と思いながらノルド駅に着くと、ポリスと名乗る男が「パスポートを見せろ」と言う。勿論持っていたけど見せなかったら、結局は諦めた。本当にポリスだったかも知れないが、すぐに英語を話す男が通訳と称して近づくなど、やはり怪しい。例えポリスと名乗る男にも、気を許さないことが大事。
昨日と同じくホテルのレストランで食事をしていたら、「日本人ですか」と豪傑そうな女性が声を掛けてきた。彼女はイスタンブールからブルガリアを経てルーマニアに入り、5日後にイスタンブールから帰国するそうだ。やはり旧東欧、特にマイナーなルーマニアやブルガリアに来るのは一癖ある人が多い。ところで彼女が数日前にブチェジに泊まった時は同じく言い値で70,000レイだったとか。どうやら相手を見て値段を決めているようだ。 -
7月31日 国立軍事博物館
昨日夕方何気なくガイドブック‘地球の歩き方〜ルーマニア編’のコピー(本体は重たいから持たない)を眺めていたら「国立軍事博物館がある」と書いてあった。革命広場近くで見た建物に違いないと行ってみるが、そこは違っていた。帰ってホテルで聞いてみたら、歩いて10分の所だという。そこで朝食をとり、駅でブラショフに行く13時発の列車のチケットを買って、行ってみた。
博物館では古代から現代に至るルーマニアの主に軍事に関する展示がされていた。圧巻はやはり1989年の革命に関するもの。社会主義のシンボルマークだった真ん中部分を切り取った国旗、犠牲者の写真、そして血のりが残っている軍服などがあり、テレビで見たあの革命のシーンが蘇ってきた。当然のことながら、チャウシェスク時代の展示は無かった。
博物館の見物者はまばら。近代ルーマニア軍の軍服や馬車が展示してある展示館では係員がわざわざ自分のために鍵を開けてくれた。
12時前には駅に行き、簡単な食事や両替を行い、テレカを買ってルーマニア入りして初の日本への連絡を試みる。
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