その他の都市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
 シギショアラから乗換駅のアラドまで4時間半の筈が1時間以上遅れた。車窓から見えるトランシルバニア地方の風景が美しい。アラドの少し手前からは、山が全く見えない草原地帯。<br /><br /> 実はハンガリー国境に近いアラドから最終目的地ティミショアラへの移動が大変だった。というのも途中の橋が壊れたそうで、列車が出るのは別の駅だったからだ。その駅まではバスで行かなければならない。切符を買った時には何も教えてくれなかっし、別料金を払わされた。方々で聞いて、ようやくそのバスも分かった。乗換駅まで30分程度、さらに駅での待ち時間が40分あり、ティミショアラ到着は結局21時。各駅停車の超ローカル列車は、扉を閉めることなく走っていた。途中少し大袈裟に言えば、地平線まで続くひまわり畑(残念ながら枯れかけていた)の一帯があり、圧倒された。<br /><br /> 乗換駅までのバスの車掌は、最初ルーマニア語で「ハンガリーから来たのか」らしきことを言っていたが、‘Sprechen Sie Deutsch?’以後、ドイツ語で話が弾んだ。目的地に着いてからは「番号を教えるから、アラドに来たら電話しておいで」に「写真を送るから住所も書いて」と言ったら、住所を書いて、使い古しのボールペンをくれた。楽しい一時だった。<br />

バルカン半島と大戦のあとを訪ねて~チャウシェスク編 その2

5いいね!

1998/08/03 - 2023/12/22

256位(同エリア456件中)

砂布巾

砂布巾さん

 シギショアラから乗換駅のアラドまで4時間半の筈が1時間以上遅れた。車窓から見えるトランシルバニア地方の風景が美しい。アラドの少し手前からは、山が全く見えない草原地帯。

 実はハンガリー国境に近いアラドから最終目的地ティミショアラへの移動が大変だった。というのも途中の橋が壊れたそうで、列車が出るのは別の駅だったからだ。その駅まではバスで行かなければならない。切符を買った時には何も教えてくれなかっし、別料金を払わされた。方々で聞いて、ようやくそのバスも分かった。乗換駅まで30分程度、さらに駅での待ち時間が40分あり、ティミショアラ到着は結局21時。各駅停車の超ローカル列車は、扉を閉めることなく走っていた。途中少し大袈裟に言えば、地平線まで続くひまわり畑(残念ながら枯れかけていた)の一帯があり、圧倒された。

 乗換駅までのバスの車掌は、最初ルーマニア語で「ハンガリーから来たのか」らしきことを言っていたが、‘Sprechen Sie Deutsch?’以後、ドイツ語で話が弾んだ。目的地に着いてからは「番号を教えるから、アラドに来たら電話しておいで」に「写真を送るから住所も書いて」と言ったら、住所を書いて、使い古しのボールペンをくれた。楽しい一時だった。

PR

  •  トランシルバニア地方は、第1次大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の領土だったという歴史的な背景もあって、ハンガリー系住民(元々はアジアの遊牧民)も多く住んでいる。チャウシェスク時代には、ハンガリー系住民が住む農村改造計画と称して彼らの文化抹殺政策が取られ、隣国ハンガリーとの関係が国交断絶寸前まで至ったこともあった。しかし人々が長年培ってきた民族性をそう簡単に抹殺できるものではなく、人々はハンガリーの文化や言葉を守り抜いた。<br /><br /> 今日の宿泊先は駅前のホテルノルド。値段は133,000レイ(¥2,400)。夕食もホテルのレストランで。「サルマーレはない」に仕方なくブカレスト以来となる‘Cotlet de Porc’。

     トランシルバニア地方は、第1次大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の領土だったという歴史的な背景もあって、ハンガリー系住民(元々はアジアの遊牧民)も多く住んでいる。チャウシェスク時代には、ハンガリー系住民が住む農村改造計画と称して彼らの文化抹殺政策が取られ、隣国ハンガリーとの関係が国交断絶寸前まで至ったこともあった。しかし人々が長年培ってきた民族性をそう簡単に抹殺できるものではなく、人々はハンガリーの文化や言葉を守り抜いた。

     今日の宿泊先は駅前のホテルノルド。値段は133,000レイ(¥2,400)。夕食もホテルのレストランで。「サルマーレはない」に仕方なくブカレスト以来となる‘Cotlet de Porc’。

  •  8月4日 ティミショアラ〜1989年12月16日<br /> ティミショアラはブカレストと並んで何としても来たかった町。というのも1989年12月16日にこの町でハンガリー人神父に対する退去命令に抗議したハンガリー系住民の暴動が、革命の引き金となったからだ。その後チャウシェスク政権への抗議の渦は全国に広がり、旧共産党本部での最後の演説、町中での市街戦、そしてチャウシェスク夫妻の処刑と事態は急展開を見せていった。<br /><br /> 抗議運動が始まった通りは、現在では1989年12月16日通りと呼ばれている。通りのほぼ中央にあるルーマニア正教会に逃げ込もうとした子どもたちに治安部隊が発砲し、教会前はたちまち血の海になったそうだ。

     8月4日 ティミショアラ〜1989年12月16日
     ティミショアラはブカレストと並んで何としても来たかった町。というのも1989年12月16日にこの町でハンガリー人神父に対する退去命令に抗議したハンガリー系住民の暴動が、革命の引き金となったからだ。その後チャウシェスク政権への抗議の渦は全国に広がり、旧共産党本部での最後の演説、町中での市街戦、そしてチャウシェスク夫妻の処刑と事態は急展開を見せていった。

     抗議運動が始まった通りは、現在では1989年12月16日通りと呼ばれている。通りのほぼ中央にあるルーマニア正教会に逃げ込もうとした子どもたちに治安部隊が発砲し、教会前はたちまち血の海になったそうだ。

  •  町の中心には何とも形容しがたい形をしたセルビア正教会があり、近くにはハンガリー系住民に信者が多いカトリック教会もある。町の中心に3つの宗派(2つの正教会が全く別とは言い難いが)の教会があるということは、この町の民族的、宗教的な複雑さを暗示している。

     町の中心には何とも形容しがたい形をしたセルビア正教会があり、近くにはハンガリー系住民に信者が多いカトリック教会もある。町の中心に3つの宗派(2つの正教会が全く別とは言い難いが)の教会があるということは、この町の民族的、宗教的な複雑さを暗示している。

  •  そろそろルーマニア脱出に向けて考えなければならない時期になった。昨日から飛行機でウィーンに向かうプランも浮上したが、319ドルという値段を聞いて諦めた。夜行もあるらしいが疲れるし、盗難の心配もある。結局明後日の10時にアラドを出発し、その日の内にブダペストで乗り換えれば夜にはウィーン入り出来ること、しかも値段が¥7,000弱であることが分かったので、このプランを採用することにした。もし逆にオーストリアでこのルートのチケットを購入すると、余裕でこの数倍はしただろう。ウィ−ンに向かう列車の時刻や値段はティミショアラ駅のInf.では分からず、町中のチケットオフィス(CFR=チェフレ)に出向かなければならなかった。この非効率は社会主義時代の悪癖の名残!

     そろそろルーマニア脱出に向けて考えなければならない時期になった。昨日から飛行機でウィーンに向かうプランも浮上したが、319ドルという値段を聞いて諦めた。夜行もあるらしいが疲れるし、盗難の心配もある。結局明後日の10時にアラドを出発し、その日の内にブダペストで乗り換えれば夜にはウィーン入り出来ること、しかも値段が¥7,000弱であることが分かったので、このプランを採用することにした。もし逆にオーストリアでこのルートのチケットを購入すると、余裕でこの数倍はしただろう。ウィ−ンに向かう列車の時刻や値段はティミショアラ駅のInf.では分からず、町中のチケットオフィス(CFR=チェフレ)に出向かなければならなかった。この非効率は社会主義時代の悪癖の名残!

  •  列車の値段を確認して両替に行ったのだが、勘違いして値段を倍に計算していたので、今度は正真正銘の百万レイの札束をもらうなど、出国を前に再び大量のレイを抱え込むハメとなってしまった。これは困った。<br />

     列車の値段を確認して両替に行ったのだが、勘違いして値段を倍に計算していたので、今度は正真正銘の百万レイの札束をもらうなど、出国を前に再び大量のレイを抱え込むハメとなってしまった。これは困った。

  • (教会の前に残る衝突の名残)<br /><br /> 中心街ではしつこいおじさんが「Change money?」と声を掛けてくる。未だにヤミ両替屋が存在しているのだ。一旦ホテルに帰ろうと近くの女の子連れの女性に聞いたら、ちょうどご主人が車で迎えに来て、駅まで送ってくれた。お土産(百円で買った日本人形のしおり)をホテルに忘れた、と後悔しても後の祭り。

    (教会の前に残る衝突の名残)

     中心街ではしつこいおじさんが「Change money?」と声を掛けてくる。未だにヤミ両替屋が存在しているのだ。一旦ホテルに帰ろうと近くの女の子連れの女性に聞いたら、ちょうどご主人が車で迎えに来て、駅まで送ってくれた。お土産(百円で買った日本人形のしおり)をホテルに忘れた、と後悔しても後の祭り。

  •  話は戻って、昨夜は蚊に悩まされた。断続的に起きて殺した蚊は合計6匹。お陰で十分な睡眠は取れなかった。おまけにカーテンを引こうと思ったら、レールが壊れて落ちそうになるなど、設備も古めかしい。フロントのおじさん達が親切だったのと、ルーマニアで唯一朝食付だったのがせめてもの取り柄。オムレツは最近毎朝食べているが、バターが付いていたのがルーマニアでは珍しかった。

     話は戻って、昨夜は蚊に悩まされた。断続的に起きて殺した蚊は合計6匹。お陰で十分な睡眠は取れなかった。おまけにカーテンを引こうと思ったら、レールが壊れて落ちそうになるなど、設備も古めかしい。フロントのおじさん達が親切だったのと、ルーマニアで唯一朝食付だったのがせめてもの取り柄。オムレツは最近毎朝食べているが、バターが付いていたのがルーマニアでは珍しかった。

  • 第2部 ドナウ川の巻<br />?憧れだった鉄門、そして予定外に3泊もしてしまったブダペストでは曲がり角を見に行くなどドナウ川を訪ねた サラエボ事件の展示が目的のウィーンではゆっくり3泊<br /><br />  8月5日 鉄門(アイアン・ゲート)~ユーゴスラビアとの国境<br /> 昔からヨーロッパの地図を見て何となく気になる場所があった。それはルーマニアとユーゴスラビアの国境にある鉄門(アイアンゲート)。一部の例外を除いてガイドブックにも記述がない。「ティミショアラから200キロで日帰りでも行ける」とホテルのおじさんが教えてくれたので、足を延ばしてみた。鉄門手前のオルショバからドロベタ・トゥルヌ・セベリン(以下DTS 名前が凄い)間は船で移動することを前提に、昨日CFRで時刻表と1時間にらめっこしながら計画を立てた。<br /><br /> 列車の出発は6:44。部屋を2階から3階に替えてもらったにもかかわらず、再び蚊に悩まされ、寝不足の身には辛かった。<br /><br /> オルショバまでは3時間と少し。駅前のドナウの船着き場は小さいものばかりで、それらしき船が出そうな桟橋はない。

    第2部 ドナウ川の巻
    ?憧れだった鉄門、そして予定外に3泊もしてしまったブダペストでは曲がり角を見に行くなどドナウ川を訪ねた サラエボ事件の展示が目的のウィーンではゆっくり3泊

      8月5日 鉄門(アイアン・ゲート)~ユーゴスラビアとの国境
     昔からヨーロッパの地図を見て何となく気になる場所があった。それはルーマニアとユーゴスラビアの国境にある鉄門(アイアンゲート)。一部の例外を除いてガイドブックにも記述がない。「ティミショアラから200キロで日帰りでも行ける」とホテルのおじさんが教えてくれたので、足を延ばしてみた。鉄門手前のオルショバからドロベタ・トゥルヌ・セベリン(以下DTS 名前が凄い)間は船で移動することを前提に、昨日CFRで時刻表と1時間にらめっこしながら計画を立てた。

     列車の出発は6:44。部屋を2階から3階に替えてもらったにもかかわらず、再び蚊に悩まされ、寝不足の身には辛かった。

     オルショバまでは3時間と少し。駅前のドナウの船着き場は小さいものばかりで、それらしき船が出そうな桟橋はない。

  •  近くの人に聞いてみると、バスか列車で行けという。チクショー、「オルショバとDTSの間に船があるか」と聞いたら、皆自信たっぷりに「Da! Da!」と答えたではないか、と思いながらバスでDTSへ。バス後方の空いた席はホコリだらけ。列車も随分ひどかったが、このバスはケタ違い。戸惑っていたら、運転手が手招きして、前方の年輩女性の隣に座らせてくれた。

     近くの人に聞いてみると、バスか列車で行けという。チクショー、「オルショバとDTSの間に船があるか」と聞いたら、皆自信たっぷりに「Da! Da!」と答えたではないか、と思いながらバスでDTSへ。バス後方の空いた席はホコリだらけ。列車も随分ひどかったが、このバスはケタ違い。戸惑っていたら、運転手が手招きして、前方の年輩女性の隣に座らせてくれた。

  •  出発直後から雄大なドナウの景色が拡がる。川幅は300mくらいあり、両側には山が迫り峡谷を形づくっている。ウィーンやブダペストで見る優美なドナウとは別の姿だ。まもなく待望の鉄門が見えてきた。巨大なダムのようになっており、手前側には船の通る堰が見える。高低差はかなりあったから、昔は航行の難所中の難所、まさに鉄門だったに違いない。

     出発直後から雄大なドナウの景色が拡がる。川幅は300mくらいあり、両側には山が迫り峡谷を形づくっている。ウィーンやブダペストで見る優美なドナウとは別の姿だ。まもなく待望の鉄門が見えてきた。巨大なダムのようになっており、手前側には船の通る堰が見える。高低差はかなりあったから、昔は航行の難所中の難所、まさに鉄門だったに違いない。

  •  ダムの上は道路になっており、そこがルーマニアとユーゴスラビアの国境になっている。一瞬バスを降りて、少しでもユーゴに入国しようかとも思ったが、ルーマニアに再入国する際にビザ取得のトラブルがないとも限らないし、帰りのバスの時間もわからないので諦めた。

     ダムの上は道路になっており、そこがルーマニアとユーゴスラビアの国境になっている。一瞬バスを降りて、少しでもユーゴに入国しようかとも思ったが、ルーマニアに再入国する際にビザ取得のトラブルがないとも限らないし、帰りのバスの時間もわからないので諦めた。

  •  鉄門を過ぎるとドナウは優しく表情を変える。間もなくDTSに到着。ここは古代ローマの遺跡が多い町らしいけど、確かに方々にそれらしきものがチラホラ見える。塔をのぞいてみるとおじさんがいたので「入れるのか?」と合図したら「ダメ」の返事。どうやら住んでいるらしい。2千年前に建てられた遺跡に住んでいるとは…。

     鉄門を過ぎるとドナウは優しく表情を変える。間もなくDTSに到着。ここは古代ローマの遺跡が多い町らしいけど、確かに方々にそれらしきものがチラホラ見える。塔をのぞいてみるとおじさんがいたので「入れるのか?」と合図したら「ダメ」の返事。どうやら住んでいるらしい。2千年前に建てられた遺跡に住んでいるとは…。

  •  その後はドナウ川沿いへ。鉄門からしばらくはドナウ川が両国国境になっているので、向こう岸は当然ユーゴスラビア。国境警備隊員に念のため確認したら、写真を撮るのは「No Problem」という返事。緊張した国境などでは写真を撮ったらフィルムを抜き取られることもあるから、確認したのは正解。<br /><br /> ルーマニアのトイレは面白いものが多い。昼食をとったドナウ河畔のレストランのは、和式の汲み取り式にいわゆる金隠し(下品ですいません)がないものと思ってもらったら分かり易い。昨日用を足したホテルのトイレは便座がなかった。つまり中腰で用を足すしかないわけ。<br /><br /> DTSからオルショバまでは各駅停車に乗り、今度は列車からドナウの景色を楽しむ。そこからはブカレスト発の特急に乗る筈だったが、結果的に特急の発車時刻の15分後に来た各駅停車に乗ってしまい、所要時間は5時間。ティミショアラ帰着は予定より2時間遅れて21時半となった。町中に出る気力もなかったので、夕食はホテルで。気難しそうな女性従業員は顔を見るなり「Ciao!」。「これしかない」と言うので、一昨日と同じ‘Cotlet de Porc’。最後の客だったのも一昨日と同じだった。<br /><br />   8月6日 1時間も待ったのに〜ブダペスト(ハンガリー)<br /> ティミショアラを8時に出発する列車てアラドに向かう。今度は要領が分かっているので、迷うこともなかった。少し心配していたドイツマルクへの再両替だが、駅の銀行で両替時のレシート提示を求められた上で、問題なく出来た。結局ルーマニア滞在の8日間で使ったお金は、ウィーンへの移動費を含めて520DM=¥43,000。1日あたりでは¥5,400弱。思ったより安く上がって助かった。<br /><br /> アラドからブダペストまでは、現地時間で比べると4時間だが、時差が1時間あるので実際には5時間。但しその内の約1時間は、それぞれの国境駅に停車しての出国、入国審査。ルーマニアの出国はホームに軍人が3〜4人居たし、列車の乗客が少ない割に国境警備隊員が多かったが、ムードは和やか。訳の分からないおっさんが2回やって来て、「レイは持っているか(=寄こせ?)」、「切符は持っているか」と言うので鬱陶しかった。国境には監視塔が見えたが、フェンスなどは見えなかった。ハンガリー入国に際しては、笑いながらではあったけど係官に「ヘロインやコカインは持ってないか」と聞かれた。

     その後はドナウ川沿いへ。鉄門からしばらくはドナウ川が両国国境になっているので、向こう岸は当然ユーゴスラビア。国境警備隊員に念のため確認したら、写真を撮るのは「No Problem」という返事。緊張した国境などでは写真を撮ったらフィルムを抜き取られることもあるから、確認したのは正解。

     ルーマニアのトイレは面白いものが多い。昼食をとったドナウ河畔のレストランのは、和式の汲み取り式にいわゆる金隠し(下品ですいません)がないものと思ってもらったら分かり易い。昨日用を足したホテルのトイレは便座がなかった。つまり中腰で用を足すしかないわけ。

     DTSからオルショバまでは各駅停車に乗り、今度は列車からドナウの景色を楽しむ。そこからはブカレスト発の特急に乗る筈だったが、結果的に特急の発車時刻の15分後に来た各駅停車に乗ってしまい、所要時間は5時間。ティミショアラ帰着は予定より2時間遅れて21時半となった。町中に出る気力もなかったので、夕食はホテルで。気難しそうな女性従業員は顔を見るなり「Ciao!」。「これしかない」と言うので、一昨日と同じ‘Cotlet de Porc’。最後の客だったのも一昨日と同じだった。

    8月6日 1時間も待ったのに〜ブダペスト(ハンガリー)
     ティミショアラを8時に出発する列車てアラドに向かう。今度は要領が分かっているので、迷うこともなかった。少し心配していたドイツマルクへの再両替だが、駅の銀行で両替時のレシート提示を求められた上で、問題なく出来た。結局ルーマニア滞在の8日間で使ったお金は、ウィーンへの移動費を含めて520DM=¥43,000。1日あたりでは¥5,400弱。思ったより安く上がって助かった。

     アラドからブダペストまでは、現地時間で比べると4時間だが、時差が1時間あるので実際には5時間。但しその内の約1時間は、それぞれの国境駅に停車しての出国、入国審査。ルーマニアの出国はホームに軍人が3〜4人居たし、列車の乗客が少ない割に国境警備隊員が多かったが、ムードは和やか。訳の分からないおっさんが2回やって来て、「レイは持っているか(=寄こせ?)」、「切符は持っているか」と言うので鬱陶しかった。国境には監視塔が見えたが、フェンスなどは見えなかった。ハンガリー入国に際しては、笑いながらではあったけど係官に「ヘロインやコカインは持ってないか」と聞かれた。

5いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ルーマニアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ルーマニア最安 577円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ルーマニアの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP