1998/07/31 - 2018/05/02
159位(同エリア242件中)
砂布巾さん
1998年7月31日
ブカレストからブラショフまでは3時間弱。途中まではトウモロコシ畑の多い穀倉地帯を、石油の町として有名なプロイエシュチを過ぎ、僧院で有名なシナイアという町の少し手前からは、カルパティア山脈の山あいを縫って進む。
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観光客が多い割にホテルが少ないらしく心配したが、安宿のアロースポーツ(写真)にチェックインできた。ただし値段はブカレストより高い128,000レイ、共同のシャワーやトイレを含めた部屋はきれいだけど随分狭い。
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ブラショフはルーマニア第2の都会らしいけど、そうは思えない小ぢんまりとした気持ちの良い町。ブカレストと違ったのんびりとした雰囲気が何とも言えない。公園の一角には革命の犠牲者の墓地があった。数えてみたら29基。
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夕食は広場のレストラン‘シレナ・グスタリ’で。ブカレストのブチェジでは、ルーマニア料理と言ってもただ肉の焼いたもの(Cotlet de Porc)程度しか食べられなかったので、念願の本格的なルーマニア料理にやっとありつく。「スペシャル・ロマニア」はもう1つだったが、「サルマーレ」はロールキャベツ風の料理で美味、どちらにも「ママリガ」と呼ばれるトウモロコシを粉にして練った付け合わせが付く。
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8月1日 ブラン城〜ドラキュラのお城
午前中はブラショフからバスで45分のブラン城へ行く。ブラン城はドラキュラ伝説で有名なヴラド・ツェペシュ(1431〜76)が築いた城。彼はオスマン・トルコの侵略から国を守ったので、ルーマニアでは英雄とされている。ただ内外の反対者を串刺しにするなど過酷に対処したので、様々な伝説を生んだようだ。
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ブラン城に行くバスは町外れにあるターミナルから出発するらしいので、バスで行くことにする。切符売り場の若いお姉さんが教えてくれた28番のバスに乗り、運転手が「ここだよ」と教えてくれた場所は、バスターミナルらしくない場所。駅があったのでそこから列車が出るのかな、と尋ねたら先程バスを降ろされた場所に連れて行ってくれた。何のことはない、そこはバスターミナルではなく、途中の経由地だったのだ。徒歩2分程度だったけど、わざわざ連れて行ってくれたので、お土産でも渡さなければならないかな、と思っていたのに女性は同じくブラン城に行く人に頼むと、スタスタと帰ってしまった。「国民の館」のガイドの女性といい、軍事博物館の女性といい、例えばチップのような見返りを求めようともしないのは、そもそもそういった習慣自体がないのかも知れない。
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ブラン城自体は意外に小さなお城。ドラキュラのイメージそのものグロテスクな城を期待していたので少々期待外れ。
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(お城からの風景)
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遅い朝食はブラン城の見えるホテルのレストランで。現在ドイツのコンスタンツに留学中で、出発前に手紙を頂いていた大学時代の恩師高松先生に手紙を書く。ドイツではミュンヘン以北には行かないので、旅行中に先生とお会いするのは不可能だろう。
帰りはバスに乗ったのと同じ場所で降りて駅まで30分歩く。駅では明日移動するシギショアラへの切符を買おうかと思ったが、2回並んだ窓口では相手にしてもらえなかった。窓口では当日の切符(しかも出発2時間前から)しか買えないようだ。「明日の切符が買えるよ」と親切なおじさんが教えてくれた窓口は、土曜で14時に閉まっていた。結局駅で1時間無駄にした。 -
町中に帰ってからは背後に控えるトゥンパ山へケーブルカーで登る。展望台まではほんの数分。眼下に広がる赤い屋根の数々が本当に美しい。
町最大の「黒の教会」では、ちょうどオルガンコンサートが開かれるところだった。2曲目に演奏されたバッハの「主よ人の望みの喜びよ」がやはり最高。 -
夕食はレストラン‘チェルブ・カルパチ’で。豚の粗挽き肉をつくねのように丸めたミティティ、昨日に続いてサルマーレ、そしてブラショフにしかないというデザートのパパナッシュと食べまくる。腹一杯になって腹づつみを打っていたら店員に笑われた。思い切り食べただけに、料金はこれまで最高の64,000レイ(¥1,150)。
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(後方がトゥンパ山)
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8月2日 シギショアラ〜ドラキュラの生まれ故郷
ブラショフから次の目的地シギショアラに午前中に行く列車は、9時前と11時前。切符がすぐ買えるかどうか分からないので、早めに駅に行ってみる。昨日の3倍ぐらい窓口に人が並んでいたが25分で買えた。列が長いので割り込みを試みる人もチラホラ。中年の男性が窓口の女性に後ろに並ぶように注意されると、日本語で「時間が無いんだよ」と文句を言っていた。
ブラショフからシギショアラまでは2時間で値段は20,700レイ(¥400弱)。到着後は一昨日のレストランで相席になったフランス人ツーリストが教えてくれた Bobby’s Hostelへ。ドミトリーなら35,000レイは¥630。部屋はきれいとは言えず、野戦病院のような雰囲気も漂うが、受付の女性はとてもフレンドリー。ホステルまでは近所の女性が案内してくれたのだが、チェックインに気を取られてお礼を言い損ねてしまった。ルーマニアにはYHがないと聞いていたが、ブカレストにも最近出来たそうだ。 -
イタリアンレストランで遅い朝食をとって35,300レイだったので、ウェイトレスに36,000レイ取るように言ったのだが、「300レイ出せ」と言ってチップは取らなかった。やはりルーマニアではチップの習慣はないようだ。
シギショアラは城壁に囲まれ、城壁の中は石畳。町並みには中世の雰囲気が漂う素敵な町。入り口には時計台があり、広場に面してヴラド・ツェペシュの生家がある。ツェペシュの父ドラクル(ドラキュラの名の由来)は当時ハンガリー王に捕らえられ、この地に住んでいたそうだ。ちなみに時計台から東京まで8,890キロの表示があった。
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(ツェペシュの生家 中にレストランがある)
時計台の前の広場に座って、左足の靴ズレと右足裏の水膨れをじっくりと乾かしていたら、日本人女性3人組がやって来た。ブカレストから同じ列車に乗り、昨日はブラショフの駅で見掛け、昼はレストランで一緒になっていた。夕食は一緒にドラキュラハウスのレストランへ。‘ドラキュラ’を頼んだら、苦手なレバー料理。彼女たちはロンドンに留学中の女子大生。ブカレストではインフォーメーション(以下Inf.)で「今日(自分が泊まったのと同じ日)はホテルの部屋が無い」と言われ、1人20ドルも払わされ、一般家庭の部屋を間借り(=プライベートルーム)したそうだ。物価水準に比べるとあまりに高額。2人で示し合わせて山分けしたに違いない。ルーマニアの後はブルガリアに行くそうだ。 -
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かつてはこの町唯一のホテルだったという彼女たちの宿舎の前には、ローマ帝国の建国神話で知られるロムルスとレムスの石像があった。
帰る途中はYHのオーナーのボビーと一緒になる。「アメリカ人は嫌いだ」と大声で言うから、「でもたくさんアメリカ人が来るだろう」と言うと、「ビジネスだ」と答え、2人で大笑い。 -
8月3日 トランシルバニアの風景
朝は7時に目が覚め、8時には荷物を置いて一旦出発。「チェックアウトは何時」に「いつでも良いヨ」の返事。一旦駅に切符を買いに行って、10時からドラキュラレストランで朝食。昨日食べた2階には残った壁紙?にドラキュラの絵が描いてあったが、1階には少々大袈裟な像があった。
次の目的地ティミショアラへの乗換駅アラドに向かう列車は12時過ぎの出発。一昨日駅のinf.で聞いた時に、女性が今にも溜め息が聞こえてきそうな感じで13時過ぎに出発し、21時に到着する列車を教えてくれた。YHに帰ってそのことを話したら、皆で「もっと良い時間の列車があるのではないか」、受付の女性は「深夜2時の列車が直行だからそれを利用したらどうか、出発までここで休んだら良いし、泊まらないのだから料金も要らないから」とまで言って下さった。結局はスウェーデン人男性が時刻表とにらめっこして提案してくれたプランを採用した。出発は1時間近く早いが、19時半には到着するのでベターな方法だ。それにしても自分の予定のために皆で親身になってくれるのが嬉しい。ボビーズ・ホステルはトイレ(鍵は無いに等しい)もシャワーもきれいとは言えないが、人はとても暖かい。
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