1998/07/27 - 1998/07/28
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砂布巾さん
第1部 アンネ・フランクとチャウシェスクの巻
~アンネ・フランクの家が見たくてアムステルダムに立ち寄り、憧れのルーマニアへ ブカレスト、ティミショアラでは1989年12月の革命にこだわり、中世の町並みが美しかったブラショフとシギショアラでは、ドラキュラことヴラド・ツェペシュを訪ねた
1998年7月27日(月) アムステルダムに向かう飛行機の中で
予定通り関空を10時半に出発したKLM868便は、オランダのアムステルダム、スキポール空港に向けて順調に飛行中。あと5時間足らずで到着だ。相変わらず機内での時間は長い。特に往路は単独だけに尚更だ。
昨夜は緊張と興奮のため1時間半程度しか眠られなかったので朝食も食べず、機内食とおやつのカップヌードルを食べただけ。アムステルダムには2泊するので、明日は丸一日あるけど、アンネ・フランクの家さえ見れば良いつもりで、無理せずゆっくり過ごそう。
(写真は富士山 2000年の写真も使用しています)
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明後日にブカレストに飛んで以降は、ルーマニアに約1週間、旧ユーゴスラビア(内戦開始前のユーゴ)に約10日間、オーストリアに約5日間、そして8月22日に妻と合流してドイツ、オーストリアで約7日間の滞在を考えている。オーストリアとドイツでは、第1次、第2次世界大戦ゆかりの地を訪ねたいと考えている。
出発直前に発売された‘地球の歩き方マガジン夏号’などで情報を入手した旧ユーゴに関して一応のプランは考えているが、緊張が高まっている(セルビア共和国とモンテネグロ共和国で構成される)新ユーゴスラビア、コソボ自治州(住民の大部分はアルバニア人)情勢によっては、ルーマニアのティミショアラから首都ベオグラードには入らず、ハンガリーのブダペストに迂回する方が良いかも知れない。この問題に関しては、今後も情報収集に努めたい。ベオグラードは味気ないただの都会だろうし、外務省海外危険情報の「ユーゴスラビア連邦共和国は日本を含め国際社会の承認を得ていません」(大使館はあるようだが)といった説明を読むと、何となく不安になってくる。
それはともかく、身の安全には細心の注意を払い、充実した旅にしたい。
アムステルダム到着
スキポール空港には予定より30分早く現地時間14時45分(所要時間11:15)に到着。機内預けの荷物はないから、ABN AMROで両替してその足で市内へ。
空港から市内へ向かう頃から小雨が降り出した。前回のユーラシア横断旅行の際には、節目々々で必ず雨となっていたものだが、正に雨男の本領発揮か?
市内到着後は直ちにベッドの確保に向かう。出来るだけ金を使わない主義だから、当然ユースホステル(以下YH)。広島のYH協会で見付けたYH新聞に載っていた Vondel Park YH を目指すが、ウロ覚えの記憶を頼りに探したので手間取り、チェックインできたのはようやく到着後2時間が経過した17時前。とにかく良かった。値段は朝食込みで36.5ギルダーは約¥2,800。部屋は6人部屋のドミトリーでシャワーも極めて簡素だが、この安さは有り難い。 -
チェックイン後は、土地勘を養うために再び市内を歩いてみる。明日の予行演習でアンネ・フランクの家を探そうと歩いたが、町の中心ダム広場から正反対方向に歩いていて、飾り窓地区に足を踏み入れていた。まだ明るい時間だったためか、それらしい怪しげな雰囲気は全くなかった。
雨との相性の良さ、そして救いようのない方向感覚の無さと、早くも先が思いやられるアムステルダムでの初日であった。
7月28日 Anne Frank Huis
昨夜は21時前には寝たけど、割とよく寝ることが出来た。ただ同室のスペイン人のグループが朝方3時にドタバタしていたのには閉口。
目が覚めたのは7時前。昨日2日分のチェックインが出来なかったので、受付にもう1泊したい旨伝える。極力少なめにしているとはいえ、やはり荷物はそれなりに重いから、連泊出来るのは助かる。
その後は目の前のフォンデルパルクを歩いてみる。低血圧で早起きが苦手な小生にとって早朝散歩は極めて珍しいが、やはり気持ち良い。
朝食を済ませ町中に向かっていたら、突然大きな音とともに2階のガラスが割れて男が1人飛び降りてきた。一瞬理解に苦しんだが、要するに泥棒。周囲の人々が追い掛けて取り押さえ、警察に引き渡した。 -
一番にアンネ・フランクの家に行く。随分待たなければならないと聞いていたが、10時前と比較的早い時間だったためか、10分ほどで入ることが出来た。
念のためアンネのことを日本語パンフレット「ものがたりのあるミュージアム」から紹介しておくと、「アンネは1929年にドイツのフランクフルトで生まれました。1933年、ヒトラー率いるナチス党が政権を握り、当時ドイツが抱えていた問題はすべてユダヤ人の責任であるとしました。オットーとエーディトのフランク夫妻は娘のアンネと姉のマルゴーを連れてオランダに移住し、そこで安全に暮らしていましたが、1940年にドイツがオランダを占領して状況が一変しました。ナチス・ドイツはゆっくりと、しかし確実にユダヤ系住民を隔離していきます。フランク一家は潜行することにしました。オットー・フランクの会社のあった建物の裏側が秘密の隠れ家となったのです」。 -
家は運河沿いのごく普通の家。本棚の裏が隠れ家で、アンネは1942年7月7日から約2年間を家族や知人とここで過ごし、あの有名な日記を残した。
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*絵葉書の写真
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決して広くなく、自由を大幅に制限された中での暮らしは精神的に辛かったに違いない。実際アンネは1944年3月16日の日記に次のように書いている。
「せめてもの救いは、こうして考えることや感じることを紙に書きしるすことが出来るということです。そうでなかったら完全に窒息していたでしょう」。
密告で隠れ家が発見されたのが1944年8月4日、そしてアンネは欧州での終戦を2ヶ月後に控えた翌年3月にベルゲン・ベルゼンの収容所で生涯を終えた。隠れ家の住人8人の中で生還出来たのはアンネの父だけだったという。
ユダヤ人というだけで何の罪もない六百万とも言われる人々を死に追いやったナチスの残虐行為を決して忘れてはならないし、絶対に繰り返してはならない。でも人類は相変わらず似たようなことを繰り返している。最近でもアフリカのルワンダで、そして旧ユーゴスラビアで。 -
*絵葉書の写真
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アムステルダムでの目的達成後は、マヘルのはね橋やコンセルトヘボウ(英語風に言えばコンサートホール)、市の中心ダム広場周辺を歩く。アムステルダムは扇形状に並ぶ5つの運河沿いにおもちゃの家を並べたような可愛らしい町。ちょっと立ち寄って散歩するには悪くない。
YHでは同室(昨日とは別室)に旧ユーゴ最北端の共和国だったスロベニアから来た20代前半の青年が居たので、話を聞いてみた。新ユーゴ情勢に関して尋ねると「よく分からないが、ベオグラードは危ないかも知れない」。
昼食は、はね橋近くのレストランでデイスペシャルのライス付牛肉料理、夕食はYH近くのインドネシア料理店でナシゴレン(インドネシア風チャーハン)。オランダはかつてインドネシアを植民地として支配していたため、方々にインドネシア料理店がある。もしかしたら中華料理店より多いかも知れない。 -
*コンセルトヘボウ
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*家の近くにあったアンネの銅像
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*王宮前広場 右側の旧教会前をしばらく行くと家の近くに行ける
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(大道芸人)
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*アンネの日記 絵葉書
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