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4時過ぎに起床。そのまま起きてしまった。今日は歴史文化協会主催の佐世保周辺のバスツアーだ。天気はよい.膝に湿布をする。ペットボトルにお茶を入れる。準備をして早めに出る。8時過ぎに集合場所へ行った。大型バスにはかなりの人が乗っていて座席は後ろの方だった。隣はおばあさんが座っていた。9時に出発した。うちわや小物入れなどを貰った。歴史文化協会から話があった。郷土史家の越中氏もきて所々でとてもためになる話をされた。高速を利用したので1時間ほどで佐世保の亀山八幡宮に向かった。繁華街を通り市役所前にある。平戸街道の近くである。この八幡宮は江戸時代にかけて領主松浦氏の崇敬を受け東彼杵郡48ヶ浦の総鎮守として重んじられた。明治時代以降は軍港佐世保の鎮守神として海軍将兵の信仰も集めた。佐賀に一ノ宮と二ノ宮があり、ここは三宮である。大村は人が多い村という意味である。中村はちゅうぐらい、小村は少ないとのことだ。バスの中で元高校教諭が太平洋戦争の攻防41年から45年の一覧できる表を基に話をされた。サイパンで30000人死亡している。バンザイクリフやスイサイドクリフの話があった。B25は220kgの爆弾6発だが、B29は40発載せられる。距離も1万キロは飛べ、酸素マスクが不用となった。広島の原子爆弾はウラン型で技術を要し、時間も係る。長崎はプルトニウム型で短期間で製造が可能である。今はすべてこれである。8月7日はまったく日本への焼夷弾攻撃をしていない。降伏する機会はあったといわれた。原爆投下の真の目的は降伏間近な日本に対し、2種類の原爆という新型兵器の威力を試す人体実験だと木村氏も書いていた。次に弓張トンネル工事工場見学だった。西九州自動車道の佐々佐世保間である。3年後に完成する。佐々と中里間の1.8キロは貫通している。現場の人から話しがあった。山の圧力で1日に6ミリほど穴は小さくなるので大きめに掘る。1週間ほどで落ちついてコンクリートを吹きつける。厚さは30センチある。発破で壊していく。100メートルほど離れて鉄の管に隠れないと爆発で吹き飛ばされ危険である。空気は幅1.5メートルある袋で送り出す。送り出すと中の汚れた空気が輩出される。作業員は5人、予備3人の昼夜の交代で16人である。穴を掘るだけで30億円かかる。1日に6メートルぐらい掘る。トンネルは球状が一番経費的にも山の圧力を分散するためにもよい。見学後昼食をかねて西海パールシーリゾートに寄った。シーカヤックをしている人がいた。猛暑でかなり堪える。水族館で「たこぢえ」があっている。佐世保ビッグバーガーは売り切れであった。観光客は多かった。ヨットセイリングや海賊船海王で九十九島クルーズができる。1時間ほどいた。福石観音に行った。福石観音は清岩寺の観音堂に安置されている十一面観音で、九州七観音の一つに数えられている。高さ2mのこの観音像は諸国行脚の途中にこの地を訪れた行基によって養老(717〜723)年間に作られたと言われる。その後行基の足跡をたどっていた空海によって清岩寺が創建され、空海が安置したとされる五百羅漢が傍の洞窟にある。海軍基地による予定が大型バスは入らないので予定変更となった。早岐をとおり平戸街道などを越中さんが説明した。道の駅にある歴史民俗資料館に入った。入り口には前方後円墳がある。ひさご塚古墳、明冶の民家や長崎街道の宿場となった彼杵のことを触れている。大村藩の藩主が廣瀬淡窓を呼んでいることなどがわかる。彼杵茶を買った。4時20分に集まり岐路に着いた。高速だったので5時少し過ぎに着いた。

佐世保の歴史文化を巡る。

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2007/08/18 - 2007/08/18

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kakusan

kakusanさん

4時過ぎに起床。そのまま起きてしまった。今日は歴史文化協会主催の佐世保周辺のバスツアーだ。天気はよい.膝に湿布をする。ペットボトルにお茶を入れる。準備をして早めに出る。8時過ぎに集合場所へ行った。大型バスにはかなりの人が乗っていて座席は後ろの方だった。隣はおばあさんが座っていた。9時に出発した。うちわや小物入れなどを貰った。歴史文化協会から話があった。郷土史家の越中氏もきて所々でとてもためになる話をされた。高速を利用したので1時間ほどで佐世保の亀山八幡宮に向かった。繁華街を通り市役所前にある。平戸街道の近くである。この八幡宮は江戸時代にかけて領主松浦氏の崇敬を受け東彼杵郡48ヶ浦の総鎮守として重んじられた。明治時代以降は軍港佐世保の鎮守神として海軍将兵の信仰も集めた。佐賀に一ノ宮と二ノ宮があり、ここは三宮である。大村は人が多い村という意味である。中村はちゅうぐらい、小村は少ないとのことだ。バスの中で元高校教諭が太平洋戦争の攻防41年から45年の一覧できる表を基に話をされた。サイパンで30000人死亡している。バンザイクリフやスイサイドクリフの話があった。B25は220kgの爆弾6発だが、B29は40発載せられる。距離も1万キロは飛べ、酸素マスクが不用となった。広島の原子爆弾はウラン型で技術を要し、時間も係る。長崎はプルトニウム型で短期間で製造が可能である。今はすべてこれである。8月7日はまったく日本への焼夷弾攻撃をしていない。降伏する機会はあったといわれた。原爆投下の真の目的は降伏間近な日本に対し、2種類の原爆という新型兵器の威力を試す人体実験だと木村氏も書いていた。次に弓張トンネル工事工場見学だった。西九州自動車道の佐々佐世保間である。3年後に完成する。佐々と中里間の1.8キロは貫通している。現場の人から話しがあった。山の圧力で1日に6ミリほど穴は小さくなるので大きめに掘る。1週間ほどで落ちついてコンクリートを吹きつける。厚さは30センチある。発破で壊していく。100メートルほど離れて鉄の管に隠れないと爆発で吹き飛ばされ危険である。空気は幅1.5メートルある袋で送り出す。送り出すと中の汚れた空気が輩出される。作業員は5人、予備3人の昼夜の交代で16人である。穴を掘るだけで30億円かかる。1日に6メートルぐらい掘る。トンネルは球状が一番経費的にも山の圧力を分散するためにもよい。見学後昼食をかねて西海パールシーリゾートに寄った。シーカヤックをしている人がいた。猛暑でかなり堪える。水族館で「たこぢえ」があっている。佐世保ビッグバーガーは売り切れであった。観光客は多かった。ヨットセイリングや海賊船海王で九十九島クルーズができる。1時間ほどいた。福石観音に行った。福石観音は清岩寺の観音堂に安置されている十一面観音で、九州七観音の一つに数えられている。高さ2mのこの観音像は諸国行脚の途中にこの地を訪れた行基によって養老(717〜723)年間に作られたと言われる。その後行基の足跡をたどっていた空海によって清岩寺が創建され、空海が安置したとされる五百羅漢が傍の洞窟にある。海軍基地による予定が大型バスは入らないので予定変更となった。早岐をとおり平戸街道などを越中さんが説明した。道の駅にある歴史民俗資料館に入った。入り口には前方後円墳がある。ひさご塚古墳、明冶の民家や長崎街道の宿場となった彼杵のことを触れている。大村藩の藩主が廣瀬淡窓を呼んでいることなどがわかる。彼杵茶を買った。4時20分に集まり岐路に着いた。高速だったので5時少し過ぎに着いた。

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