2007/08/13 - 2007/08/13
1200位(同エリア1449件中)
ぬいぬいさん
それにしても暑い もう汗だくです。明治村の展示してある建物は冷房が効かないため、木陰で自然の涼をとるしかありません。明治村やたら広くて自然の中に建物を配しているため、建物間の移動も坂道があったりで結構大変・・・。でも見ごたえのある建物が多く、先へ急ぎましょう。
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
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この建物は名古屋市中区二の丸に明治6年建てられた歩兵第六聯隊兵舎 帝国陸軍の施設です。
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日本で本格的な洋式の大病院を計画し、実行に移したのは軍隊で、この建物は明治11年(1878)に建てられた名古屋衛戍病院は、六棟の病院が中庭を囲んで配される分棟式の配置がとられていましたが、移築されているのは病棟のうちの一棟と管理棟です。
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これって何の機械かわかりますか?
答えはレントゲン撮影機です。 -
中庭を囲む分棟式の木造様式病院で、渡り廊下で繋がっています。
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日本赤十字社中央病院病棟 明治23年に片山東熊の設計により渋谷の広尾に建てられた病院。本赤十字社の前身は明治10年(1877)西郷隆盛が九州で挙兵した西南戦争の際、敵味方の区別なく傷病兵の救護に当たった博愛社で、明治19年日本政府がジュネーブ条約に加盟、日本赤十字社と名を改めるが、その折皇室から渋谷の御料地の一部と建設資金10万円が下賜され、同23年この病院が建設されたそうです。
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赤坂離宮と同じ片山東熊の設計ですが、離宮と違いとても質素で落ち着いた建物になっています。移築に際し、建物の方位が180度変えられており、現在南に面している前面ガラス張の廊下は本来北側にあったもので、暗くなりがちな北面を明るくするための意匠だったようです。外部はハーフ・ティンバーを模したデザインを基調にしています
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ベッドに点滴まであるとなんかリアルな感じが出ますね。
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病院の正面を飾っている額は、桐、竹、鳳凰が浮き彫りにされています。これは草創期の日赤をもりたてた昭憲皇太后のアイデアを基にしたものと言います。
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この「無声堂」は大正6年(1917)金沢の第四高等学校に建てられたもので、柔道、剣道、弓道三つの道場を兼ね備えた大きな洋風建築物です。
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木造下見板張桟瓦葺の余り派手さのない建物ですが、道場の床には工夫がみられ、柔道場では床の弾力を増すため床下にスプリングを入れ、剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を掘っているそうです。こちらは剣道場部分
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これは明治42年に製造された儀装車
皇室の重要な儀式に使用される馬車で、使用する人物や用途によって、1号から4号に分けられている。この儀装4号は、外国の特命全権大使が着任の際、その国の元首から託された信任状を天皇に奉呈する際の送迎に使用され、今でも信任状奉呈式の際、同型の馬車が東京駅―皇居間で使用されています。 -
村内を走る馬車があるようですが今は営業休止中のようで、厩舎と馬が何頭かいて,このように時々走らせているようです。
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厩舎には馬が2,3頭いました。
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これは明治41年(1908)東京郊外の巣鴨に新築された私立宗教大学本館の車寄部分。宗教大学?聞きなれない名前ですが現在の大正大学だそうです。
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入鹿池を見下ろす高台に建っています。
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この高台の上に建っているのは、神戸山手西洋人住居
もともとは神戸の生田区山元通り(北野異人館通り)似合ったもので明治20年ころに建てられたものです。
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この住宅では、敷地が狭いという悪条件の中で建物をより良く見せるため、工夫がこらされています。ベランダの柱を整然とは建てず、場所によって二本、三本と並べ、その間隔もまちまちにすることにより、建物に変化を持たせ実際以上に大きく見せています。
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この建物は長崎居留地二十五番館 長崎に3ヶ所あった居留地−東山手・南山手・大浦−のうち南山手二十五番の建物です。
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この建物の最初の居住者はスコットランド出身のコルダー。彼は1867年来日し、最初長崎のボイド商会に、その後横浜の三菱製鉄所、神戸の大阪造船所を経て、三菱が長崎造船所を国から払い下げを受けた際、マネージャーとして雇れ、明治22年に造船所のある飽の浦を見下ろす高台の南山手にこの家を建てました。
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三方にベランダを廻らし、各室に暖炉を設けるなど典型的な居留地建築になっています。
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八角形の尖塔を乗せたこの建物は、日本の細菌学の先駆者北里柴三郎が大正4年(1915)芝白金三光町に建てた研究所の本館。
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ドイツバロック風を基調にした建物でもともとこの反対側の左に長く続く建物だったようですが玄関を中心とする一部の部分のみ移築してあります。
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この建物あった場所は、私の家の近所で白金のプラチナ通りを入ったところにあリ,現在は東京大学の医科学研究所になっています。こちらで現在の状況は紹介しています。http://4travel.jp/traveler/kincyan/album/10155523/
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この「坐漁荘」は西園寺公望が政治の第一線から退いた後、大正9年(1920)に駿河湾奥、清水港近くの興津の海岸に建てた別邸です。中は見学できませんでした。
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明治の初めの頃墨田区の東向島に造られた 幸田露伴の住まいの「蝸牛庵。ここも中に入れませんでした。
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庭先に回って内部は覗く事ができました。
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この茶室は「亦楽庵」は明治10年ころ京都の医家、漢学者だった、福井恒斎が、明治10年自宅の庭に建てたものだそうで、千利休以来茶室は小さな空間のどちらかというと閉じられたイメージのものだったようですが、この「亦楽庵」は開け放つ試みがなされていて、利休四畳半の茶室の一方に引き違い障子戸を建て、瓦を敷いた土間を通して庭との結び付きを求めているそうです。
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これは、三重県鳥羽市菅島町にあった、菅島燈台の付属官舎で、明治6年(1873)伊勢湾の入り口、鳥羽沖合の菅島に建てられたものです。品川燈台がフランス人の設計に対して、こちらはブラントンと工部省燈台局のイギリス人技術者の設計管理によるもの。とは言っても肝心な灯台が無いので比較できませんね。当時の洋式灯台は管理も外国人によって行われたため、付属の官舎もレンガ造の洋式住宅が建てられています。
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中を覗くと多分当時のものとは違うと思いますがカンテラ部分があり回転するようになっていました。
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この燈台は品川沖の第ニ台場の西端に建てられ、明治3年(1870)に点燈されたもので、光源も石油によるもので、光源の高さは地上から約6m 海面からは約16m、光の届く距離は約18kmと記録されているそうです。
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見てのとおり低い灯台ですね。この灯台も私の家の近所にあったもので、私のブログのhttp://4travel.jp/traveler/kincyan/pict/12034251/でも紹介しています。
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ここから3棟は海外から移築されたものです。先ずはじめにこの建物は、明治40年頃シアトルに建てられたもので、当初はアメリカ人の住まいだったそうです。その後、1930年代(昭和5〜14)に日系移民の所有となり、第二次世界大戦時、強制収容により家を追われ空き家になっていましたが、戦後は日系一世のための福音教会として使われてきたそうです
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玄関の脇の部屋が教会の会堂になっています。
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日本からアメリカ本土への移民は、戊辰戦争に敗れた会津若松藩士数十名が明治2年(1869)カリフォルニア州に入植、若松コロニーを開いたことに始まると言われています。このコロニーは結果的には失敗に終わったようですが、日系移民は明治中期からその数を増し、明治29年(1896)シアトル航路が開かれたこともあり、明治末から大正期にかけて移民の最盛期を迎えました。
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現在日本でもツーバイフォー住宅はすっかり定着しましたが、この建物は 大量生産による規格木材を使用して造られていて、ツーバイフォー工法の先駆けとなった実例だそうです。
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この建物はある日本人移民が、慣れないコーヒー栽培に苦闘を重ねながら、密林を拓いて造った家の一つで大正8年にブラジル・サンパウロ州 レジストロ市に建てられたものです。
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明治41年(1908)の日米紳士協約により、アメリカへの新規移民が大きく制約を受けるようになると、代わって南米への移民が開始され、明治41年(1908)には781名の日本人が契約労働者として笠戸丸ではじめてブラジルへと渡航、サンパウロ周辺でコーヒー栽培に従事しました。その後、ブラジルへの移民は年々増加し、昭和元年の最盛期にはその数は年間20000人以上にも及んだそうです。
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これは、ハワイ島のヒロのワイルック川のほとりに、日本人牧師岡部次郎氏によって日本人のために建てられた教会でした。その後教会の役目を終えると、周辺の日本人の集会所となり、さらにヒロの英字新聞社の倉庫として使われていました。
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ハワイ移民は明治元年、新政府に無許可のまま在日ハワイ総領事ヴァン・リードによって送り出された「元年者」にはじまりました。彼らは労働者不足の砂糖工場に就いたが、炎天下での長時間の作業のため苦労を重ねていたようです。
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