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前から行って見たかった明治村。ようやく夢が実現して見ることができました。園内は1丁目から5丁目まで5つのゾーンに別れ日本全国より、失われつつある明治(一部大正、昭和初期)の洋風建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものを移築して保存展示しています。40年前に開村したときは、わずか15棟だった建物も、現在67棟になり、今年の秋にはもう1棟が公開の予定です。犬山市の入鹿池のほとりの広大な敷地の中に点在する歴史的建造物。なかなか見ごたえのあるテーマパークでした。

歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.1

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2007/08/13 - 2007/08/13

914位(同エリア1443件中)

旅行記グループ 明治村建築散歩

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

前から行って見たかった明治村。ようやく夢が実現して見ることができました。園内は1丁目から5丁目まで5つのゾーンに別れ日本全国より、失われつつある明治(一部大正、昭和初期)の洋風建築のうち、芸術上、歴史上価値あるものを移築して保存展示しています。40年前に開村したときは、わずか15棟だった建物も、現在67棟になり、今年の秋にはもう1棟が公開の予定です。犬山市の入鹿池のほとりの広大な敷地の中に点在する歴史的建造物。なかなか見ごたえのあるテーマパークでした。

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
  • まずは入り口にある「博物館明治村」の正門として使われているこの門は、もと名古屋の旧制第八高等学校の正門。明治42年に造られたものです。<br /> <br /> <br />

    まずは入り口にある「博物館明治村」の正門として使われているこの門は、もと名古屋の旧制第八高等学校の正門。明治42年に造られたものです。


  • これは神戸の元町にあった大井牛肉店。横浜、長崎につぎ、慶応3年(1867)に開港した神戸の町。明治20年(1887)頃牛肉販売と牛鍋の店として建てたのがこのお店だそうです。

    これは神戸の元町にあった大井牛肉店。横浜、長崎につぎ、慶応3年(1867)に開港した神戸の町。明治20年(1887)頃牛肉販売と牛鍋の店として建てたのがこのお店だそうです。

  • 朝早いためまだ準備中ですが、2階では実際に牛鍋が食べれます。

    朝早いためまだ準備中ですが、2階では実際に牛鍋が食べれます。

  • 明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられたこの建物は、昭和3年(1928)、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていたそうです。

    明治21年に三重県の尋常師範学校本館として建てられたこの建物は、昭和3年(1928)、本館の改築に伴い県下名張市の蔵持村に売却・移築され、蔵持小学校として使われていたそうです。

  • 後で紹介する三重県庁舎と同じ清水義八の設計で、もとは向かって左側にも教室があり移築される前は、シンメトリーな建物だったようです。

    後で紹介する三重県庁舎と同じ清水義八の設計で、もとは向かって左側にも教室があり移築される前は、シンメトリーな建物だったようです。

  • 年季の入った机がノスタルジックな雰囲気を出していますね。

    年季の入った机がノスタルジックな雰囲気を出していますね。

  • この建物は皇居警護のために設置された皇宮警察の庁舎の一部で、明治20年(1887)坂下門内に着工されましたが、建設中に用途を近衛局(1889年、近衛師団と改称)本部に変更して翌年に完成しました。その後、皇宮警察本部にかわり、昭和42年(1967)まで坂下護衛所として使用していたそうです。<br />

    この建物は皇居警護のために設置された皇宮警察の庁舎の一部で、明治20年(1887)坂下門内に着工されましたが、建設中に用途を近衛局(1889年、近衛師団と改称)本部に変更して翌年に完成しました。その後、皇宮警察本部にかわり、昭和42年(1967)まで坂下護衛所として使用していたそうです。

  • このかわいらしい銅板葺の丸屋根乗せ、外壁を白ペンキで塗った建物は、明治42年に竣工した赤坂離宮正門両脇の内外に、離宮の創建当初からその警護のため設けられていた四基の哨舎のうちの一つです。設計はあのジョサイアコンドルの弟子の片山東熊によるものです。<br />

    このかわいらしい銅板葺の丸屋根乗せ、外壁を白ペンキで塗った建物は、明治42年に竣工した赤坂離宮正門両脇の内外に、離宮の創建当初からその警護のため設けられていた四基の哨舎のうちの一つです。設計はあのジョサイアコンドルの弟子の片山東熊によるものです。

  • この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていたそうです。

    この聖ヨハネ教会堂は、明治40年(1907)京都の河原町通りに建てられたプロテスタントの一派日本聖公会の京都五條教会で、二階が会堂に、一階は日曜学校や幼稚園に使われていたそうです。

  • 中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配されています。

    中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、細部にゴシックのデザインを交えた外観で、正面左右に高い尖塔が建てられ、奥に十字形大屋根がかかる会堂が配されています。

  • 入り口の欄間の二つの三葉形アーチの窓や板扉の大形の金具のデザインも中世風のデザインになっています。

    入り口の欄間の二つの三葉形アーチの窓や板扉の大形の金具のデザインも中世風のデザインになっています。

  • この教会の設計者であるガーディナーは、ハーバード大学で建築を学んだ宣教師で、立教学校の校長として教育宣教にあたる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺しています。<br />

    この教会の設計者であるガーディナーは、ハーバード大学で建築を学んだ宣教師で、立教学校の校長として教育宣教にあたる一方、建築家としても立教大学校校舎、明治学院ヘボン館、日光真光教会等の作品を遺しています。

  • 会堂内部は、化粧の小屋裏をあらわし、柱などの骨組が細目に見えることもあって、実際より広く感じさせています。

    会堂内部は、化粧の小屋裏をあらわし、柱などの骨組が細目に見えることもあって、実際より広く感じさせています。

  • 構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られています。

    構造は、一階がレンガ造、二階が木造で造られています。

  • ステンドグラスもなかなか見応えのあるものです。

    ステンドグラスもなかなか見応えのあるものです。

  • 明治42年(1909)に建てられたこの学習院長官舎は洋館と和館とをつなぎ合わせた形式になっています。

    明治42年(1909)に建てられたこの学習院長官舎は洋館と和館とをつなぎ合わせた形式になっています。

  • 学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いたそうです。

    学習院長という公的な立場での接客や実務には洋館部分を使い、私的な生活には日本座敷を用いたそうです。

  • この建物は、学習院が四谷から現在の目白に移された際、建設されたものだそうでちなみに、当時の学習院長は乃木希典陸軍大将だったそうです。

    この建物は、学習院が四谷から現在の目白に移された際、建設されたものだそうでちなみに、当時の学習院長は乃木希典陸軍大将だったそうです。

  • 木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が建てたものです。

    木造総二階建銅板葺のこの洋館は、明治10年代(1877〜1886)のはじめ西郷隆盛の弟西郷從道が建てたものです。

  • 從道は、度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢にいた大物で、在日外交官との接触も多かったため、「西郷山」と呼ばれる広大な敷地に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けたそうです。<br />

    從道は、度々海外に視察に出掛け、国内では陸・海軍、農商務、内務等の大臣を歴任、維新政府の中枢にいた大物で、在日外交官との接触も多かったため、「西郷山」と呼ばれる広大な敷地に、和風の本館と少し隔てて本格的な洋館を接客の場として設けたそうです。

  • この建物がもともとあった場所は、東京の代官山の旧山手通りにある西郷山公園で、私の家の近所でもあります。<br />この公園は南の目黒川に向かって見晴らしの良い高台にあり、この建物が建っていた姿を想像すると、とてもよくその場所にマッチしています。そりゃそうですよね、もともと実際に建っていたわけですからね。

    この建物がもともとあった場所は、東京の代官山の旧山手通りにある西郷山公園で、私の家の近所でもあります。
    この公園は南の目黒川に向かって見晴らしの良い高台にあり、この建物が建っていた姿を想像すると、とてもよくその場所にマッチしています。そりゃそうですよね、もともと実際に建っていたわけですからね。

  • 設計は当時在日中のフランス人建築家のレスカスによるものです。

    設計は当時在日中のフランス人建築家のレスカスによるものです。

  • でもこの建物が明治10年に建っていたということは、当時としてはとてつもなくモダンな建物だったんでしょうね。

    でもこの建物が明治10年に建っていたということは、当時としてはとてつもなくモダンな建物だったんでしょうね。

  • 見学できるのは1階だけで2階は未公開エリアになっていました。

    見学できるのは1階だけで2階は未公開エリアになっていました。

  • いつも思いますがこの年代の洋館て、いまのツーバイフォーやプレハブの住宅と比べると比較にならないほど精巧成装飾が施されています。

    いつも思いますがこの年代の洋館て、いまのツーバイフォーやプレハブの住宅と比べると比較にならないほど精巧成装飾が施されています。

  • この時代の洋館には必ず暖炉は付いていますね。

    この時代の洋館には必ず暖炉は付いていますね。

  • 東京都文京区千駄木町にあった、このありふれた外観のこの建物、数々の由緒が遺されていました。<br />

    東京都文京区千駄木町にあった、このありふれた外観のこの建物、数々の由緒が遺されていました。

  • 明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたもので、明治23年森鴎外が借家し、一年余りを過ごしていたそうで、鴎外は、ここに移り住む同じ年の1月、処女作小説「舞姫」を発表、この家では「文づかひ」等の小説を執筆し、文壇に入っていったそうです。

    明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたもので、明治23年森鴎外が借家し、一年余りを過ごしていたそうで、鴎外は、ここに移り住む同じ年の1月、処女作小説「舞姫」を発表、この家では「文づかひ」等の小説を執筆し、文壇に入っていったそうです。

  • その後、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいて、あの有名な「吾輩は猫である」はここで執筆されたそうです。<br />

    その後、明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が借りて住んでいて、あの有名な「吾輩は猫である」はここで執筆されたそうです。

  • 明治を代表する2人の文豪たちの小説は、ここで生まれたんですね。

    明治を代表する2人の文豪たちの小説は、ここで生まれたんですね。

  • なんか想像しただけでわくわくしてきますね。

    なんか想像しただけでわくわくしてきますね。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • rururuloveさん 2007/08/31 13:43:03
    はじめまして。
    こんにちは。初めまして。

    私はつい先日フランクロイドライトの帝国ホテルが明治村に移築されていると知り、感激したところでした。
    (てっきり全て壊されたものだと・・・)
    それで明治村に行きたいと思っていたのですが
    ぬいぬいさんの旅行記でさらに行きたくなりました!

    私も歴史的な建物が大好きです。
    でも、近いのにヨドコウにも旧甲子園ホテルにも行っていないんですよね〜
    ホテルが好きなので古いホテルにも泊まりたいと思っています。

    コミュにも参加させていただきます。
    今後ともよろしくお願いします。

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2007/08/31 19:13:46
    こんばんは
    rururuloveさん  こんばんは

    歴史的建造物大好きのコミュニティのご参加、書き込みありがとうございます。
    フランク・ロイド・ライトの帝国ホテルすごく良かったです。
    今日も駒沢の林愛作邸を探してきました。
    電通の管理しているし基地内にあり、敷地内に入れないため覗き込んで写真を撮っていただけで、管理人が飛んできてすごい剣幕で怒られてしまいました。
    門から建物まで距離があったため、建物の全貌がほとんど見えず玄関部分がチラッと見えただけ。でもすごい感じ悪い管理人でした。
    後ほど帝国ホテルの写真の後ろに追加しますので見てください。
    これから、今回の旅の写真を徐々にアップしていきますのでまた遊びにきてください。
  • たらよろさん 2007/08/24 14:22:31
    もう一度行ってみたくなりました
    こんにちわ〜〜
    私も明治村には行ったことあるのですが、
    当時の建物をそのまま移築しているとは知らなかったので
    もったいないことしたなぁ。。。って思い、
    もう一度、そのことを知った上でじっくり見てみたいなって思いました。
    また、機会あれば行ってみたいな・・・
       たらよろ

    ぬいぬい

    ぬいぬいさん からの返信 2007/08/25 23:41:57
    RE: もう一度行ってみたくなりました
    たらよろさん こんばんは

    書き込みありがとうございます。明治村の建物はほとんどが全国各地から移築された歴史的に価値のある建物ばかりなんです。
    私も帝国ホテルをはじめとする何棟かの建物が移築されていたのは知っていましたが、こんなにあるとは思っていませんでした。
    古い建物好きにはたまらないところですね。
    今回は旅の都合で3時間の滞在と決めていましたので、あまりじっくり見ることができませんでしたが、また機会があれば行ってみたいと思います。
    これから今回のの旅の旅行記をアップしていきますのでまた遊びに来てください。

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