2019/12/29 - 2019/12/29
545位(同エリア1443件中)
ぬいぬいさん
愛知県の犬山市にある「博物館明治村」は、明治時代に建てられた建築物や市電、SLなど歴史的に重要で価値の高い構造物を移築復元した野外博物館。
古い建物大好きな私は13年前に訪れ,歴史的建造物を堪能したことがありましたが、久しぶりに明治村に行きたくなって、2019年の最後の旅を愛知県に決めました。
ここは日本で3番目の広さを持つ野外テーマパーク。
自然の地形を生かした明治村はとにかく広くて、じっくり見たら1日では見切れないほどの広さ。
駐車場のある裏口から入ってすべてをサラッと見るだけで結局夕方までかかってしまいました。
久しぶりに見たフランクロイドライトの帝国ホテルや、ザビエルの天主堂など十分堪能できて充実した1日になりました。
こちらで紹介する明治村4丁目の建物を見てびっくり。
東京の品川にある我が家から、歩いて行ける場所に建っていた建物が、なんと3棟もありました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
明治村博物館へ、今日は駐車場のある北口から入ったので5丁目から4丁目へ下がってきました。
こちらは明治の末期に愛知県の知多半島の先、三河湾に面する港町亀崎に造られた半田東湯という銭湯 -
板張りの壁に低い天井
昭和の銭湯のイメージと全然違うし、かなり小ぶり -
湯船も3人も入ればいっぱうになりそう
開業後半世紀近く営業していたようなので戦前まであったのでは・・・
調べてみると、解体したときには湯船の周りはタイルだったようなので、移築の際にわざわざ明治時代のイメージに戻したようです。 -
こちらはその隣にあった呉服座と看板のかかっている芝居小屋
-
明治25年に大阪の池田市に建てられた、江戸時代の伝統建築を感じさせる芝居小屋です。
-
客席は、平場と呼ばれ、桝席に区切られている中央の低い部分と、棧敷と呼ばれる廻りの席で構成されています。
ここでは地方巡業の歌舞伎や、壮士芝居、新派、落語、浪曲、講談、漫才等様々なものが演じられたほか、尾崎行雄や幸徳秋水たちが立憲政治や社会主義の演説会に使うこともあったそうです。 -
駄菓子屋さんになっているこちらの建物は明治元年に焼津に建てられた魚屋さん。
なんで魚屋さんが明治村に??
日本に帰化して早稲田や帝大で英文学を教えていた小泉八雲こと、ラフカディオハーンが毎年夏場に避暑に訪れていた家なんだとか。 -
その隣にある建物は東京の本郷に明治の末期に建てられた床屋さん
なんで床屋さんの建物??
これも訳ありで、朝日新聞に勤めていた石川啄木が,2階にある二間に、函館に預けていた家族を呼んで、東京で初めて家族での生活をした新居。 -
1階は当時の散髪屋のハイカラな様子を見ることができます。
-
足場がかけられて改修工事中の建物があります。
この建物は明治42年に伊勢神宮の外宮前の角地に建てられた宇治山田郵便局舎 -
重要文化財に指定されているこちらの建物は2022年の10月まで耐震補強改修工事が行われて中に入ることはもちろん外観を見ることもできません。
工事が3年9か月も設定しているので、かなり大掛かりな改修工事なんですね。 -
この赤煉瓦の建物は明治20年ころ東京の品川の北品川に建てられた工部省品川硝子製造所。
我が家からも歩いて行ける場所
実は先日建っていた跡地を見たばかりでした。 -
イチオシ
明治の初めに工務省がイギリス人技術者を雇い入れて国産のガラスづくりを始めた場所なんです。
ガラス作りは試行錯誤送り返しながら10数年この建物の中で行われたようですが成功することなく民間に払い下げになり、明治の終わりには三共合資会社製薬場となって、薬品が製造されていました。
跡地は今も三共製薬の工場があって今建て替え工事をしていました。 -
こちらの白い建物も我が家のご近所、品川区の大井町にあるJRの工場内にあった建物。
-
もともと明治5年に開通した鉄道の新橋停車場の一角にあった鉄道寮新橋工場で、機関車の修理をしていました。
イギリス人技術者の指導の下に建設された工場は、鋳鉄柱をはじめ外壁の鉄板、サッシ等、全ての材料をイギリスから輸入したもので造られたそう。 -
建物の中身は全く別物で、内部には三重紡績会社でつかわれていたリング精紡機が展示されていました。
-
そういえば同じような機械が世界遺産になった富岡製糸場にもありました。
-
イチオシ
こちらの機械よく見ると菊の紋章が3つ並んでついています。
赤羽工作分局で明治12年に岩手県の船舶修理工場向けに製造され、後に岩手県盛岡工業高校に引き継がれ実習用として大切に保管されてきた平削盤。 -
明治政府が殖産興業を推進するために設置した直轄工場で製造されたもので、日本の機械工業黎明期の実情を伝える工作機械として貴重なものであるここから、重要文化財に指定されています。
-
こちらは陸軍の名古屋鎮台にあった歩兵第六連隊の兵舎だった建物。
-
2つのベッドが並ぶ下士官室
-
木製のベッドが並ぶ内務班。
全ての家具が耐久性に重点を置いて頑丈に作られています。 -
フランスの建築書を基に造られた兵舎は、もともと50mを超える長い建物だったそうで、移築に際し約三分の二にして復元しているそうです。
-
兵舎の斜向かいに建っているのは名古屋鎮台配置に合わせて明治11年に建てられた名古屋衛戍病院。
ここに移築復元されているのは、病棟のうちの一棟と管理棟。 -
イチオシ
木製の箱の中に入っている機械は何???
正解はレントゲンの撮影機。
国産のレントゲンの機械が作られたのは明治43年にこと
これは大正7年に開発された高性能の国産機「ダイアナ号」
車でも船でもないのに機械に「号」がついて呼ばれているの不思議 -
これもレントゲン機のようです。
-
当時の医療機器なども展示されています。
-
薬の看板なつかしい。
私の実家は明治時代薬屋さんだったようで取り壊した物置の中にこんな看板が何枚か残っていました。
捨てないで持っておけばよかったなあ。 -
この場所は受付だったのか、薬局だったのかカウンターがついています
-
外廊下になっていてバルコニーのような形状で手摺が回されています。
-
その隣には3つ目の我が家の近所に建っていた建物
東京渋谷の広尾に明治23年に建てられた日本赤十字社中央病院病棟 -
窓辺にたたずむ女性、モデルになってもらいました。
-
入口には桐、竹、鳳凰が浮き彫りにされ真ん中に赤十字の入った額が飾られています。
これは草創期の日本赤十字社を支援した明治天皇の昭憲皇太后のアイデアを基にして作られたものだとか。 -
日本赤十字社の前身は西南戦争まで遡ります。
敵味方の区別なく傷病兵の救護に当たった博愛社が前身だそうで、明治19年日本がジュネーブ条約に加盟したときに、日本赤十字社と改名し、その際に皇室から渋谷の御料地の一部と建設資金10万円が下賜されてこの病院が作られたそうです。 -
ベッドの並ぶ病室
-
こちらの機関車は尾西鉄道が開業するにあたり、明治30年アメリカのブルックス社から購入したもの。
アメリカンな雰囲気があり隣にハワイ移民集会所があったので、サトウキビを運んでいたシュガートレーンとばかり思っていましたが、地元を走っていた機関車でした。 -
ここから紹介する3つの建物は、明治時代から始まった海外への移民に関連する建物。
最初の建物は、明治22年ころハワイ島のヒロ市にあったハワイ移民集会所
最初は日本人のための教会として建てられ、その後集会所として使われ、最後はヒロ市の英字新聞の倉庫になっていたそうです。 -
ハワイへの日本人の移民は明治元年に無許可のまま始まり、1885年、日布移民条約が結ばれます。
日本人をハワイのサトウキビ畑で働く労働者として3年契約で送るという取り決めが交わされます。 -
26回にわたる官約移民では2万9000人もの日本人がハワイに渡ったそうです。
希望をもってハワイに渡ったものの、炎天下での長時間の作業はとても過酷だったようです。
その後も民間の移民斡旋業者の移民は続き1908年の終了までに10万人、1924年に移民法で移民が禁止されるまで延べ13万人の日本人がハワイに移民したのだとか。 -
道を挟んで向かいに建っているこちらの建物はブラジルの移民住宅。
1908年の日米紳士協約により、アメリカへの新規移民が大きな制約を受けるようになると、代わりに南米への移民が開始されました。 -
最初のブラジルへの移民は1908に始まり、781名の日本人が契約労働者として笠戸丸ではじめてブラジルへ渡航。
-
その人たちはサンパウロ周辺でコーヒー栽培に従事したそうです。
その後、ブラジルへの移民は年々増加し、昭和元年の最盛期には年間2万数千人にもなったそうです。 -
この建物はそんな日本人移民の人が、大正8年に慣れないコーヒー栽培に苦闘を重ねながら、密林を拓いて造った家の一つなんです。
-
イチオシ
3つ目はシアトルに1907年頃建てられたシアトル日系福音協会
-
日本からアメリカ本土への移民は、戊辰戦争に敗れた会津藩士数十名が明治2年にカリフォルニア州に入植して若松コロニーを開いたことに始まります。
コロニーは結局失敗したものの、移民は明治中期からその数を増し、1896年にシアトル航路が開かれたことにより、明治末から大正期にかけて最盛期を迎えることになります。 -
もともとこの建物はアメリカ人の住まいとして建てられ、1930年代に日系移民の所有になりました。
苦労して手に入れた家も第二次世界大戦は勃発し、日系移民は強制収容により家を追われました。
戦後になって日系一世のための福音教会として使われました。 -
最後に紹介するこの茶色い下見板張りの建物は金沢にあったナンバースクール
第四高等学校の「無声堂」 -
イチオシ
大正6年に柔道、剣道、弓道三つの道場として建てられました。
-
中は畳を敷けば柔道場、畳を外せば剣道場と弓道場
これで四丁目の建物散歩は終了
次は三丁目へ続きます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
明治村建築散歩
-
前の旅行記
2019年最後の旅は13年ぶりの明治村で建物散歩 明治村5丁目
2019/12/29~
犬山
-
次の旅行記
2019年最後の旅は13年ぶりの明治村で建物散歩 明治村3丁目
2019/12/29~
犬山
-
歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.1
2007/08/13~
犬山
-
歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.2
2007/08/13~
犬山
-
歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.3
2007/08/13~
犬山
-
歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.4
2007/08/13~
犬山
-
歴史的建造物の宝庫 明治村 vol.5
2007/08/13~
犬山
-
2019年最後の旅は13年ぶりの明治村で建物散歩 明治村5丁目
2019/12/29~
犬山
-
2019年最後の旅は13年ぶりの明治村で建物散歩 明治村4丁目
2019/12/29~
犬山
-
2019年最後の旅は13年ぶりの明治村で建物散歩 明治村3丁目
2019/12/29~
犬山
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
犬山(愛知) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 明治村建築散歩
0
49