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<br />西安二日目   華青池  楊貴妃<br /><br />マイクロバスは再び二人だけを乗せて一路 華青池に向う。<br /><br />その前に、兵馬桶の中のレストランで昼食を取るが、暑さのためか あまり食欲がない。<br /><br />呉莉さんは西安の大学で日本語科観光コースを専攻したガイドである。 みっちり歴史を学習している。 すらすらと年代 事変などが脳から飛び出してくる。<br />ところどころ説明してくれるのだが、とてもこの貧弱な脳では覚えられない。<br />ああー哀しい。<br />西暦730年代 唐の玄宗時代、日本は奈良時代の頃、楊貴妃(揚玉環)のために、造られた冬の離宮、華青池は西周時代からの温泉地であり、いまでも 温泉が湧き出ている。<br />揚貴妃専用の広い浴室、楊貴妃がその美貌と権力と寵愛を皆に誇り示すために設けられた小さな高塔 が今は草木に覆われている。化粧台とでも言うべきだろうか。<br />玄宗は当初名君であった。しかし、楊貴妃に溺れ 楊貴妃の一族を王朝の要人として 採用し政治を疎かにし 暴君となり、やがて安禄山の乱を迎えて唐滅亡の因を造った。<br />安禄山の乱で都を追われた、楊貴妃は縊死により亡くなった。享年38歳。<br />玄宗皇帝 享年78歳。杜甫 享年59歳。あたい 享年 67歳 の予定 しゃれです。<br /><br />楊貴妃の墓は市内から70キロ離れた地にある。かっては土であったが この土を顔に塗ると美人になるといわれ盗むものあとをたたず 今では石造りとなっている。<br />たった一人の美女のために、これほどの離宮を造営し、国さえも滅ぼした玄宗皇帝は<br />まさに幻想の人かも知れない。富と美貌と愛情を一心に受けた楊貴妃、<br /> 彼女の生涯は 幸せに満ちたものに違いない。栄枯盛衰は世の常である。<br />現代 その楊貴妃にあやかりたい中国女性は多いと言われるが、晩年までは真似したくないだろうね。<br /><br />権力財力を志向の中心とするいまの中国人にあって 楊貴妃の生涯は多分に輝けるものであったのかも知れない。<br />その華青池の、北西の方角の山の崖に小さな洞窟がある。<br />昭和の西安事変の折 蒋介石は この洞窟で寝巻きのまま捕らえられたらしい。<br />いま 時代を得て この西安の兵馬桶の始皇帝と楊貴妃の存在がなければ<br />中国の観光もあるいは色褪せて見えるかもしれない。<br /><br />死して 国を興す観光事業をたくみに生かす 中国はやはり日本の比ではないことを改めて実感する。<br />それにしても、欧米人、中国人 がやたら目立つ。 おいおい 日本人はおいら達ふたりだけかよ。<br /><br /><br /> 青龍寺<br /><br />陝西博物館を回り 青龍寺にいく。<br />観光客はまばら ほんの数人しか見受けない。ここは紀元前582年に建立された、日本での真言宗の本拠地なのかも。平安朝の時、空海はここで仏法を学んだ。<br /> 少し小柄の日本語のなめらかな20歳代の女性が寺内を案内してくれた。<br />兄は熊本工業大学に留学していると説明していた。<br />この寺は 弘法大師 空海が修行した寺で知られている。 寺内のなかほどに 空海記念碑もある。<br />林の中に整然とたたずむ風景には安堵を覚えるが、 四国48ヵ所参りのゼロ番札所をやたら強調する。<br />やがて、お布施と称して一室に案内して 墨彩画や掛け軸を売ろうとする。結構高額である。<br />500元もするものもある。 どうにもその商法には感心しないが、真言宗信心深く気の弱い人であれば あるいは誘惑に落ちるかも。また趣味の人であれば買うのであろうが。<br />とにかくこの時期 客が少なければ 見学する客で単価を上げなければならないことは<br />商法の原点だろう。<br /><br />

西安二日目   華青池  楊貴妃

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2007/06/28 - 2007/07/05

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浅山 (あさやん)

浅山 (あさやん)さん


西安二日目   華青池  楊貴妃

マイクロバスは再び二人だけを乗せて一路 華青池に向う。

その前に、兵馬桶の中のレストランで昼食を取るが、暑さのためか あまり食欲がない。

呉莉さんは西安の大学で日本語科観光コースを専攻したガイドである。 みっちり歴史を学習している。 すらすらと年代 事変などが脳から飛び出してくる。
ところどころ説明してくれるのだが、とてもこの貧弱な脳では覚えられない。
ああー哀しい。
西暦730年代 唐の玄宗時代、日本は奈良時代の頃、楊貴妃(揚玉環)のために、造られた冬の離宮、華青池は西周時代からの温泉地であり、いまでも 温泉が湧き出ている。
揚貴妃専用の広い浴室、楊貴妃がその美貌と権力と寵愛を皆に誇り示すために設けられた小さな高塔 が今は草木に覆われている。化粧台とでも言うべきだろうか。
玄宗は当初名君であった。しかし、楊貴妃に溺れ 楊貴妃の一族を王朝の要人として 採用し政治を疎かにし 暴君となり、やがて安禄山の乱を迎えて唐滅亡の因を造った。
安禄山の乱で都を追われた、楊貴妃は縊死により亡くなった。享年38歳。
玄宗皇帝 享年78歳。杜甫 享年59歳。あたい 享年 67歳 の予定 しゃれです。

楊貴妃の墓は市内から70キロ離れた地にある。かっては土であったが この土を顔に塗ると美人になるといわれ盗むものあとをたたず 今では石造りとなっている。
たった一人の美女のために、これほどの離宮を造営し、国さえも滅ぼした玄宗皇帝は
まさに幻想の人かも知れない。富と美貌と愛情を一心に受けた楊貴妃、
 彼女の生涯は 幸せに満ちたものに違いない。栄枯盛衰は世の常である。
現代 その楊貴妃にあやかりたい中国女性は多いと言われるが、晩年までは真似したくないだろうね。

権力財力を志向の中心とするいまの中国人にあって 楊貴妃の生涯は多分に輝けるものであったのかも知れない。
その華青池の、北西の方角の山の崖に小さな洞窟がある。
昭和の西安事変の折 蒋介石は この洞窟で寝巻きのまま捕らえられたらしい。
いま 時代を得て この西安の兵馬桶の始皇帝と楊貴妃の存在がなければ
中国の観光もあるいは色褪せて見えるかもしれない。

死して 国を興す観光事業をたくみに生かす 中国はやはり日本の比ではないことを改めて実感する。
それにしても、欧米人、中国人 がやたら目立つ。 おいおい 日本人はおいら達ふたりだけかよ。


 青龍寺

陝西博物館を回り 青龍寺にいく。
観光客はまばら ほんの数人しか見受けない。ここは紀元前582年に建立された、日本での真言宗の本拠地なのかも。平安朝の時、空海はここで仏法を学んだ。
少し小柄の日本語のなめらかな20歳代の女性が寺内を案内してくれた。
兄は熊本工業大学に留学していると説明していた。
この寺は 弘法大師 空海が修行した寺で知られている。 寺内のなかほどに 空海記念碑もある。
林の中に整然とたたずむ風景には安堵を覚えるが、 四国48ヵ所参りのゼロ番札所をやたら強調する。
やがて、お布施と称して一室に案内して 墨彩画や掛け軸を売ろうとする。結構高額である。
500元もするものもある。 どうにもその商法には感心しないが、真言宗信心深く気の弱い人であれば あるいは誘惑に落ちるかも。また趣味の人であれば買うのであろうが。
とにかくこの時期 客が少なければ 見学する客で単価を上げなければならないことは
商法の原点だろう。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス

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