2007/05/23 - 2007/05/23
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さすらいおじさんさん
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嵯峨野(さがの)は、太秦(うずまさ)の西、桂川の北に広がる地域名で、風光明媚な観光地。平安時代には天皇や貴族たちの遊猟、行楽地だった。
京都嵯峨野散策の起点と言える史跡・野宮神社(ののみやじんじゃ)の祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)。伊勢神宮に斎宮(いつきのみや)として奉仕する未婚の皇女が潔斎のために篭もった所だった。源氏物語(1001年初出)では六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と前東宮の娘が斎宮になるために共に訪れ『賢木(さかき)巻』では野宮神社が光源氏と六条御息所との別れの舞台となった。謡曲「野宮」にも謡われた著名な神社だ。
周辺には真竹といわれ、良質で高級な竹細工・建築用材に利用される嵯峨野の竹林が広がっている。
落柿舎(らくししゃ)は、松尾芭蕉門下(蕉門)十哲の一人、向井去来の草庵。
売却済みの柿が収穫前に1晩の嵐で落ちてしまったため落柿舎と呼ばれるようになったとのこと。1691年に松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著したとされる。去来の墓はこの庵の北裏手にある。俳諧を好む人たちの記念句碑がたくさんあり、 近くには西行井戸もみられる。
二尊院(にそんいん)は、天台宗の寺院で正式には、小倉山二尊教院華台寺。
834年、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられる。二尊院は阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を安置することから名づけられた寺院で百人一首に詠まれている藤原忠平の「小倉山峯のもみじ葉心あらば今ひと度の御幸またなん」はこの寺の裏山になる。
祇王寺は法然の弟子良鎮が創建した往生院が廃寺となった跡に1895年に祇王寺として再興したもの。
平家物語の哀話で知られる白拍子の祇王・その母・妹の祇女・同じ白拍子の仏御前の合葬墓と平清盛の供養塔がある。平清盛の寵愛が移ろったために出家した不憫な人達だ。
滝口寺は祇王寺に隣接し祇王寺と同じく往生院跡に再興された寺。
滝口寺は平家物語・源平盛衰記に著された斉藤時頼(滝口入道)と建礼門院の雑仕女横笛のはかない恋物語を伝える寺だ。
化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)は、浄土宗の寺。化野は、鳥辺野(とりべの)と並ぶ平安京以来の風葬の地。811年、空海が五智山如来寺を建立し法然が念仏道場を開き、念仏寺となる。境内の約8000体という夥しい数の石仏・石塔は、1903年頃に、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出して集めたもの。毎年8月23,24日には千灯供養が行われ、たくさんの石仏にろうそくが点灯される。嵯峨野は何度歩いても1200年前に心をタイムスリップさせてくれる所だ。
(写真は嵯峨野の竹林)
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嵯峨野の竹林。
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現代も皇族に参拝される野宮神社(ののみやじんじゃ)。
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嵯峨野の竹林。
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野宮神社(ののみやじんじゃ)。
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嵯峨野の竹林。
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野宮神社(ののみやじんじゃ)。
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嵯峨野の竹林の間を散策する人達。
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野宮神社(ののみやじんじゃ)の説明板。
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落柿舎(らくししゃ)。
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落柿舎(らくししゃ)の説明板。
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落柿舎(らくししゃ)。
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落柿舎(らくししゃ)から見る嵯峨野の光景。
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向井去来の墓。
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落柿舎(らくししゃ)から見る嵯峨野の光景。
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向井去来の墓。
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去来の墓、俳諧を好む人たちの記念句碑、西行井戸の説明板。
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向井去来の墓を囲むように立つ百人一句句碑。
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二尊院(にそんいん)。
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祇王寺の説明。
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祇王寺。
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京都嵯峨野の 祇王寺と隣接する滝口寺。
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滝口寺前の光景。
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化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)。
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化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)周辺の光景。
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化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)の説明板。
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化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)周辺の光景。
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