2007/05/23 - 2007/05/23
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さすらいおじさんさん
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嵐山(あらしやま)は桜や紅葉の名所で、平安時代から貴族の別荘地で現在は京都の代表的な観光地。嵐山の中心部を流れる桂川にかかる渡月橋は嵐山の象徴。渡月橋をはさんで上流が大堰(おおい)川で、下流は桂川と川の名前が変わる。保津川下りの舟が行き交う光景は風情がある。
嵐山の渡月橋横にひっそりと立つ「琴きき橋跡の碑」は琴の名手として知られた小督(こごう生没年未詳)の悲しい歴史を伝えている。
桜町中納言、藤原成範(ふじわらのしげのり1135−1187年)の娘・小督は,高倉天皇(1161−1181年)の寵姫(ちょうき)として一身に寵愛を受けていた。高倉天皇の中宮(皇后)・後の建礼門院徳子(けんれいもんいんとくこ1155−1213年)の父平清盛(たいらのきよもり1118−1181年)は天皇が娘より小督を寵愛することに怒った。身の危険を察した小督は内裏を出て嵯峨野に隠れ住んだ。未練を断ち切れない高倉天皇から捜索の命を受けた源仲国(みなもとのなかくに生没年未詳)は,小督の弾く「想夫恋(そうふれん)」を聴き居所を見つけたといわれる。「琴きき橋跡の碑」は小督の弾く「想夫恋」を仲国が聞いた橋跡を示すものとされる。石碑には「一筋に雲ゐを恋ふる琴の音に ひかれて来にけん望月の袖」と仲国の心情歌が彫られ、謡曲「小督」でも「峰の嵐か松風か尋ぬる人の琴の音か駒(こま)引き止めて立ち寄れば爪音(つまおと)高き想夫恋」と仲国が小督を見つけた感動の場面を謡っている。
仲国は小督を宮中に連れ戻し、喜んだ高倉天皇は一層寵愛する。小督は範子内親王を儲けるが、またも清盛に見つかり宮中を追われ、清閑寺に出家して生涯を過ごした。権勢をふるう平清盛に恋を引き裂かれた高倉天皇は21歳の若さで崩御。清盛の父は現在の八坂神社で化け物の正体を灯篭に火をつけようとした僧と見破り、白河院(1053−1129年)の信望を得たことで知られる平忠盛(たいらのただもり1096−1153年)となっている。だが実父は白河院とされ、母は白河院の子(清盛)を身篭ったまま平忠盛に下賜された祇園女御と言われる。平清盛が天皇、法皇に対しても傍若無人の振る舞いをしたのは自分が白河院の子だという自負や天皇、法皇へのコンプレックスがあったのかも知れない。
高倉天皇と小督の悲恋は涙を誘い、平家物語、謡曲、歌劇などで今に伝えられている。小督も哀れだが、平清盛の次女・建礼門院徳子も気の毒だ。小督に天皇の寵愛を独り占めされる悲哀の後、ようやく授かった高倉天皇の子・安徳天皇(1178−1185年)を壇の浦の合戦(1185年)で失い、大原寂光院に出家して生涯平家を弔うという寂しい人生だった。
嵐山は風光明媚な観光地というだけでなく、平家の栄枯盛衰の中に生きた人達の悲しい歴史を伝える街でもある。
(写真は保津川下りの舟と大堰川の光景)
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桂川北側から見る嵐山。
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琴きき橋跡の碑。
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桂川北側から見る嵐山。
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渡月橋。
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渡月橋近くから見る桂川。
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渡月橋。
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渡月橋から見る桂川。
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渡月橋から見る桂川。
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保津川観光の舟。
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渡月橋から見る桂川。
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保津川観光の舟。
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渡月橋から見る桂川。
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保津川下りの舟と大堰(おおい)川の光景。
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一ノ井堰の説明板。
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渡月橋近くから見る大堰(おおい)川。
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旅館が並ぶ渡月橋周辺。
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旅館が並ぶ渡月橋周辺。
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休館中の美空ひばり館。
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天竜寺の庭園。
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天竜寺の方丈。
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天竜寺。京都五山の筆頭禅宗寺院。室町幕府権力を確立した足利尊氏が、後醍醐帝を慰霊するため夢想国師を通し建立した臨斉宗の寺で、その塔頭は150以上だったといわれる。
寺内には夢想国師作庭といわれる庭園がある。池泉回遊式の庭園も豪華。 -
天竜寺の方丈。
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