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<はじめに><br /><br /><慰安会、ソウル・ソクチョの旅><br /> 今年(1995年)からの技術開発本部大の慰安会旅行は、それぞれ希望者を募って、10名程度集まったら、自主的に幹事を決めて決行するというシステムに変わりました。海外旅行も大いに奨励と言った具合です。<br /> さすがに日帰り旅行組は多かったですが、海外旅行組もたくさん成立しました。行き先が色々あって、目移りするほどでした。しかし、今回の韓国、ソウル・束草行きは大勢の人が集まったし、これを避けるわけには行かない状況でした。<br /> K研究室のOtさんは、テレビ番組で束草の『渡し(ケッペ)』場面を見て、是非行ってみたいという希望がありましたし、MuさんやMtさんの女性陣からも、強い韓国旅行の希望がありました。こちらは、どちらかと言えば『熟年買い出しツアー?』です。幾度かの会合の末、幹事はYd君、束草とソウルでそれぞれ1泊づつの小旅行に決まりました。<br /> 出発日は5月18日でした。出発前には、勤務時間後に研究所構内の電化ハウスを利用し、韓国料理に慣れる会を催し、唐辛子や、ニンニクの味に親しみました。この会は大盛会でした。今回の旅行に参加しない人も大勢押し掛け、大いに盛り上がりました。<br /><br /><1995年5月18日(木)><br /> 金浦空港へは定刻通りに到着しました。出迎えてくれたのは、日本の観光会社と契約した現地会社の女性ガイドさんでした。年は30代といったところです。なかなか仕事のできそうな感じの方でした。実際、色々トラブルが発生しましたが、誠意を持って解決してくれました。<br /> すべての観光が終わって金浦空港で見送ってくれた彼女に、感謝の意味で、*万ウォンを渡しました。チップにしては多すぎる額でしたが、別れ際なので、遠慮する彼女に無理に渡しました。<br /> 他のメンバーも、それぞれにチップを渡していました。トラブルはあったものの、彼女にとっても、今回はいい旅行案内ではなかったかと思ってみました。ただ、その時に貰った彼女の名刺が見つからず、ガイドさんとだけか、この小文に書けないのが残念です。<br /> ソウルからは国内航空で、直ぐに束草に向かう予定でした。しかし、ソウル発束草行きの飛行機は、束草空港の天候不順のため、遅れるか欠航になる見通しであることが、電光掲示板に表示されました。<br /> しばらくは天候が回復するのを待ちましたが、一向に飛び立てる気配はありませんでした。ソウルの天候からは想像し難かったですが、束草空港は、霧の発生などでよく天候不良になるような話しも伝わってきました。<br /> 今晩の宿は束草でとってあり、そこへ行き着かないことには、旅行の大半の目的が達せられない結果にもなります。そこで、他に手段はないか、ガイドさんと相談したところ、色々連絡を取ってくれて、マイクロバスで振替え輸送してくれることになりました。<br /> 午後3時まで待って、天候回復しない場合は、マイクロバスにお世話になることに決めました。これ以上遅れると、束草へ着いても、食事もままならない可能性があります。<br /> ややこしい相談事は、やはり現地ガイドさんが居ると助かります。勿論、いつもの気儘旅であれば、元々宿を取っていないので、スケジュールを変更すれば済むことです。この間、幹事役のYd君は随分と気を揉んでいたようで、申し訳ないことでした。<br /> <br /><マイクロバスで半島横断><br /> ガイドさんが話していた通り、マイクロバスが予定の時間に空港まで迎えに来てくれました。半島横断は、たっぷり時間がかかりそうです。韓国の道路はよく整備されているものの、さすがに横断の山道部分は、よく揺れました。<br /> 運転手さんが飛ばすせいでもあるし、道路が曲がりくねっているためでもあります。スリルに富んだドライブを否応なく経験させられました。<br /> こんな厳しいドライブでも、ガイドさんは一番前の小さな席に横座りになり、何かとみんなに気を遣ってくれました。本当にそのプロ根性に、頭が下がる思いをしました。<br /> 私も前の方の席に座っていましたので、<br /><br /> 「ガイドさん、大変だから前を向いて座ったらいかがですか?」<br /><br /> と勧めても<br /><br /> 「大丈夫ですよ」<br /><br /> と言って、そのままガイドを続けてくれました。<br /> <br /><束草到着><br /> 5時間はたっぷりとかかって、無事束草に到着しました。確か、夜の8時は回っていたと記憶しています。ガイドさんは初めての土地らしく、Muさんがバスの運転手さんに道を教える役になりました。<br /> Muさんと2人でゴールデンウィークに来たばかりの束草です。今晩のホテルは、その時泊まった民宿とは隣あわせくらいの近さでした。今回泊まるホテルの正式な名前は忘れましたが、束草観光ホテルだったような気がします。周りに大きなホテルが無いので、よく目立つホテルでした。<br /> この旅行の始まりからいきなりアクシデントが発生しましたが、ガイドさんのお陰で、何とかクリアできました。<br /><br /><オジンノ><br /> ホテルにチェックイオンした後、早速、みんなで港付近まで刺身を食べに出掛けました。店が軒を連ねているのは、泊まったホテルから歩いて直ぐの所でした。これも経験済みです。<br /> それで、散歩を兼ねて港付近の店を覗きました。人数が多いとなかなか、店が決まらないところですが、活きたイカ、『オジンノの刺身を食べる』と決めてありましたので、割と早く店は決まりました。水槽のイカを見て店を選んだ訳です。<br /> その店は、港へ向かって歩き、小島の渡しの手前の狭い堤防道路を少し進んだ左側にありました。早速、水槽で泳いでいたヒラメやオジンノの刺身を造って貰いました。ガイドさんもいれば、Muさんもいるので、注文に苦労することはありません。<br /> 白身の魚は唐辛子味噌がよく合い、とても韓国の醤油やわさびで食べる気はしません。ところが、Muさんが日本から生わさびを持参してきていましたので、こちらでも戴きました。<br /> お店のアジュマが面白がって、『それが日本のわさび?』とか何とか聞いてきましたので、Muさんが残ったわさびをプレゼントすることになりました。<br /> 早速、日本のわさびを試食したアジュマは『辛い!』と言って大袈裟に顔をゆがめました。唐辛子の辛さとわさびとは全然違う種類の辛さであったようです。仕上げに、刺身をとったヒラメを使ってメウンタンを造って貰い、みんな十分に満腹しました。値段もお値打ちでした。<br /> 食事が終わった後は、三々五々に土産物店を覗いたり、カラオケの店を探した組もあったようです。土産物は、勿論海産物でした。こちらでは鯣(するめ)もオジンノと言うらしく、しっかりと買い込んだ人も居ました。例の買い出しツアー組です。<br /> 一緒に土産物店を覗いていた幹事のYd君は、食べ物と言うより、飾り物にいいからと、エイの干物を買い込みました。しっかりと大きなもので、かりかりに干してありました。<br /> ガイドさんも一緒に店を覗いていましたが、彼女はカラオケの店に行きたい様子でした。昼間のトラブルが、片が付いて、もう少し呑みたい気分だったのかも知れません。<br /> カラオケの店を見つけると、それとなく教えてくれました。しかし、夜も更けてきましたし、他に賛同しそうな人も居なかったので、カラオケの店は諦めました。少し彼女に申し訳がありませんでした。

1995春、韓国紀行4(9):5月18日:束草・国内線欠航、バスで半島横断

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1995/05/18 - 1995/05/20

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旅行記グループ 1995春、韓国旅行記4(追想)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

<はじめに>

<慰安会、ソウル・ソクチョの旅>
 今年(1995年)からの技術開発本部大の慰安会旅行は、それぞれ希望者を募って、10名程度集まったら、自主的に幹事を決めて決行するというシステムに変わりました。海外旅行も大いに奨励と言った具合です。
 さすがに日帰り旅行組は多かったですが、海外旅行組もたくさん成立しました。行き先が色々あって、目移りするほどでした。しかし、今回の韓国、ソウル・束草行きは大勢の人が集まったし、これを避けるわけには行かない状況でした。
 K研究室のOtさんは、テレビ番組で束草の『渡し(ケッペ)』場面を見て、是非行ってみたいという希望がありましたし、MuさんやMtさんの女性陣からも、強い韓国旅行の希望がありました。こちらは、どちらかと言えば『熟年買い出しツアー?』です。幾度かの会合の末、幹事はYd君、束草とソウルでそれぞれ1泊づつの小旅行に決まりました。
 出発日は5月18日でした。出発前には、勤務時間後に研究所構内の電化ハウスを利用し、韓国料理に慣れる会を催し、唐辛子や、ニンニクの味に親しみました。この会は大盛会でした。今回の旅行に参加しない人も大勢押し掛け、大いに盛り上がりました。

<1995年5月18日(木)>
 金浦空港へは定刻通りに到着しました。出迎えてくれたのは、日本の観光会社と契約した現地会社の女性ガイドさんでした。年は30代といったところです。なかなか仕事のできそうな感じの方でした。実際、色々トラブルが発生しましたが、誠意を持って解決してくれました。
 すべての観光が終わって金浦空港で見送ってくれた彼女に、感謝の意味で、*万ウォンを渡しました。チップにしては多すぎる額でしたが、別れ際なので、遠慮する彼女に無理に渡しました。
 他のメンバーも、それぞれにチップを渡していました。トラブルはあったものの、彼女にとっても、今回はいい旅行案内ではなかったかと思ってみました。ただ、その時に貰った彼女の名刺が見つからず、ガイドさんとだけか、この小文に書けないのが残念です。
 ソウルからは国内航空で、直ぐに束草に向かう予定でした。しかし、ソウル発束草行きの飛行機は、束草空港の天候不順のため、遅れるか欠航になる見通しであることが、電光掲示板に表示されました。
 しばらくは天候が回復するのを待ちましたが、一向に飛び立てる気配はありませんでした。ソウルの天候からは想像し難かったですが、束草空港は、霧の発生などでよく天候不良になるような話しも伝わってきました。
 今晩の宿は束草でとってあり、そこへ行き着かないことには、旅行の大半の目的が達せられない結果にもなります。そこで、他に手段はないか、ガイドさんと相談したところ、色々連絡を取ってくれて、マイクロバスで振替え輸送してくれることになりました。
 午後3時まで待って、天候回復しない場合は、マイクロバスにお世話になることに決めました。これ以上遅れると、束草へ着いても、食事もままならない可能性があります。
 ややこしい相談事は、やはり現地ガイドさんが居ると助かります。勿論、いつもの気儘旅であれば、元々宿を取っていないので、スケジュールを変更すれば済むことです。この間、幹事役のYd君は随分と気を揉んでいたようで、申し訳ないことでした。

<マイクロバスで半島横断>
 ガイドさんが話していた通り、マイクロバスが予定の時間に空港まで迎えに来てくれました。半島横断は、たっぷり時間がかかりそうです。韓国の道路はよく整備されているものの、さすがに横断の山道部分は、よく揺れました。
 運転手さんが飛ばすせいでもあるし、道路が曲がりくねっているためでもあります。スリルに富んだドライブを否応なく経験させられました。
 こんな厳しいドライブでも、ガイドさんは一番前の小さな席に横座りになり、何かとみんなに気を遣ってくれました。本当にそのプロ根性に、頭が下がる思いをしました。
 私も前の方の席に座っていましたので、

 「ガイドさん、大変だから前を向いて座ったらいかがですか?」

 と勧めても

 「大丈夫ですよ」

 と言って、そのままガイドを続けてくれました。

<束草到着>
 5時間はたっぷりとかかって、無事束草に到着しました。確か、夜の8時は回っていたと記憶しています。ガイドさんは初めての土地らしく、Muさんがバスの運転手さんに道を教える役になりました。
 Muさんと2人でゴールデンウィークに来たばかりの束草です。今晩のホテルは、その時泊まった民宿とは隣あわせくらいの近さでした。今回泊まるホテルの正式な名前は忘れましたが、束草観光ホテルだったような気がします。周りに大きなホテルが無いので、よく目立つホテルでした。
 この旅行の始まりからいきなりアクシデントが発生しましたが、ガイドさんのお陰で、何とかクリアできました。

<オジンノ>
 ホテルにチェックイオンした後、早速、みんなで港付近まで刺身を食べに出掛けました。店が軒を連ねているのは、泊まったホテルから歩いて直ぐの所でした。これも経験済みです。
 それで、散歩を兼ねて港付近の店を覗きました。人数が多いとなかなか、店が決まらないところですが、活きたイカ、『オジンノの刺身を食べる』と決めてありましたので、割と早く店は決まりました。水槽のイカを見て店を選んだ訳です。
 その店は、港へ向かって歩き、小島の渡しの手前の狭い堤防道路を少し進んだ左側にありました。早速、水槽で泳いでいたヒラメやオジンノの刺身を造って貰いました。ガイドさんもいれば、Muさんもいるので、注文に苦労することはありません。
 白身の魚は唐辛子味噌がよく合い、とても韓国の醤油やわさびで食べる気はしません。ところが、Muさんが日本から生わさびを持参してきていましたので、こちらでも戴きました。
 お店のアジュマが面白がって、『それが日本のわさび?』とか何とか聞いてきましたので、Muさんが残ったわさびをプレゼントすることになりました。
 早速、日本のわさびを試食したアジュマは『辛い!』と言って大袈裟に顔をゆがめました。唐辛子の辛さとわさびとは全然違う種類の辛さであったようです。仕上げに、刺身をとったヒラメを使ってメウンタンを造って貰い、みんな十分に満腹しました。値段もお値打ちでした。
 食事が終わった後は、三々五々に土産物店を覗いたり、カラオケの店を探した組もあったようです。土産物は、勿論海産物でした。こちらでは鯣(するめ)もオジンノと言うらしく、しっかりと買い込んだ人も居ました。例の買い出しツアー組です。
 一緒に土産物店を覗いていた幹事のYd君は、食べ物と言うより、飾り物にいいからと、エイの干物を買い込みました。しっかりと大きなもので、かりかりに干してありました。
 ガイドさんも一緒に店を覗いていましたが、彼女はカラオケの店に行きたい様子でした。昼間のトラブルが、片が付いて、もう少し呑みたい気分だったのかも知れません。
 カラオケの店を見つけると、それとなく教えてくれました。しかし、夜も更けてきましたし、他に賛同しそうな人も居なかったので、カラオケの店は諦めました。少し彼女に申し訳がありませんでした。

同行者
社員・団体旅行
交通手段
観光バス

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  • 現地で購入した絵葉書です。かつての慶州の都の絵図です。最初は新羅王京360坊の全体図です。

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  • 伝、大宮地・復元図とされる図面です。川は洛東江の支流でしょうか、それとも別の川でしょうか。

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  • 新羅王京図内、朱雀大路付近と称される絵図です。慶州としたら、どの辺りでしょうか。見当が付きません。広い大路が印象的です。

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  • 新羅王京図内、皇竜寺、雁鴨池付近とされる絵図です。新羅王京は、慶州方面を中心とする王朝の都でしょうか。

    新羅王京図内、皇竜寺、雁鴨池付近とされる絵図です。新羅王京は、慶州方面を中心とする王朝の都でしょうか。

  • 新羅王京図内、明活山城、林泉寺付近とされる絵図です。これだけ詳しい地名ですと、場所が特定されているのでしょう。

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  • 新羅王京図内、狼山四天王寺、善徳女王陵、皇福寺、富門寺付近とされる絵図です。

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  • 新羅王京図内、南山新城、蟹目嶺、弥勒世尊付近とされる絵図です。山岳地帯のようです。

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  • 新羅王京図内、月城復元図とされる絵図です。今回の旅行で、月城址を見学した微かな記憶があります。

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