2002/01/14 - 2002/01/16
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旅人のくまさんさん
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<2002年1月14日(月)>
成人の日が第二月曜日に指定されているため、日曜日との競合が無くなり、三連休になりました。その最終日です。
<防寒対策>
旅の前には、「真冬の北京は相当に冷え込むのではないか?」「まして、万里の長城で寒風に晒されたら?」が心配事の一番大きな部分でした。
それで、オーバーコートを着ていく事から、スキー用のアンダーウェアやら、手袋までを用意しておきました。結果としては、北京では寒いと感じた事はありませんでした。名古屋でも暖かだった事を、後でお聞きしましたが、北京でも暖かい日が何日か続いていたようです。それより、準備が過ぎて、名古屋空港へ着いた後の待ち時間には、コートを脱いでも、暑くて閉口したほどでした。
<名古屋空港出発>
出発前に説明会があると言うので、空港3階の部屋に顔を出しました。既に、十人以上の方が集まっていて、私が最後だったようです。
名*観光の方から、一応の説明がありましたが、正直なところ、余り参考にはなりませんでした。それを予想して、少し遅れて行った訳です。この説明員の方、「私は旅行案内の専門ではありません。これから説明しますお土産品の方が専門です」と正直に話されていました。こちらの方も、出発前に宅配便で手配済みなので、早々に説明会を退散しました。
<小品盆栽展>
3階のロビーでは、小品盆栽店が開かれていて、出発前の退屈しのぎになりました。盆栽展は何度か見学したことがありますが、小品だけ集めたものは、初めてでした。退屈しのぎと言うより、十分に興味を持って作品の数々を見て回りました。
小品ながらに、気品と風格があり、枝ぶりは勿論、花物、実物なども実に立派な作品が物がありました。格好の被写体となりましたので、見学のついでにデジカメに収めておきました。
待ち時間をどうやって過ごすか、いつも苦労しますが、こんな展示会があれば、大歓迎です。展示即売コーナーもありましたが、残念ながら荷物になりますので、こちらは諦めました。
<天津国際空港到着>
夕刻に天津国際空港へ到着しました。天津時間で、13時40分に名古屋を出発し、16時35分に降り立ったので、約3時間のフライトでした。搭乗してすぐに時計を1時間もどしておきましたので、名古屋の時刻は、17時35分と言うことになります。入国手続きは、さほど時間がかかりませんでした。審査官からの質問もありませんでした。
優れない天候のためか、既に薄暗くなっていました。しかし、まだ夜までには十分な時間がありました。天津国際空港は、小さな空港です。名古屋からの北京への直行便が無いため、すべて天津経由となる。北京が内陸部に位置するのに対し、こちらは海岸線近くに位置しています。
我々を出迎えてくれたのは、北京から来たガイドさんでした。名古屋からの15名、全員トラブルなしに中国に入国できました。天津のことをガイドさんが質問した時、「天津甘栗」「天津飯」くらいか、ツアーメンバーでは思いつきませんでした。北京への経由地であり、ここで降り立って名所旧跡を訪ねる機会が少ないためでしょう。私の知識も例外でなく、同じレベルです。
ガイドさんは、天津甘栗の続きの話として「実は、天津では余り栗が採れません。今はほとんどが北京郊外などで採れた栗を天津甘栗として輸出しています」と補足してくれました。産地問題、どこにでもあるようです。
<陸路で北京へ>
天津空港から北京へは、バスで移動しました。夕暮れに眺める天津郊外の景色は、荒野と言った表現が似合っているようです。雪は積もっていませんでしたが、水路や、池などは固い氷に閉ざされているようでした。
所々、大きなため池の中央付近でポンプが回っているのを見掛けました。その辺りだけが凍り付いていなかったので、凍結防止のための水の攪拌のようでした。動いていないポンプの回りは、鈍い色をした氷で覆われていました。今、回っているポンプも、停止するのは時間の問題のようでした。
凍てついた水路、池をたくさん見かけましたが、民家らしきものは、ほとんど見当たりませんでした。暗くなって民家の明かりが見えたと思ったら、それは移動をしていて、車のヘッドランプでした。
溜池のようなものは、畑や田んぼに水を引くものにしては、少し違和感を覚えたものの、最後まで、その利用目的は分かりませんでした。魚の養殖池とも思いましたが、それにしては、厳しすぎる凍てつきようでした。
こんな原野のようなところに、自然林と言うより、防風林を兼ねた林が唯一のアクセントになっていました。その梢には、所々大きな黒い塊がシルエットとして浮かびました。一度だけ、降り立った大き目の鳥の姿をみかけました。梢の高いところの黒いシルエットは、多分、カササギの巣だったようです。
日本では九州の佐賀県に飛来する、国の特別天然記念物に指定された希少種だったと記憶しています。古事記の神武天皇の神話以来、カチガラスとして、特別の位置が与えられてきた鳥です。韓国の各地で、大きな木の高みに巣を作っていたのを実見してきましたので、多分間違いないでしょう。
<北京での夕食>
最初の夕食はオーソドックスな中華料理でした。日本語が達者な女性のチーフをはじめ、若いウェイトレスさんも片言の日本語が通じました。
食事の最後に刀削麺の実演がありました。それまでに片言の日本語で会話をしていたウェイトレスさんが、その横で写真のポーズをとってくれました。
その後で、「この麺のことを日本では何と呼んでいますか?」と2、3人のウェイトレスさんに聞かれましたので、自分の手帳に「刀削麺」と書いて見せましたら、「日本も中国といっしょですね」と言って顔を見合わせていました。「多分、日本では中国の呼び方をそのまま遣っているんですよ」と補足しましたが、日本語がうまく通じなかったせいか、まだ不思議そうな顔をしていました。
<ウェルカム画面>
昨年12月の台湾旅行記を、この中国旅行のあと書に記した時、台湾のホテルヒルトンで「ウェルカム画面」のことに触れました。どうやら、記憶が入り混じってしまったようです。しかし、こちらのホテルではちゃんと写真でテレビ画面を写していましたので、台湾旅行記の方が誤りでした。
実はこの時の記述では、もう1つ間違いに気が付きました。名古屋空港で日本酒を買ってきたのは、今回の中国旅行の時であり、台湾でのこの記述部分は、コンビニで買ってきた小壜のワインとポケットウイスキーでした。深酒で混乱したようです。台湾旅行記の第2版では訂正しておくつもりです。
それにしても、中国でウェルカム画面に出会うとは思いませんでした。姓・名の順でローマ字で綴ってあったのが東洋的で印象に残りました。しかし、Mr.の表示が抜けていたような気がします。中国でも小さなことは気にしないケセラセラ、ケンチャナヨの世界でしょうか?
<王府井散策へ>
夕食の後、Yaさんに北京の繁華街、王府井散策のお誘いを受けましたので、喜んでご一緒させて頂きました。Yaさんご夫妻との3人です。今晩出かけなければ、今回の旅行では、多分その機会はやってこないことで意見が一致したためでもあります。
ホテルへ戻った後、30分後にロビーで待ち合わせることにしました。泊まった北京新世紀飯店は、市街地から大分離れた位置なので、タクシーで出かけることにしました。幸いホテルには、客を届けて空いたタクシーが直ぐにやってきました。
中国語は話せないので、運転手さんに地図を見せて、王府井を示しました。それでも駄目押しのため、「ワンフーチン」と言って場所を指差したら、どうやら目的地を分ってくれました。それでも、まだ何か確認したいような様子でした。どうやら、「王府井のどの辺りか?」が運転手さんの確認したかった事らしいようでした。Yaさんから「新東安市場」と言い添えていただいて、会話が通じました。
<王府井の屋台、餃子の店>
タクシーで30分程の距離でした。一方通行の関係らしく、新東安市場のデパートが見えてから、少し左に回りこんでから目的地に降り立ちました。
ライトアップしたビルや看板がひしめき、第一印象としては新開地、新しい商業地域と言った感じでした。残念ながら、少し遅い時間でしたので、新東亜市場の看板がかかったデパートの中に入ることは出来ませんでした。しかし、目的はデパートより、屋台の方にありましたので、さほどがっかりすることではありません。
その屋台街は、降り立った場所から左手方向(西方向のようです)に歩いた右手(方角が合っているなら東西の通りの北側)の歩道に、並んでいるのが見えました。
後でガイドブックを調べましたら、1992年の北京オリンピックの際に、あちこちにあった旧い屋台が全部撤去されたといいます。今あるのは、最近復活したばかりの真新しい屋台で、清潔第一をうたい文句にしているようです。ただ、余りに規格が揃いすぎて、旅行客から見たら少し興ざめなところもありました。
並べられた品々は、ほとんどが串に刺してあり、これまた規格品と言った感じでした。コックの帽子に白い衣服をまとった、比較的若い人たちが店を取り仕切っていました。
ところで、同じような規格の串物のように見えて、仔細に見ると、ばった(イナゴではないように思えました)、昆虫のさなぎ、蛙など屋台に相応しい(?)品々も並んでいました。すべて、ステンレスの容器に整然と並べられていて、清潔第一が読み取れました。
屋台の店先を覗きながら、王府井の散策を楽しみましたが、突然暗くなってビックリしました。最初は「停電かな?」とYaさんご夫婦と顔を見合わせましたが、停電ではありませんでした。屋台の終了時間を告げるライトダウンでした。それを機に、店仕舞が始まりましたので、そう推測しました。
屋台が仕舞い掛けましたので、どこかお店を探して「ビールでも飲みましょう」とYaさんと意見が一致しました。それで、新東亜市場に少し戻った店で餃子を食べることにしました。歩道から中が良く見え、欧米の客らしい人も入っていましたし、大衆店らしかったのも選択肢に合致しました。
餃子の専門店らしく、いろんな種類が書かれた餃子の品書きを持ってきて注文をとってくれました。若い女性の店員さんでした。中には売り切れの品もありましたが、簡略文字を直感を交えて判断し、美味しそうな各種の餃子を注文しました。
私は夕食を少し控えめにしていましたので、おいしく餃子を戴きました。それでも少し残るほどの量がありました。皮が少し厚めで、一つ一つが思ったよりボリュームがあったせいです。
たっぷりの餃子とビール、それに往復のタクシー代を含めて、3人分が100元程度でした。一人当たり千円程度です。日本では、片道のタクシー代でも足が出そうな値段です。この安さに、改めて王府井の夜の散策に大満足しました。
Yaさんとは「こんな安い楽しみ方では、ガイドさんが仕事に困ってしまうでしょうね」ということで、「ガイドさんには内緒にしておきましょう」ということにしました。
旅立ちの朝
冬の旅身軽に支度をせんとして小さきリュックに思案せし朝
慣れ染みし喫茶の店の閉じるなり旅立の朝張紙見たり
天津に近い上空で
白き雲凹凸多き雪原に似たるその下大陸のあり
暮れ残る空に冬木の影続き高き梢に懸しの鳥の巣
刀削麺の店で
不足せし日本の言葉補いしノートの文字に見入る若き娘
王府井で
煌煌と大路に灯連りて王府井の屋台居並ぶ
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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便数が少ないのでしょう。電光表示板には、今到着したCA158便だけが表示されていました。
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天津空港に到着したのは17時前でした。名古屋との時差が1時間あり、今名古屋では18時前です。
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天津空港はあまり大きくない空港でした。名古屋からは直接北京へ乗り入れる便がないので、ここを経由となりました。
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天津空港からは、1時間以上かけて、陸路北京へ向かう事になります。
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少し離れた場所に停まったバスに、歩いて向かう途中、空港ビルを振り返っての1枚です。
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天津を出発して暫くは、原野のような所を走りました。その間、民家はほとんどありませんでした。
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明かりが見えてきたのは、北京が近づいてからです。途中、雪はなかったですが、凍てついているのが分かりました。
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ここはもう、北京の繁華街近くでしょうか。大きなビルや、飲食店のネオンが連なってきました。
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天津経由で北京に着いたのは、すっかり日が暮れた後でした。それで、先ずは腹ごしらえのレストランに案内されました。
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緑がかったボトルに入った青島ビールは、前回の中国旅行以来、久し振りに飲みました。最初にコップ一杯がサービスで出されましたが、別に1本頼みました。
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食事の最後には刀削麺が出されました。まだ学生さんらしいウェイトレスさんがポーズをとってくれました。
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香港美食城の看板のこのお店です。日本語が達者は店の方がいて、日本人観光客の多い店のようでした。
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こちらは、個人客用のフロントです。近代的な造りで、広々としていました。
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この部屋で暫く待たされました。やはり、チェックインの手続きは煩雑なようです。
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この花は、団体専用のチェックイン受付の部屋に飾ってあったものです。オレンジの極楽鳥花や白の蘭、百合など、全て造花でした。
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吹き抜けになったロビーの飾りの1つです。透かし彫りのレリーフのスケールが素晴らしかった。手前の花は、アザレアのようです。
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吹き抜けの天井に達する、透かし彫りの飾りは迫力満点でした。こういった飾りが、年月を経て更に風格を増してくるのでしょう。
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楕円形の天蓋のスケールも見事でした。これらの造作に、私以外にも多くの人がシャッターを切っていました。
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テーブルの上の盛花は造花でしたが、ゴージャスな雰囲気を十分に演出していました。
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ロビー正面にはエスカレーターも設備されていて、さすがの施設内用でした。照明関係の配慮も十分にされていました。
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一階ロビーの土産物店です。ここでデジカメ用の乾電池を買い求めました。それ以外は、高そうだったので、眺めるだけにしました。
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選択画面から、日本語1または2を選択しますと、BS放送を無料で見ることができました。
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CNNニュースか何かのコマーシャル画面です。欧米の放送も自由に見ることが出来ました。
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閉まっていたので、中の事は分りませんが、ガイドブックによれば、売り場面積22万平方の巨大デパートです。
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新東安市場のビルの上に、更にお城のような偉容を誇る建物です。北京で一番変貌を遂げている一帯のようです。
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以前は、あちこちにあった屋台が、1993年のオリンピックを期に廃止されました。最近、新しい屋台街として生まれ変わったようです。
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