2005/02/11 - 2005/02/12
5位(同エリア369件中)
旅猫さん
春が感じられるようになって来た2月中旬。以前から行ってみたいと思っていた門司港の街を、関門海峡を挟んで向かい合う下関と併せて訪れることにした。旅の初めは、やはり夜行列車である。今回の旅は、東京駅を19時ちょうどに出る寝台特急『あさかぜ号』で始める。少し早めに駅に着いてしまったので、まだ列車は入線していなかった。平日とあって、ホームには家路を急ぐ通勤客の姿が多い。
(2024.02.16投稿)
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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出発表示に『あさかぜ』の文字が光った。そして、出発10分前に入線。私が乗るのは、8号車のB寝台車である。
※「あさかぜ」は、廃止されています。 -
二つ折のドアが開き、薄暗い車内に踏み込む時の高揚感は堪らない。
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『あさかぜ』には、B寝台個室が付いていない。昔ながらの2段式寝台が並ぶ車内は、出発前の独特な雰囲気が漂っている。それは、旅人の心を高揚させる。しかし、夜行列車離れの進む中、車内は閑散としていた。
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翌朝、車窓には、朝陽に光る瀬戸内海が広がっていた。夜明けの景色が楽しめるのも、夜行列車の醍醐味である。
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そして、終着の下関駅に到着。東京駅から、14時間55分の旅であった。下関は、本州最西端の駅。広い構内には、交通の要衝として賑わった頃の面影が漂っていた。
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下関駅からは、10時31分発の新山口行の普通列車に乗車。『あさかぜ』が走って来た山陽路を戻り、厚狭駅を目指す。
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厚狭駅には、30分ほどで到着した。この旅最初の目的地は、山口ワイナリーである。バス便が無いので、タクシーで向かうことにする。
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駅から10分ほどで到着した山口ワイナリーは、日本酒の蔵元である永山酒造が経営する山口県内唯一のワイナリーだ。
※2024年現在、ワイナリーは2軒あります。山口ワイナリー お土産屋・直売所・特産品
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まずは、畑を拝見する。畑には、レインカットでカベルネ・ソーヴィニヨンなどが栽培されていた。この辺りの土壌は、アルカリ性だそうだ。
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見学をお願いすると、わざわざ本社から工場長の佐々木さんが来てくれた。詳しく案内をしていただき、恐縮であった。
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工場の片隅に、樽が置いてあった。地下貯蔵庫に収まり切れなかったものだそうだ。まだまだ試行錯誤の段階とは、工場長の言である。とても熱意が感じられるワイナリーなので、今後が楽しみである。
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せっかくなので、『マスカット・べりーA 2001年収穫 樽貯蔵』を購入。あまり好みでは無い品種なのだが、これは悪くは無かった。山口ワイナリーを後にして、厚狭駅へ戻る。厚狭駅での列車待ちの時間を利用し、駅構内にあった店で『肉きつねうどん(500円)』を食べた。これが驚くほど美味しかった。
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13時11分の普通列車で長府駅へと向かう。長府駅には、13時29分に着いた。駅前から、バスの走る国道9号線へ出て、下関行のバスを待つ。しばらくしてやって来たバスに乗り、城下町長府バス停で降りた。
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とりあえず、近くの長府観光会館に寄り、水分等を補給する。その後、脇を流れる壇具川沿いに歩き始めた。途中、壇具川と寺町が交わる角に、旧長府藩侍屋敷の長屋門が移築保存されていた。ただ、壇具川の周辺は、城下町と言うより、高級住宅街といった感じであった。
長府藩侍屋敷長屋 名所・史跡
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壇具川沿いは整備され過ぎていたので、裏道へと入る。途中、通り過ぎてしまいそうな小さな石碑が道端にあった。よく見てみると、『豊浦池』という文字が刻まれている。『豊浦池旧跡の碑』と言うものらしく、以前は池があったらしく、仲哀天皇が舟遊びをしたと伝えられているそうだ。
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その先に、長門国二ノ宮である忌宮神社があった。仲哀天皇が熊襲討伐のために遠征した折、七年間仮の皇居とした豊浦宮があった場所とされる。神話の世界である。1800年の歴史を誇る天下の奇祭『数方庭祭(すほうていさい)』は、この境内で行わるそうだ。
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忌宮神社から1本壇具川沿いに戻ると、城下町の面影を色濃く残す古江小路に出る。長府藩の武家屋敷が立ち並んでいたところで、今でも石垣と練塀が続き、城下町らしい風情が感じられる場所となっている。
古江小路 名所・史跡
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その古江小路の途中に、菅家長屋門がある。菅家は、長府藩初代毛利秀元(毛利元就の孫)により京都から招かれ、代々藩の侍医兼侍講職を務めた家柄である。武家の長屋門とは趣を異にする構えで、左右に伸びる練壁に設けられた格子窓が見所だそうだ。
古江小路 菅家長屋門 名所・史跡
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古江小路は、緩やかな坂道となっていて、登り切ったところから振り返って眺めても、とても風情がある。
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古江小路の突き当たりを左へ曲がりしばらく行くと、長府毛利邸の門が見えて来た。長府毛利邸は、第14代当主毛利元敏が明治36年(1903)に建てた邸宅である。大正8年(1919)まで、長府毛利家の本邸として使われていたそうだ。
長府毛利邸 名所・史跡
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邸内には、明治天皇が宿泊した部屋や池泉回遊式庭園などが残っている。かなりの広さがあり、さすが毛利家と言ったところだ。
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その庭では、梅もちらほらと咲き始めていた。
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毛利邸から功山寺へと向かう。途中に、練壁の残る民家があった。黒い板壁の民家と椿の花がとても良く似合っていた。
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功山寺に着いた。古江小路と並ぶ城下町長府の見所の一つである。その山門は、安永2年(1773)、長府藩10代藩主毛利匡芳の命により再建された二重櫓造りの門である。重厚な構えの山門で、なかなか見応えがある。
功山寺山門 寺・神社・教会
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境内にある仏殿は、国宝である。鎌倉時代末期の建立で、鎌倉の円覚寺舎利殿と同じ唐様(禅宗様)建築様式としては、国内最古のものである。美しく反った屋根が素晴らしい。長府へ来たのは、この仏殿に会いたかったのである。あまりの美しさに、しばらく見惚れてしまった。
功山寺 寺・神社・教会
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境内の奥には、西国の名門大内氏最後の当主義長の墓もあった。義長は、大友宗麟の異母弟である。大内義隆の養子となったが、弘治3年(1557)、毛利元就に攻められ、長福寺で自害した。長福寺とは、功山寺の前の寺名であり、ここは大内氏終焉の地でもある。なお、義長の墓の隣には、陶晴賢の末子鶴寿丸も眠っているそうだ。
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功山寺の参拝を終えて外に出ると、近くの住宅街に陶芸工房があった。その外に飾ってあった作品たちが、とても可愛かった。
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功山寺のすぐ隣にある下関市立長府博物館は、残念ながら休館であった。来た道を戻り、忌宮神社近くにある城下町の風情たっぷりな横枕小路を通る。この小路の北側には、乃木旧艇や乃木神社がある。小路を抜け、旧山陽道を横切り、バス停へと戻り、この日の宿がある下関へと向かうことにする。長府は、他にも見所が多くあり、とても半日では回り切れない。いつか、もう一度訪れたいものである。
横枕小路 名所・史跡
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この旅行記へのコメント (8)
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- hot chocolateさん 2024/03/04 20:42:18
- 関門海峡行ったり来たり
- 旅猫さま
こんばんは。
「関門海峡行ったり来たり【1】~ワイナリーと城下町長府~」の旅行記に
お邪魔しています。
関門海峡も長府も倉敷も未踏の地です。
というか、中国・四国地方はもう何十年も行っていません。
あ、出雲地方は5年前に行ったかな。
夜行列車…旅の風情が感じられる列車ですよね~。
何十年も前、寝台列車に乗って東北や北海道に行ったことが思い出されます。
今では速いばかりの新幹線が主流になっていますが、こういうのんびりとした
旅がしたいですね。
我が家の最寄りの市川駅から沼津方面に行く時は、横須賀線、東海道線普通の
グリーンに乗って行きます。
本を読んだり、車窓の景色を楽しんだり、ゆったりとした旅っていいですね。
長府藩の武家屋敷の石垣と練塀が続く様子は、城下町らしい風情が感じられて、
散策も楽しそうですね。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2024/03/04 21:11:54
- RE: 関門海峡行ったり来たり
- hot chocoさん、こんばんは。
書き込みありがとうございます。
中国地方も四国地方も、それぞれ魅力があり、面白いです。
長府は、なかなか風情がありました。
城下町の趣が残っていて、気に入りました。
夜行列車は、いいですよね。
でも、今や一本だけに。。。
絶滅も時間の問題となってきました。
旅情を感じる列車の旅は、やっぱり好きです。
速いだけの新幹線ばかりだとつまらないです。
普通列車のグリーン車は、寛げてなかなか良いですよね。
私も結構利用しています。
旅猫
-
- 前日光さん 2007/02/26 23:55:21
- 夜行寝台・忌宮神社
- 旅猫さん、こんばんは
いつものことながら、イイ旅をしていますねぇ。私は旅猫さんの
神社・仏閣の写真が大好きです。
目のつけどころが粋で洒落ているんですよねぇ。
どうしたらそういうセンスは磨かれるのでしょうか?
「あさかぜ」は、広島の甥がたびたび利用していました。
なくなると聞いた時は寂しかったですよ。私も出雲に行くときは2度ほど「サンライズ出雲」を利用しました。日本海経由の「寝台特急出雲」は1度も乗れないまま廃止されてしまいました。
もうスピードだけを求める時代に終わりを告げてもよいのでは、と思ってしまうのですが。
3月には職場の旅行で「北斗星」で北海道に向かう予定です。でも函館1泊で飛行機で帰るというものですが。
今年は仕事がらみではありますが、沖縄と北海道という生まれて初めての所に行く機会に恵まれて、幸せだと思っています。
すみません、長くなりました。おやすみなさい。
- 旅猫さん からの返信 2007/02/27 00:51:37
- RE: 夜行寝台・忌宮神社
- 前日光さん、こんばんは。
>いつものことながら、イイ旅をしていますねぇ。私は旅猫さんの
>神社・仏閣の写真が大好きです。
ありがとうございます!
嬉しいなぁ(^^)
>どうしたらそういうセンスは磨かれるのでしょうか?
自分では、センスが良いとか思ってないんですけどね(^^;
習ったわけでもなく、ただ旅先で写しているだけなので。。。
>日本海経由の「寝台特急出雲」は1度も乗れないまま廃止されてしまいました。
「出雲」は、一度だけ乗ったことがあります。
居合わせた家族2組と、かなりおしゃべりをしたのが懐かしいです。
>もうスピードだけを求める時代に終わりを告げてもよいのでは、と思ってしまうのですが。
私もそう思います。
あっと言う間に目的地に着いてしまうのは、なんだか忙しなくて。
旅だと、その楽しみの半分を失ってしまうようなものだと思います。
「北斗星」で函館ですか!
いいですね〜。
函館は大好きな街で、これまでに10数回は訪れています。
楽しんできてください!
旅猫
-
- 義臣さん 2007/02/25 16:32:14
- 夜行寝台
- 夜行寝台車の雰囲気は好きですね、
昔の三段ベットでは何時も最上階で、
青森、金沢、南紀、思い出します、
一昨年の高松で最後かな?
相棒が「今度からは飛行機にして」言っていましたから
あの味わいは男性のものでしょうか?
「あさかぜ」、、
私は「はやぶさ」で博多まで一度、
- 旅猫さん からの返信 2007/02/25 16:44:16
- RE: 夜行寝台
- 義臣さん、いつもありがとうございます。
>夜行寝台車の雰囲気は好きですね、
私も好きです。
この「あさかぜ」が、今のところ開放寝台に乗った最後のものです。
三段寝台となると、2002年の「ゆうづる」の狭い中段が最後でした。
義臣さんは、高松が最後ですかぁ。
「瀬戸」には、母親を連れて四国を旅したときに乗りました。
>あの味わいは男性のものでしょうか?
そんなことはありませんよ。
女性も結構利用しています。
知り合いの20代の女性も、一人旅で開放寝台を使ってますよ(笑)
-
- そよ風さん 2007/02/24 23:47:51
- 美しく時を刻む
- 旅猫さん、こんばんは☆
この写真の塀、なんとも味わいのある壁ですね。
年数を経た独特の趣が、色といい、質感といい、
とてもいい味を出していますね。
人間も年齢とともに、この壁のような味わい深さが
出せるといいですぅ〜^^;
- 旅猫さん からの返信 2007/02/25 00:18:38
- RE: 美しく時を刻む
- そよ風さん、こんばんは!
>この写真の塀、なんとも味わいのある壁ですね。
年を重ねた滲み出るような味わいがとても良いですよね。
深みの出るような年の取り方をしたいですね。
日々、精進せねば(笑)
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