2006/08/10 - 2006/08/19
53位(同エリア111件中)
瑞樹さん
長い旅路を終え、いよいよカルタゴ観光。
昼食→ビュルサの丘→カルタゴ博物館→トフェ→古代カルタゴ時代の商業港・軍港→アントニヌスの共同浴場
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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8月11日(金)14:15、これからカルタゴ観光ですが、その前にまずは腹ごしらえ。
LE PIEATEという、どうやら観光客向けのレストラン。
大きな看板には、レストラン名(アラビア語・フランス語)が模様の入ったタイルで作られていてとても綺麗。 -
青い空の下に緑濃い庭。
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入口にある大きな看板は、レストラン名(アラビア語・フランス語)が模様の入ったタイルで造られていてとても綺麗。
赤やオレンジの花々が咲き、庭を抜けると白い壁に、大きな木製のドア。
陽射しが強いので、店内に入ると一瞬視界が無くなるくらい。 -
8月11日(金)14:15、これから観光ですが、その前にまずは腹ごしらえ。
LE PIEATEという、どうやら観光客向けのレストラン。
写真では薄くなっていて分かりにくいですが、レストラン名(アラビア語・フランス語)が模様の入ったタイルでとても綺麗。
赤やオレンジの花々が咲き、緑濃い庭を抜けると白い壁に、大きな木製のドア。
陽射しが強いので、店内に入ると一瞬視界が無くなるくらい。
一番最初に出てきたのがパンと、このお皿。
黒オリーブを添えたシーフードサラダと、チュニジア版春巻きの様なドワ・ドゥ・ファトマ。
サラダはオリーブオイルと塩・胡椒・酢程度の味付けで、あっさり美味しく頂きました。
ドワ・ドゥ・ファトマは、ジャガイモや卵、ハーブなどが入っていて、揚げたて・サクサクでこれまた美味。 -
メインは小さ目鯛のグリル。ライムを搾って頂きました。白身がほくほく。
そしてデザートが、ドギツいピンク色のアイスクリームと、濃くて甘めのミントティー。 -
レストランからバスに乗って直ぐ、ビュルサの丘に到着。
丘っていうくらいなので当然高台にあり、現在の町も見下ろせます。
晴れて美しいですが、夏真っ盛りだったので当然暑いです。ジメジメはしていないんですけれど。
夏季、昼間に観光される方は、水分補給を忘れずに。 -
フェニキア人が造ったカルタゴ市の土台が見えます。その後この地を治めたローマ人は、ここから建物の資材を調達したようです。
ところで「ビュルサ」という名の由来は、フェニキアの王女・エリッサの機知に富んだ話が有名です。
B.C814年、現在のレバノンはティールから逃れてきたエリッサが、この地に都市を建設しようと現地の人に交渉したところ「牛の皮(ビュルサ)一枚で覆える範囲の土地なら譲ろう」と云われ、それならば、と彼女はその皮を細く裂いて紐を作り、その紐で囲った土地を見事ものにした、という伝説。
…原語でどう云ったかは分かりませんが、”覆える”と”囲む”じゃ、かなり違う気がするけれど?(笑) -
兎にも角にも、ここがカルタゴ発祥の地なのだそうです。
急速に発展を遂げたカルタゴは、しかし三度のポエニ戦役を経てローマ人に滅ぼされてしまいます。
そして、B.C29年に復興を開始、2世紀には再び大都市として町を形成しました。
当時30万人が住む都市だったそうです。
しばし眺めを楽しんだ後は、すぐ後ろにある国立博物館へ。 -
カルタゴ博物館の庭に居た仔猫。
〜カルタゴの町の生い立ち〜
BC814年頃、ティルスのフェニキア人移住者によって建設された町で、神話・伝承などによると女王ディドが建設したといわれています。守り神は、元の町と同じくメルカルトであった。
地中海に面したカルタゴは、海運の有力者たちが統治権を握り、都市部の交易を支配し、BC6世紀には西地中海の覇者となりつつありました。
BC6世紀になると、海洋探検家ハンノが現在のシエラレオネに到達したと推測されています。その後彼はマルカスという指導者の庇護を受け、アフリカ内陸と沿岸一帯を領土としました。
BC5世紀初め、カルタゴは地中海地方の商業の中心地となり、それはローマによる滅亡まで続くことになります。カルタゴは、フェニキア人の他の古代都市や諸部族を征服し、現在のモロッコからエジプト国境に至る北アフリカ沿岸、更にはサルデーニャ島やマルタ島、バレアレス諸島、シチリア島の西半分(シラクサ)、そしてイベリア半島を支配下に治める、強大な海洋国家となりました。
この後は、第一次シチリア戦争〜ポエニ戦争へと繋がっていきます。 -
カルタゴ博物館の入口で番をしている?猫。
チュニジアの猫は、割と人見知りせずに近寄っても平気なのが多かったです。
大事にされているんでしょうか。 -
1890年にアフリカ宣教会の神学校として建てられた建物を改造した、青い空に映える真っ白い外観の博物館。写真は、入口を入って直ぐの階段から撮ったもの。
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この博物館には、周辺で発掘されたかなりの完成度をもったモザイクや、食器や壷などの生活用品、神々の像、埋蔵品、そして人骨なども展示されています。紀元前7世紀のものなんてのも珍しくありません。
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ワインか水を運んだ壷かな。
その他、ローマ時代・カルタゴ時代の街の想像模型や絵などもあり、かつてのカルタゴをイメージする手助けとなります。 -
左の、馬の頭部が付いたもの。ポエニ時代の哺乳瓶だそうです。
右の顔は…なんでしょう。でも面白いデザイン。 -
神々の像も沢山展示されていました。
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ビュルサの丘にある、サン・ルイ教会。1890年にフランスによって建てられたそうです。
今回は、中に入らず。 -
カルタゴ博物館から約2km、トフェにやってきました。
ここはローマ以前のカルタゴが感じられる数少ない場所。
ポエニ時代には墓地、そしてバール・ハモン神とタニト神というふたつの最高神が祀られていた聖域でした。
バール・ハモン神はフェニキアの古代宗教の火の神、タニト神はカルタゴの守護神。
”トフェ”というのは、乳児を火に投じる儀式が行われていたエルサレム近郊の谷の名。ギリシア・ローマ時代の文献によると、この地は乳児を生贄にする儀式を持っていたとされるので、こう呼ばれるようになったそうです。後に凡そ2万個もの骨壷が発掘され、それはBC400年からBC200年の間のものだとか。
フェニキア人は子供を捧げ物にしていたことで有名なのだそうですが、この墓地からは新生児の焦げた骨が発見されており、中には胎児や2歳児のものもあったそうです。これには赤ん坊が死産した場合、最も幼少の子供が、両親によって贄に供されたことを意味しているという説があります。
生贄に捧げられる乳児は、高貴な者ほど良いとされたそうですが、しかし本当にここで生贄にされていたかは不明。
無造作に石が並んでいますが、これは発掘したものをそういう風に置いただけで、以前はもっと整然と並んでいたのでしょう。 -
中央に三日月と円盤、そしてタニトの印が見えます。
タニトの印は、例えば煙草のパッケージに印刷されていたり、古代のモザイクに見られたり、チュニジアを旅していると何度か目にする印。
タニトは、オリエントでかつて信仰されていたアシュタルテ神の母神であり、冥界の神であり、また死と再生を司った神だそうです。
これほど多くの墓が発掘されたとなると、私には全てが乳児の生贄とは考えられません。当時は現在よりも乳児の死亡率はダントツに高かったに違いありません。乳児だけ特別に集めた墓地、或いは乳児の供養をする為、の墓地だったんじゃないかなぁ。
そういえばカルタゴ博物館にも、タニトの印が刻まれた石が展示されていました。 -
この洞窟は、4世紀のローマ時代のものだそうです。穀物庫として使用されていたとか。
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次は、トフェから直ぐ近くの港へ。
その昔カルタゴは、地中海貿易で名を馳せた優れた海洋国家でした。今では地元の人が釣りをするくらいのんびりとしたところですが、BC4〜3世紀にカルタゴ人の築いたこの港は、220艘の船を係留することが出来ました。 -
それだけではなく、ポエニ風の直径300mの丸い軍港とその先には500m×300mの四角い商港を造りました。軍港にはロープなどで船を丘に引き上げる設備やドックもあり、第3次ポエニ戦役時に滅ぼされた後も2世紀に再び利用されるほどの完成度の高い港でした。
写真は、カルタゴ博物館にある当時の港の想像図。港だけでなく海岸線も防壁に囲まれていて、当時のカルタゴの繁栄が偲ばれるようです。 -
続いて、古代カルタゴの港から海岸線を北東に沿って行くと、アントニヌスの共同浴場。
直ぐ近くが大統領官邸のため、くれぐれもそちらにカメラを向けないように、とのアドバイス。確かに自動小銃を構えた警備員が見える。 -
この共同浴場は、2世紀にローマ五賢帝の一人であるアントニヌス・ピウスにより建設されたもの。
イタリア産の白大理石と、カルタゴ産の桃色大理石を使用し、コリント様式で建てられています。 -
これでも世界遺産登録の際に修復された姿なので当時の面影は見られませんが、建物は2階建てのシンメトリーで、更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、噴水、図書室、運動場などがあった、現在でいうところのスーパー銭湯。中でも、海に面したプールは格別の眺望を誇ったとか。
冷浴室は20mもの柱が8本立ち、30mものドームに50mの屋根があったという巨大さです。
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ローマ人の風呂好きは、各地に残るこうした浴場を見れば一目瞭然ですが、それにしても、大量の水を引いて湯を沸かし、それだけではなくサウナやプールまであったなんて、凄い技術力だなぁ。
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やっと、今日最後の観光です。
カイラワンに向かう途中、ザグアンの水道橋を見に来ました。
これは世界最大級の水道橋で、水源のザグアンから地中海に面したカルタゴまで全長132kmもあります。
現在残る部分だけでも20km、他のローマの水道橋と同じく今も尚使用されている部分もあるそうです。創建はAD2C、ハドリアヌス帝の頃。 -
1mmでも高低差を確保するため、地下に潜ったり逆に柱を作り高さを稼いだりして、斜面を切り取りローマの街を走ったそうです。
放牧から帰る、子羊の群れも水道橋をくぐって行きました。そりゃあ羊も帰る筈、こんなに明るいけれど、もう18時半です。
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