2006/08/10 - 2006/08/19
88位(同エリア138件中)
瑞樹さん
8月12日(土)。ケロアン観光。
アグラブ朝時代の貯水池→シディ・サハブ霊廟→シディ・ウクバ・モスク→ビル・バルータ→メディナ
- 同行者
- 友人
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
水道橋をあとにした私たちは、途中休憩をとりながらケロアンまでしばしドライブ。
ホテルに着いた頃には、流石に日も落ち暗くなっていました。それもそのはず、もうすぐ21時になろうかとしていました。
あぁ、長い一日でした。
チュニジアでの最初の宿泊は、メディナの一角にあるカスバ(城塞に囲まれた居住区)をそのままホテルにした五つ星の、オテル・ラ・カスバ。
ロビーは広々としていて、暗い中で見たどどんとそそり立つ壁からは想像出来ない開放感。
部屋は落ちついた雰囲気のカラーでまとめられていますが、装飾タイルやこの地方特産の絨毯が敷かれ、ケロアンで過ごすには良いホテルかも。
部屋自体は余り広くありませんでしたが、小さなテラス付きでした。
そうそう、バスルームの扉がそのままトイレ部分の扉になる不思議な構造でした。
翌朝、種類豊富なブッフェで朝食を摂り中庭へ出ると、緑に囲まれたプールが。イスラム圏のアオシスのような明るさです。 -
翌朝、種類豊富なブッフェで朝食を摂り中庭へ出ると、緑に囲まれたプールが。正にイスラム圏のアオシスの明るさ。
出来ることなら、もう少しゆっくりとカスバの雰囲気を満喫したかったホテルです(クチコミの写真もご覧下さい)。 -
長い長い一日が終わり、翌8月12日(土)。
朝食を済ませ8時にホテルを出発。10分ほどで、アグラブ朝時代の貯水池にやって来ました。この観光案内所の屋上から、その貯水池を眺められます。 -
7世紀以降、中東方面から徐々に移住が進み人口は増加、又巡礼の地として繁栄を迎える中、水不足を解消する為に、9世紀に造られたもの。
当時としては最高技術を誇ったこの貯水池は、大小14の池がありました。現在は大小4つが残されているのみですが、1969年に修復され、その内ふたつは今でも利用されているそうです。
ケロアンから西に36km離れた山の上から引水され、小さい池はフィルターの役割を果たし、次に大きい貯水池流れる仕組みになっています。
大きい貯水池は直径128m、深さ5m、容積50000立方mという規模。ここから貯水池までが近いので、写真に収めるのはこれが精一杯。
この池の近くには東屋が建てられ、皆思い思いにリラックスしたり、デートしているとか。
…にしても、貯水池を眺めながらデート?うーん。そんなに眺めが良いとは思えないけれど…。 -
このケロアン(カイロアンとも)は、チュニスの南165km、”隊商宿”という意味の言葉から名付けられた街。
それまでビザンチンの支配下でしたが、ササン朝ペルシアやビザンティンといった当時の強国を破り、更にアラビア半島からエジプトへと勢力を伸ばし、669年、ウクバ・ブン・ナーフィー率いるウマイヤ朝アラブ軍が、ここケロアンでビザンチンを破ったことに建設された街。
北アフリカにおけるイスラム発祥の地です。
伝承によると、そのウクバが勝利を祝って地に槍を突き立てたところ、突然そこから泉が湧き出してきたという。これがメッカの聖なる湖と地下で通じているとして、ウクバはこの地が神の加護を受けていると信じ、人口凡そ36,000人を抱える軍事基地として街を築いたとそうです。
その後ベドウィンの侵攻により1057年には街は破壊され衰退し、アラブ王朝の首都はチュニスへ移ってしまいますが、マグレブで最初のイスラム寺院が建設されたことも忘れてはなりません。 -
また20分ほどバスに乗り、やってきたのはイスラム教の開祖であり預言者・モハメッドの同士が眠る、シディ・サハブ霊廟。
もともとは7世紀にメデルサ(神学校)として建てられたもので、その後カイラワン(後に訪ねます)近くで殉教したアブザマ・エル・ベラウィの霊廟となっています。
17世紀には巡礼者のための宿、モスク、ミナレットも増築され今の姿となりました。20世紀中頃までは、モスクの一部がメデルサ神学校として使われていたそうです。 -
馬蹄形のアーチをくぐり中に入ると、白い漆喰にアラベスク模様が浮かび上がる装飾は見事で、ところどころ色タイルが貼られ色彩美に富んだ美しい建物です。
表紙の写真には沢山の鮮やかなカーペットが敷き詰められていますが、これは前日の金曜礼拝の片付けがまだ終わっていないからだそうです。イスラム教徒でないと祈りの場には入れませんから、これは幸運でした。 -
この広場は、上に天幕を貼ることで全天候型になります。ここは降水量は少ないですが、雨の日でもちゃんと礼拝が出来るようになっているのですね。
この霊廟の名であるシディ・サハブは、シディ=高位(キリスト教でいうSt.)、サハブ=友人からきているそうです。
某ガイドブックに記載されている、彼が預言者専属の床屋というのは間違いだそうです(ガイドさん談)。 -
因みに観光客は午前中のみ入れますが、もしお祈りの最中だと入場出来ません。
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礼拝の時間でも無いのに、沢山の人が居るなぁと思ったら、この後、幸運なことに出会いました。
私たちの前を行列が通り過ぎて行きます。
何かの儀式のようで、高く大きな声で叫んでいる女性もいます。子供の頃真似をした、インディアンの雄叫びみたいな感じです。
装飾タイルが美しい回廊に囲まれた広場に出ると、子どもから大人まで沢山の人が集っていました。
割礼式でした。イスラム圏では、宗教上の観点から広く行われています。
黒い服を着た男の子がその対象のようです。
私たちがカメラを向けると、男の子は恥ずかしがってなかなかこちらを向いてくれません。
お母さんやその子のお姉さんたちが「ほら、あっちあっち」と言わんばかりに男の子を写真に撮らせようとしてくれますが、最後までだめでした。 -
現在は外科医が行う事が多いようですが、その昔割礼は理髪師が行うのが一般的でした。
場所によってその年齢は違いますが、概ね1歳から6歳までの間に済ませることが多いとされています。チュニジアでは13歳迄、14歳ではもう遅いそうです。
暫くみんなの様子を眺めていると、その内にお菓子が振舞われ始めました。大勢の親戚たちをもてなすのに、女性たちはこの後の祝宴のことで頭が一杯の筈ですが、私たちにも勧めてくれたので、お祝いだし遠慮なく戴きました。手作りのお菓子はとても美味しかったです。
その内賑やかな声と共にガシャンと大きな音がしました。これも儀式の一環の様で、壷を割って、中のキャンディなどを子供たちに分けたりしていました。
写真は、美しいタイルが背景のガイドさんと添乗員さん。 -
このおじさんは、薔薇水を振りまく人でした。甘く軽やかに香る薔薇水を私たちにも振りかけてくれたので、チップをあげました。
割礼の儀式の最中は、その男の子と医者と父親しか部屋に入る事は出来ず、その間他の家族は違う部屋で待っているそうです。
行列の中で聞こえた雄叫びは、そういう声を出す専門の人がいるそうで、それは儀式の間にその子が声を上げたりすると母親が心配してしまうので、それをかき消す役目があるのだとか。
なるほど〜。 -
続いて訪れたのは、マグレブ最古のグランドモスク、シディ・ウクバ・モスク。
ウマイヤ朝のウクバ・ブン・ナーフィは670年、アラビア半島から攻め入りビザンティン帝国軍に勝利し、北アフリカの軍事拠点としてケロアン市を建設しました。
そして彼は670年にこの、マグレブ最初のモスクを建てました。イスラム教ではメッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第4の聖地で、ケロアンを7度訪れることはメッカに一度巡礼することに相当するとされるほど。
中庭には他に礼拝の時間を知る為の日時計(ミナレットの右手前に数段の階段と共にあります)があります。 -
836年に再建され、現在の形になりました。門は左右8箇所ずつそして正面にありますが、非ムスリムが入場できるのは、メインゲートからのみ。
この四角形のミナレットはマグレブ式と呼ばれるもので、北西アフリカに特有の形だそう。高さ31.5m、最下段は728年に造られ、イスラム建築の中でも最古のものです。
そしてこの広大な中庭には、大理石が敷き詰められています。 -
ミナレットには128段の階段があり、その昔一日5回の礼拝の時間には、係りの人が一段一段登って初めて、アザーンが聴こえたわけですね。カルタゴの遺跡は土台を残して上部が無くなっていましたが、こういう風に転用されているわけですね。
柱が、素材や長さがまちまちなの、分かりますか? -
熱心にクルアーンを読むおじさんがいました。
中庭を囲む回廊には295本もの柱があり、その多くはローマ遺跡からの再利用で、土台にはアントニヌスの共同浴場の石が使われているとか。 -
ちょっとイスラムでは余り見ないような、ランプの形(私が見たことないだけかな)。どっちかっていうと、キリスト教会で見るような。
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大きな扉にはレバノン杉が使用され、彫刻も見事です。現在のイラクで特に発達した技術だそうです。
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見れば見るほど、これが1200年も前に建てられたものだとは信じ難い素晴らしさのモスク。
中庭には、こんな1m四方位の穴が集まった場所があります。
なんとこの中庭の地下は貯水槽になっているそうです。雨の少ない地方ならではの採水法。
いくつも穴が開いているのはフィルターの役割を果たす為で、三段階になっています。
面白いのは、クローバーだったり羊や駱駝の蹄の形などに穴をデザインしていること。実用性だけじゃないところに、先人たちのセンスのよさを感じます。 -
中庭にある井戸。
淵に筋が入っているのは、水を汲み上げるときに何度も何度もロープを渡した為、その摩擦で出来たのでは、と考えられているそうです。 -
第4の聖地を訪れた後は、ケロアンのメディナ(旧市街)散策。
高さ8m、そして厚さ2mのこんな城壁が、3.5km続いています。
端から端までのんびり歩いても20分ほどの規模です。
ケロアンは、北アフリカ初のアラブ人街。
でも白い壁にチュニジアンブルーの窓枠は、やはりここがマグレブなのだと実感させてくれます。 -
ケロアンは、北アフリカ初のアラブ人街。
でも白い壁にチュニジアンブルーの窓枠は、やはりここがマグレブなのだと実感させてくれます。
カーペットの産地としても有名で、ご覧の通り文字通り店一杯にカーペットを広げたお店もありました。 -
そうそう、メディナを歩いているとよく声を掛けられます。
「ガンバレ・ジャポン」「ナカータ」「ヤマーハ」「ホンダ」。世界のナカタ、きっと世界で一番有名な日本人かも。
W杯で同組になって日本人にチュニジアが知られたように、チュニジアでもサッカーを通して日本が知られたようです。
ほかに、普通に「タカハーシ」「アキーコ」とか名前を言う人、そしてありがちな「ジャッキー・チェン」という人もいました。 -
私の持論として、”屋台で売っているものに不味いものは少ない”があります。
こちらは、マクロウドというチュニジアのお菓子。
添乗員さんが一袋買ってくれたので、みんなで味見してみました。
えてして私たちには甘過ぎると感じるスウィーツが多い中、これは思ったほど甘くなくて美味しい。
固くもなく柔らかくもない生地にはナツメヤシの餡が入っていて、蜂蜜掛け、それに胡麻をまぶしてあります。
このお菓子はケロアンの名物だそう。皆さんも是非お試しあれ。100gで1か2Dlくらい?だったかな。
後でスーパーでパックされたものを買いましたが、やはりこちらで頂いたものの方が美味しかったです。 -
メディナの細い路地を通り、ある建物を二階に上がるとラクダが水を汲み上げる井戸があります。
私たちが行くと、ラクダは四肢を折り曲げて休んでいましたが、係りのおじさんがラクダを立たせてくれました。 -
左に写っているのが係りのおじさん。地元の女性の為にコップに水を汲んでいました。
ラクダが動く間隔が必要なので、皆壁にぴたりとくっ付いて避けています。
希望すれば、ラクダと写真を撮ることも出来ます。私も一枚撮らせて貰いました。
特に入場料等はないので、ここはやはり少しでもチップを。
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