2006/05/08 - 2006/05/19
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ハイペリオンさん
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この時期のバガンはものすごく暑いので、日中はエアコンの効いた部屋で昼寝をしたり、日本から持ってきた本を読んだり、日記をつけたりということが多い。持ってくる本は、以前は小説オンリーだったが、最近は古典が増えた。特に『古今和歌集』と西行の『山家集』は必ずバックパックの底に入れるようになった。ホテルのベッドに寝転んで、彼らの歌を詠んでいると、自分が分かちがたく日本人であることを再認識させられる。特に『古今集』の紀貫之の歌を詠むと、彼はまさに日本語使いの天才ではないかと思わず感嘆の声を上げてしまいそうになる。繊細な写実性と叙情性、見事というほかない。このような歌詠みでありながら、官僚でもあった彼は、土佐に左遷されたというが、無理もないと思う。優秀な芸術家が優秀な実務家であるのはさすがに困難であろう。
そして、西行の歌には、平安末期の日本の情景が生き生きと描かれている。まるで、ホテルのドアを開けたらそこに西行が詠んだ世界が広がっているような、そんな錯覚を抱かせるほど見事な歌が多い。彼は出家してから諸国を遍歴して歌を詠んだというが、僕も彼のような旅人になれればと、痛切に思う。
しかし、薄暗い部屋で一人でいると、徐々に人恋しくなるものだ。
-
そんな時はいつもここに来る。それが、今回の旅行記で頻繁に出てくるアウンヤダナーレストランである。
このレストランとの出会いが、僕を3度もここへ足を運ばせた理由と言ってもいいほどだ。アウンヤダナーレストランとは何なのか、その出会いから書いていこうと思う。
初めてバガンを訪れたのは、今から4年前だったろうか。12月の乾季だった。遺跡を見るためだけにここへやって来たようなものだった。ミンガラゼディぺヤーで朝日を拝んだ後、周辺の寺院を回るとすっかり陽は高くなり、ニャウンウーに戻った頃には体力を消耗し、疲れてしまっていた。この時は、市場近くのホテルに泊まっていたのだが、そこまではまだ距離があったので、とりあえず僕を真上から焼くように照り付ける太陽から逃れる場所が欲しかった。バスステーションまで来た時、そのとなりに3〜4軒の食堂が並んでいるのが見えた。特に何を考えることもなく、向かって右端のレストラン前に自転車を止め、中に入った。それがアウンヤダナーレストランである。
薄暗い店の奥にいた女性にあいさつをした。見るからに地元ビルマ人用の食堂然とした雰囲気なので、英語が通じるかどうかわからなかったが、彼女は頷きながら出てきた。歳はおそらく20代半ば、大きな目が印象的な女性で、その辺の食堂のおばちゃんとは違う、知的なたたずまいがあった。彼女が、ここニャウンウーを中心にさまざまな出会いや広がりを与えてくれることになるウィンウィンだった。
アイスコーヒーを所望し、通りの風景をぼけっと見つめていた。アイスコーヒーを持ってきた彼女は、そのまま僕の正面の椅子に掛け「どこから来たんですか?」と尋ねた。そこから僕らのとめどもない会話が始まった。店の女性が客と同じテーブルについてしゃべるというのは、夜の世界くらいにしかないことだ。真昼間の食堂で、こういう状況になったことを不思議ともなんとも思わず、僕は彼女との会話を楽しんだ。 -
彼女はメッティーラの大学で必要な単位は全て取得し、後は卒業式を待つばかりという状態だったのだが、肝心の卒業式が何年も行なわれず、卒業証書も受け取っていなかった。卒業式を何年も行なわない大学というのも日本人が聞くとにわかに信じられない話だが、民主化運動が大学生中心に行なわれて以来、締め付けが厳しくなっているようなのだ。
「で、卒業式はいつかあるわけ?」
「多分」
「連絡が来るの?」
「新聞に載るんですよ。それで確認して、大学に行くん です」
なんともへんなシステムだ。
既に昼飯の時間となっていたので、ついでにここで食べることにした。実は、ホテル近くには食堂らしい食堂がなく、ごはんをどうしようかと困っていたところだった。僕は中華そばを頼んだ。黄色の麺に鶏肉、カリフラワー、にんじんが入っていた。脂っこくなくおいしかった。以来、ここへ来ると必ず注文するお気に入りメニューとなった。
この日から、昼と夜はここで食べることにした。
初めてのバガン訪問の際、ウィンウィンから「卒業式の記念写真を撮りたいから、カメラの三脚が欲しい」と頼まれた。帰国してから送ると答えたものの、僕がミャンマーから出した友人への絵はがきが見事に1枚も届いていないのを知り、いかにこの国の郵便事情が劣悪な状態にあるかを知った。そこで、ミャンマー関連のサイトで小包を送りたいという質問を掲示板に書き込んだところ、ヤンゴンへは送れても地方は無理との回答を得、結局三脚を送るのは諦めざるを得なかった。このとき回答してくれた人が「バガンへ行くので持って行ってあげます」と有り難い申し出をしてくれたのだが、結局その方の出発の日時が迫っていたので、頼むことができなかった。
その方にこのレストランの場所を教えたところ、律儀にも行ってくれ、おまけに大層気に入ってくれた。料理は安くてうまいし、旅人に気軽に話しかけるウィンウィンの人柄もいい印象を与えたようだった。 -
翌年4月末、僕はミャンマー再訪を果たし、ウィンウィンに三脚を渡した。この時、アウンミンガラーホテルの部屋で惰眠を貪っていると、ドアをノックする音で眼を醒まされた。不快なほどうるさいノック音にちょっと不機嫌にドアを開けると、スタッフの後ろにロンジーを巻いた男が立っていた。男は「あのう、『アジアの黄昏』(ミャンマー関連のサイト名)の掲示板に書き込んでいる者です」とあいさつした。それが、三脚を持って行ってあげてもいいと請合ってくれた人であり、この旅行記にしばしば登場する、バガンフリークのカメラマン氏である。アウンヤダナーレストランでウィンウィンから僕がここにいることを聞きつけて、訪ねてきてくれたのだ。と言っても、彼もここに泊まっていたのだが。
こんな偶然ってあるのだろうか。顔も名前も知らず、ネットで会話をしているだけの二人が、異国でしかも地元の人の仲介で邂逅を果たすなんて。僕は、この出来事にこの地との不思議な縁を感じ、その縁結びの役目を果たしたアウンヤダナーレストランにますます愛着を持つようになった。 -
兄弟揃って真剣な表情でテレビを見ている。奥左から、下から2番目の妹。中学浪人(2浪中)。この調子じゃ今年
もだめだな。
右、ウィンウィンの下の妹。石のように無表情。中学で勉強は投げた。たまに幼い子を泣かしている。
一番右、レッパンチバウ村から来た女の子。
手前。末弟のミンミン(愛称)。口を開けて間抜け面だが、実はキムタク系のいい男。学校が休みなので帰省中。
それにしてもそんなに面白いかあ?「チャングムの誓い」。
アウンヤダナーレストランは、ウィンウィンが実質的な店長で妹のエティダが副店長みたいな感じ。8人兄弟姉妹の中でこの二人が一番しっかりしている。ウィンウィンは3番目で、一番上のお兄さんもレストランと店の前にある電話屋を手伝っている。公務員だったとか、ホテルで働いていたが居眠りしていたのを見つかってクビになったとか、いろいろな噂がある。ウィンウィンによると酔っ払い対策だそうだ。バスステーションが近いし、馬車の御者もしょっちゅう食べに来るから、当然酔っ払いも出るのだろう。そんな奴らを女性だけで相手をするのは確かに大変だと思う。
次女は結婚してヤンゴンに住んでいたが、だんなさんが新首都ピンマナーへ単身赴任となったので、幼い娘を連れて帰ってきており、彼女も店を手伝っていた。食い物がいいのか、兄弟姉妹の中では一人だけ丸々と太っていた。
六女(?)は、この時司法試験を受けるためにヤンゴンへ行っていた。タラバーゲートホテルで働いていたが、試験のためやめざるを得なくなったという。個人的にはこの姉妹の中ではキュートで一番かわいい...と思う。今回会えなくて残念だった。
結局、7人の兄弟姉妹がここで働いていた。ほとんどの時間、客の数より店員の数の方が多く、日本でこんな店があったら、1ヶ月でつぶれてしまうだろう。もっとも、家は狭いし、レストランにはテレビもあるし、こっちの方が快適なんだろうが。 -
5女(?...多分)のエティダ。無類の読書好き。でも、2年前は本なんて読んでなかったけどなあ。
前はほとんど喋らなかったのだが、今回は打ち解けていろいろ話しかけてきた。けっこう英語うまいじゃない。 -
世捨て人、バジャン氏がやって来た。ウィンウィンとエティダの師である。「コンバンニチワ」と間の抜けたあいさつをしたので思わず椅子からずり落ちそうになった。
カメラマン氏によると、もともとシュエズィゴンペヤーの僧院に間借りして住んでいたのだが、政府関係者にいちゃもんをつけられた末に追い出され、今はニャウンウーのはずれに自分で家を建てて住んでいるという。ずっと自分で描いた絵を売ったり、家庭教師をして生計をたてている。兄弟姉妹の中で、最もしっかりしているのがウィンウィンとエティダであることを考えると、彼がいかに良き教師であったかがわかる。それを裏付けるように、ウィンウィンは彼に対し尊敬心を含んだ視線を送っていた。やさしい表情だが、眼光は鋭い。本をたくさん読んだ人の眼だ。
現在50歳くらいで、マンダレー生まれ。「何でまた、こんな小さな町に来たんですか」と尋ねると、「私は風ですから」と哲人のような答え。こんなこと、おれも言ってみたいよ。
ウィンウィンと僕と話した後、エティダになにやら話しかけていた。今、この家でバジャン氏が教えているのはエティダだけのようだ。彼女も既に大学は出ているのだが。
バジャン氏が喋り出すと彼女は、薫陶を受けるかのようにじっと聞いていた。 -
ミャンマードラマが佳境に入ってきた。読書中だったエティダもかぶりつきで見ている。でも、ウィンウィンは知らん顔。何でも、テレビ画面を見ていると頭痛がするそうだ。
-
5月の満月の日、ヤンゴンからツアー客がやって来て、レストランは大入り満員。周囲のレストランが閑古鳥状態なのを考えると、やっぱりここは評判がいいのだろう。そう言えばミャンマー人ガイドのホームページにも、バガンのレストランで唯一取り上げられていた。知る人ぞ知る存在なのかも知れない。
写真は、女性ばかりのツアー客。全員ロンジーではなくスカートやジーンズという、ちょっと特異な集団。ほとんど会話はなく、食器がこすれ合う音だけが聞こえてきた。 -
バジャン氏とエティダの師弟コンビ。最近は、エティダも、ただ教えを乞うだけでなく、議論するようになって来た。
手ブレ御免。 -
次女の子供(左)と近所の女の子。またまた手ブレ御免。
たくさんの兄弟姉妹がいて、世捨て人、軍人、弁護士、馬車の御者ら、さまざまな人間模様が交錯する魅力的な田舎の食堂。ここの椅子に座って、ミャンマーラムをちびりちびりと嘗めるように飲んで周囲を見ていると、僕もずっとここにいたような、そんな幻影にとらわれる。来年もまた、ここにいられるだろうか。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ginさん 2006/09/06 06:51:29
- 今日は.
- ミャンマーのバガン編興味深く拝見させて頂きました,ミャンマーは後
2年以内に行く積もりなのでバガンへいったらアウンヤダナーレストラ
ンへいってみます,次回は北の方まで脚をのばしてみたいです.また何か
面白い話があったら連絡ください それではお元気で. gin ps.コメントいれましたよ.
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