2003/05/14 - 2003/05/27
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buchijoyceさん
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モイナックへ
5月17日(土)
早起きして日記を書いている。どうもこのパターンが定着してしまったようだ。日本との時差は4時間だから、いつも私が起きている時間なのだ。
8時朝食。お茶とパンとサワークリームと目玉焼きにソーセージ。円形のナンをちぎり、サワークリームをつけただけで十分美味しい。
9時、車に乗る。今日はロングウェイだ。旅のしおりには走行距離は420kmとなっている。日本から持って来た小さなミネラルウォーターの容器に水を半分ぐらいにして、水でも溶ける粉末の緑茶を入れた。これなら飲める。
スタッフはドライバ−のラーヒムさん、ローカルドライバーのムラードさん、ローカルガイドのラシッド君。彼はヌクス大学で経済学を勉強している学生だ。そしてガイドのスウェタさん。途中から昨日の学芸員のインナさんが加わる。スタッフの方が多い。
「ウズベキスタン経済の将来は?」とラシッド君にきくと
「いまはまだまだですが、将来、発展すると信じています」と答えた。
「君らが頑張ることだ。国をよくしようと思う人々が多ければ、国は発展するよ。
この国はそれが出来そうだよ。視野を広く、勉強してね」
昨日書いた絵葉書を出すために郵便局へ行く。長い列ができている。いやな感じがした。ベラルーシの郵便局を思い出したからだ。案の定、絵葉書をそのまま送ることはできなくて、封筒にいれなければならない。封筒は買うのである。しかも先ず係りが封筒代を受け取って、後にある事務所まで買いに行く。封筒は1枚90スム。封筒に、もう一度宛名を書き、封をした。封筒に糊はついているが、スティック糊はいつも持っている。こんなときは役に立つ。係に渡すとひとつずつ切手を貼っている。手は遅い。日本までの郵便料金は200スム。着くか着かないかわからないが、まぁいいや。全部で10枚ぐらいの葉書を出すのに、30分もかかってしまった。この封書が無事日本に着いたら教えてくれとスウェタがいう。
小高い丘の上にあるなんとかシャーン(忘れた)に向かう。この説明はインナさんだ。3つの丘からなる墓地だ。向こうの丘にはゾロアスター教の遺跡がある。ゾロアスター教は拝火教ともよばれ、ペルシャ帝国では受け入れられていたようだ。善と悪の二元論からなる。いまもイランで数はすくないが信じられている。
向こうの丘は、昨日博物館で見た女の子のアスワリが見つかったところだ。
こちらはイスラムの墓。いまでも使われている。イスラムの墓は決まったところがあるわけではないから、空いているところに
埋葬するのだそうだ。墓参りも聖地という考えでくるのだとか。
霊廟のある周りに人は埋葬されることを願う。ここはその徳高きなんとかシャーンの廟がある。その徳を慕って墓地が出来ているのだ。
墓地のひとつ、地下霊廟を見る。伝えによると、これは支配者の娘の墓で、もともと彼女はここに住んでいた。15世紀、蒙古の軍勢が押し寄せたとき、娘は蒙古の指揮官と恋に落ちた。怒った父によって娘は殺害され、ここに埋葬されたのだという。しかしその話が本当であるかどうかはわからない。
次はイマームの霊廟。前面にはチベットのような布が巻きつけられている。「あれはなに?」と聞くと、ムスリム達がお参りに来て、自分の身につけているものを巻きつけていくのだそうだ。人間のすることは、どこもさほどかわらないもんだなぁ。ここにもいろんな伝えがあるようだ。(略)
周りには日干し煉瓦や石を積み重ねたケルンのようなものがいっぱい立っている。賽の河原みたいだね、ひとつ積んでは母のため、二つ積んでは父のため・・なんて言っている。イスラムでは7が縁起のいい数字なので、7個積み重ねると、幸せになるという。積み重ねられた石は1ケづつ天に昇っていくので、毎日、積み重ねる必要があるのだそうだ。オバサンたちもあやかろうと石を積んでいる。
霊廟で祈りをささげていたイマームに「ラーイラッハ イル アッラー・・」と言うと、あちらも後半のムハンムドのところから私と唱和した。そして霊廟に入っていいと言ってくれた。中を見る。現在は修復中とのこと。
墓地を出て、一路モイヤックへ向かう。鉄道が見える。複線だ。
この鉄道はカザフスタンを通ってモスクワまで続いているそうだ。途中でインナさんを降ろす。
まっすぐな1本道。飛行機から見たとき、砂漠の中をまっすぐな道路が走っているのを何本も見た。そういう類なのだろう。道路は見かけほど悪くはない。スピードをみると、100キロは出ているが、揺れは少ない。道筋にはところどころに屋根つきのバス停がある。モイナックからヌクスまで一日往復2本のバスが出ている。所要時間は片道4時間だそうだ。
緑は麦、空いているのはやっぱり綿花畑。もう種はまかれているのだが、まだ発芽していないのだとラシッド君の説明があった。いつもなら5cmぐらいになっているのだが、と。
「たしかカラカルパクスタンには英雄伝説があったはずだけど」
とラシッド君に話しかけた。
「二つあります」
「エディゲといったと思う」
「はい」
「エディゲってどんな英雄?」
「18世紀に民衆を指導した人です」
「えっ、実在した人なの?伝説上の人だと思っていたよ。18世紀じゃ民衆蜂起かなんかの指導者なの?」と歴史を頭の中で探している。
「いえ、間違えました。15世紀の人です」
「うん?15世紀じゃ、チムール以後だね。この辺りの歴史は詳しくないんだけど、そんな事件あったかな」
どうも納得できないので、根掘り葉掘り聞いている。ちょっと若者にはむずかしい質問だったみたいだ。帰って来てから英雄伝説、いわゆる口承伝説を調べてみた。やはり古くからある語り部の英雄伝説で、モデルはあったにしても、尾ひれはひれがついて、大概は戦の時の武勇伝、英雄のおかげで国に平安をもたらされたことで終っている。
アムダリア(AM DARIA 2336m)を越える。アムダリアはまたの名をジャイフンという。ジャイフンは暴れ者の意味である。アムダリアの流れがずいぶん移動したことから、こう呼ばれているようだ。川幅は広い。土手を指差し、昔はここまで水があったが、いまは水量が少なくなってしまったとムラードさんが言う。どうして少なくなったのかときくと、山に降る雨がすくなくなった上に、上流にダムが多く作られたせいだという。上流っていうと、ブハラやサマルカンドになる。もっと遡るとタジキスタンに入る。
ラシッド君が地図を出して説明をはじめる。地図はロシア語表記だ。かつてアムダリアはアラル海に注いでいたが、今は小さな湖に注いでいるだけで、アラル海には行っていない。いまや、アラル海は死の湖で生物は生存していない。その昔、といっても20世紀内のことだ。ソ連の計画農業で、川の水は潅漑に使われ、その排水をアラル海に流す作業が進められた。その結果、アラル海は小さくなり、塩分濃度が高くなり、さらに汚水で汚され、魚を始めとする生物が絶滅してしまった。絶滅する前は20種類もの魚が捕獲され、ソ連の淡水漁獲高の25%を占めていたのだそうだ。
しかし、広い。どこまでも地平線の彼方まで続く荒野。それでもブッシュがしっかり根を張っている。イギリスのムーアなんて物の数ではない。道端にも、荒野にも、ところどころ塩が地面に噴出して、まるで雪が積っているみたいだ。この地の塩をなんとかしないと作物は育てられない。フランスの学者の提案で試みに
ある種の草が植えられている。その草は塩分を吸収する働きがあるという。
「カラカルパクは岩塩を生産しています」とスウェタがいう。
「そりゃそうだろうね。カラカルパクの岩塩、買いたい。私、世界の塩、集めてるのよ」
木のあるところで、この旅で初めての青空トイレを経験する。初めてなので、みなそれぞれに用意してきた布を首からかけたり、腰に巻いたりしている。私も化繊の大きな風呂敷を2枚持っては来たが、人なんかいないし、面倒なので使わなかった。お尻に風が通っていい気分。小さなポリ袋を用意してきたので、使用したティッシュやウェットティッシュはこれにいれホテルで捨てた。
荒野だが、野鳥はずいぶんいる。緑色の背中をしたキングフィッシャーのような鳥、カササギ、カラス、スズメ、ツバメ、ハト、ムクドリの仲間、小型のタカ、名前がわからない鳥もずいぶん見た。キジのオスも見た。
モイヤックの以前の人口は4万弱。現在は1万5千余。半分以下に減ってしまった。もちろん原因はアラル海の縮小。モイヤックはかつてはアラル海の港町として、また湖畔のリゾート地として栄えていた。水揚げされる魚のために缶詰工場も作られ、活気に満ちていた。しかし湖が後退し始めると、船は出せない、水揚げはできない、そんなことから職がなくなり、職を求めて多くの人が外に出て行った。
缶詰工場は隣国から魚を買って営業を続けていたが、割が合わないので閉鎖になった。
現在、人々はわずかな農地で自給自足のような農業で食べているのだという。
雇用が無ければ職を求めて住民は去らざるを得ない。
住民が減れば税収も減る。町は寂れる。うーん、私が大統領だったら、・・
「モイナックに来ると気分が悪くなります」とスウェタが言う。
「気持ちはわかるよ。こういう情景は心たのしいものではない。でも見ておく必要はある。目先のことにとらわれた人間の愚かさの象徴だからね」
船の墓場を見学すると、ブッシュの中に鉄製の船がさびて残っている。かつては100隻以上もあったが住民がこの鉄をはがして使っているので、今は10隻程度だとか。
「地震や自然災害なら別だけど、アラル海は一夜にして小さくなったわけではないと思う。日本人的発想だけど、どうして船を移動させなかったんだろうね。アラル海に移したら、いずれは廃船の憂き目にあうことにはなったろうけど、当時はまだアムダリアやシルダリア(もうひとつの大きな川。シルとは密かなという意味)とつながっていたと思うよ。川を上って船を売ることは出来なかったんだろうか」
「はい、そこは国民性の違い、問題はこちらにあると思います」
「まっ、物見高い観光客が、はるばる何時間もかけて、朽ちていく廃船を見に来るんだから、捨て置いたのは、あるいは先見の明があったのかもよ」というと、彼らは苦笑した。
もっとも、物見高くモイナックくんだりまでやってくる観光客はあまりいないだろう。
廃船はかなり大きな船だ。当時の活躍ぶりがうかがえる。
雨季があけたばかりなので、まわりにはまだ水がある。
その中を牛がゆっくりと歩いている。
「この土地の人々は牛の肉を食べることもないのです」とラシッド君。
「うん、あの牛も売るために飼っているのだね。自分たちが食べるためではなく」
かつての日本も同じだった。牛を育てていても農民が牛肉をたべることはなかった、と話をする。先ず牛を育てる農民に牛肉の味を知ってもらおうと考え、実行に移し、うまくいった北海道の池田町の試みも教えた。
アラル海までは現在道がなくて行けないのだという。
港の記念碑が崖っぷちに立っている。下を見ると、驚くばかりの光景。かつての湖がムーアとなってはてしなく広がっている。右手にはまだ残っている小さな湖が光っている。アラル海はここから100キロの彼方だ。地平線は空に溶けている。
アラル海の再生はもう期待できないが、3つの小さな湖を運河でつないで、シルダリアとアムダリアにつなぐ計画があるそうだ。まだここには生物が生存しているからだという。
「ひどいね。もっとはやくなんとかできなかったのかしら。こんなになるまで放置したのは国家の責任じゃないの」とだれかが言う。
「確かにそうだ。だけど、こんな例はどこの国にもあるよ。公害や環境問題を言ったら、日本はとてもよそさまの批判はできない。いっぱいバカなことをしてきたし、未だにバカなことをし続けているんだから」
船の墓場を見ていると、子どもたちが寄ってくる。手を差し出したわけではないがアメをあげた。記念碑のところではバザールで買ったピスタッチオを。
博物館の横でランチボックスを貰って食べたが、ここでも子どもたちが来たので、手をつけないジュースをあげた。
博物館はかつてのアラル海の写真や絵がたくさん展示してある。湖が年毎に減少していく様子。またそこに住む動植物の標本なども。缶詰め工場が生産していた絵がついた缶詰も並んでいた。博物館へカンパをして、資料の写真を撮らせてもらった。ロングウェイだったが、いい勉強になった。この程度ではカラカルパクスタンの様子は分からない。経済の基盤はどこにあるんだろう。
天然ガスが産出するとは聞いたけど。カラカルパクスタンについては情報が少なすぎる。
帰りはモイナックからまっすぐヌクスまで突っ走る。200km以上ある。途中、ラーヒムが運転を代わる。さすが、彼の運転は安心感を覚える。
疲れたので今夜の夕食はこのホテルで。
サラダはニンジン。スープはボルシチ。メインは牛肉とジャガイモと黄色いニンジンの炒め物。それとパンとお茶とたっぷりのサワークリーム。オーチン フクースナ(美味しい)。ホテルにはアルコールは置いてないので、昨夜の残りのワインを持ち込んで飲み、ご機嫌で寝てしまう。
空にはまあるい月が、そうだ、今日は満月だ。
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