2006/06/18 - 2006/06/27
2142位(同エリア5342件中)
きっちーさん
胡同めぐりを、思う存分楽しんだ、朝。
いよいよ今回中国で行きたかった場所へ、盧溝橋まで行ってきます。
バスと電車を乗り継いで、「北京西」駅へ。
切符を買いに行った、昨日もデカかったけど、今日もデカいぜ。
皆さんに頂いた時刻表を見ると、そんな本数なさそうで、こんだけの大きさが必要なのか、悩むところですが、まあ、駅前にたむろする大勢の利用者さんを見ていると、基本、広くて正解かなとも思います。
ここの近くに、「六里橋長距離バスターミナル」なるものがあって、そっからバスで「盧溝橋」へ行けるそうですが・・。
この駅のスペースを見ていると、不安になってきます。
地図ではそんなに遠くなさそうだけど・・。
遠そうだよな。
絶対、遠いよな。
やっぱ、タクシーにしよっ。(←ものぐさ)
北京西駅の地下へむかうスローブを下ると、中階みたいなところに、タクシー乗り場があります。
旅行者や、地方から来ている人が、変なタクシーにつかまらないよう、係員のおじさんが安全のしおり(騙された時の通報先や、メーターの料金体系が明記されたもの)をタクシー待ちをしている人、全員に渡し、横はいりしないように順番に乗客を振り分けます。
お客さんが乗り込んだら、乗ったタクシーがちゃんとメーターを倒しているか、きちんと見張っていてくれる、なんとも頼もしい乗り場です。
係りの人に誘導され、私もタクシーに乗り込みます。
例によって、
「チュー、ジョール?」
と、『中国人民抗日戦争記念館』と書いたメモを、運転手さんに見せると、なにか言われます。
わかんないので、さらに、
『盧溝橋』
と書いてみせると、
「OK、OK」
あ、良かった。
車が走り出します。
年配の男性の運転手さんは、ハンドルを操りながら、気軽な調子で何か話しかけてきます。
むむむ・・。
セリフが字になって、空中に浮かんでこないかな・・。
そしたら、しゃべれなくても、相手が何を言いたいかくらいは、想像がつくのに・・。
まるでわかりません。
あいまいに首を傾げると、運転手さんは短い言葉に切り替えてくれます。
「@#%&レン?〜〜〜ハンゴォ?」
『ハンゴォ』の部分だけ聞き取れて、
「コリアン?オア、ジャパニーズ?」
と、聞き返すと、
「コリアン」
運転手さんは大きくうなずきます。
あ、いや、違う。
そうじゃなくて。
韓国(もしくは朝鮮)国籍ではないんですけど・・。
どう言えばいいかな。
中国人民抗日戦争記念館へ行くの?
学生さん?
立て続けにたずねられて、ちょっと不安になってきます。
今度はメモに、
「どこから来たの?」
と、運転中に書いてきます。(ハンドルを放さないで、お願い)
どこから・・・。
なんだか、急に不安が増します。
行き先が行き先だし、ハンドルを握っているのは、運転手さんで、彼が悪意を持てば行き先が変わったとしても、私にはわからないでしょう。
出身が日本で、日本国籍だと言いにくいことって、これまでにもあったのですが、「ナニジンか?」とたずねられて、嘘をついたことはありませんでした。
銀政の顔が、頭に浮かびます。
とっさに、
「ソウル」
と、答えてしまい、自分自身にうろたえます。
「ああ、ソウルね」
わたしの、嘘に気づいたのか信じてくれたのか・・。
「いつまでいるの?見学が終わるまで待って、帰りも乗せていこうか?」
愛想良く、筆談でたずねてきます。
私のほうは、それどころではありません。
侵略戦争の歴史に向き合いたいと、中国まで来たのに、出自を偽るなんてそれ以前の問題になってしまい、自己嫌悪でまともに相手の顔を、見ることができなくなってしまいます。
なにやってんだろ、私。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- 中国東方航空
-
一人旅をしていると、「ヤバそうだな」という状況判断は、けっこう大事だったりするのですが、根拠もあいまいなまま相手を疑うのは、やっぱり良くありません。
反省。
もちろん、変なところに連れて行かれる、などということはまったくなく、中国人民抗日戦争記念館のまえで、降ろしてくれました。
「再見!」と手を振って、去っていくタクシーを見送りながら、凹みます。
運転手さんにとっては、ただの営業トークだったのに。
疑ってしまって、すみませんでした。
北京西駅→中国人民抗日戦争記念館、タクシーで28元。
距離はありますが、道路が空いているので、行きも帰りもこの値段でした。
中国人民抗日戦争記念館の前は、観光バスが何台も乗り入れられるような、大きな駐車場になっています。
観光バスが1台停まっていますが、乗客はなく、閑散としています。
中国人民抗日戦争記念館も、開館までにまだ20分ほどあり、入場口は閉じたままです。
ボンヤリしているのもつまらないので、盧溝橋を探すことに。
あたりを見渡すと、ちゃんと標識が立っていて、わかりやすく距離の表示も明記されています。
盧溝橋は、中国人民抗日戦争記念館の向かって左側の方向にあるようです。
てくてくと直線の道路を進み、小さな城壁をくぐると、道路の向こう側にゲートが見え、その先に橋がかかっています。
盧溝橋です。
切符売り場で、入場券を買い、ゲートを通り抜けます。 -
映像はうすっ暗いですが、気温は30℃前後と暑く乾燥していて、喉が乾きます。
橋の袂には、小さな売店が一軒と怪しげなみやげ物をあつかう露店が並びます。
売店に入り、売り子の女性に、ミネラルウォーターのペットボトルを指差して、
「イーグァ。ドーシャオチェン?」
と、たずねます。
「#%AZ&クァイ」
「んん?」
聞き取れずに、とりあえず3元だすと、お姉さんの眉が寄ります。
『ありゃ、足りなかったか。ふつー2〜3元だけど、観光地だからもう少しすんのかな』
4元差し出すと、受け取ってくれたので、「よかった」と、ペットボトルを手にしてそのまま店を出ようとすると、
「シャオジェ!」
と、奥の売り場にいた別の男性店員さんが、声を上げます。
振り返ると、彼はこちらにつかつか歩み寄り、
「#%7Z&$’&!」
内容は、さっぱりわかりませんが、彼は少し非難するように、同僚に何か話しかけます。
すると、彼女は少しふてくされた顔で、私にもう一本、ペットボトルを差し出しました。
どうやら、ミネラルウォーターは一本2元だったようです。
「シェエシェ」
お礼を言うと、男性店員さんは笑顔で会釈して、自分のブースに戻っていきました。
言葉もわかんない外人相手なら、ばっくれようと思えばできたのに。
いい人だなあ。
やっぱ、商売は、こういうちっちゃな信用が大事だな、と思いながら、橋へ足を向けます。 -
マルコ・ポーロ絶賛の橋というから、どんだけ華美なものなのかと、想像していましたが、どちらかといえば、レトロで落ち着いたカンジがします。
ずらりと彫られた獅子が、一頭一頭異なったデザインで、見ていると可愛らしく思えてきます。
子供が肩にくっついた、笑顔の獅子。 -
橋の下を覗くと、水は影もなく、青々とした草原がどこまでも広がります。
ずっと向こうに、鉄橋が見えて、列車が音も立てず横切っていきます。
耳元に吹きつけてくる風が、とても心地良くて、ここが日本の侵略の足がかりとなった、場所の一つだという事が、なんだか不思議に思えてきます。 -
草原にかかる橋を、一旦向こう岸まで渡り、背後を見渡すと、先ほどくぐってきた城壁が、橋と一直線で結ばれて、とても綺麗な景色です。
「こっちから向かう方が、絵になるなあ」
と思いながら、来た道を引き返します。
盧溝橋でどのような攻防があったのか、具体的な証言が聞けたら、すべて違って見えるのでしょうが、何も含むところ無く眺めたこの橋は、確かにマルコ・ポーロが感じたように、静かで美しい橋だと思いました。 -
さて、もう入場できます。
中国人民抗日戦争記念館。
さっそく、入り口でチケットを購入して、入ります。
平遙をのぞけば、ここに来るために、今回中国に来たといってもいいでしょう。
少し気が引き締まります。 -
被害を受けた側から見た、日本による侵略戦争の実態。
日本で知ることのできなかった、数々の事例と当事者の証言。
ヒロシマ・ナガサキの資料館のような、現地でしか目にすることのできない、残された貴重な記録。
・・・。
そんなものを、期待していたのですが。 -
館内はパネル展示が主にされており、その大半が、抗日軍の活動記録や活躍した人々の紹介にあてられています。
主役は、記念館の名称が示すとおり、あくまで中国の人々であり、侵略に対する「解放の歴史」であって、「被害」の記録は驚くほど少量の展示にとどまっています。
ざっと見ても、戦争被害の記録は、全体の2割も行かないのではないでしょうか。
どんな悲惨な実態でも受け止めようと、覚悟してきたはずが、逆に衝撃を受けます。
写真は、抗日活動に参加した女性部隊です。 -
「日本が引き起こした戦争の惨禍と向き合う」
それにこだわるのは、どこかで相手を見ようとしない、勝手な「日本探し」をしているのでは?
被害の中に、加害の「存在」を求めているだけでは?
そんな疑いに、突き当たったこともありましたが、やっぱり誰にも自分の意思とは関係なく、殺されたり殺したりの状況には、なって欲しくない、なりたくないというのが、いつも根っこにあります。
思っていたより数が無いとはいえ、コンパクトにまとめられた被害の記録が、2部屋に渡って展示されています。 -
3枚の地図は、各地域での死亡者の数を、墓標で表したもの。
死者を数字にしてしまうと、感覚が鈍くなってしまいますが、人数が集中している地域が見知った場所であれば、さすがに言葉を失います。 -
香港・マカオ・台湾。
一人旅で困ったときに、親切に手を貸してくれた人たち。
彼・彼女らのほんの数世代前の出来事です。 -
漢字のすごいところは、地域によって読み方や、多少の表記の違いはあっても、文字そのもので意味がわかっちゃうところです。
「日軍屠殺100人以下地区 或数字不祥地区」
「日軍屠殺100人以上地区」
「日軍屠殺1000人以上地区」
「日軍屠殺1000人以上地区」
うーん。
発音できなくても、なんて書いてあるか、わかっちゃうぞ。
ソウル同様、社会科見学の高校生らしき団体が、メモを取りながら見てまわっています。
各国がばらばらに歴史を学習するのではなく、もめてもいいからアジアの学生同士で、こういう所で被害と加害の近代史を共通の認識として、一緒に勉強できるようになったら、良いのになあと思います。 -
うわっ!
コレ知ってるぞ。
形はちょっと違うけど。
ソウルで見たやつの、長いバージョンです。
日本が使っていた、拷問道具。
なかに針が突き出た檻に、人を閉じ込めて・・・。
拷問つっても、出血死しちゃうよな。
こっちでも使ってたんだ。 -
731部隊が使用した細菌兵器の一部。
重慶爆撃。
南京大虐殺。
三光作戦。
従軍慰安婦にされた女性達。
大量に殺された赤ん坊が、地面に放置されていたのを、発見したときの写真など、モノクロのスチールが並びます。 -
慰安所で順番を待つ、日本兵。
手前で、後ろを振り向く兵士は、笑顔です。 -
このほかにも、首をねじられ死んでいる女性や、腹を切り裂かれ、内臓を露出された写真など、うつむきたくなるような写真があります。
とはいえ、館内の規模からすると、ほんのわずかなもので、こんなに少なくていいのかと不思議に思えるほどです。
日本であまり公開されていない被害写真などは、一応撮ってきたのですが、私のお気楽な旅行記に載せるのは、亡くなった人や遺族に悪くて、全部はアップしていません。 -
息苦しくるような重い気分で、順路を行くと、明るいホールに謝罪する戦犯の写真。
-
中日の、現在の交流の、規模。
-
さらには、靖国に行きまくっている、あのろくでもない総理の写真まで、そのことには一切触れずに、友好的な紹介がされています。
これだけ見ていると、悲惨な過去は決着し、現在の両国にわだかまりなど、どこにも存在しないかのようです。
中国側の、恐ろしいまでの配慮に、頭が下がりますが、結局、放置された個人補償と歴史をどう記憶していくかを、たえずお互いに追求して行かなければ、国内外に友好ムードをアピールしてみても、経済的な関係しか構築できなさそうです。 -
記念館の前で、通りすがりの見学者の人に、写真を頼みます(一人旅だと自分写真がむずかしいぃ〜)。
日本人だとわかっても、笑顔で応じてくれます。
少し、ほっとします。
さて、バスで北京西駅まで帰りたいんですが、タクシーで来ちゃったので、バス停がどこにあるのかわかりません。
城壁の中は、観光車以外の乗り入れが規制されているのか、タクシーも一般車も走っていません。
どっちに行くか考えあぐねていると、記念館の正面に真新しいインフォメーションセンターを見つけます。
小さな入り口をあけると、がらんとした室内に、デスクとパソコンがあるだけです。
「ニーハオ・・」
と、恐る恐る座っている若い男性に声をかけます。
「近くに309か339路のバス停があったら地図を書いてもらえませんか?北京西駅へ行きたいんです」
と書いたメモを見せます。
彼は何か言って、奥へ引っ込みます。
ほどなく、どやどやと大勢の人が、奥から出てきます。
女性が一人進み出てきたので、メモを見せると、
「ストレート」とか、
「ライトサイド」
とか、簡単な英語で場所を説明しながら、地図を書いてくれます。
彼女によるとバスは661と662路が、近くを通っているそうです。
周りの人はなにをするでもなく、しゃべっています。
「ハンゴォ?#$&%(ここらへんは不明)?ジャパーン?」
興味津々といった感じで、おじさんが代表して聞いてきます。
「ジャパニーズ」
と答えると、周りの人は驚いた様子です。
逆におじさんは「そらみろ」と、得意そうにうなずくと、
「オハヨウ!サヨナラ!」
と、元気な声で挨拶してくれます。
「お、おはよう・・ございます」
挨拶を返して、お礼を言って建物を出ると、おじさんは出口まで送ってくれて、
「サーヨナラ!」
と、手を振ってくれます。
ちょっと照れます。
盧溝橋とは反対に伸びた道を、もうひとつの城門の方へ進みます。
中国人民抗日戦争記念館を囲む、城壁の内側は、レストランやお土産屋さんなど、新しく昔風の建物が次々と作られており、2008年には本格的な観光地としてオープンするようです。
写真は、建設中のお店。
こういうのが、ずらーっと並んでます。
お姉さんに書いてもらった地図のとおり、城門をくぐってすぐ右に進むと、こちらは、ややほったらかしにされているらしき、舗装されていないデコボコした道と、ちょっとくたびれた商店が続きます。
向こうに、大きな幹線道路が見えてきます。
立体道路をくぐる歩行者通路の向こうに、バス停も見えます。
道の先に、タクシーが歩道に乗り上げて路駐しており、運転席のドアに寄りかかって、運転手さんがタバコをふかし休憩しているので、これ幸いに、
「チュー、ジョール?」
と、『北京西駅』のメモを見せます。
「いいよ。乗んな」
と言うように、顎をしゃくって、運転手さんが運転席に着きます。
市内に戻ります。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- ひらしまさん 2007/12/31 16:21:29
- 参考にさせていただきました
- きっちーさん、初めまして。
10月に初めて中国を訪ねました。出発前に盧溝橋へのバスでの行き方を調べていて、このページに出会いました。盧溝橋へは結局タクシーで行き、時間が遅かったので戦争記念館にも入れずじまいでしたが、70周年の年に行けてよかったと思っています。
西安でも、きっちーさんが書いてらしたイスラム街の様子にひかれて、街歩きを楽しむことができました。
きっちーさんは今頃重慶を旅されていてお留守とは思いますが、お礼の一言を年内にと思いまして、大掃除を終えてトラベラー登録をしました。無事のお帰りを!
- きっちーさん からの返信 2008/01/05 00:37:24
- naotakaさん、初めまして
- あけましておめでとうございます。
お返事が遅れてしまい申し訳ありません。
先ほど帰ってまいりました。
盧溝橋、どうでした?
戦場だったとは思えない、綺麗な風景で、私はちょっと意外でした。
抗日戦争記念館へ入場できなかったのは残念ですが、中国では被害が大きかったぶん、あちこちに展示がありますので、日本では見られないような資料がありますので、機会があったらぜひ足をむけてみてください。
重慶でも、かなり衝撃的な展示がありましたが、最後は日本との友好や、謝罪した人たちの展示も平行しておこなっており、日本の「抗日」イコール「反日」の報道が情けなく思えてしまいます。
よろしかったら、また見に来てください。
それでは!
- ひらしまさん からの返信 2008/01/05 14:32:51
- お帰りなさい
- きっちーさん、明けましておめでとうございます。
盧溝橋、僕の印象は「平和な風景」でした。
美しい橋が戦跡から名所旧跡に戻ったとしたら、その橋にとってはいいことですよね。
でも、僕たちの胸の中には、それで済まないものが残るのだと思います。
暮れに新聞で読んだのですが、日本軍は対米英開戦までに中国で19万人の戦死者を出していたのだそうです。
連戦連勝と思っていた中国の戦場が、日本兵にとってもやはり悲惨なものだったのだとあらためて知りました。
自分の意思とは無関係に、命をかけて次々と殺し合いをさせられた普通の日本人が、人間性を保ってはいられなかったことが、この頃分かるような気がしています。
人殺しを強制される兵隊は、個人レベルでは被害者でもあったのでしょう。
重慶の旅行記、待ってますよ。
でもその前のがまだか…。
きっちーさんの旅行記は、書き手の人間性が表れていて好きです。
職業調理師シリーズも、これってなんのサイトだっけと思いながら楽しく読ませていただきました。
僕もきっちーさんを目標に旅行記を載せたいなと思っています。
まあ、まだ仕組みもよく分かってないので、いつのことやら。
できたら読んでやってくださいね。
では。
- きっちーさん からの返信 2008/01/08 18:32:47
- RE: お帰りなさい
- 旅行記、楽しみにしてますね!
書くの大変なんですけど、出来上がると嬉しいので、やめらんないです(笑)。
おたがい頑張りましょう☆
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