1972/10/03 - 1972/10/03
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ソフィさん
1961年10月3日(火)
昨日パリを出てサン・マロを経、ナントに泊った。
ナントは中学時代西洋史で「ナントの勅令」を習って以来、一度訪ねてみたいと思っていた町だ。
歴史の本の挿絵にあった「聖バーソロミューの虐殺」(パリ1572年死者数千人〜数万人)の恐ろしい印象は、今も心に生々しい。
このような市民を巻き込むような宗教間の激しい対立は、我々としては理解しにくい。
虐殺といえば、伝えられるもので1000万人以上クラスに、アメリカ大陸原住民、中国文化革命、ソ連スターリン粛清などがあり、勝者であったり国内問題であったりするものは、消える傾向にあるようだ。
さてナントに戻ろう。
18世紀、ナントはフランス一の貿易港として発展する。
その後港湾機能は下流のサンナゼールに移るが、産業都市として発展を続け、現在もフランス第7位(人口25万人、都市圏人口55万人)の都市である。
ナントは若者が多く、約4万人の学生がナントで学んでおり、総合大学を始め、数多くの高等教育機関や研究機関がある。
主要産業は食品産業で、食品卸売業はパリに次いで国内第2位の規模を誇り、その他、鉄鋼、鉱業機械、石油製品、木材産業、サンナゼールの造船業など、フランス国内で4番目に重要な工業地帯を形成している。
平成3年(1991)、新潟・フランス協会設立にあたり、フランス大使館からナントのアトランティック・ジャポン協会が紹介されたのがきっかけで、両市の交流が深まり、平成11年(1999)交流協定が調印された。
この町のシンボルである「シャトー(城)」は古く(最古の部分は13世紀)、ロアールにある多くの華麗なシャトー(居城)とは趣を異にし、堂々たる装いで戦いの場の印象を残している。
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