1972/10/03 - 1972/10/03
58位(同エリア70件中)
ソフィさん
1961年10月3日(火)
今日から、フランス西部の旅に出掛ける。
先週の、フランス南部の旅に引き続きの、強行軍。
パリ・モンパルナス駅を8時30分に発って、ブルターニュ地方の入口レンヌを経、ノルマンディのドールへ。
レサール橋は、これまたとてつも大きいコンクリート橋だった。
再びレンヌの戻って、ナントに至り泊る。
ナントでは、当地の構造物管理区長さんが、お子さん連れで駅に出迎えてくれる。
日本の切手を是非手に入れたいとのことなので、後日お送りすることにする。
ナントはパリの西、ロワール河の河口に近く、パリから出発するロワールの城めぐりの終点。
1598年,新教徒に信仰の自由を認めた「ナントの勅令」で、歴史に名をとどめている。
1562年以来の宗教内乱に終止符を打つため、ブルボン朝初代でプロテスタント(ユグノー)のアンリ4世は、国王に即位してまもなくカトリックに改宗(1593)し、この勅令でユグノーにもカトリックとほぼ同等の権利を与えることとした。
しかしユグノーへの弾圧は続き、勅令はルイ14世時代1685年に廃止。
多くのユグノーは、海外に亡命する。
その後18世紀、ナントはフランス国内一の貿易港として発展。
その後港湾機能は下流のサン・ナゼールに移るが、現在も産業都市としてフランス第7位の人口(25万人)の都市である。
この町のシンボルである「シャトー(城)」は古く(最古の部分は13世紀)、ロアールにある多くの華麗なシャトー(居城)とは趣を異にし、無骨で戦いの場の印象を残している。
またナントは、市電の町としても歴史に名を残している。
街路鉄道が蒸気機関車だった時代、電気鉄道の開発に先立ってこの町に、世界で唯一の無煙街鉄(圧搾空気鉄道)が走る。
さらに1980年代に始まるフランスの市電復活では、1985年全国に先立ち、復活最初の市電が走り出す。
街路鉄道では常にフランスの先頭を切るのが、この町だった。
PR
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ソフィさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
0