1972/10/20 - 1972/10/20
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ソフィさん
1961年10月20日(金)
ジョルジュ・スーラは印象派を出発点とし、そこにルネサンス絵画のような古典的な秩序をあたえようとした。
印象派の筆触分割の技法が十分科学的でないとして、規則的な点の並びで描く独自の絵をつくりだした。
近代的な科学と独自の美学の融合したその世界は、中世のフレスコ画を思わせるような静謐なな光と詩情を漂わせている。
ジョルジュ・スーラ(1859〜1891年)は、パリのブルジョワ家庭に生まれた。
4人兄弟の3番目であったが、公務員の父親は多少の財産があり、スーラは生涯一度も生活の心配をすることはなかった。
19歳で国立美術学校に進学し、アングルの弟子であったアンリ・レーマンの門下に入る。
彼の授業はデッサン中心であり、色彩は副次的なものであったが、スーラはここで多くのデッサンを残している。
基本を習得したあと、アングルの静かな表現法とは正反対の、ドラクロワの豊かな筆触の色彩表現に学ぶ。
1884年、最初の大作『アニエールの水浴』で縦2メートル、横3メートルの壮大なスケールの水浴場面を描いた。
だがこの作品はサロンには拒否され、仲間たちと創設した「アンデパンダン展」に出品された。
そこでポール・シニャック(1863〜1935年)と知り合い、親交を深めていく。
二人は科学的画法に傾倒し、出来るかぎり絵具を混ぜずにキャンバスに並べていく画法へ到達する。
この画法で描かれた「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は、2年の歳月を経て完成し、1886年最後の印象派展に出品された。
作品に対する反応は様々だったが、これで点描の手法は一応の完成を見、後期印象主義の潮流が生まれる。
そのときスーラは、まだ27歳の若さであった。
その後32歳に死ぬまで、「ポーズする女たち」「サーカス」「化粧する若い女」など多くの作品を残している。
私が始めてであったスーラの作品は「サーカス」だったが、その強烈な印象は今も心に残る。
点描画法はシニャックに引き継がれ、さらに発展を見ている。
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