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1961年7月3日(日)<br /><br />ジェット機が本格的に飛び始めて、まだいくばくもない時代、日本人の海外旅行者が、まだ数万人の頃である。<br />ヨーロッパまでの運賃は、私の年俸の2倍を越えていた。<br /><br />海外旅行は特別の許可を必要とし、お金の持ち出しも500ドル(当時18万円)に限定されている。<br />外国に旅行するなんて夢のまた夢だったが、私は一度進んだ欧米文化に接したいと、1955年以来機会を伺っていた。<br /><br />そして、社会人を対象としたフランス政府給費留学試験にようやく合格し、羽田を飛び立ったのは1961年6月28日のことだった。<br /><br />飛行機に乗るのさえ初めてだった私は、赤ゲットよろしく好奇心の塊。<br />見るもの聞くもの全てに感動しながら、花の都パリにたどり着く。<br /><br />途中香港、イスタンブール、アテネに各一泊というハードな行程で、汗まみれの到着である。<br />果たして未熟なフランス語が、どれほど通用するだろうか。<br /><br />大きな期待と、少しの不安を持ちながら、私はパリ・オルリー空港の土を踏む。<br />

パリ 311 たどり着いたパリ

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1972/07/03 - 1972/07/03

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片瀬貴文

片瀬貴文さん

1961年7月3日(日)

ジェット機が本格的に飛び始めて、まだいくばくもない時代、日本人の海外旅行者が、まだ数万人の頃である。
ヨーロッパまでの運賃は、私の年俸の2倍を越えていた。

海外旅行は特別の許可を必要とし、お金の持ち出しも500ドル(当時18万円)に限定されている。
外国に旅行するなんて夢のまた夢だったが、私は一度進んだ欧米文化に接したいと、1955年以来機会を伺っていた。

そして、社会人を対象としたフランス政府給費留学試験にようやく合格し、羽田を飛び立ったのは1961年6月28日のことだった。

飛行機に乗るのさえ初めてだった私は、赤ゲットよろしく好奇心の塊。
見るもの聞くもの全てに感動しながら、花の都パリにたどり着く。

途中香港、イスタンブール、アテネに各一泊というハードな行程で、汗まみれの到着である。
果たして未熟なフランス語が、どれほど通用するだろうか。

大きな期待と、少しの不安を持ちながら、私はパリ・オルリー空港の土を踏む。

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