2005/06/01 - 2005/06/07
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さすらいおじさんさん
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ハルピンには1896年及び1898年に清朝と帝政ロシア間で結ばれた「遼東半島租借条約」以降、多くのロシア人が入植し、彼らはヨーロッパ風の美しい街並みを創るとともに音楽、舞踊などの育成に注力した。その結果ハルピンにはロシア各地から優秀な音楽家や舞踏家が集まり、芸術の街としての名声を高めていった。
ハルピンが輩出した世界的な音楽家の一人は「ヴォルガの舟歌」で名高いバリトン歌手シャリアピン。1936年には来日公演をし、山田耕作、藤原義江ら日本の近代音楽を創生した音楽家達との交流もしている。
山田耕作(1886-1965年)は「赤とんぼ」「春が来た」などの童謡の作曲で有名だが、優秀な音楽家がロシア全土から150名も集まっていたハルピン交響楽団を1924年に訪問し、楽団員を勧誘、NHK交響楽団の前身で1926年に日本初のプロ・オーケストラとなった新交響楽団の結成に貢献している。
朝比奈 隆(1908ー2001年)も1940年新交響楽団(現NHK交響楽団)を指揮してデビュー後ハルピンで活躍し、1945年ハルピンで敗戦を迎えて難民となったが1946年10月に帰国している。
東大在学中に「赤い風船」で歌手デビューし「ひとり寝の子守歌」「知床旅情」などの歌唱で知られる加藤登紀子も1943年にハルピンで生まれ終戦後父の故郷の京都に引き上げている。父の加藤幸四郎はハルピン学園でロシア語を習得した後満鉄に勤務しているがオペラ歌手を目指していたそうだ。父・幸四郎は帰国後キングレコードで音楽ディレクターなどをし、登紀子に歌手になることを勧めている。音楽好きの父・幸四郎をハルピンが育て、そして登紀子を音楽家に育てた訳だ。
このように日本の音楽史に欠かすことのできない「東方の小パリ」ハルピンにはヨーロッパ風の彫像が街を飾り、モンマルトルのように似顔絵描きがたくさんいる。松花江沿いでは鮮やかな花壇を造り、美しい色どりの凧を売っている。
まさにハルピンは音楽、絵画、彫像に彩られたパリのような芸術の街である。
(写真は中央大街にあるトランペットを吹くモダンな彫像)
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中央大街にあるアコーディオンを弾くモダンな彫像。
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中央大街にある馬車の彫像は子供達の遊び場になっている。
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バロック様式建築の旧松浦洋行ビル
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ロシア正教会、聖ソフィア教堂の内部。
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ロシア正教会、聖ソフィア教堂の内部。
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ハルピンで活躍した音楽家や舞踏家の写真。
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ハルピンで活躍した音楽家や舞踏家の写真。
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芸術の街らしく似顔絵を描く絵描きさんが多い。
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松花江沿いでは、美しい色どりの凧を売っている。
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松花江沿いでは、美しい色どりの凧を売っている。
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ハルピンのスターリン公園を彩る花壇。
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紅衛兵が破壊したハルピンのシンボルだったニコライ大聖堂の跡地はモダンな記念碑で飾られている。
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ハルピンの街ではいろいろな場所が花壇で飾られている。
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芸術の街らしく晴天下で民族舞踊の公演をしていた。
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芸術の街のカメラマンはモデルになれそうな美人だった。
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この旅行記へのコメント (1)
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- きゃんさんさん 2005/06/15 20:57:10
- ハルビン
- こんにちは。たしかに同地は音楽に関連した方を
多く輩出しましたね。小澤征爾氏も、たしか満州生
まれですね。(「征爾」の名は板垣征四郎氏と石原莞
爾氏から取った名前だと記憶しております。)
当時の満州にあったオーケストラはロシア系の方
が多く、レヴェルは結構高かったようです。
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