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私が中国・旧満州に強い関心を持った一つは1987年アカデミー賞で9部門を獲得したハリウッド映画「ラスト・エンペラー」を見てからだ。この映画では日本人作曲家、坂本龍一がアカデミー作曲賞を受賞し、また甘粕大尉役で出演したことでも話題になった。<br />17世紀から268年間も続いた満州族が築いた清王朝。その第10代宣統帝、愛新覚羅・溥儀(あいしんかぐら・ふぎ、1906−1967年)は権力を掌握していた西太后の命で1908年12月2日、僅か3歳で北京・紫禁城、大和殿で即位する。1911年の孫文率いる辛亥革命により、清朝は滅び、同時に2000年以上続いた封建王朝も終焉した。だが、袁世凱が革命党から「清皇室優待条件」を獲得し溥儀は引き続き紫禁城で皇帝の生活を続けた。1922年12月1日には、16歳の溥儀は皇后として16歳の婉容、第2妃として13歳の文繍を紫禁城に迎え大婚の儀式を行った。<br />しかし紫禁城の生活も安泰では無く、1924年には紫禁城を追われ日本公使館の庇護の下に天津での仮住まいを余儀なくされる。天津での7年の間に日本との関係を深め、日本の援助のもとに復権を目論むようになった。1931年9月18日の柳条湖事件(日本軍が仕組んだ満鉄線路爆破を中国の仕業だと濡れ衣を着せ張学良の軍隊を攻撃した事件)をきっかけとする満州事変後日本は1932年3月8日に満州国成立を宣言、溥儀は皇帝となり長春(当時は新京)を国都とし、新宮殿に入居した。<br />溥儀は日本との関係をさらに深め、1935年と1940年には訪日、日本の植民地支配を受け入れ天照大神を建国神廟に祀る。<br />1935年には溥儀の弟溥傑(1907−1994年)が日本で軍事教育を受けたのちに長春に戻り日本女性、嵯峨浩と政略結婚。余談だが、2女に恵まれるものの19歳の長女慧生(えいせい)は1957年12月4日伊豆・天城山で学習院大学の同級生、大久保武道との結婚を反対されたことを苦にしてピストルで心中したことが話題になった。溥儀の弟溥傑一家も悲しい歴史を抱えているが、苦難を乗り越えた溥傑と嵯峨浩は深い愛情で結ばれた夫婦になったそうだ。<br />溥儀は5人の妻を持つが子供に恵まれず一説には、幼少から宦官に囲まれた生活を送ったために同性愛者だったとも言われている。皇后・婉容はアヘン中毒で精神を患ったのち1946年に病死、第2妃・文繍とは1931年に離婚している。<br />1945年8月15日、大日本帝国の無条件降伏により、満州国も崩壊、溥儀は日本に逃亡途中に瀋陽空港でソ連軍に逮捕された。護送中、溥儀はハルピン駅で手首を切り自殺を図るが未遂に終わり、チタ、ハバロフスクの収容所で5年間抑留後1950年8月には中国に引き渡され撫順の戦犯管理所で中国共産党により改造教育を10年間受けた。これまで水の汲み方も知らなかった溥儀は自分のことを自分ですることができるようになり、針仕事などもできるようになった。<br />1959年12月4日、中華人民共和国10周年を記念した毛沢東の特赦により公民権を得て北京植物園に勤務、その後全国政治協商会議で文史専門家を経て委員となり毛沢東主席、周恩来総理とも接見している。1962年には平民の看護婦・李淑賢と5回目の結婚、初めて平凡な家庭生活を送った。1964年3月には自己批判書とも言える「わが前半生」を出版、英悟、日本語、ドイツ語などに翻訳され大反響を呼んだ。そして自叙伝完成後は体調を崩し、1967年10月17日、腎臓ガンなどで61歳の波乱の生涯を閉じている。<br />ラストエンペラーの宮殿跡に設けられた偽満皇宮博物館(中国では偽ーにせ満州と呼ぶ)は日本に国を売った大罪人を見事に共産主義者に改造したことを宣伝し、一方で1931年9月18日の柳条湖事件をきっかけとして満州を侵略した日本を批判し、ここにも江沢民主席の自筆による「勿忘9・18ー柳条湖事件を忘れるな」が掲げられている。<br />しかし、268年間続いた満州族が築いた清朝。その第10代宣統帝、愛新覚羅・溥儀は本当に改造されて満足した余生を送ったのだろうか、私にはそうは思えない。映画「ラスト・エンペラー」の終局で北京植物園の職員となった溥儀が北京・紫禁城、大和殿の玉座に自分が座っていたことを側にいた少年に自慢するシーンがあるが、一度栄光を手にしたものがその日々を忘れられるとは思えない。きっと野心を捨てざるを得ず内心じくじたるものがあったろうし、ハルピン駅での自殺未遂を繰り返す事無く最期まで生き抜いたことは立派に人生を全うしたと言えるだろう。また平民、李淑賢との5回目の結婚、初めての平凡な家庭生活が幸せなものだったことも事実だろう。皇帝の、権力はあるが自由の無い生活よりも、平凡でも自由な生活の方が人間にとって幸せなのかも知れないなあ、と思いながら「ラスト・エンペラー」の夢の跡を見つめていた。<br />(写真は偽満皇宮博物館の謁見の間)<br />

中国・旧満州の旅【1】 「ラスト・エンペラー」の夢の跡 長春

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2005/06/01 - 2005/06/07

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

私が中国・旧満州に強い関心を持った一つは1987年アカデミー賞で9部門を獲得したハリウッド映画「ラスト・エンペラー」を見てからだ。この映画では日本人作曲家、坂本龍一がアカデミー作曲賞を受賞し、また甘粕大尉役で出演したことでも話題になった。
17世紀から268年間も続いた満州族が築いた清王朝。その第10代宣統帝、愛新覚羅・溥儀(あいしんかぐら・ふぎ、1906−1967年)は権力を掌握していた西太后の命で1908年12月2日、僅か3歳で北京・紫禁城、大和殿で即位する。1911年の孫文率いる辛亥革命により、清朝は滅び、同時に2000年以上続いた封建王朝も終焉した。だが、袁世凱が革命党から「清皇室優待条件」を獲得し溥儀は引き続き紫禁城で皇帝の生活を続けた。1922年12月1日には、16歳の溥儀は皇后として16歳の婉容、第2妃として13歳の文繍を紫禁城に迎え大婚の儀式を行った。
しかし紫禁城の生活も安泰では無く、1924年には紫禁城を追われ日本公使館の庇護の下に天津での仮住まいを余儀なくされる。天津での7年の間に日本との関係を深め、日本の援助のもとに復権を目論むようになった。1931年9月18日の柳条湖事件(日本軍が仕組んだ満鉄線路爆破を中国の仕業だと濡れ衣を着せ張学良の軍隊を攻撃した事件)をきっかけとする満州事変後日本は1932年3月8日に満州国成立を宣言、溥儀は皇帝となり長春(当時は新京)を国都とし、新宮殿に入居した。
溥儀は日本との関係をさらに深め、1935年と1940年には訪日、日本の植民地支配を受け入れ天照大神を建国神廟に祀る。
1935年には溥儀の弟溥傑(1907−1994年)が日本で軍事教育を受けたのちに長春に戻り日本女性、嵯峨浩と政略結婚。余談だが、2女に恵まれるものの19歳の長女慧生(えいせい)は1957年12月4日伊豆・天城山で学習院大学の同級生、大久保武道との結婚を反対されたことを苦にしてピストルで心中したことが話題になった。溥儀の弟溥傑一家も悲しい歴史を抱えているが、苦難を乗り越えた溥傑と嵯峨浩は深い愛情で結ばれた夫婦になったそうだ。
溥儀は5人の妻を持つが子供に恵まれず一説には、幼少から宦官に囲まれた生活を送ったために同性愛者だったとも言われている。皇后・婉容はアヘン中毒で精神を患ったのち1946年に病死、第2妃・文繍とは1931年に離婚している。
1945年8月15日、大日本帝国の無条件降伏により、満州国も崩壊、溥儀は日本に逃亡途中に瀋陽空港でソ連軍に逮捕された。護送中、溥儀はハルピン駅で手首を切り自殺を図るが未遂に終わり、チタ、ハバロフスクの収容所で5年間抑留後1950年8月には中国に引き渡され撫順の戦犯管理所で中国共産党により改造教育を10年間受けた。これまで水の汲み方も知らなかった溥儀は自分のことを自分ですることができるようになり、針仕事などもできるようになった。
1959年12月4日、中華人民共和国10周年を記念した毛沢東の特赦により公民権を得て北京植物園に勤務、その後全国政治協商会議で文史専門家を経て委員となり毛沢東主席、周恩来総理とも接見している。1962年には平民の看護婦・李淑賢と5回目の結婚、初めて平凡な家庭生活を送った。1964年3月には自己批判書とも言える「わが前半生」を出版、英悟、日本語、ドイツ語などに翻訳され大反響を呼んだ。そして自叙伝完成後は体調を崩し、1967年10月17日、腎臓ガンなどで61歳の波乱の生涯を閉じている。
ラストエンペラーの宮殿跡に設けられた偽満皇宮博物館(中国では偽ーにせ満州と呼ぶ)は日本に国を売った大罪人を見事に共産主義者に改造したことを宣伝し、一方で1931年9月18日の柳条湖事件をきっかけとして満州を侵略した日本を批判し、ここにも江沢民主席の自筆による「勿忘9・18ー柳条湖事件を忘れるな」が掲げられている。
しかし、268年間続いた満州族が築いた清朝。その第10代宣統帝、愛新覚羅・溥儀は本当に改造されて満足した余生を送ったのだろうか、私にはそうは思えない。映画「ラスト・エンペラー」の終局で北京植物園の職員となった溥儀が北京・紫禁城、大和殿の玉座に自分が座っていたことを側にいた少年に自慢するシーンがあるが、一度栄光を手にしたものがその日々を忘れられるとは思えない。きっと野心を捨てざるを得ず内心じくじたるものがあったろうし、ハルピン駅での自殺未遂を繰り返す事無く最期まで生き抜いたことは立派に人生を全うしたと言えるだろう。また平民、李淑賢との5回目の結婚、初めての平凡な家庭生活が幸せなものだったことも事実だろう。皇帝の、権力はあるが自由の無い生活よりも、平凡でも自由な生活の方が人間にとって幸せなのかも知れないなあ、と思いながら「ラスト・エンペラー」の夢の跡を見つめていた。
(写真は偽満皇宮博物館の謁見の間)

  • 1932年から1945年まで溥儀が住んだ建物。

    1932年から1945年まで溥儀が住んだ建物。

  • 同徳殿。溥儀と4人目の皇妃、李玉琴の生活の場だったが、溥儀は盗聴器の設置を疑い、使用しなかった。

    同徳殿。溥儀と4人目の皇妃、李玉琴の生活の場だったが、溥儀は盗聴器の設置を疑い、使用しなかった。

  • ハリウッド映画「ラスト・エンペラー」で舞踏会の場面がロケされた部屋。

    ハリウッド映画「ラスト・エンペラー」で舞踏会の場面がロケされた部屋。

  • 宮殿の装飾。

    宮殿の装飾。

  • 宮殿の廊下。

    宮殿の廊下。

  • 1950年8月には中国に引き渡され撫順の戦犯管理所で中国共産党により改造教育を10年間受けた溥儀。これまで水の汲み方も知らなかった溥儀が針仕事などもできるようになった様子を再現している。

    1950年8月には中国に引き渡され撫順の戦犯管理所で中国共産党により改造教育を10年間受けた溥儀。これまで水の汲み方も知らなかった溥儀が針仕事などもできるようになった様子を再現している。

  • 溥儀が来客と謁見した勤民楼。

    溥儀が来客と謁見した勤民楼。

  • 皇后・婉容。16歳で皇后になるが、アヘン中毒で精神を患ったのち1946年に病死した。

    皇后・婉容。16歳で皇后になるが、アヘン中毒で精神を患ったのち1946年に病死した。

  • ハリウッド映画「ラスト・エンペラー」でロケに利用された会議室。

    ハリウッド映画「ラスト・エンペラー」でロケに利用された会議室。

  • 皇后・婉容がアヘンを吸った部屋。

    皇后・婉容がアヘンを吸った部屋。

  • 西太后の命で1908年12月2日、僅か3歳で北京・紫禁城、大和殿で即位した溥儀の様子を再現している。

    西太后の命で1908年12月2日、僅か3歳で北京・紫禁城、大和殿で即位した溥儀の様子を再現している。

  • 溥儀の玉座。

    溥儀の玉座。

  • 皇后・婉容の寝室。

    皇后・婉容の寝室。

  • 博物館の入口に江沢民主席の自筆による「勿忘9・18ー柳条湖事件を忘れるな」が掲げられている。

    博物館の入口に江沢民主席の自筆による「勿忘9・18ー柳条湖事件を忘れるな」が掲げられている。

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この旅行記へのコメント (7)

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  • 真@tokyoさん 2008/02/02 11:41:57
    長春の思い出
    さすらいおじさん
    はじめまして

    私は90年代に当地の会社との技術交流で何度か訪問しました。
    過去の歴史的いきさつはあるでしょうが、まったくそれを感じさせず、常に友好的に接してくれました。好印象だけ残っております。
    ただ、3度目あたりで街の雰囲気にもすっかりなじんだので、数少ない観光スポットとして偽満皇宮博物館を案内されました。2階の日本軍の所業の展示にはお互いに気まずくなってしまいましたが、それも一時のことで、その後は普通に交流できました。
    あまり神経質に感じることは無いと思います。

    ここでは時代の波にもてあそばれた「皇后・婉容」がなんとも哀れで、あまり記述も無くどのような人だったかと改めて思い直しました。

    またよろしく

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2008/02/03 19:31:09
    RE: 長春の思い出
    真@tokyoさん

    旧満州をごらんいただきありがとうございます。
    中国の人達と友好的な技術交流をしておられるとのこと、うれしいことです。

    私は中国の雄大な歴史、文化、自然が好きで10回以上中国の主要観光地を訪問しており、いつも感動をもらい、現地の人達の暖かいもてなしに感謝しています。

    旧満州をツアーで訪問したときは反日運動で瀋陽などの日本領事館や日本レストランに投石される事件が続いていましたのでツアー催行も危ぶまれていました。催行はされましたが、添乗員からは個人での外出は控えるように注意され、かなり慎重に行動した記憶がありますが、このようなことはこのツアーだけでした。

    北京オリンピックが近づいて中国では外国人観光客に対し、より友好的に接する教育が強化されているようですが、オリンピックを契機に日本と中国が真の友好国になることを願っています。

  • kyokosa-nさん 2005/06/12 15:06:10
    中国 旧満州の旅、見せていただきました。
    「ラスト・エンペラー」で有名な清朝最後の皇帝・溥儀の弟で「流転の王妃」愛
    新覚羅浩さんの夫、溥傑さんの記事が私のアルバムの中にありました。
    溥儀さんの四人兄弟の末弟の溥任さんが岐阜で書画展を開いた時に知り合いになられた須田さんという方が北京で会われた時の記事です。
    溥任さんの案内で溥傑さんを訪問し対談の時に
    日中戦争の間のご苦労について話されると
    「私より兄(溥儀)が大変でした。長い歴史の間には国と国との間でもいろいろなことがあるものです。過去のことよりも、新しい関係を作っていくことが大事です。」と流暢な日本語で静かに語られる溥傑さんのお姿を見て感動を覚えましたとの須田さんの感想が述べられていました。

     この時代に「旧満州国」に母と訪ねることの出来た私の感じた一頁が切り抜きとなってアルバムに添付されていたように思います。
    アルバムを広げるチャンスを作って
       下さったようで嬉しく思います。
  • kaz-ykさん 2005/06/09 22:03:17
    ラストエンペラー夢の跡、拝見しました。
    さすらいおじさん2さん 今晩は
    「ラストエンパラー」の、TV放映や、紫禁城の玉座は、良く覚えています。
    しかし、満州、長春は、訪問したこと無いので、今回のご報告でよく解りました。何時もながら鮮鋭な画像、懇切な説明有難うございます。

    「つわものどもの夢の跡」先輩が、積み上げて来たものを、崩してしまうなんて、軍部の独創と外交の失敗で、しょうか?

    戦争に負けて豊かになるとは、! 
    米国の軍部の独走には、危なさを感じます。

    続編のUPを お待ちします。
  • げっぴーさん 2005/06/09 10:24:52
    お帰りなさい!
    『ラストエンペラー』ですかぁ〜
    私も全部キチンと見たことがありません。
    この旅行記を見て、キチンと見直してみよう!と思いました。

    私の上司も仕事で先週一週間、南京へ行って帰って来ました。
    その土産話や‘さすらいおじさん’‘noriさん’の旅行記を見て
    かなり中国の魅力に引き込まれてます。
    広いだけに見所も満載だし…

    是非、機会があれば近い将来訪れてみようと思います。
    では―
  • すずかさん 2005/06/09 09:57:22
    時代に翻弄させられましたね・・・
    さすらいおじさん、おはようございます。
    満州からおかえりなさーい。
    早速旅行記拝見しました。

    実はラストエンペラーはちょこっとしかみたことないんです。
    でも、旅行記読んでいると時代に翻弄させられた被害者って多いんだぁ・・
    とシミジミ。

    続き楽しみにしてますね。

    では

    すずか
  • チビケイさん 2005/06/08 21:34:00
    溥儀の歴史、満州と日本の関わり読ませて頂きました(*'ー'*)ノ~~
    さすらいおじさん2さん(* ^-^)ノこんばんわ♪
    そろそろ旧満州UPされたかなとお邪魔しました(^_-)-☆

    私もラストエンペラー何回も見ていて、
    今回のさすらいおじさんさんの旧満州にとても興味があったので
    ご説明、お写真を映画を思い出しながら拝見させて頂きました(#^.^#)

    溥儀が最盛期に自分に起こり得たこと
     追われる身となってからの事、、
    色んな事を考えながら、さすらいおじさんさんの
    満州、拝見させて頂けてよかったです<(_ _*)>

    溥儀だけではなく時代の波に翻弄されながら
    生きてゆかなければならなかった女性達にも
    触れてのご説明もわかりやすくて、とても勉強になりました。

    中国と日本の関わりがこの当時から揺れ動いていたのだなぁと、、、
    いつもながら素晴らしい旅行記に感謝ですm(__)m


    PS:サッカー、日本が勝ちましたね(o^∇^o)ノ良かった!

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