1970/07/10 - 1971/06/20
13927位(同エリア16401件中)
ソフィさん
シテ・ユニヴェルシテール(Cite Internationale Universitaire de Paris)は、パリに遊学する外国人学生と、外国人を理解しようとするフランス人学生のために建てられた。
住人の過半数はフランス人で、外国人はここに住みながら、フランスを理解する。
目的は二つ。世界の若者の相互理解と、学生生活の援助。
女性は三分の一。
パリ市南端14区、ジュルダン大通りと環状道路の間、総面積40ヘクタールの緑地に点在する建物は、付属施設を別にして37館。
人口約5000人だから、小さな自治体の規模になる。
設立は両大戦間の1925年。
最初に建てられた館はドイッチュ・ド.ラ・ムールト Deutsch de La Meurthe 館。
大学都市の理念の実現に財政面で尽力して,時の文部大臣アンドレ・オノラを助けたアルザスの実業家にちなんだ命名である。
ドイツ館は1956年開館、その1967年以来の正式名称はハインリヒ・ハイネ館。
外国館一番乗りはカナダ館。
次いで,ベルギー館(1927年)、アルゼンチン館(1928年)、農業学院館(1928年)と続き、その次に1929年(昭和4年)5月に開館した日本館 Maison du Japon がある。
日本館は大学都市全体では六番目,外国館としては四番目の古参。
その日本館は薩摩館という別名を持つ。
パリ大学が提供した用地に,建築資金と当座の運営費を、明治の豪商薩摩商店の三代目薩摩治郎八が負担して、建設された。
バロン薩摩の異名で知られる治郎八氏の破天荒な生涯、とりわけパリでの豪奢かつ華やかな社交生活を直接知るには、獅子文六「但馬太郎治伝」(講談社文芸文庫)を奨める。
愛称「シテ」。
これだけのものを、発案し実行した人に、最大の敬意を表したい。
特徴は、人種偏見のなさ。
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