2003/06/06 - 2003/06/17
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erikoさん
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当時のエルコラーノ(旧名ヘルクラネウム)は人口5,000人の小さな港町。ポンペイと同じヴェスヴィオ火山の噴火によって埋まってしまった町だが、ポンペイが火山灰でゆっくり埋まってしまったのに対し、ここエルコラーノは一瞬にして流れ込んだ溶岩によって密封された為、店や家の骨組み、家具類が炭化してそのまま残っている。これにはちょっと驚いた。自然の猛威を感じずにはいられない。
遺跡の中に入っていくと、モザイクや壁画が驚くほど良い状態で残っていて、その昔、ローマ貴族の別荘地だった事が偲ばれる。ポンペイでも思ったけど、日本だと遺跡があると分かれば全容が見えるまで立ち入り禁止にして、全部掘ってしまうのだろう。それに対してここは、発掘中にもかかわらず、未発掘の部分にどんどん住宅が建てられて今の町がある。それ故に、ここはもうこれ以上は発掘されないのだろう。それはそれでいいんじゃないかと思う。箱庭のような遺跡はまるで作り物のようだったけど、明らかに年月を経ていて感慨深かった。
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ナポリからヴェスーヴィオ周遊鉄道(私鉄)で15分、駅を降りたら海の方に真っ直ぐ10分ほど坂を下っていくとその遺跡はある。
遺跡までは非常に分かりやすい道にもかかわらず、無駄に歩きたくないため、何度も道を尋ね、その都度ナポリの元気なおじいちゃん達のパワーを感じる。
1.声が大きい。 2.沢山喋る。 3.「いい所だぞ!」と最後に必ず付け加える。(イタリアの田舎では何処でもそうだが、自分の町をこよなく愛する住民達は、何時も親切で温かい。) -
エルコラーノの遺跡は南北に走る5本のカルド(Cardo)と呼ばれる大通りと、東西を横切るデクマーノ(Decumano)と呼ばれる大通りで区画されている。
現在発掘されているカルドは左からカルド?、?、?で、カルド?と?(地図の赤い部分)は住居の下となっている為、これ以上発掘は無理ではないだろうか。
デクマーノは北側(上)がデクマーノ・マッシモ・フォロ、 Decumani Massimo Foro、真中を走るのがデクマーノ・インフェリオーレ Decumano Inferiore と呼ばれている。 -
駅から遺跡に向かう“11月4日通り”の途中にあるインフォメーションで貰ったパンフレットの表紙。上の二つの地図はこれから引用させて頂きました。
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入り口をくぐると、右側に遺跡が見えるが、地面のはるか下である。この高さは全部が溶岩なのか、それとも二千年の歳月で積もったものなのかは分からない。ただ、反対側の畑を見ると、この遺跡を発見したのが井戸掘りに来た農夫だった、と言う事が納得のいく長閑な光景だ。そして、この畑の下には同じように遺跡があるのだろう。
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遺跡と居住区の境目のカルド?。僅かばかり住居の下を発掘した形跡はあるが、現在は放置されているようだ。
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周りの近代的な建物はかつては空だった。もっとも、近代的というのは、「近代的」で「現代的」ではないので、一見して遺跡の境目がつかない所もある。
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遺跡を浜側に回り込む様に道はある。この緩やかに続く下り坂を200メートル近く下りて行くと、道は右に曲がり、さらに150メートル下りていくと正面に切符切りとブックショップがある。
昔は海だった所から遺跡の町へ入る事になる。 -
ここからは十指に満たない遺体しか見つかっていなかった事から、住民は大部分が無事に避難できたものと考えられていたが、1982年以降市壁の外側の船着場といわれるアーチ型にくり抜かれた部分から次々と遺体が発見され、それまでの推論が大きく見直された。かなりの人数が楽観的な希望から町に留まり、状況が極度に悪化してから避難を開始したようで、海に逃れようとして果せなかった人々が、写真右下のアーチの船着場から見つかった。
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ブックショップの前が見晴台のようになっていて、写真はそこからの眺め。右下に見えるのが後で出てくる“郊外の浴場(Terme Suburbane)”。
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切符切り手前には遺跡のの地図がある。
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遺跡入口から中に入るにはこの橋を渡る訳だが、ここから遺跡が下方に一望できる。過ぎ去った世界へ行く心構えがここで出来る。実際、高い岩壁に囲まれたこの町は、時間が止まっている。
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鹿の家(Casa dei Cervi)
日干し焼きの煉瓦は「乱積積み」といって金網状に積んでモルタルで接着させている。改めてローマの技術の高さを感じる。 -
どちらかと言うと、ポンペイは商業都市だったせいか、住民のバイタリティ溢れる町で、家屋の装飾などはちょっとエッチというか下品な・・・と思うものもあったけど、ここの壁画などは色使いも綺麗で上品な感じがした。
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壁画の保存状態は非常に良い。
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カルド IV 通りを南から北に歩いていくと、道路の左側に目に付くのがカーサ・ア・グラティッチォ(Casa a Graticcio)だ。
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この家はレンガの柱に支えられたバルコニーのある家で、このタイプの家は安価で出来るため、庶民の間で人気があった。
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居酒屋のカウンターにはめ込まれたワイン壷。
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小麦とかの食材を入れていたと思われる壷。
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板仕切りの家(Casa del Tramezzo di Legno)
炭化した引き戸がそのままの形を留めている。引き戸の向こうは食堂だった。 -
天井部分の梁も炭化して残っている。
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“板仕切りの家”のアトリウム。アトリウムとは吹き抜けとなった天井からの雨水を集めて貯水するシステムの部屋。
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水を集める水槽の床のモザイクは当時のオリジナル。
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遺跡に巣作る鳩。
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壁一面に色鮮やかな壁画が残る部屋。でも、その色使いや題材は同じ時代の街・ポンペイのものとは少し違った趣がある。
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天使の壁画。その頃の天使はギリシャ神話からきているのだろうか?
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ここでも案内犬ジョンもポーズをとる。ジョンは私が付けた名前だけどね!
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さぁ〜て、次は何処に?
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交差点の井戸。オリジナル。
エルコラーノの上下水道設備はポンペイよりも普及していた。 -
クリーニング屋のプレス機。この時代にこんなものがあったなんて驚きです。
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ト・イ・レ
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カルド?。後方に現代の住宅と、時が止まった2000年前の遺跡のコントラストが面白い。
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フォロの浴場(Terme del Foro)。トリトンとクビトが海の生き物に囲まれたモザイクのフォロの浴場の床。
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湯船に入る。何処にでも居るよね、こういう奴。
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遺跡を案内してくれたガイドと。チップに20ユーロ払った(と言うより要求された)。
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浴室のモザイクの床もオリジナル。
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エルコラーノの遺跡の中で最高のモザイクが見られるのがこのネットゥーノとアンフィトリティエの家(Casa di Nettuno e Anfitrite) 。この家の主はぶどうの販売で小金を貯めたが、貴族のような大きな屋敷を買うほどの財は残念ながら持たないので、室内を装飾することで我慢したらしい。
中央に噴水を配した内庭の壁面は練りガラスのモザイクで装飾され、犬が鹿を追う狩猟の図と、周囲にきじや木の葉のれいを配したデザインは、青を基調とした落ち着いた配色でとても印象的。 -
モザイクの上方には怖い顔をした頭像のレリーフがある。
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女性の頭像だけど、やっぱりどこか怖い。
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エルコラーノで最も華麗なモザイクは、Termeの向かいにある
Casa di Nettuno e Anfitrite(ネプチューンとアンピトリティスの家)の
アトリウムにあるガラスモザイクは完全な姿で保存されていて、
その華麗な色使いから当時の市民の芸術性の高さがうかがわれます。正面にはこの家の名前の由来となったネプチューンとアンフィトゥリーテのモザイクが輝いている。
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この通りの奥に見えるトンネルをくぐると、切符切り場から見えていた、“郊外の浴場”に出る。
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郊外浴場入り口には4本のコラムとアポロの胸像のあるホールがある。このアポロは噴水となっていて、その前の受け皿に水がほとばしり出ていた。。
この浴場は町の一番外側(当時は海岸沿い)に位置しており、町中のフォロの浴場より時代は古い。 -
ここは微温浴室で、他にも冷温浴室、熱温浴室などと、温度の違う浴室があった。
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浴室の壁には天使のレリーフ。
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当時はこの窓の外は海だった。ローマやナポリの裕福な人々が、窓の外に広がる海を眺めながら入浴する高級保養地だった事が伺える。
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冷水盤が置けれていたと思われる部屋。
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居酒屋の看板。
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所々に見られる壁画には鳥や静物画など繊細なものも多く、
現代美術にも通じる写実的なデッサン力と共に当時の市民の豊かな食生活が偲ばれる。
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