2003/06/06 - 2003/06/17
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erikoさん
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18世紀、バロック最後の傑作と言われる王宮が完成した。その背後に広がる全長3kmにもおよぶ庭園。中央を流れる水路と緻密な計算によって出来た水の階段、そして、庭園の奥に聳える高さ150mの滝、全てが人の手で創られた人工の庭園装飾に、人間の飽くなき欲望を見たような気がする。
ナポリから列車で約40分の所にカゼルタの町はある。その駅を出るとそこはもう王宮の一部。ブルボン家の豪華絢爛な王宮とバカっ広い庭園は、観ると言うよりも歩くという感じで、宮殿の裏手の山を這い上がるように延びる庭園をノラリクラリ歩いた。
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カゼルタへはナポリから列車でおよそ40分、車両は比較的新しいタイプのもので、イタリア各地の中距離区間に多く使用されているもの。1階のみの車両と2階建ての車両が交互になっていて、私たちは2階建の2階に乗った。後ろの方に下に降りる階段が見える。
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カゼルタの駅を降りると、もうそこは王宮のだだっ広い芝生。
設計はルイジ・ヴァンヴィテッリ。着工から完成までおよそ100年がかかり、完成したときには王も設計者もこの世にはいなかった。 -
中央の門をくぐると、王宮を裏まで貫く広い廊下(これ、廊下って言うのかなぁ?)。
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大階段入口の正面には、ファルネーゼ家のコレクションだったヘラクレス像が置かれている。
2階に着くまでの116段の階段は、全て一枚岩の大理石で作られているというから贅沢。 -
左右にライオン像を置いた大階段。正面の像は、この宮殿の制作を命じたカルロ7世がライオンにまたがっているもの。
※カルロ7世=1734年、18才という若さでナポリ王国の王となった(後にスペイン王位を継ぐ)。そのカルロ7世が、攻め入るイギリス艦隊の恐怖から逃れる為に、王宮を内陸に移したのが、このカゼルタの宮殿というわけ。注文は「ベルサイユを越えるものを造れ!」だったそうです。 -
1,200室もある部屋のうち2階の36室が公開されている。
幾つも部屋を通ったので、ここが何室目かは忘れたが、初めの頃のもの。たしか「衛兵の広間(Salone delle Guardie del Corpo)」、だったかな。なんともデカくてゴージャスなシャンデリア。 -
金色をふんだんに使った豪華な部屋の壁に備え付けられた燭台も豪華。ここで舞踏会なんかが行われたのだろう。
幾つも幾つも幾つも連なる部屋、部屋、部屋。 -
「玉座の間(Sala di Trono)」王宮の中枢だった部屋。結局、壁の中央に置かれた玉座に最初に座ったのは、カルロ7世からその地位を受け継いだフェルディナンド4世でした。
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「夏の間(Sala di Estate)」のヴェネツィアンガラスのシャンデリア。ここは客間として使われていた。季節をテーマに作られた4つの部屋のひとつで、他にも謁見の為の「春の間(Sala di Primavera)」、「秋の間(Sala di Autunno)」は食堂、「冬の間(Sala di Inverno)」は喫煙所といった感じです。
シャンデリア事態はそんなに珍しいものではないけど、ヴェネツィアで見るとゴテゴテに見えたシャンデリアも、ここでは清楚に感じるのが不思議。 -
こんな感じでロココ調の家具が置かれた部屋が幾つもあり、夫々に「○○○○の間」、と言う風に名が付けられている。夫々の部屋で夜毎茶会やコンサートや舞踏会が催されたのだろうね。
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「会議の間」の中央に置かれた黄金のテーブル。国民から国王に贈られたものだそうです。
《こぼれ話》
カゼルタの庭園は、当時から一般の人が通行を許されたイタリアで唯一の庭園だったとか。このことからも国王が国民に慕われていた事が分かる。 -
廊下に置かれた大きな銅版鏡に写る我が家族。
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「玉座の間(Sala di Trono)」の先にある「フランチェスコ2世の寝室(Stanza da Letto di Francesco ?)
私は、とっても落ち着いて寝れそうにない。 -
赤大理石をくり貫いて造られた国王のバスタブ。
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FREDDA=水、CALDA=お湯
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バスルームに置かれた銅版の鏡。
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最後に図書室。哲学書や詩集がびっしり並んでいる。
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図書室の片隅には天文学専門のコーナーがあった。
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最後の最後に巨大プレゼーピオ。
※プレゼーピオ=キリスト生誕などを題材に造られた箱庭のようなもので、クリスマスには各家庭で夫々パーツを買ってきて造る。教会によっては一年中飾っている所もある。12月〜1月にかけてローマ、サン・ピエトロ広場に造られる巨大プレゼーピオは圧巻! -
庶民の生活の様子とキリストの生誕の瞬間を表したプレゼーピオ。なんと、全部で1,200体の人形が置かれているとか。
《建築秘話》
王宮を設計したルイジ・ヴァンヴィテッリは完成を見る事無くこの世を去り、全ての事業は息子のカルロ・ヴァンヴィテッリに引き継がれ、カルロは父の設計に忠実に建設を進めた。ただひとつ、王宮の片隅に造られた礼拝堂以外は・・・。そして、父ヴァンヴィテッリは、完成した王宮の片隅にある礼拝堂に今も眠っている。それは彼が死んで11年後の事だった。 -
さて、炎天下の庭園に行きますか!
王宮のアーチからは庭園が一望できる。見事なまでの左右対称の美です。 -
目指すはあそこ!大滝の麓。3km先は霞んでいる。
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王宮の裏側。
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庭園に入ると暫くは芝生が繁った真っ直ぐな道が続く。芝生の両脇にある林の中にも見処があるらしいが、暑さで探究心も薄れ、ひたすらメイン街道を真っ直ぐに歩く。
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日陰のない長い道をひたすら進む。まだ元気。
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庭園内を走る馬車。つい楽をしたい、と言う衝動に駆られるが、イタリアで馬車、これほど恥ずかしいものはない・・・という意味のない私の観念から、それだけは避けた。
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暫く私たちの前を誘導した案内犬ジョンも草の虫に夢中になりここでお別れ。名前は私がその場で付けた。
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マルゲリータの泉(Fontana Margherita)地点で王宮を振り返る。徐々に遠くなる王宮。ここから庭園は一変し、水の芸術となる。
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左右対称に造られた庭園の道も日陰の方ばかりに人が集中する。
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大養魚場(Peschiera Superiore)が広がる。全長475m、幅29mと庭園の中でも最大規模。
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大養魚場の上流には、この池に水を注いでいるイルカの滝(Cascata dei Delfini)がある。イルカといってもグロテスクというか滑稽というか、ちょっと怪しいかわいさのあるイルカでした。
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風の神エオロスの泉(Fontana di Eolo)。この泉には人口の岩礁があり、その上には29体の風の精の彫刻が置かれている。
イルカの滝からエオロスの泉までは芝生が広がるが、実はこの芝生の下に水路が通っており、上の滝から下にあるイルカの滝に水を運んでいる。 -
風の精の並ぶ滝の欄干。ここにも滑稽なイルカの彫刻が登場。
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風の精の彫刻。何故か滑稽なイルカの尻尾を握っている。
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小休止。蛇口の葉っぱが粋だね。
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至福の時。
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更に進むとケレスの泉(Fontana di Cerere)にたどり着く。この泉にある彫刻のうち、水を吹き出している二つの像はオレート川とシメート川を表しており、彫刻群全体がケレスの泉という名前に由来しているそうです。
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更に上流に進むと、階段状に12個の水槽がある。
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ヴィーナスとアドニスの泉(Fontana di Venere e Adone)。ここを過ぎると終点までもう直ぐだ。
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大滝の麓をディアナの泉が受け止める。
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最後のとどめは人工の大滝。
水源は王宮から38kmも離れたタブルノ山という所にあり、その麓の町フィッツォからカゼルタまでは、ローマ帝国時代の水道橋にヒントを得て、僅かな傾斜を利用した水路を作って運んでいる。その代表的なものが“カロリーノ水道橋(Carolino Acquedotti)”で、カゼルタの王宮と共に世界遺産に登録されている。ちなみにその傾斜は1mにつき1mmと言うから、その技術力には敬服する。
※余談だが、今年(2004年)3月にローマからバーリに移動中の列車の窓からこの水道橋を偶然見た時は感激した。 -
ディアナの泉。滝の下には、これまでのリズミカルな動きの水とは対照的な、静寂の泉に清楚な女神ディアナの彫刻があり、設計者の心憎い演出が伺われる。
それにしても、たった一つの庭園を完成させるために、水道橋まで設計したヴァンヴィテッリの執念たるや・・・。 -
遥か遠くにまるで幻のように霞む王宮。
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ディアナの泉の右手には、イギリス庭園(Giardino Inglese)があり、中には日本の造園もあるらしいのだが、あまりの暑さに入り口で断念。
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入り口にあった変な植物。
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まあ、こんな風に様々な植物が集められているようだ。
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往復徒歩は自殺行為。帰路は庭園バスを利用。
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到着。やれやれ。
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